きゃらみの部屋

きゃらみの部屋

そろそろ高飛びするぜ

https://ameblo.jp/0408toracchi/entry-12840063476.html

 

 

明日から4月となり、年度も変わるため

今日のうちに記録しておこう

 

 

学生時代の同級生、昨年2023年3月20日に

今生最後のつもりで昼間の3時間花見をしたうちの一人が

今月3月の初めに「今年はいつにする?」と打診してきた

 

 

彼女はボクが昨年閉鎖病棟に入ったことを知っている人

良かれと思って企画してくれたのは百も承知

 

だからこそ乗り気でなかったボクも

顔を見せておかないとと思い承諾

3月30日、つまり昨日会う予定だった

(日にちは全くの偶然)

 

 

 

ところが

記憶とは恐ろしいもので

3月30日が近づくと徐々に調子が崩れてきた

右肩下がりに

 

結局昨年同様、食べ物が喉を通らなくなり

29日の晩にお詫びの言葉と共に、ドタキャンのメッセージ送信

不思議なもので、既読を待たずして

送信した時点で少し気分が戻った

 

 

この数日、昨年同様逃げ場がなくなっていた

頭に浮かぶのは苦しいだけの記憶

災害と同じで、一年じゃ無理だよ

少なくとも僕は

 

 

 

52ヘルツのクジラたち 著:町田そのこ 中央公論社

 

 

昨年の3月30日、15時前

病棟に入った僕の後ろで、閉まった扉が自動的に施錠された音を

ボクはこれからも覚えている

 

 

“あぁ、ここが閉鎖病棟か”

打ちひしがれていたボクに

年配の看護師さんが3にゃんの絵を描いてくれて

号泣してしまったことも

 

 

病棟のDルームにはテレビがかかっていて

その下には本棚、漫画や小説があった中で

2,3日経って僕の目に留まったのが

町田そのこさんの「52ヘルツのクジラたち」だった

 

まだ映画化も決まっておらず、文庫本も出ていなかった

帯に書いてあった文言は少し違っていた

 

 

そして、メンタルをやった人は分かると思うけど

一番酷い時は、人は大量の活字が読めない

 

それでもボクは主人公に共感したのか

数日かけて読破した

少なくともボクは、希望を感じた

入院の早い段階で、町田さんの本に気づけて良かった

誰かが本を置いてくれていてよかった

 

 

 

ボクはこれからも、生きている限り

52ヘルツで鳴いてゆこう

 

日にちまで合わせて書く勇気がないので

フライングして書くよ

 

 

ボクは以前の記事で

自分がバイクで事故った日のことを「命日」と呼ぶと書いた

 

 

 

 

ここ数日、心がざわめく

 

 

昨年2023年3月20日(月)から

隣家の取り壊し工事がいきなり始まった

予告は3日前の17日(金)

 

ボクは今生ラストのつもりで

10日前くらいに友達に声を掛け企画していた花見

それが皮肉にも3月20日だった

 

目と鼻の先で叫ぶチェーンソーや重機の音に

にゃんずを心配しながらも

友達とのつかの間の再会を味わい

もう悔いはないと、絶望的な気持ちで帰途についた

 

それから10日弱

ボクの体重はみるみる減り

日によっては騒音から逃れて逃げた公園で

せせらぎ横の石で横になっていたら

小学生やオジィに心配されたりした

 

体重、というものを気にし始めた思春期から考えても

昨年のこの時期が一番軽かった

 

カタチとしては騒音にトドメを刺されたが

どのみちボクはあのままでは倒れていた

 

 

3月29日夕方、気にしてきてくれた妹に入院を示唆され

事実上の選択肢はなかったボクは首を縦に振り

3月30日に力尽きた状態で妹に付き添われ入院した

 

 

 

今もバッテリーが上がった状態が続いているが

事故った日が“命日”ならば、閉鎖病棟に入院した日は何と呼ぶのだろう

 

