きゃらみの部屋 -2ページ目

きゃらみの部屋

そろそろ高飛びするぜ

 

 

タイトルは森永卓郎氏の

「本当のことを言ったら干される」をモジったものだが

それを裏付けるようなことが昨日も起こった

 

 

大抵、ワイドショーが騒ぐ時(ネタがある時)は

その裏で国民にとって都合の悪い法案が採決されたり

というのは以前からあったが

 

少し前にモリタクさんの発言を目にしていたものだから

大谷翔平の結婚に国民が気を取られている隙に

地方自治法改正案を閣議決定しても“やっぱり”という思いと

大谷君まで利用するクソメガネ(ハゲメガネ?)の悪どさを感じた。

 

 

自治体に対する国の「指示権」創設、大規模災害や感染症危機など非常時に…地方自治法改正案を閣議決定 : 読売新聞 (yomiuri.co.jp)

 

 

広義に解釈すると、「国の言う事は各自治体が言うことより上ですよ」となり

良心的に捉えても、災害時は地元の自治体が状況を一番知っている筈なのに

的外れな国の指示に従わなければいけない、ということ

 

 

国が防衛の砦の一つにしている、沖縄県の基地移設問題なども

これまでは沖縄県知事と“組手”だけど対立する図を見せたりしていた

(裁判では最終的に国が勝つのだが)

 

それが今は「大規模災害時」など言っているが

実質義務化になったマイナカードのように変更され

県知事や県民の民意を問わなくていいことになるだろう

 

 

で、地方自治法改正案を敢えて「閣議決定」(数人で決めたってことだよ)したのは

さすがに国会にかけると否決されるだろうし

 

今からは増税とかのレベルじゃなくて、本気で国民を殺す準備ともいえる

「大災害」や「感染症危機」を起こす準備ね

 

地震が人工的に作れることや気象をある程度操作できることは

皆さんご存知だろう

 

 

 

コロナは捏造、大正解(笑)

ボクも職場ではワクチン接種したと言っていたが、

同調圧力嫌いなので一度も打っていない

 

結果はどうですか?

コロナで亡くなった人の多くは、ワクチンで死んだ

志村さんのインパクトが強すぎて、コロナの殺傷能力に世間がビビり過ぎた

今でもワクチンの後遺症に苦しんでいる人がいる

 

今年は花粉症にならないわ~と言っている人

ワクチンにより免疫機能が壊れたから、なんですよ

 

 

北朝鮮が言論統制されて、かわいそうという人がいるけど

この国は自覚なく、既に言論統制されている

それが書き始めのモリタク氏のセリフに象徴されている

特にテレビというメディアは危険だから

ボクはこれからますます見なくなるだろう

 

 

 

国が言ったから、その通りにしなさい

戦時中の日本の足音が、ヒタヒタと聞こえる

 

 

昨日のニュースだけど

 

断崖絶壁近くで「『アレ』しに来たんか」「降ろすわけにいかん」…タクシー運転手が説得、自殺防ぐ(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース

 

 

タクシー運転手さん二人が、和歌山県白浜署から感謝状を受け取った

 

今月の初め、和歌山県の白浜に一人でタクシーに乗った女性を

観察して(荷物の少なさや雰囲気など)自殺を防いだというもの

 

ええ運転手さんたちや

 

 

ボクもパパゲーノだけど

やる時はにゃんこのように、静かに消えたい

 

だから直前に人と接触するつもりはないが

 

 

この女性たちは土地勘がなく

恐らく場所も駅から離れていて

タクシーを使わざるを得なかったのだろう

 

 

ちなみに僕もツアコンをやっていた時は気をつけていた

少なくとも集客旅行は二人以上で参加するお客さんが殆どの中

たまに一人で参加する人がいて

それが女性だったりするとセンサーをずっと張っておかないといけない

 

二人参加の殆どはご夫婦か女性の友人同士

“旦那ときても楽しくないから”という声もよく聞いた

 

