24回目の命日に思うこと | きゃらみの部屋

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そろそろ高飛びするぜ

 

 

交通事故に遭って、下手すれば向こうに行きかけた人は皆

その日のことを「命日」と呼ぶようだ

少なくともボクはそう呼んでいる

そう。今日は24回目の命日

 

 

2000年3月3日午前7時40分

直進するバイクのボクと、交差点を右折してきた10トンダンプが激突した

ボクは一瞬、ガンダムに思いっきり直に殴られたような気がした

 

痛みは感じなかったが、気が付くと自動的に左折したように

交差点から左10m以上先の車道の端に飛ばされていた

 

 

ボクは顔を右横に向けてうつ伏せ

アスファルトが左目2~3センチ先に見える

 

舌で口の中を探ると前歯含めて結構ない

“あ~この年で入れ歯か~”

 

何故かそんなことを思ったら、自分の口から血が噴き出ていて

みるみる血だまりができてゆく

 

 

 

ボクは“あ、汚れる”と思って動こうと思ったが

四肢は全く動かない

 

皆がボクを見ていたが、ボクは晒し物のまま

アレはきつかった

 

 

 

 

例年なら“ボクはあの時の自分に恥じない生き方が出来ているだろうか?”

のようなことを自問して終わるのだが今年2024年は違う

というか、2023年は精神的に追い詰められてそれすら書けなかった

 

 

 

ボクのメンタル崩壊の要素に新たに加えられた

 

これは昨年2023年の3月末に入院して6月末まで閉鎖病棟で過ごし

出たら世界が変わっていた中で

生きる理由を必死に探している中(答えはまだ分からないけど)

メンタルがおかしくなった原因の一つとして新たに加わった要素だ

 

 

確かに僕の認知の歪みは元々あった

その一方で、交通事故以降、首の痛みに悩まされてきたのも事実だ

特にこの10年ほどは酷くなっていた

 

 

首にかかる負荷は、メンタルにも影響を及ぼす

それは急な衝撃だけに限らない

 

 

かつてBARBEE BOYSでボーカルをしていたKONTAさんは

歌とソプラノサキソフォンの二刀流で

ステージでもカッコよかったが

 

首からホルダーで支えていたサキソフォンの重みの影響で

解散後メンタルを病んだという

ボクも以前持っていたが、ソプラノとはいえかなりの重さ

 

 

 

昨年の秋、たまたま訪れた整骨院は治療の腕はイマイチだったが

頸椎(2番と3番?)が左を向いた時に動いていないことは分かった

そう言えば首の痛いのは左だけだ

 

 

この数年を振り返ると

親との確執や物事が上手く回らないことで、ストレスも溜まっていたのだろう

2021年にいきなり右上歯茎も炎症を起こし、それは原因不明で継続中

その頃の生活を振り返ると確かにストレス高かったし、今でも高いから無理もない

 

 

心(脳)と身体は繋がっている、とよく言うが本当だと思う

ボクはジワジワ生きる気力を無くして、その結果が今日なのだ

男性の更年期障害も最近よく耳にする

 

 

ここまでくると、ボクが勝手に呼んでいる命日よりも

本当にクタばる「命日」の方が近いと思うが

 

せめてその日までに、少しでも人生の答え合わせが増えるといいな

ボクは心からそう願って、今後も出来る時はジタバタしてみよう