 

 

ボクは残りの人生、2000年3月の事故よりも2023年3月の入院を

反芻(はんすう)しながら、残りの人生を生きてゆくのかな

何年生きるか、何年で充電できるか分からないにせよ

生きている限り

 

 

世の中大変そうだよね

 

1990年代中盤に「携帯電話」が普及し

2000年位から「PC」が普及した

ボクが最初に買ったSONYのPCは30万円した

(商品は黎明期が高いのだ)

 

2010年位にはガラケーより「スマホ」が主流となり

フリック入力を覚えた

(それまではガラケーのボタンを連打していた)

 

小学生でもスマホを持つ子も現れ

表だけでも色々なSNSが普及した

 

 

使う上ではその人の人間性や性格も重要であるから

成熟していない人(年齢問わず)が使うのは“基地外に刃物”状態

 

匿名性をいいことに、あるいは正義を振りかざして他人を攻撃したり

情報に溺れている人もたくさんいる

 

古くはスマイリーキクチさんから始まり、松本人志さん

今なら大谷翔平くんといったところだろうか

 

 

 

他人のことがそんなに気になるの?

他人をそんなに裁きたいの?

自分の人生を生きればいいじゃん

まずはそこからでしょ

 

ボクはむしろ、自分の人生で手一杯なので

色々な情報から距離を置いて冷静に見ると

この世は膨大な不要情報で溢れていることに気づいた

 

それはシスティナ礼拝堂を見上げた時とは、遠くかけ離れた感覚だ

ボクに必要なのは、産業廃棄物のようなスパム情報ではない

 

 

 

 

朝日のまぶしさに目を細め

青すぎる空の美しさに足を止め

蝶々の舞に季節を感じ

海(かい)くんと一緒に穏やかな気持ちで過ごし

時折届く旧友の便りを嬉しく思う

 

 

ブログは発信のみ、なので悪くはないが

双方向のSNSでは交通量が多くて

ボクのようなメンタルやっている人には特によくない

フル活用はしていなくても取りあえず作ったアカウント達

 

 

とりあえず友達と繋がっているSNS以外は消してしまおう

余計な情報を目にしないためにも

勝手に傷つく機会を減らすためにも

 

 

もういいよ

リアルライフを少しでも多く、残りの時間いきてゆこう

 

ボクは今現在、基本的に「ただの通りすがり」なので

 

日常生活に於いて理不尽なクラクションを鳴らされたとしても

 

“あ、そうなんだ”、で済ませる

 

 

 

例え向こうが法律としては正当であったとして

 

内心“正論振りかざす奴マジうぜぇ”と感情が動きそうになっても

 

そんなのに使うエナジーがないのでトラブルにはしない

 

 

 

時々そんな自分の生き方が「指名手配犯」のようだと思う

 

 

 

 

 

うわさ話が好きな人っているよね

 

以前住んでいた住所のお向かいさん、リアルキャシーは最悪だったが

 

 

 

子供さんを幼稚園に送って、

 

そのまま数時間も話を続けるお母さん達とかも同じだ

 

町内会の相互監視システムも(戦時中か)

 

 

 

 

そんな人の生活を観察すると、共通していることがある

 

自分の生活に満足していない人が

 

現実逃避の手段として使っていることが多い

 

 

 

ボクが入院していた3ヶ月間も

 

家の前の雑草はボクよりリアルキャシーの方が多かった

 

 

 

ワイドショー的な事も同じで、ああいうのを見る人は

 

自分の生活から目を逸らして、芸能人の不祥事(つまり他人の人生)で

 

溜飲を下げているに過ぎない

 

高齢者で選択肢が少ない場合もあるが見ない人は見ない

 

少なくとも自分の人生ですることがある人は

 

自分の人生を生きている人は、それどころじゃないもの

 

 

 

 

角度は違っても、ボクも同じ

 

