きっと僕は、 | きゃらみの部屋

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そろそろ高飛びするぜ

 

日にちまで合わせて書く勇気がないので

フライングして書くよ

 

 

ボクは以前の記事で

自分がバイクで事故った日のことを「命日」と呼ぶと書いた

 

 

 

 

ここ数日、心がざわめく

 

 

昨年2023年3月20日(月)から

隣家の取り壊し工事がいきなり始まった

予告は3日前の17日(金)

 

ボクは今生ラストのつもりで

10日前くらいに友達に声を掛け企画していた花見

それが皮肉にも3月20日だった

 

目と鼻の先で叫ぶチェーンソーや重機の音に

にゃんずを心配しながらも

友達とのつかの間の再会を味わい

もう悔いはないと、絶望的な気持ちで帰途についた

 

それから10日弱

ボクの体重はみるみる減り

日によっては騒音から逃れて逃げた公園で

せせらぎ横の石で横になっていたら

小学生やオジィに心配されたりした

 

体重、というものを気にし始めた思春期から考えても

昨年のこの時期が一番軽かった

 

カタチとしては騒音にトドメを刺されたが

どのみちボクはあのままでは倒れていた

 

 

3月29日夕方、気にしてきてくれた妹に入院を示唆され

事実上の選択肢はなかったボクは首を縦に振り

3月30日に力尽きた状態で妹に付き添われ入院した

 

 

 

今もバッテリーが上がった状態が続いているが

事故った日が“命日”ならば、閉鎖病棟に入院した日は何と呼ぶのだろう

 

 

 

ボクは残りの人生、2000年3月の事故よりも2023年3月の入院を

反芻(はんすう)しながら、残りの人生を生きてゆくのかな

何年生きるか、何年で充電できるか分からないにせよ

生きている限り