ヘナチョコ旅記録 -13ページ目

7日目★チベットツアー3日目その2

シガツェ、、街っす!気になる気になる。見て回りたい。でもちょっとまだしんどい。
到着したのは早かったと思われます。いつも夕方くらいに着いてたのにだってこの日は寺院を見学してるんですもの。多分14時には着いてたな。

さすが街だけあって、宿レベルもはるかにアップしとります。なんと2人部屋。そしてニェラムやラツェよりもはるかにコギレイ。山小屋からビジネスホテルへって感じですかね。実際ホテルだし。ロビーあるし。確か風呂もついてたな。いやいや、チベットもやればできるじゃん(笑)。そして肝心な部屋仲間はというと、イギリス人の20代前半と思われる女の子・ジョワン。残念ながら車メンバーとは離されてしまいました(泣)。やっぱハンパものですわ。

さて荷物を部屋に置き、寺院見学です。ガイドについて歩いてタシルンポ寺(多分)までみんなで行きます。がしかし、私はここでミスを犯してしまいました。・・荷物を余分に持ってきてしまったんです。必要なものだけ持っていけばいいのに基礎化粧品を詰め込んでしまったのです。集合時間までに肌の乾燥のケアと、日焼け止めを塗ることができず、わざわざカバンに入れて持って来ちゃったのですね。。・・これが結構重い。体調悪かったせいもあるかもしれないのですが、その時とても重く感じました。でも部屋に置きにひき返すこともできず、1回ぬれば不必要な化粧品たちをわざわざ持って行ってしまったわけです。。
この時点で体調は「何も持たずゆっくり歩けば大丈夫」程度な回復。なので当然、この不必要な荷物とともに寺まで歩くのは結構キビしい。。でも自業自得なので、最後尾ながら寺までなんとか歩きました。途中「大丈夫?」なんて聞かれたけど「大丈夫大丈夫!!」「good.good.」なんつっていいながら。。

そしてやっと寺に着いたのですがここからなんとゆるやかな登りになってるではないですか!!階段もありますねぇ。
・・・ダメです。最後尾だったのが、みんなと間をおいての最後尾になってしまいました。つまり追いつけなくなったのですね。私はまたもや息苦しくなりハァハァ言いながらゆっくり、ゆっくり後を追ってました。・・どうせ英語分からないし、いいんですよね、説明なんて聞かなくてもさ、、と開き直りつつマイペースに1人で緩やかな坂を登ってました。そんなペースなのになぜかライヤやアンナ(スペイン)たちと合流。彼女たちはきっとゆっくり寺院を見ながら歩いてたんですね。私は彼女たちとともに寺院を見学。ゆるやかな坂道を登ります、、階段を上がります、、。といっても1段上がって両足をつき、また1段上がって両足をつきって感じです。1段飛ばしなんて夢のまた夢です。(ちなみに高山病でなければ普通に登れます)そそしたらですね、なんとライヤやアンナ(スペイン)が私の荷物を持ってくれたんですよーー(泣)。もちろん最初は断りましたよ。だって自業自得だしほんと申しわけないですもん。でも彼女たちは私の手から荷物を取っていってしまったのですよ。。うう(感涙)。私は荷物が重いって言ったってそれは私にしたらの話で、見るからにライヤやアンナ(スペイン)の荷物の方が大きいんですよ!実際持ってみたら私のよりもっと重たかったし。なのに彼女たちはイヤな顔ひとつせず持ってくれちゃうのです。「ライヤ、ほんといいよいいよ、自分で持てるって」と言っても「0932、ハァハァ言ってるじゃん。私はタフだから大丈夫よ~」なんて笑って言ってくれちゃうのですよ。もちろん英語ですけど。またちょっと泣きそうになっちゃいました。寺にはたくさん仏や菩薩があったけど私にはライヤが菩薩でした。ライヤから光が出てる気がしたもの。イヤ、出てた。ほんとに。


タシルンポ寺。ちょっと高いところにあるでしょ


なぜかビリヤードしてます


いい顔してますねぇ

7日目★チベットツアー3日目その1

この日(前日)は吐くこともなく寝ることができました。良かった。カトリーナからもらった下痢止めはよく効きましたね、、日本の薬より効きがいいと思われます。富士登山経験から変な自信があったのかまともな薬を持って来ておらず。(←チベットなめてますね)ホントもらえてヨカッタ・・。胃は痛いながらもなんとか朝食は食べれました。呼吸も落ち着いてきてゆっくり歩く分には大丈夫そうです。良かった良かった。。そして再び出発。この日は体調も少し回復してきたってことで車は最初の車に戻りました。そしてメンバーは再び初日の車メンバーです!ライヤとWアンナとカトリーナ、そして私。この5人だと安心しますね~。

そうそう、みんな心配してくれてよく声をかけてくれたのですが、なんて返していいかよく分からなかった・・簡単な言葉すら出てこず。自分の語学力の無さに落ち込みまくりっす。
多分「How are you?」とか「What's up?」とか聞かれてたんですけどさすがに「fine」ではないので言えず、ずっと「not good」って言ってましたね・・他の言い方もしたいのにずっとこれしか思い浮かばず・・。あとアンナやカトリーナからは「Ca va?(サバ)」(フランス語)って聞かれ、これまたどう答えていいかわからずフランス語に対しても「not good」でしたね。。てかフランス語分かんないって!! そして体調が落ち着いてきた頃、調子をきかれ、良くはないので「まあまあ」って言いたくて「So-so」なんて言ってたんだけど、最近読んでる英語の本に、「How are you?」に対して「So-so」は使わないって出てるじゃないですか。・・どうりでみんな首かしげてたんだ・・本には「Surviving.(なんとか生きてるよ)」って表現が載ってるし。。これつかいたかったな。ちなみにこの旅で覚え、一番使った単語は「stomach」。
病気になった時の表現は覚えといて損はないですよ、みなさん・・

さて、シガツェという街に向けて出発です。体調やや回復ってことで後部座席です。助手席にはアンナ(フランス)が座っておりました。彼女はちょっと調子悪いみたいです。頭が痛いらしい。私は頭痛はなかったですね。人によって症状も違ってくるようです。
私はというと幸い景色を見る余裕も出てきました。なのでこの日は写真もなんとか撮れております。ライヤやアンナ(スペイン)と日本語講座やスペイン語講座なんてしてました。そんな車中な感じで車はひた走っていたら、アンナ(フランス)が吐きそうらしく車は急停車。彼女は吐いたのでした。口数少ないし大丈夫かなー?とは思ってたのですが元々そんなしゃべらなかったので気にしてなかったのです。まさか吐くほど気持ち悪かったとは・・。アンナ(フランス)は3日目にして発症なのですね。。いつ誰がなるか分からないのだなあ。吐いてすっきりしたかと思われたのですがそれから30分ほど走ったらまた彼女は吐きました。やはり2回はくるようです。。
でもさすがアンナ(フランス)です。彼女は私みたいに弱音をはかないし、弱気にならないし。吐く前も誰にも言ってなかったし、吐いた後もケロってしてるように見えました。さすがです。弱いところみせません。私も少し見習わないとなー。

