天神様は、この山に登って天を拝んだ。

 

天拝山(てんぱいざん)は、福岡県筑紫野市にある標高254.7mの低山。  
地元の方の憩いのお山。

 (写真は色んな時に行ったものが混じってる)
 

(山頂の天拝山社)
御祭神、菅原道真公
 

太宰府に流された菅原道真公は、無実の罪を訴え、一心に天を拝した。
その為に、この山に何度も何度も登ったのだ。
 

中腹に「荒穂神社」がある。

 

 

(中腹の荒穂神社)

                                                  

縦走して、初めて気づいた。

最後の天拝山の荒穂神社で手を合わせて、麓の最後の鳥居をくぐって、

 

 

「ありがとうございました!」

と涙が出そうなくらい感謝の気持ちでいっぱいで、
頭を下げ、その鳥居を見上げた時、初めて気づいた。


 
そうか、このお山は「荒穂の神」のお山なんだ!
 
山の麓の鳥居は、「門」を表す。
山に祀られる神を守る為の門。
結界、聖域への入り口。
そこから先は、その神の領域。
山に神がおられるから、麓に門があるのだ。
登山をするようになって、それを「感じられる」ようになった。
 
そこに、「荒穂神社」の扁額。
ここには、荒穂の神のお山あということ。
 
天神様は、荒穂の神様を拝していたのか。
                           .
その時、ようやく腑に落ち。
(ココログで「二つの伝承」をアップしてから1年後の18年12月の末!)
 
 
天拝山の中腹に在る「荒穂神社」。
基山の荒穂神社から、一夜にして中腹の磐座に飛んできたという伝承がある。
                    

境内にある石には、こうある。

 

荒穂の神と高良の神が統合された石と伝えられ、
石の上部に指の跡形がついています。

荒穂の神の投げた石は高良の神の神殿の下のあると言われています。

 

これは、同じ神であることを示唆している。
ここからも、高良の神=五十猛命(基山の神)だと分かる。


天拝山の荒穂神社にも同じ表現があった。

 

基山の荒穂神社から、一夜にして中腹の磐座へ飛んできた。
 

この神が基山の荒穂の神と同じであることを示唆している。

また、基山の「石」の伝承が、「高良の神」を示唆していることも伝えている。


「中腹の磐座」とは社の裏にある大岩の事。

 


天拝山の荒穂神社の祭神は、
瓊々杵尊
宝満大神
香椎大神
八幡大神
五十猛大神*
春日大神
住吉大神
 
*(五十猛大神(いたける)は、彼が磯(いそ)神であるから、いそたけるが縮まったもの)
瓊々杵尊は同神。(神話の神全て二柱)

基山の荒穂神社になかった名がある。
☆香椎大神=神功皇后。
 
片方に無いのは、同神だからだ。

やはり、宝満大神は神功皇后。
香椎宮には、玉依姫の名はない。

また、基山の荒穂神社にあった鴨大神の名がない。
別の神様ならば、こんなに近い距離だし、配祀されるはず。

基山の荒穂神社も同じことが言える。
宝満大神(玉依姫)と別の神ならば、こちらにある「香椎大神(神功皇后)」が、あちらにあるはず。

八幡大神、五十猛大神、春日大神、住吉大神は、共に饒速日命。
(「二つの伝承 8  ~天照大神と豊受大神(五十猛命と甕依姫)~」)

社に一緒に祀られている神は、同神。
そして、その「二柱」は、名を替えても共に祀られる。

                     *

天神様がこの山に来て拝んだ神は、饒速日命。

天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊。

道真公が天を拝んだ、この山の神。 


だから、彼はここで拝んだのだ。                       .

 

「霊魂尚在天拝之峯」

天神様の魂は、永遠にこの天拝山にある。

 

 


山頂後ろにある展望台から。
梅が咲き始めていた。(これは昨日の写真)
 
人がいない瞬間を撮るのが難しいくらい、多くの方が登られる。
天神様は、寂しくないのだといつも感じいる。

「天神の径」から行った時、白瀧稲荷神社があった。
 

 
 
 

 
白瀧稲荷大明神は、道真公の守護神と伝えられるとある。
京都の伏見稲荷にもその社があるそうだ。
 
稲荷神も饒速日命。

「彼ら」が祀られている多くの社には、天神様が祀られていることが多い。
 
なぜか。
 
道真公は天拝の神、饒速日(春日、鹿島神=武御雷神とも同神)に祈っていた。
亡くなった後、京の都に雷が落ちまくった。
祟った神は「雷神」である、饒速日だったのだ。
 

最初に「天神さま」として祀られたのは、彼であったのだ。

 

ゆえに、名を変えた饒速日が祀られる宮には、道真公が祀られているのだ。

 
 
家の近くの「観音山」からここまで18キロ縦走して、初めて気づいた麓の「荒穂の神」の鳥居。
くぐった瞬間、はっきりとした「終わりの門」を感じた。
 
縦走は山と山を繋ぐもの。
その間の山に込められた人の祈りまで、繋ぐ。
繋いだ祈りを届けた。
麓に着いた時、そう感じられた。

 

 

これは、脊振山~基山~天拝山と縦走した時のもの。
脊振山系は3回分割。(これは後にアップするかも)
山行の醍醐味は縦走にある!(>▽<)
受け取れるものがいっぱいある。