俳優の西田敏行さんが亡くなった。



ドラマや映画で長い間活躍されていて、人間味のある演技が好きだった。



『もしもピアノが弾けたなら』という優しい歌も大好きだった。🎹ラブラブ



父親を早くに亡くした西田さんは、幼少期に実母の姉夫婦に預けられて養子として育てられたそうだ。



かつてのインタビューで、「『かわいい子を演じないと僕に居場所はない』って、かわいい子を一生懸命演じていました。そのような思いが俳優という意識につながっていったと思います」と話されている。



養父母に可愛がってもらうため認めてもらうために、かわいい子を必死に演じていたのだろう。



子どもの頃の西田さんにとっては、生きていくための術だったのかもしれない。



温かくてチャーミングな笑顔の裏に、そんな子ども時代があったとは意外であり、切なくもあった。



周囲の人への観察力や卓越した自己表現力があいまって、名優へと花開いたのだろう。





自分の身を守るために子どもは演じる事ができるのだ。



西田さんは、それを自覚していた。



不登校の子どもに目を向けてみると、学校や家庭で『よい子を演じる』という言葉を聞く。



私も以前から『よい子の方が心配だ』とよく耳にしてきた。



それは無意識に、親に認めて愛してもらうため、居場所を作るためのものであるかもしれない。



親の期待に応えるために頑張る、学校に行く、勉強をするというふうになっていると



周りからの評価を優先してしまい、本音の部分の自分の気持ちを抑え込んでしまう。



いつのまにか自分の本当の気持ちがわからなくなってしまう。



その無理が限界に達した時に、体の不調として表れる。



体にいろいろな症状が出ることは、「今は無理しないで休んで」という生物としての生命を守るためのサインでもある。



「学校に行きたくない。嫌だ」と早い段階で言える子どもは、自分を出せているのかもしれない。



家の外だけではなく、家族の前でも演じることは、子どもにとっては負荷がかかる。



西田さんのように、かわいい子であってもなくても



学校に行っても行かなくても



勉強をしてもしなくても



どんな自分でも愛されていると感じられる



ありのままの自分でいられる



安心して、自分を見つめ、エネルギーを溜められる



親のできることは、子どもにそんな居場所を作ってあげることだ。





それには、まず、親自身がありのままの自分を受け入れることだ。



ありのままの自分を受け入れられないと、ありのままの子どもも受け入れられない。



そもそも、ありのままの自分がわからなくなっている人もいるかもしれない。



どんな感情を感じてもOK!



ダメな自分も弱い自分も、どんな自分もOKなのだ!






西田さんの言葉からふと、そんなことを思った。



御冥福をお祈りします。





画像お借りしました。