そして車はシガツェに到着。シガツェ、街です!ニェラムやラツェとは明らかに違います。都市に来たって感じでした。(続く)

カワイイですねぇ~


おばちゃんキマってます


こんな景色の中をひた走ってるのですねー

6日目★チベットツアー2日目その3

しばらく休んだらちょっと落ち着いてきました。酸素ボトルはなかなか効きます。
「カトマンズに帰りたい」なんて言わず、言えず旅を続けることにしてみました。

ガイドが気遣ってくれて、私はそれまで乗っていた車よりも座り心地の良い新しめの車に変わることに。しかもその車は日本人IさんとSさんが乗っていた車でした。この時点で私、他のツアー巻き込んでますね、、。私が乗ることによりIさんはそれまで私が乗っていた車に乗ることに。Iさんも決して体調良かったわけではないのに申し訳なかったっす。そして私が車を移動しようと前の車に荷物を取りに行ったら、なんとそこに居たライヤが「0932は友達だから私も一緒に車変わるわ。」(英語)って水と酸素ボトル持って一緒に移動してくれたのです(感涙)。私は車の助手席に、ライヤはその真後ろの後部座席に乗りこみ車は出発したのであります。

車が変わるだけでこんなに揺れが違うんだ、、ってくらい前の車とは衝撃が違いました。やはり私たちの車はハズレだったんだわと実感。(でもあまりの道のひどさゆえいい車であろうと結構揺れるんですけどね・・)席も助手席なので前に比べればかなり余裕もあって快適なはずなんだけど、やっぱりダメみたいです。少しは落ち着いたものの、息苦しさは変わらず。ライヤや一緒に乗っているSさんが呼吸法を教えてくれ、その通りに呼吸してるつもりなのですが楽にはならず。呼吸法は確か鼻から吸って口ではく。はくときを長く、全部の息が出きるまではく。スーー(吸う)フゥーーーーー(はく)って感じです。頭で分かっていても酸素をすぐ取り込みたいのか息をはききる前にすぐ吸ってしまうのですね、、、そして水。水は5分おきくらいに常にとるくらいがいいらしいのですが1回飲んだら、しばらく飲まず。。というか息苦しくて「飲もう」という気にはならないんです。。(ちなみに水を飲むのは体内の酸素や血液のめぐりを良くする為に飲むらしい。循環を良くするために、よく飲んでよく出すのがいいとのこと。)

一緒に車を移動してくれたライヤはほんとスゴいっす。私はホントに彼女が居なかったらこのチベットツアーをのりきれていなかったと思います。彼女はまるで私の専属ナースかのごとく、私の呼吸が乱れてくると定期的に酸素ボトルにチューブを指して、私に酸素投入してくれるし、私が水を飲んでないのに気づくと「0932、water! water! 」って声をかけてくれました。私があまりにグッタリして呼吸が荒かったりすると、ドライバーに言って車を止めてくれたり。トイレ休憩の時もほとんど歩けない私に肩を貸してくれ、なんとか車の外に出られました。あと私がなんとか自力で動いたら、ライヤが「0932、よくできたじゃん!」って、、私が水を飲まなくちゃと自分で気づいて飲んだらライヤは笑顔で「good. good」なんて言ってくれちゃうのですね。私はまるでライヤの生徒か?!もしくは介護されている老人?っていうくらいライヤは私を気にしててくれました。普通ここまでできないと思います。休憩の時なんてみんなこの広大な景色を自分のカメラにおさめようと必死なのにライヤは景色より私を見ててくれたのですね。もし逆の立場だったら私は間違いなく写真撮ってましたね。かわいそうだとは思ってもまず言葉が分からないということで消極的になってしまうし、酸素ボトルの使い方すらわからずオロオロしてしまってたことでしょうきっと。ライヤには感謝してもしきれません。こんな英語すらロクにわからない私に、日本人に、よくここまでしてくれたなと思います。ライヤの溢れる優しさに私は感動と感謝でいっぱいでした。

そんなライヤのサポートを受けながら車はどんどん走って行きます。砂ボコリもすごく、道ももちろん舗装されてなく車は揺れまくりながら進んでゆきます。私の体調は良くなることもなく、私はとにかく早く宿についてくれとそればかり思ってました。息苦しさは相変わらずで、立つのも動くのもしんどい状態でした。なのでいっそ寝て、眠ってしまいたかったんですよね。ががしかし高山病は寝ると余計悪化するという、たちの悪い病気なんですよ!!・・そう、私が気持ち悪くなったのも寝てる時でしたね、、どうやら寝てしまうと体は起きてる時に比べ酸素を取り込まなくなるらしいのです。高山病とはそもそも酸素不足によっておこる症状なだけに、寝るということはよくないと。。そして症状を改善する為に、体に酸素を取り込むには適度に動くことがいいらしいってそんな!
息苦しく1歩動くのも辛いのに寝ることが良くないとされ、しかも適度に動くことがいいだなんて。。
・・みなさん、高山病は地獄っす。。

・・そして日程表を見てみたらこの日5050mのところ通過してますね。。そりゃあ良くはならないわけです・・さらに高いところ行ってます。ちなみにこの日の宿・街はラツェ。高度は約4350mです。上昇しておりますね。。
部屋はというと1日目ニェラムとそんな大差なかった気がします。フロなし、トイレ外だった気が。。でも唯一の救いはこの日のドミメンバーはアンナ(フランス人)とカトリーナでした。車は違ったけどWアンナやカトリーナは休憩の時に「大丈夫?大丈夫?」と声をかけてくれ、やっぱり優しかった。私の中で車メンバーは既にファミリー化してましたね。部屋がアンナとカトリーナと一緒でほんと良かった。。

多分ラツェ宿。


ライヤに撮ってもらった山と動物と少年。


タルチョ

6日目★チベットツアー2日目その2

私は不安ながらも部屋に戻りました。
これだけ(部屋を)出入りしてればまわりも気づいてるだろうな・・。
ビニール袋を横に置きベッドに入って夜が明けるのを待ちました。