例え生きる目的がなくても、時間がどれくらいあっても

 

ワイドショーを見るのは何もしないより無駄な時間、と認識している

 

他人の人生やうわさ話に費やす時間はない

 

 

 

そういう意味では、枯れたように生きる日々だが

 

まだ自分の人生を生きているのだとボクは思う

 

 

平成にレミオロメン、というグループがいた

「粉雪」を聴いた時は衝撃を受けた

 

そんなレミオロメンと言えば「3月9日」という代表曲も持つ

昨年の3月7日にNHKの“うたコン”という番組で

藤巻くんがソロで歌っていた

 

ピアニストとして有名な清塚氏とのコラボ

少なくともこの曲に於いてのピアノアレンジは素晴らしい

 





3月9日  藤巻亮太 with 清塚信也 @うたコン20230307

 

 

曲自体は卒業をテーマにしているが

昨年2023年はちょうど公立小・中校の卒業式が3月9日だった

 

 

ボクにとっては

昼の12時にウォーキングから戻ったら

本当の主治医の樺沢紫苑先生が地元でライブをしているのに気づき

本当はバイクも運転しない方がいい状態だったのだけど

生樺沢先生に会いたくて小倉城まで走っていった

 

 

 

 

配信終わり、握手してもらい言葉を交わした

歌の3月9日は卒業の日だが

僕にとっての3月9日は

樺沢先生に会えた貴重な日になった

 

きっとこれからも

 

 

僕が基本ネットニュースで情報を拾うのは

視覚情報の力が強力なので影響されにくくするためだが

 

ネット記事だって「書いたもの勝ち」なところはあって

鵜呑みに出来ないのは事実だ

 

例えばこの手の記事

 

後悔しています…退職金2,300万円、定年直前の年収1,200万円だった63歳男性の懺悔。老後に潜む年金生活の“思わぬ落とし穴”【CFPが解説】(THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン)) - Yahoo!ニュース

 

年金夫婦で「月23万円」だったが…65歳夫が急死で<遺族年金>足しても「年金激減」、さらに高齢妻が直面する想定外「これからどう生きていけば」(THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン)) - Yahoo!ニュース

 

 

この記事たちに共通することに感想をひと言で言えば

「老後はそんなにお金かからない」

 

まぁ、事実として家族構成や仕事の変化に於いて

シフトチェンジ出来ていないのが問題であり

退職金があることが今のご時世ラッキーだし

支出の内訳見るとツッコミどころ満載

 

 

一時期、老後3,000万円必要説などが出たが

実際普通に生活すれば使い切れない金額だし

その頃からちょうど新NISAを政府が後押し始めたから

それに乗っかったのかも知れないが

地に足をつけて生活していると、机上の空論だと分かる

 

 

国は「老後のことは各自で備えろ」と言ったも同然であり

その上で恐怖を煽っているのも本当だと感じる

だからこういう記事が生えるのだ

 

 

少し前に「ゆうこりん」こと小倉優子さんが新NISAに不信感をUPしていたが

株などの投資はリスク0はあり得ないよ

それはただの「腹いせ」発言にしか聞こえない

 

ボクが持っている株の価格も微妙に上下しているが

ゆうこりんと違うのは、ボクは売買での利益は目指していない

ボクがしているのは高利率の配当金だ(米国株は年4回)

だから株の価格に一喜一憂しないし、配当金で再投資する(つまり複利)

 

 

 

彼女の言い分はボクと同じく国に対する不信なのだろうが

敢えて言えば外国(特に米国株)を薦められていることだろう

外国企業に資金を入れる、ということだよね

 

これは日本企業の場合100株からしか買えない、というルールが

足を引っ張っていることもある(最近はアプリで小額から買えるけど)

 

とりあえずボクが持っているのは

生活必需品を扱う会社の株だから、これからも消えることはないし

もし全部消されたとしても、それはボクの全資産ではない

 

 

お金がない、と口にする皆さん

家計簿つけてますか?

