基山の麓の荒穂神社。

祭神は高良神に繋がる。

★前回の記事

 

基山の麓に「荒穂神社」がある。

佐賀県三養基郡基山町。

 

                             
鳥居の奥に見えるのが先日登った基山(きざん)。
荒穂神社のご神体。

 

 

これは今朝、撮れたての写真爆笑

朝日に照らされていた。

 


ご祭神は、瓊々杵尊
  鴨大神
  八幡大神
  宝満大神
  春日大明神
  住吉大明神
  五十猛命

この荒穂神社は、もともと基山の山頂にあった。

基山は五十猛神が、木の種を最初に植えた山ともされる。
木の山、そして始め(基・もと)の山としての基山。
                                   

基山周辺の伝承。

昔、木の山(基山)の東に荒ぶる神(鬼)がいて、
往来の人が命を落とす「命尽くし(筑紫の名の起原)」ことがあった。
それを退治したのが五十猛神。

                            
伝承にある荒ぶる神(鬼)を倒したと言う「五十猛命」。
それ故にこのお社に祀られることになったのだ。           

とすれば、基山の山頂と共に五十猛命を祀るお社なのでは?

おそらく、瓊々杵尊は後付けなのだと思われる。

               *

五十猛命。
スサノオの御子、ニギハヤヒの兄弟ともされる。

荒穂神社には、伝説の石が三つ並んでいる。

 

 

右   子宝石。

 

中   荒穂の神と高良の神が統合された石と伝えられ、
石の上部に指の跡形がついています。
荒穂の神の投げた石は高良の神の神殿の下のあると言われています。


左    荒穂の神の馬が基山の頂上より飛び降りた石と伝えられ馬の蹄の跡形がついています。
この謂れが斎祭の起こりと伝えられています。

 

 

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左の石の伝承から、中の石が「言わんとしてること」が見えてくる。

 

左の石。

「神の馬が基山の頂上より飛び降りた石」
この社の神は、基山山頂からこの地に来たということ。
つまり、山頂の神と同じである。
この社はもともと、基山の山頂にあった。

 

それを踏まえて、中の石。

「荒穂の神と高良の神の統合された石

荒穂の神の投げた石は高良の神の神殿の下にある」

 

荒穂の神と高良の神は同じだと示唆。

左の石が、中の石の説明の「補足」をしてるのだ。

 

荒穂神(五十猛神、住吉、春日神)=高良神だと


*高良神は、「高良玉垂宮神秘書」より、住吉神、春日神、志賀神、安曇磯良神と同神。

別々に書かれてる神の名は、同神であった。

 

鴨大神も彼と同神。

 

高良神は物部の祖神、饒速日命。

鴨神は彼に繋がる。

(高良神についての記事)

 

鴨神について。

 

 

では伝承の、「荒穂神が命尽くし神を退治した」は、「高良神が退治した」ことになる。

 

 

 

*天拝山の荒穂神社

また、荒穂神社は天拝山にもある。

ここには、「社殿の後ろにある石は、基山の荒穂神社から飛んできた」との伝承あり。

 

両社の神は同神(二柱)だと示唆するもの。

片方しかない、鴨神、香椎神もそれぞれと同神である。

荒穂神=高良神=鴨神(ほか)

荒穂神=宝満神=香椎神(神功皇后)

 

*宝満宮竈門神社には、神功皇后と玉依姫が祀られているが、両社は同神となる。

 

 

 

 
社の右にある池の中にある水神さん
これは明らかに「弁天池」。
本来、市杵島姫命が祀られている。
 (その名は、「斎き島姫」。
古代、島は星と同義語。
星の神=布留神、を祀るものという意味)
 
かの神の祀られてるところ、(ちゃんと謂れがある所は)必ず彼女の社がある。

彼らは名を変えられても、大切に受け継がれ、祀られてきた。
けど、「名が違う」というのは、遠回しに神に祈ってるようなもの。
名は呪。
一人でも多くの人が本来の彼を感じられて、彼に直接祈りが届きますように。
 
 
(   つづく   )
 
 

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