そして朝。
気持ち悪いのはなんとかおさまったものの体調はサイアク。
フラフラ、ヨレヨレという言葉がふさわしい感じですかね。
朝食も全く喉を通らず。
その姿を見てか同部屋だったポルトガル人女子2人がまわりの人に
「この子夜吐いてたよー、調子悪そうだったよー」(もちろん英語)って言っておりました。ガイドやみんなが私を見てきたので私は力なく「ダイジョウブ・・ダイジョウブ・・」
なんて言っちゃったけど・・。確かその席には車メンバーもいた気が。。

ななめ後方の席には日本人のIさんとSさんが。
前にも書いた通り、彼らとは別ツアーなのですが日程がほとんど同じということもあり
ほぼ同ツアーみたいになっちゃってるのですね。なのでこのニェラムでも
同じ宿、同じ朝食場所だったりするのです。
確か昨日の夕飯時、偶然彼らと同じ店で(朝食はツアーに含まれてることもありみんな一緒なのですが昼や夕飯は自由行動。町にある適当な店に入って食べるのですね)
彼らと少ししゃべったのです。その時2人ともご飯を残してて「食欲ないんですよねー・・」と彼らは言っていたのです。でも私はその時は元気だったからかわいそうになんて思いながら「大丈夫ですかー?」って言ってたんですよね。。それが1晩明けたら同じ立場に。。

話を聞くと彼らもどうやら吐いたようです。。
「日本人弱いんですかねー」とIさんが。
確かに、、自分以外に体調が悪そうな人は一見、見当たらず。。
おばちゃんとかも元気です。
・・日本人弱いようです。。

がしかし、2人は「吐いたんですよ」なんてかる~く言えちゃうんですよ。特にIさんはチベットが憧れの地だったこともありこんなことは彼の中ではきっと
想定内でたいしたことではない様子。それよりチベットへの情熱が勝っちゃってるんですよね。「チベットの洗礼を受けましたね」なんて言っちゃってるし。。
Sさんもクールでそんなダメージを受けてなさげで「ちょっと気分悪かった」くらいな感じだし。でも私はそんな軽く、しかもクールには受け止められず。
だって、こんなキツいことは始めてなんです!!体力的にも精神的にも。
私は2人に「ガイドに言ってなんとかカトマンズに帰してもらえないだろうか、、この先行ける自信がないよ・・」と弱音をはいておりました。私のあまりの弱りぶりに2人も「相談してみたら」なんて言ってましたかね。。
私はそもそもチベットへの長年の憧れも何もなく、だってなんとなく来ちゃった人ですから。それだけにこの先こんなにしんどい思いをしてまでも行かなくてはならぬところなのか?!っていう思考回路になっちゃうわけです。なので精神的にもマイナスへマイナスへいってしまい、それがさらに体力的な面に拍車をかけ、さらに弱ってってしまったのですね、きっと。

朝食も終わり出発までの休憩時間、私はいつガイドに言おうかそわそわしつつも、体力的にかなりしんどくなってて、歩くのも辛くなってました。そして息苦しい。呼吸がしにくい。
ゆっくり歩くのがやっとって感じです。肩で大きく息をしないと呼吸できなくなってました。頭の中では「SさんもIさんも吐いてたし、たいしたことない、たいしたことない、、」って言い聞かせつつも息苦しいものは息苦しく、しんどいものはしんどいんですよね、、とにかくちょっと座って休みたいと思い、食堂の方へ歩きました。(確か部屋から車に荷物を乗せたり出発の準備かなんかで外にいたんですね)
実際にはそんなにないのに食堂までの距離がやけに長く感じました。食堂に着くと私の顔色が相当悪かったのかしんどそうだったのか、そこにいたガイドか誰かが横になれって言ってくれて私は長椅子に横になりました。ああ、ダメだこの先こんなんじゃ絶対ムリだって肩で息をしつつ朦朧と思っておりました。。。
。。。
あれ?なんだ私の周りのこのひとだかりは!?
気づくと私の長椅子を囲むかのごとく人がたくさんいるではないですか!
なにやらオオゴトになってきているぞ、これは。
「いやいや、みんなゴメンゴメン、そんなたいしたことないんだよ、大丈夫大丈夫」なんて言いたかったんだけど、息苦しくて言えないではないですか、、あれ大丈夫じゃないのか私・・車メンバーも私を取り囲むかのごとく近くにいました。ライヤが水を買って来てくれたりガイドが酸素ボトルを持って来てチューブを鼻に入れたりとなんか私本格的な病人になってきてます。ちなみに高山病はとにかく水を飲むことが症状を和らげるのにいいらしい。。「水を飲むんだ!」「気を強くもって!」「大きく息をして!!」(もちろん全部英語です)ガイドの声が聞こえます。

・・・なんだか泣けてきちゃいました。しんどいせいなのか、こんな自分が情けなくてなのかよく分かんないけどなんか涙が出てきました。そしたら近くにいたWアンナやライヤ、カトリーナが「大丈夫よ、大丈夫よ、私たちがついてるから。ずっと一緒にいるから。0932は私たちがラサまで連れてくから。大丈夫よ、大丈夫・・」って、(もちろん英語だけど私にはそう聞こえました)ずっと手や足をさすってくれたのです。私はさらに泣けてきちゃいました。
・・行けそうな気がしてきました。彼女たちと一緒なら。


車メンバー

6日目★チベットツアー2日目その1

富士登山は無意味でした。
富士登山編を読まれた方は何を指すかもうお分かりですね・・

それは1日目の夜中・・
何時頃だったでしょう、、2時くらいかなあ。(0時を過ぎてると思われるので2日目の方へ入れてます)・・・気持ちが悪いんですよ。
それでも最初の方は「気のせい、気のせい」なんて言い聞かせてました。
寝てしまえば知らないうちにおさまってるさ、、なんて思い込もうとしてたんです。
でもいっこうにおさまる気配なく。もちろん眠れるはずもなく。
むしろだんだん気持ちわる度が上がっていきました。そして寝てることもできなくなり、
私は体を起こしました。と同時にさらにこみあげてきました、、ダメだ、、吐く!!