それって本当に支払う価値がありますか?

 

 

 

ちなみにボクはExcelで収支もウェイトも睡眠時間も管理している

社会参加できていないけど、だからと言って何もしていない訳ではないのだ

 

これまでもいくつかの分野について書いてきたけど

ちょうどこの記事があったのでもう1度

 

減少する書店、国が本格的支援へ - Yahoo!ニュース

 

 

今や流通の変化と共に、リアル店舗が着実に減っている

 

ボクの住んでいる街は、既に百貨店が消滅した

百貨店消滅はこれからも進んでいく

 

この記事は「リアル書店」だけど、個人的には百貨店以上に哀しい

 

 

例えばネットのプラットフォームで本を購入すると

一応サジェスト(こういうのも売れています)はあるけど

 

以前はリアル書店をブラついて、本来目的じゃない本に惹かれて購入したら

それが凄く自分の中でハマったことがよくあり、そのめぐり逢いに感謝したものだ

 

 

コストを究極まで削減されたネット購入に、あの空間を感じることはない

それが大切だったのに

 

 

最後の適当日記:高田純次著(ダイヤモンド社)

 

 

↑ ↑ ↑

某プラットフォームで購入したけど、何かが足りない

 

 

これは全てのカルチャー(サブカルチャー)が同じで

例えばレンタルCD・DVDのTSUTAYAもGEOも

あからさまに店舗縮小・撤退を余儀なくされている

 

好きな映画がDVDになっているかなぁ~のタイミングで行って

ついでに興味が湧いてそこから派生した名作多かったのにな

もちろんハズレも(B級映画)そこそこ引いたけど

ジャケットを手にしてイメージする回数を重ねることで

僕は「当てる」精度を上げることが出来たと思っている

 

韓流好きの方には、失礼だが

リアルレンタルショップでは、在庫そのものは減っているのに

韓流が占める比率はむしろ上がっていて

ぺ様を観ていた世代はサブスクについていけないから

そうなっているのかとさえ勘ぐってしまう

 

リアル店舗にないものだから、僕はTSUTAYAとGEOの宅配レンタルを

仕方なく利用している

 

 

Amazon Prime や NETFLIX はそれはそれでいいが

配信側が実権を握っているので急に配信が終わって

自分が好きな作品が見れなくなっても泣き寝入り?だ

せやし、サジェストはあってもやはり“違う”

 

 

最近は行っていないカラオケだってそう

平成までは紙の歌本をめくって目的の曲も探せたが

何が歌えるかな~と最初の方からめくっていく中で

“おぉ!この曲知ってる!!久しぶりに歌ってみようかな”

というケースがよくあり、それがちょっとした「アハ体験」のようで

それも込みでの楽しさがあった

 

今は凶器になりそうなサイズのリモコンしかない

 

 

 

めぐり合い

一期一会

 

そういう日本語自体が、今後消えてゆくのかも知れない

 

 

ボクは以前ホラー映画が好きでよく観ていた

 

何百本も観たが、定期的に感じる結論はいつも同じ

 

 

“1番怖いのは人間だ”

 

 

しかもそれらは遠くにあるもの、ではなく

 

日常の同じような日々の延長線上にあるものが怖かったりする

 

 

 

先日昼過ぎ、玄関のインターフォンが鳴った

 

ボクは一瞬、“アレ、今日届くものはなかった筈だけど”と

 

引き戸を開けてインターフォンのカメラを覗こうとした

 

引き戸が滑りにくかったことで音が鳴り、外にも気配がバレたのだろう

 

カメラを覆うグレーの手袋

 

 

 

それでいてピンポーンと鳴らす

 

固まるボク。視界が覆われたままの再ピンポーン

 

1分位粘った相手は戦法を変え、画面左下にしゃがんでいる

 

その髪の長さに、僕はイタズラ好きな妹を連想して開けてしまった

 

