立山縦走の後、福井県敦賀へ。

 

 

 

 

御祭神は、伊奢沙別(いざさわけ)命*気比大神

帯仲津彦(たらしなかつひこ)命*仲哀天皇

息長帯姫(おきながたらしひめ)命*神功皇后

日本武(やまとたける)命

誉田別(ほんだわけ)命*應神天皇

玉依姫 武内宿禰(たけのうちすくね)  

 

気比大神である伊奢沙別(いざさわけ)命は、幼い応神天皇と名を替えた。

これは、同一の神であるということ。

 

 

 

 

 

猿田彦神社。
 

 ここには、角賀(つぬが)神社もある。

角賀は、敦賀の地の語源。

祀られているのは、ツヌガアラシト。

大陸より、アカルヒメを追って日本にやって来たという、大加羅国の王子とされる。
福岡の香春(かわら)町の現人(あらひと)神社にも祀られていた。
 

そこから、福岡県那珂川市の現人神社(住吉の元宮)の神、住吉三神(本当は一柱)が”ツヌガアラシト”でもあるとたどり着いた。

 

 

 

 

 

また、那珂川市の現人神社の神は、猿田彦神でもある。
同じ境内に祀られている(または並列されている)神は、同神のことが多いのだ。

 

それを踏まえると、ほとんどの神社で、”見えてくる”ものがある。

 

 

 

長命水。

 

武内宿禰らを合祀した際に湧き出したということで、彼にあやかって付けられた。

 

 

拝殿。

 

 

 

 

そしてこちらが、

 

 

気比宮古殿地。
隣の小学校の敷地の中にある。

 

 

「触るべからず畏み尊ぶべし」と言い伝えられてきたとあります。
 弘法大師さまが、七日七夜の大業を修した所。

うち、めっちゃ写ってるやん^^;

 

 
角賀神社
 

 

 

 

(大己貴神社)

気比神社の境内には、大己貴命も稲荷神の社もある。

現人神社の神、住吉三神=ツヌガアラシト=天日槍=大己貴命=猿田彦命=稲荷神=歳神=饒速日命。

武内宿禰も応神天皇も彼。

                 *
 

伊奢沙別神である気比大神は、饒速日命(大己貴命)。
彼は八幡神でもあった。

また、応神天皇も八幡神。

伊奢沙別神=饒速日命=八幡神=応神天皇
(八幡神=住吉神)
 

「名を替えた」というのは同神であることを表す。

(八幡神(住吉神)が、饒速日命であり、その子、応神天皇でもあるということ。

伝承でも、応神天皇の父が住吉神であると、示唆していた)

 

 

 

以下、過去記事から。

 

(「古代史の謎」 5 ~住吉神と神功皇后 前編~」)より

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「ツヌガアラシトは饒速日命」

 

福岡県田川郡の香春町の現人神社から、ツヌガアラシトが饒速日命であり、

ヒメコソ神の名から、彼の后であるミカシヤ姫の名の由来「棚機」姫へと繋がった。

さらに高良大社の伝承「高良垂宮神秘書」より、高良神と神功皇后に繋がる。

 

 

 

住吉大神=塩土老翁=天火明命=饒速日命=高良玉垂命

豊受大神=市杵島姫=神功皇后

 

塩土老翁と豊受大神が夫婦であり、

天火明命と市杵島姫が夫婦

住吉神と神功皇后が夫婦

高良玉垂命と神功皇后が夫婦

彼らが同じ者であるからこそ、同じことを伝えている。

 

 

 

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上の記事を書いて、どうしても行きたかったのが、気比神宮と、籠神社。

籠神社へは、時間の関係で行けず、気比神宮に行くことができたのは瑞運。

 

最初に「立山行き」の話があった時、ついでに寄ってみたいと思っていたのだから。

 

ツヌガアラシトである住吉神は、饒速日命であり、 神功皇后は、彼の后であった、御炊屋姫。

それを教えてくれた社の一つだった。

 

 

 

ここで、こんなことがあった。

 

(  つづく   )