部屋は真っ暗。ドミのみんなを起こさないようにと気をつかいながら必死でドアに向かい
手探りでドアのカギ部分を探すがなかなか触れない。ヤバい、吐く、、と思った時
手がカギ部に。ドアを開けたと同時にブワッと吐いてしまいました。良かった中で吐かなくて。幸いドアの外は既に外。(って分かります?)下は溝に鉄柵(?)があって、そこで吐いたのでモノ自体は溝に落ちていき見えなくなったから良かった・・が、しかしそんなことに安心する間もなく吐き終わると同時に、というか確か吐いてる最中に次なる敵、ゲーリーがやってきたのです。それは今までにない早さで、、私は速攻暗闇の中トイレをさがし駆け込みました、、、
、、、
、、、
、、、
私はツアー前に、代理店のMさんと話した会話を思い出してました。。
それはMさんの旅話(インドなど)を聞いていた時
Mさん「0932さん、吐いたり下痢になったこととかある?」
私「いやあー、ないですよ、、吐いたこともないですー、よく話は聞いたりするんですけど結構私大丈夫みたいで」
Mさん「そっかー、でもあれはねぇ、ほんとひどかったなー、あれは経験しないとわからないかもねぇ、同時にくるんだよねぇ、、、しかも普通の下痢じゃないんだよね、、」
私「へぇー、そうなんですかぁ。」(←人ごと)


これか、、Mさんの言っていたのは、、。

私は上からも下からも大放出し、ヨレヨレになってました。
外でしばらく休み、そっと部屋へ戻りました。

そして1時間くらいですかね、、
ヤツはまた、いやヤツらはまたやってきたのです。
私はまたも暗闇の中手探りでカギをはずし外へ、、
そして上を放出。2回目は吐くものがほとんどなくてほぼ液体でした。
と、同時に下もで再び駆け込みました。もし近くにトイレがなかったら漏らしても不思議じゃないスピードでヤツはやってくるのですよ。。恐るべし。。

またやってくるんじゃないかと不安でしばらく部屋に戻れませんでした。
しんどさと不安でいっぱいでした。

そう、この症状はまさしく高山病なのですね。
あの富士登山の体験も空しく、私は高山病になっちゃったみたいっす。
登山隊のおじさんからもらった薬も前もって言われた通りに飲んだにもかかわらずかかってしまったみたいです。なんてこった。

まだ1日目。これからラサに向けてさらに高度が上がっていくんだ・・
あと6日もあるなんて、しかも今よりさらに高度が高くなるなんて・・
こんな状態が続くなんて・・
・・ムリだ。明日になったら、夜が明けたらガイドに言って1人カトマンズに
帰してもらおう、、そんなことできるのかな・・でもムリだ・・

満点の星空を見ながら不安でいっぱいでございました。。(続く)

明け方気力を振り絞って撮った山。inニェラム

5日目★チベットツアー1日目その3

ガイドもネパール人からチベット人に変わり、移動もバスから車に変わります。
ここからはずっと車、トヨタのランドクルーザーです。
となると当然15人いる私たちのツアーは5人ずつにわけられます。

私の車メンバーはというとスペイン人の女の子。同じくスペイン人のおばさん。
フランス人のおばさん2人。そして私という5人。ちなみに各車、それぞれチベット人のドライバーがいるので
1台につき計6人になるわけですね。
とにかくガイドに言われるがまま乗り込みいよいよ出発。

・・狭い。狭いしなんだこの揺れは!!
私は後部座席。計6人。前2人なので後ろは4人。
4人って狭いよ!!そして運が悪く私たちの車は見るからに古いタイプ。
他の車を見ると新しいめのもあるんですよ、、あっちの方が絶対座り心地いいだろうなー・・なんて思いつつ、、
まあでも出発してしまえばそんなことは対して気にならなくなってきました。景色もこれまでのネパールな感じとは違って建物のつくりもチベットっぽくなってきたし!!見かける人々の顔も薄顔で、おおチベット、チベットなんだわーーってちょっと興奮です。
景色も自分が思い描いていたチベットの景色に近くなってきて、牧草と山しか見えなくなってきました。道も確か舗装されてなくてすごく揺れてたと思うけどなんせまだ初日。それもあんまり気になってなかったですね。

車内はというと英語とフランス語とスペイン語が飛び交っております。
ここで英語を巧みに操っているのがスペイン人の女の子。ライヤ。
褐色の肌でドレッドヘアで口にピアスもしてて、インパクト十分です。
スペイン人ながら英語が上手い!!最初スペイン人ってわからないくらい。
それもそのはず、彼女は前1年くらいイギリスに居たことがあるそうな。
そして現在世界一周中。旅もこの時点で7ヶ月目というツワモノ。
あのインドにも行ってるだけありパワフルでたくましい。26歳。
そしてもう1人のスペイン人、アンナ。おばさまです。アンナも1人旅だったのか、
詳しくは分からないけど後半はライヤと親子みたいになってました。何せスペイン人同士なので。
細かいコミュニケーションはほとんどライヤが訳してましたね。
気の弱い感じでかなりライヤを頼っておりました。
そして、フランス人カトリーナ。彼女もおばさまでございます。
もう1人のフランス人アンナとは一緒に来たのか、たまたまそれぞれ1人旅で同郷であるアンナと仲良くなって後半2人で居たのかはちょっとよく分かりませんが、いい意味でフランス人ぽくないいいおばちゃんです。
そしてアンナ。ってそう、ややこしいことにアンナ2人居るんですよ!!
最初覚えられず。フランス人とスペイン人。
でも性格はぜんっぜん違うんですけどね。
フランス人のアンナはもうマンガみたいにイメージどうりのフランス人って感じです。(ちなみにおばさまです)
「自分」が確立されてますね。人の意見あんまり聞いてません。通じようが通じまいが、フランス語です。
プライドが高く、チベットでもいい服を着てるって感じです。化粧もバッチリです。
例えるとアンナ(フランス人)がジャイアンでカトリーナがスネ夫みたいな。
ちょっと例え悪いですかね。。でも悪い人じゃないですよ。
逆に私はここまで極めてるアンナが新鮮で面白かった。
そうそう、なぜかスペイン人のアンナとカトリーナ(フランス)はよくしゃべってました。
言語が似てるのかな?フランス人とスペイン人ってちょっと話せたりするみたいっす。

まあとにかく、思いっきりしゃべれる相手がいないのは私だけなんですよ。
いいんです。分かってたことです。
でも15人いる中でこのメンバーなのはラッキーな方だったと思います。
みんな1人っぽいし。同性だし。同性ってだけでも気楽なんですよね。長時間居るにあたり。他のメンバーは友達同士やカップルで来てる人もいたからそれよりは良かったかななんて。あと例え日本人が居たからって気が合わなかったら言葉が分かる分余計しんどいし。
異国の方なら言葉がわかんない分最初からそんな入りこめないことが分かってるので、ある意味楽だったりするんですよね。

車はひたすら走る、走る、走る、、まさに荒野。風景が変わることはあまりなく。。
なーーーーんにもないんですよね。すごいとこ来たなーってぼーっと景色を見ているとたまに人が居るんですよ。ポツンと。
彼は一体なぜいるの?何のために?どっから来たの?って不思議でしょうがなく。
だってほんとに何もないんですよ。歩いてたらはんぱない距離ですよ。ウーーン謎。