そこに立っていたのは

 

 

 

 

見たこともない70位のババア

 

金髪で写真のように黒マスクをして

 

マスクから見える部分はギャルメイクだが

 

肌の色は正直に張りのない茶色

 

 

 

そういう時、人間は言葉が出ない

 

もうホラーがそんなに好きでもない、対人恐怖の気もある

 

ボクならなおさらだ

 

 

 

そのババアは、さすがにマズいと思ったのか

 

“違います?”(←何が??)と語尾を上げたので

 

ボクは黙ったまま頷くと、消えていった

 

画面は最初のピンポーン時だから、気配を感じる前だ

 

 

 

確かに現住所のロケーションは国道3号線のすぐ裏にあり

 

ドンキもすぐ近く、1階には生保もいる、そんな所で

 

オートロックがないせいか、明らかに「エホバの証人」が

 

カメラに残っていたこともある

 

駐輪場の横に食べ残しのカップ麺とか、よく捨てられているし

 

(見るのが嫌だから、ボクは片づけるけどね)

 

長い間住むところじゃないな、と最初から感じている

 

 

 

だから、現実と向き合う期間の今、改めて思う

 

1番怖いのは人間だと

 

犬鳴村でも怖かったのは、ダムの為なら集落を潰す、というような「人間」だし

 

村でなくとも「きさらぎ駅」で怖かったのは

 

女子高生を救うために大学生を誘い込んだ佐藤江梨子の役どころだった

 

 

 

狂気は日常に潜んでいる

 

皆さんも気をつけて

 

 

 

追記:文中の“ババア”という表記は敢えて書いています

   見た目などでボクがその言葉を使うことはない

   ボクが恐怖を感じた訳の分からない存在だから

   敢えてその言葉を使いましたが、悪意のない女性は

   お幾つになっても“お姉さん”です念のため

 

 

交通事故に遭って、下手すれば向こうに行きかけた人は皆

その日のことを「命日」と呼ぶようだ

少なくともボクはそう呼んでいる

そう。今日は24回目の命日

 

 

2000年3月3日午前7時40分

直進するバイクのボクと、交差点を右折してきた10トンダンプが激突した

ボクは一瞬、ガンダムに思いっきり直に殴られたような気がした

 

痛みは感じなかったが、気が付くと自動的に左折したように

交差点から左10m以上先の車道の端に飛ばされていた

 

 

ボクは顔を右横に向けてうつ伏せ

アスファルトが左目2~3センチ先に見える

 

舌で口の中を探ると前歯含めて結構ない

“あ~この年で入れ歯か~”

 

何故かそんなことを思ったら、自分の口から血が噴き出ていて

みるみる血だまりができてゆく

 

 

 

ボクは“あ、汚れる”と思って動こうと思ったが

四肢は全く動かない

 

皆がボクを見ていたが、ボクは晒し物のまま

アレはきつかった

 

 

 

 

例年なら“ボクはあの時の自分に恥じない生き方が出来ているだろうか?”

のようなことを自問して終わるのだが今年2024年は違う

というか、2023年は精神的に追い詰められてそれすら書けなかった

 

 

 

ボクのメンタル崩壊の要素に新たに加えられた

 

これは昨年2023年の3月末に入院して6月末まで閉鎖病棟で過ごし

出たら世界が変わっていた中で

生きる理由を必死に探している中(答えはまだ分からないけど)

メンタルがおかしくなった原因の一つとして新たに加わった要素だ

 

 

確かに僕の認知の歪みは元々あった

その一方で、交通事故以降、首の痛みに悩まされてきたのも事実だ

特にこの10年ほどは酷くなっていた

 

 

首にかかる負荷は、メンタルにも影響を及ぼす

それは急な衝撃だけに限らない

 

 

かつてBARBEE BOYSでボーカルをしていたKONTAさんは

歌とソプラノサキソフォンの二刀流で

ステージでもカッコよかったが

 