車はひたすら走ってゆき、たまにいい眺めのところでとまって休憩。
写真撮ったり、そうそう、トイレ休憩も。・・といってももつろんトイレなんてありましぇん。野トイレでございます。女子たちはみな木陰や岩場を見つけ遠くに離れてするのですね。チベットでトイレがないことを初日の登山隊のおじさんたちから聞いていた私は彼らの勧めもあって、わざわざカトマンズでストールを買ったんですよ。
なぜってそう、ストールを腰に巻いてすれば、、ってことで。スカートも持ってきてなかったし。しかし、そんな準備も心配もいらなかったですね。
みんな堂々としておりました。私もストールを巻くこともなく。そもそもそんな人のしてるところをわざわざ見る人なんていないし。あえてそらすし。恥ずかしがってる方が恥ずかしいんですよね。
ストール買わなくてもよかったわ。チッ。

車はさらにどんどん走っていきます。登っていきます。時には砂ぼこりで前が見えなくてもドライバーはまるで前が見えてるかのごとく進んでいきます。さすが、慣れてるのね。
タルチョと呼ばれる旗もよく見ます。これを見るとここはチベットなのねーとさらに実感。
そんな中ひたすら走りつづけ、夕方頃でしょうか、ニェラムという町に到着です。高度は3750m。富士山並みですね。でも思ったほど昼間は寒くなく。でもさすがに夜になると冷え込んできます。夜は何を食べたか覚えてません。(ってそんな?!)きっとそこらへんの食堂でなんか食べたんだろうなー。なぜって、その後の記憶が強烈すぎて・・。
宿はドミトリーでございます。えー、宿レベルは富士登山の山小屋って感じです。1部屋4人。部屋の真ん中に机があってそれを取り囲むかのように4つベッドがあるんですね。もつろんエアコンなんてなく。風呂もないです。トイレは外。
そして初日のドミメンバーはというと、知的な感じのポルトガル人の女の人2人、あとイギリス人かポルトガル人どっちか忘れてしまったんだけど、ちょっとイタい感じの男子1名。(うーん、分かりやすく例えるならばビバリーヒルズ高校白書のスティーブって感じかなあ)そして私。ホントは車メンバーと一緒が良かったのですがなんせ4人部屋。そして私は日本人1人というハンパもの。足りないところに当てがわれるのですよ(悲)
他3名は英語できちゃうんですよね、これまたみなさん現イギリス在住という。。
まあそれはいいんですけどなんだろう、、多分彼女たちは20代後半くらいかなあ、、知的な感じなんですよね、悪い人ではないけど親しみやすくはないなと。その点おばちゃんとかだとなんか気楽なのよね。私年上の方に安心感を覚えるようです。

まあでも寝るだけ寝るだけ。電気もなく暗くなったら部屋真っ暗なのです。
時間はまだ21時か22時くらいだったけど早々みんな寝ることに。初日だし疲れてるしね。
そうそう、チベットですねぇ、、昼が長い!!だって20時近くまで明るいんですよ。
絶対時間のあてかた間違ってますよ。

そして真夜中・・(続く)




宿代2泊(カトマンズ) 20ドル

50ドル→375元

1元=約15円
夕飯 25元
菓子 7元

計 32元

多分(?!)ニェラム


これに乗ってました~

5日目★チベットツアー1日目その2

ついに国境。ここからいよいよ中国です。
ががしかし、、みんなが並んでる列に並び入国を待つのですがこれがなかなか進まない。
え?何してんの?って思うくらい進まない。
国境で並んでからかれこれ1時間は経ちましたかね。。
さすがにずっと立ってるのもしんどく、道(橋)に座って順番を待ってました。
私のみならず結構みんな座ってたんですね。
座りながら国境をわたっているチベット人を見てましたね。
すごいんですよ、彼ら。
ありえないくらい、自分の体の2倍以上はあるんじゃないの?っていう大きな荷物を
頭にくくりつけて歩いてるんですよ。ほんと荷物がありえない大きさなんです、、
すごいっす。
すごいなーチベットの人って・・・
す・・ご・・い・・・・・
・・・
・・・
・・・

「日本人の方ですよね?」

「・・ハッ!!」

「前・・(といって前を指差す)」

見ると周りに誰もおらんではないの!!
遥か前の方に人だかりが!!

・・私どうやら寝てたみたいです。国境で。
なんて恐ろしや。
置いてかれるところだった・・
こんな国境で置き去りにされたらたまったもんじゃない。。
前にいたフランス人とか教えてくれてもいいのに(怒)。

疲れてたんです。朝早かったし。みんな外人だし。バス揺れるし。
寝ても仕方ないんですよ。。

起こしてくれたのは文面から察する通り日本人男子でございます。
居たんですよ、私以外に!
この方はIさんといって学生さん。でも大学院生って言ってたっけな?
Iさんは私のようになんとなくチベットに来たのではなく
長年の夢といってもいいくらいチベットに思い入れがございます。
大学でチベットのこと勉強してるらしい。なのでチベット知識も豊富。
そのIさんの隣にもう1人日本人が。
彼はSさん。IさんとSさんは友達でも何でもなく。たまたまツアーが一緒ということで。
そうなんですよ、彼らは私とは違うツアーで来てるのです。
IさんとSさんのツアーは14人って言ってたかな。日本人は彼らだけ。
でも、いいよねーー私なんて1人だもん。。
どうやらツアーの内容はほぼ私のと一緒らしく、、ツアー代もほぼ同じらしく、、
(でも彼らのツアーの中には550ドルで参加した人もいるらしい。。
代理店によって金額が違うのか?!)
というわけでこの先このIさんとSさんとはたびたび(しょっちゅう?!)お会いするのですね、、。

Iさんに起こしてもらい、私はずっと前の方にいる同ツアーの人たちの元へーー。
いくら日本人を見つけたからといって違うツアーの人と一緒に居る訳にはいきません。
とにかく見失ってはいけないのです。。私はできるだけ自分のツアーの人を覚え、
その人たちについていかなくてはなりませぬ。

だいぶ国境に近づいて参りました。
再び列にならんでしばらく待ってるとなにやら機械(?)を持った中国人が・・。
荷物を下に置けと言う。私やまわりの人は彼に従って荷物を置くと
彼はその機械を荷物に向けました。その機械からブワッと白い煙が!!
そう、消火器みたいな感じかなあ。どうやら消毒をしてるらしい。。
確か体にもかけられた気が。。
でも微妙。別にそんなことせんでいい気が。
というか無意味な気が。。

そしていよいよ窓口(みたいなやつ)。
なーんでこんな時間がかかるん、、と思ったらひとつしかないのですよ。窓口。
なのでそこにたくさんの人々が密集しているのです。中国からネパールへ向かう人もネパールから中国へ向かう人も。もうちょっとなんとかならんのかいね。。
ちょっとづつちょっとづつ近づいてまいりましたよ。そしてやっと順番。
入国カードは書いたか記憶がないのですが、確か入国検疫申告書は配られて書いた気がする。・・パスポートはコダリの町ですでにガイドが回収。
なので窓口には入国検疫申告書を出したのかな、、その後なぜか赤い小さなライトを
(赤外線か!?)おでこに当てられた。一体何なんだーー
何か変なんですよ。ちょっと怖く感じましたね、中国。てか怖いよ。
前にいた欧米人も「crazy!!」って言ってたし。

そんなこんなでやっっと入国できました。
ガイドからパスポートを受け取り(グループビザなのでまとめて出すみたい)
見てみたら、中国のスタンプは、、あれ?ない。
押されてないらしい・・。ちょっとガッカリ。念のために一緒のツアーの人に聞いても押されてなかったようだ。みんなもならまあ安心。

ちなみに中国元への両替はコダリまでのバス内で両替済み。
両替してもしなくても自由だけど、あとあと面倒だしガイドが両替してる分、
そこらへんの人がするよりマシかと思って換えといちゃいました。
入国を無事終え、いよいよここから本格的にチベットの旅ですわん。



国境パート2


こどもたち

5日目★チベットツアー1日目その1

☆チベットツアー日程☆
1日目 カトマンズ→コダリ→ニェラム泊(中国3700m)
2日目 ニェラムーLalung Laという5050m地点を通過→ラツェ泊(4350m)
3日目 ラツェーGyatchu Laという5220m地点を通過→シガツェ泊(3900m)
4日目 シガツェ→ギャンツェ泊(3950m)
5日目 ギャンツェー5010m地点を通過→ラサ泊(3650m)
6日目 ラサ観光
7日目 ラサ観光
8日目 ラサ→カトマンズ(空路)
※全朝食付き




つ・ついにやってきました!!
私の旅のメインイベントです!!
チベットツアーですよ~、、

なんと集合時間は朝5時半ですよ。よほどのことがないと起きてない時間ですね。
集合場所のバス乗り場までは宿からクリシュナとロミタが案内してくれました。
(ちなみに荷物は必要と思われるものだけ詰めてその他のものは宿に預けておきました。
どうせ1週間後にはカトマンズに戻ってくるんですもんね)
たった2日間だけど2人には初日からして迷惑かけちゃったり、最初に接したネパール人
ってこともあるのか情が湧いちゃってます。2人に送ってもらったのはなんか心強かったですね。宿から集合場所までの道のり、ロミタと手をつないで行ったのが忘れられませぬ、、このロミタちゃんは18歳なのですが田舎から出てきたばかりのせいなのか、もっと幼く私には中学生くらいに見えてたのですねー、そしてとってもシャイでしゃべりかけても
(言葉がわからないせいもあるのだろうけど)恥ずかしそうにすぐ行っちゃうのですね。
そんなロミタが手をつないでくれるって、なんかちょっと私にココロ開いてくれた気がして
嬉しかったなー。

そしてバス乗り場到着。
ワールドワイドですよ、、カトマンズのどこにこんなに欧米人居たのー??ってくらいいらっしゃってます。名残惜しくもクリシュナやロミタに見送られつつバスに乗り込みました。そして時は6時半。いよいよ出発です。
私は確か窓側。景色ばかり見てたので、隣に人が乗ってたかどうかも定かではなく、、
っていうか寝てましたね。私。
あっという間に8時。
ドゥリケルという街で朝食です。ここか、ドゥリケル。
初日で会った登山隊のおじさんたちが「ドゥリケル良かった」って言ってたんですよね。
でもこの休憩地点の朝食場所では「ドゥリケル」の良さはあんま分かりませんな。
でも朝食は良かった。パン、卵、コーヒー、果物っていうザ・朝食メニューなのですが
どうやら私、こういう至ってフツーの物がいいってことに気づきました。
地元食ではなく明らかにツーリストメニューなのですが。
私、正直旅先のご飯をあまり「美味しい」って思えないんですよね。
確かに日本にない味なので1回経験しとくのはいいかもしれないのだけど、、でも
やっぱいつも食べてるものが確実かつ満足なのですよ。
・・全くもって旅向きではないですね。イケてませんね私。

そうそう、登山隊のおじさんたちといえば、なななんと、本気登山家だったのですよ!!
最初、Tくんはそんなこと一言も言わずちょっとトレッキングにくらいの話だったのに、
おじさんたちにもらった名刺をみるとなんと登山隊事務所まで載ってるではないですか!
そして彼らのなかには最年少でエベレスト登頂を果たした人までが含まれているのです!!最後の最後で知ってビックリですわ!!
現在100人くらいのシェルパ(荷物運びなどするネパール人)をひきつれ、高度8000m近くある山を(ゴーキョ・ピークという地点よりさらに先)登っています・・氷河にかじりついているそうな・・って1歩間違えば死んじゃっても不思議じゃない状況下ですよ、
日本からも大々的に見送られてネパールに来たらしい・・スゴい方々だったのです。。

時はチベットツアーに戻りまして、、
満足な朝食で出だしは好調。バスに戻り再び出発です。山です。山道を登っていきます。
なぜか現在あまり記憶にないのですが私の手帳には「すごい山道。揺れるたびに落ちるかと
怖かった」と記してありますねー、、バスの時点で揺れまくってたんですね。。
そして時は12時半。
コダリというネパールの国境の街に着いたようです。
何かよく分からなかったけどバスの上にたくさんの荷物がくくりつけてあったのですが、
それをガイドたちが上から降ろしてました。コダリの人々が荷物のまわりに
殺到してます。なるほど、、チベットツアーついでにこうして食料や衣類などを
村の人々にあげるのですね、、。

それはそうとどうやらここから国境まで歩くらしい。荷物も背負ってです。
えーー歩くのーーと不満でしたがしょうがないので歩きます。

30分ほど歩いたでしょうか、、見えてきました。おお、あれが国境!
「中華人民共和国」の文字が!!
ついに入国なのですね!!(続く)


「ドゥリケル」らへん


このバスに乗ってました~


国境!!