首からホルダーで支えていたサキソフォンの重みの影響で

解散後メンタルを病んだという

ボクも以前持っていたが、ソプラノとはいえかなりの重さ

 

 

 

昨年の秋、たまたま訪れた整骨院は治療の腕はイマイチだったが

頸椎(2番と3番?)が左を向いた時に動いていないことは分かった

そう言えば首の痛いのは左だけだ

 

 

この数年を振り返ると

親との確執や物事が上手く回らないことで、ストレスも溜まっていたのだろう

2021年にいきなり右上歯茎も炎症を起こし、それは原因不明で継続中

その頃の生活を振り返ると確かにストレス高かったし、今でも高いから無理もない

 

 

心(脳)と身体は繋がっている、とよく言うが本当だと思う

ボクはジワジワ生きる気力を無くして、その結果が今日なのだ

男性の更年期障害も最近よく耳にする

 

 

ここまでくると、ボクが勝手に呼んでいる命日よりも

本当にクタばる「命日」の方が近いと思うが

 

せめてその日までに、少しでも人生の答え合わせが増えるといいな

ボクは心からそう願って、今後も出来る時はジタバタしてみよう

 

 

タイトルは森永卓郎氏の

「本当のことを言ったら干される」をモジったものだが

それを裏付けるようなことが昨日も起こった

 

 

大抵、ワイドショーが騒ぐ時(ネタがある時)は

その裏で国民にとって都合の悪い法案が採決されたり

というのは以前からあったが

 

少し前にモリタクさんの発言を目にしていたものだから

大谷翔平の結婚に国民が気を取られている隙に

地方自治法改正案を閣議決定しても“やっぱり”という思いと

大谷君まで利用するクソメガネ(ハゲメガネ?)の悪どさを感じた。

 

 

自治体に対する国の「指示権」創設、大規模災害や感染症危機など非常時に…地方自治法改正案を閣議決定 : 読売新聞 (yomiuri.co.jp)

 

 

広義に解釈すると、「国の言う事は各自治体が言うことより上ですよ」となり

良心的に捉えても、災害時は地元の自治体が状況を一番知っている筈なのに

的外れな国の指示に従わなければいけない、ということ

 

 

国が防衛の砦の一つにしている、沖縄県の基地移設問題なども

これまでは沖縄県知事と“組手”だけど対立する図を見せたりしていた

(裁判では最終的に国が勝つのだが)

 

それが今は「大規模災害時」など言っているが

実質義務化になったマイナカードのように変更され

県知事や県民の民意を問わなくていいことになるだろう

 

 

で、地方自治法改正案を敢えて「閣議決定」(数人で決めたってことだよ)したのは

さすがに国会にかけると否決されるだろうし

 

今からは増税とかのレベルじゃなくて、本気で国民を殺す準備ともいえる

「大災害」や「感染症危機」を起こす準備ね

 

地震が人工的に作れることや気象をある程度操作できることは

皆さんご存知だろう

 

 

 

コロナは捏造、大正解(笑)

ボクも職場ではワクチン接種したと言っていたが、

同調圧力嫌いなので一度も打っていない

 

結果はどうですか?

コロナで亡くなった人の多くは、ワクチンで死んだ

志村さんのインパクトが強すぎて、コロナの殺傷能力に世間がビビり過ぎた

今でもワクチンの後遺症に苦しんでいる人がいる

 

今年は花粉症にならないわ~と言っている人

ワクチンにより免疫機能が壊れたから、なんですよ

 

 

北朝鮮が言論統制されて、かわいそうという人がいるけど

この国は自覚なく、既に言論統制されている

それが書き始めのモリタク氏のセリフに象徴されている

特にテレビというメディアは危険だから

ボクはこれからますます見なくなるだろう

 

 

 

国が言ったから、その通りにしなさい

戦時中の日本の足音が、ヒタヒタと聞こえる