4日目★カトマンズ(ネパール)

まだネパール2日目。。
初日が長すぎてピンとこず・・。もっと居る気がする・・。

早朝ロミタがチャイを持ってきてくれ屋上で飲んでみる。
部屋に戻りシャワーをあびてその後クリシュナに洗濯桶を借りて洗濯。
洗濯機のありがたさを痛感。
朝食は初ダルバート。(ネパールの国民食)
青菜を煮たものとスープ、米。ほんとはもう1品、漬け物らしきものがつくのですが
私は残念ながら食べられないので前もってお断りして2品です。
ちょっとクセはあるもののまあまあ。
(常に青菜ということはなく日によって煮るものは変わるようです)
ちなみにダルバートはタダ。前もって言っておけばクリシュナかロミタが
持ってきてくれます。

昨日の今日でありながらなんと行動的なのでしょうー、、
ダラダラせずに観光しちゃいますよー
今日は宿からも見える有名な仏教寺院であるスワヤンブナートに
行ってみることに。
「歩き方」を見てるとどうやら歩いて行けそう
かつこの宿からも(タメルから行くよりは)近いので地図片手に向かってみました。
15分ほどしましたかね、、寺院が見えてきました。でもそれはスワヤンブナートではなく
スワヤンブナートはさらに奥とのこと。まぎらわしい。。
あまりしゃべりかけたりしたくなかったのですが道が不安だったので
近くにいたネパール人に聞くと親切にもスワヤンブナートの目の前まで
一緒に行ってくれました。普通にいい人でした。良かった。
スワヤンブナート入り口までトータル30分くらいでしょうか。
話ながら来たこともあって後半はちょっと短く感じました。
しかし残念ながらまだスワヤンブナートに到着したわけではありません。
入り口に到着しただけなのですね。

えーとゴールが見えないくらい階段があるんですけどーー。

・・暑い、しんどい、、と息を切らせつつもなんとか登りました。
途中には猿の姿が!しかも結構いる。。
そして土産売り。そして物乞いの親子が。。
そんな中を登り、登り、登り、、、、
途中で聞くところによるとこの階段は365段あるらしく
1段が1日ってことらしい。


やっと見えてきました。スワヤンブナート。下から段々近づいてく感じが
なんともいえないですね。
そしてついに到着!
苦労して登ったのにイマイチってこともなく
見応え十分で何枚も写真撮っちゃいました。※写真参照


帰り、階段を降りていく途中
物乞い親子の子どもと目があってしまいました。
カワイイ子ですがそれとこれとは別、、スマンとは思いつつも無視していくと
なんとついてくるではありませんか、、
うーん、、彼女はなかなかあきらめず、、しょうがない、君はラッキーだね、
と立ち止まってカバンを探ると機内でもらったお菓子を発見。
それをカバンから取り出したら彼女はサッと持って行きました。嬉しそうに。
うん、お菓子っていいな。お金ってなんか抵抗あるけどお菓子なら
軽く渡せるな。

そんなことを思いつつさらに帰路を歩いていると後ろから声が。
どうせ物売りだと思って無視してずんずん歩きました。
「Hello、helloーー」って、あーうっとおしい。日本人だからって買わないよ
と、全く振り返らず歩きました。
そしたらなんと小さな子どもが後ろからやってきました。
見てみると彼の手にはなんと私の折り畳み傘の傘カバーが!!
・・拾ってわざわざ届けてくれたのです。
さっき物乞いの女の子にお菓子をあげる時きっと落としたのでしょう。。

あんなに無視したのに、声すごいかけてくれたのに振り返りもしなかったのに・・。
罪悪感が一気に襲ってきました。
逆の立場だったらどうでしょう、こんなに無視しときながら私はこの子のように
走って落とし物を自分より裕福なイチ旅行者に届けるでしょうか、、

この子といいスワヤンブナートまで案内してくれた人といいみんな親切では
ないですか。リクシャに兄ちゃんにしたってそうだ。
・・・私ひどいですね。。







宿に戻りしばらく爆睡。
その後チベットツアーの日程とビザ申請のため預けていたパスポートを受け取るため
旅行代理店へ。

Mさんからチベットツアーの説明をうける。
ツアー人数は15人。
少人数を期待していたがどうやら同日程、同タイミングで申し込んだ人が
多かったようだ。いろんな代理店から寄せ集められているらしい。
少人数を期待してただけにちょっと残念。
そしてなんと15人もいるのに日本人は私1人らしい。
Mさんによるとこれまで(日本人が)2・3人いることが結構あったそうなのですが
今回はたまたま私だけだったようだ。
グループビザの用紙に参加者の名前と国籍が英語で書いてあるのですが
うーーん、ほんとだ。「JAPAN」1人だけだ・・。
・・・そうか、私1人か・・。



英語全然出来ないんですけど・・。


ツアーだしね、ツアーなんてずっとバス乗ってガイドについて行けば
いいだけだもんね・・。周りなんてそんな関係ないよね。。



なんとかなるわ。なるなる。

たった1週間だしね。






しかしその1週間がとてもとても長く、そして濃ゆーーいものになるとは
この時の私は知るよしもありませんでした・・。




スワヤンブナート入場料 75Rs
アイスコーヒー、アイスクリーム 300Rs
フットマッサージ 500Rs
ハガキ2枚送料 50Rs
リクシャ 25Rs
夕飯(桃太郎) 60Rs
水2本 50Rs
ストール 900Rs

計1960Rs

ダルバートです。ご飯多い・・。


な・ながいでしょ。。


見えてきた!


!!!


カトマンズ一望。

3日目★バンコク→カトマンズ(ネパール)その3

前回の文面で分かるように「Tくんたち」なんですね。彼はなんと7人で来ているらしく、でも飛行機の席はなぜかバラバラでたまたま私の隣だったのです。
機内では「トレッキング」目的にネパールへということで友達7人で来たと言っておりました。

がしかし、、目の前にするTくんの「友達」は明らかに40代~50代のおじさんなのですが。
(内Tくん除いて1人は若かったのですが)
一体どういう仲間なんだ???と聞いたところ彼らはなんと登山部のOBの集まりなのだそうだ。
な・なるほどね・・(といっても年齢開き過ぎでは?)

しかしこのおじさんたち、タダモノではなかった。
なんとおじさんたちは今から20年近く前に、、
まともなガイドブックもないであろう頃に
インターネットもない時代に
多分今のように簡単に海外に行けない時代であろうと思われる頃に
チベット・・のみならず世界各地を旅しているのです。
ほぼ自力で。ツワモノたちの集まりだったのです!!

そんな彼らの旅話は楽しくて気づけば22時。
お酒も入りおじさんたちもいい感じです。
でも外はなぜか豪雨。雨スゴイっす。。
そしてまだ22時というのにカトマンズの夜は早いらしく
店の明かりもまばら。

・・ウーン、私この中無事帰れるのだろうか・・

・・・この不安は的中。ネパール初日にしてまさかこんなことに
なるとはということがこの先おこるのですね(泣)

雨が小降りになるのを待ち私たちは店を出てTくんやおじさんが泊まっている高級ホテルへ。
私がチベットに行くといったらダイアモックスという高山病に効く薬を
くれると言うので(ラッキー!)私もホテルまで薬をもらいに
くっついてきたわけです。
そして若い娘をこんな夜中一人で宿に返す訳にはいけないと(ありがたいことです)
おじさんたちはTくんに私を送る命令をくだし
タクシー代も出してくれちゃったんですね。ちなみに夕飯もごちそうになっちゃってます。ラッキー!

・・し、しかし私の宿はこのタメル地区から徒歩15分ほど離れており
私は宿からこのタメルまでMさんと歩いてやってきたわけです。
路地も入り組んでて最初に説明したごとくどの三叉路も似たり寄ったり。
建物を目印にしてきましたが、肝心のその建物が真っ暗で見えません。
昼はなんだ祭りか?!と思うくらい人がごった返しててにぎやかな
通りもこの時間はほとんど店も閉まって明かりもなく、ひっそりと
してます。昼とは全く別の顔なのです。
そんな街中を、しかもタクシーのスピードで道順を説明できる自信は全くなく。。
帰れる自信は正直あまりなかったのですがTくんにも悪いので
「いいよ、私歩いて帰るから。」と1人で行こうとしたら
「命令を無視し1人で部屋に戻ったらあのおじさんたちにシバかれる」と、
どうやら送ってくれるご様子。
道をひとつひとつ確認するためにもほんとは歩いて帰りたかったのですが
なんと雨はまたも強まってきて再び豪雨に近くなっておりました。
でもタクシーだとほんと早くてわからないのでせめてチャリのスピード
ってことで2人でリクシャに乗ってみたのですね。

道を知ってるのは私だけ。私はほとんどカンでリクシャの兄ちゃんに
道を伝えました。なぜカンかって・・全然暗くて分からないんです!!
に加え雨がほんとスゴくて。歩いてるのと違うし!!
・・しかしカンはむなしくハズれ、たどり着けず。
いったん見たことあるような三叉路に引き返してもらったり、
立ち止まってもらったり、、もう今どこにいるのかさえ
わからなくなってきました(泣)
リクシャの兄ちゃんにもほんと申し訳なくて、、かれこれ30分はたったで
しょうか。豪雨の中2人乗せて30分ですよ。
徒歩で15分の道のりです。それがリクシャで30分。
ああ、やっぱ明るいうちに帰ればヨカッタ・・
ほんと罪悪感でいっぱいでした。そんなヘコミまくってる私を見てか
Tくんは前向きでしたね。「なんとかなりますよ。こんな経験なかなか
できないし・・」みたいなこと言ってたかなあ・・。
でも当事者の私はそんな余裕なく。「私降りて歩くから」って
何度言ったことか。今考えると降りて1人豪雨の中歩いたところで
たどりつけてなかったでしょうが、、。

タメル地区中心部の宿だったら宿名を言えばすぐリクシャの兄ちゃんも
分かるのでしょうが私の宿はタメル地区から離れ一般の人々の住宅街の中。
しかも最近できた宿なのでリクシャの兄ちゃんも知らなくて当然なのです。。
それでもリクシャの兄ちゃん頑張ってくれました。
私の宿名を何度も聞いてくるので教えると同じような宿名の宿に連れてったり。
でもそこは名前は近いのですが全然違ったのですね。
既に1時間は経ちましたかね、、私はリクシャの兄ちゃんに申し訳なさすぎて
「いいよ、もうお金払うからここで降ろして」と何回か言いました。
しかしリクシャの兄ちゃんは「大丈夫!大丈夫!」と降りるのを制すのです。
びしょぬれなのに。かなり疲れてるはずなのに。。
彼は仕事に誇りを持ってるように感じられました。

雨はいっこうに止まずまばらだった明かりもさらに消えてゆき道はほんと真っ暗。
こうなったら私は彼(リクシャの兄ちゃん)に私の宿に電話してもらうことに。
というかリクシャの兄ちゃんから言いだしたんだっけ・・忘れました。
とにかくリクシャの兄ちゃんは売店(かろうじて開いていた)の電話から宿へ電話をしてくれたのです。
この時点で既に0時は回ってましたかね、、クリシュナもロミタも(宿に居るネパール人です。
クリシュナは男で24だったかな、、ロミタはクリシュナのいとこで女の子。
18歳で村から出てきたばかりで恥ずかしがりながらチャイとか持ってきたりしてカワイイんですよ)
心配してるだろうなー・・ああ、、私はなんて迷惑な客なんだー!!

電話が終わり位置が分かったのでしょうか?再び私とTくんをのせ彼は走り出しました。
私はもうほとんどあきらめてました。
もうダメだ・・ここはTくんのホテルに帰って私はムリをいってホテルの
ロビーにでも寝かせてもらおうかなといろいろよぎってました。

そして15分くらいしたでしょうか、、
見たことある看板が!!!(泣)
あ”ったーーー、、宿です!!私の宿です!!!
門の前にはカッパを着た2人が、クリシュナとロミタが!!
兄ちゃん、ココ、ココ、「ライト(right)ライト、ヒアイズオッケー!!」
「サンキュー、サンキュー、ダンニャバード」だよ。
もう、この時の気持ちは忘れられませんね、書いてたらリアルに
よみがえってきました(感涙)
そしてクリシュナ、ロミタ、
「ワーーー、、ごめんね、ほんとごめんなさい、、」
私はリクシャを降り半泣きで2人にあやまりました。しかも日本語で。
電話を受け取って私をまさに探しに行こうとしたところでしょう、、
ほんと迷惑な客です、もう、何といっていいか、、ゴメンね、ゴメンね

Tくんもほんとゴメンね、、って感じで。
私が出すと言ったのにTくんがリクシャ代を払ってくれました。
(おじさんのお金ですが)
しかも300ルピーくらい。(リクシャの相場ではあり得ない額ですね)
でも時間とこの労力を考えたらこの際いくらでもいいです!
文句いいません。たとえ私が払ったとしても。

こうしてたくさんの人に迷惑をかけ私のネパール、カトマンズの初日は
過ぎていったのであります。。。




タクシー(宿→空港)270B
ハガキ2枚送料 30B
空港税 500B
計 800B

チベットツアー 650USドル

50ドル→3467ルピー

1ルピー=約1.5円
アイスコーヒー 50Rs(ルピー)
ハガキ2枚 15Rs
ダルバール広場入場料 200Rs
リクシャ 80Rs
計345Rs

ごちそうになったネパール料理「モモ」(カレー風味の餃子)