だが女性一人は、例え表情に問題が無くても気をつける

スイッチはいつ入るのか分からず、しかも急だから

 

 

 

 

頭では分かっている

今希望が持てないだけで

いつかきっと“あの時実行しなくてよかった”と思える日がくると

 

 

他人事と思えず書いたけど

ボクもいつか“あの時実行しなくてよかった”と思える日がくると信じたい

 

 

人間の身体は心と密接に繋がっていると思う

 

 

ちなみに新興宗教には入っていない

敢えて言うなら仏教徒(念のため)

 

…と念を押すくらい、今日の話はあなたが

普段見ない角度からのボクの考えだ

 

 

色々な臓器があるけど分かりやすくするため

とりあえず「目」「耳」「歯」を例に挙げよう

あくまでも“病気”を除いた状態での話

 

 

まず「目」

近視は物理的に言えば焦点距離が近くなり、遠くが見えなくなるが

心のメッセージではこう捉えることも出来る

 

身の回りの大切なことにフォーカスしたら?

 

年齢を重ねると出てくる人が多い老眼は

近くの物や小さな文字が見えなくなったりする状態だが

こういう意味だとしたらどうだろう

 

もうそこそこ経験つんで成長したのだから

周りのことや小さなことに乱されずにもっと遠くを見たら?

 

女好きのココリコ遠藤君が

40前から老眼が始まっていたのは偶然だろうか

 

 

 

次に「耳」

聞こえるのはいいことだが、耳が遠くなる前から人間の耳は変化する

モスキート音が聞こえるのは、基本20代までだときく

 

先ほどの目と同じ見方をすると、聴力が落ちるのは

こういう意味なんじゃないだろうか

 

周りのうわさ話や自分に関係ないことで一喜一憂しないで

 

日本には「知らぬが仏」という言葉もある

ザッとだが、次に行こう

 

 

 

次は「歯」

サメは何度も歯が生えるが、人間は一度生え変わるだけ

永久歯が抜けると、もう生えない

 

ボクは30歳の時に交通事故に遭い

一瞬で前歯含め10本吹っ飛ばした経験があるが

事故のショックとは別に、歯がないと食欲が湧かない経験もある

 

実際には歯が無くなっても歯茎まで骨はきているので

食べることは可能だが、食欲はまた別だ

 

認知症などで満腹中枢が壊れた歯のない男性が

他人の物まで食べる姿もよく見たが、そんなのは例外で

 

昔は歯の喪失と共に食欲がなくなり、小食からの自然死

あったであろうことは想像がつく

朝が来たら冷たくなっていた、のような

 

そうして世代は回っていたのだ

 

 

 

そもそも、なのだが

織田信長ではないが「人生50年」

彼がそう詠んだ時代から数百年経ったとて

人間の身体の老化はそんな短いスパンでは変わらない

 

だんだん細胞分裂も減っていって

個人差や例外はあるが、人間の身体は

大体50年位でガタがくるように出来ている

 

物理、環境、遺伝子など色々な要因があるが

病気や事故というものがあれば50年持たないかも知れない

 

政府が定義した高齢者の定義は、それはそれで構わないけど

例えば「還暦」が60歳であることを知っている人は多くても

「知命」って、何歳かご存知だろうか?

「初老」って、何歳かご存知だろうか?

 

 

 

 

初老とは、かつては40歳のことを言っていたのだ

 

といったところで、今日は薄々感じていたこと

粗いが「心と身体のつながり」を別角度から考察してみた

 

 

自分の認知(物事の捉え方)がかなり歪んでいたなぁ、と今は思う

恐らく物心ついた時から

 

 

イジメられはしなかったけど

学生時代は非常に生きにくかった

 

 

だからこそ、高校時代の記憶は学校メインではなく

バンドと小さな劇団でのお芝居が99%を占めているのだろう

 

ボクだけしか気づかない(ボクだけがきづかない)トラブルもあった

成人してからもそうだ

 

 

ハインリッヒの法則通り、トラブル未遂も沢山あった

大切な友達も何人か失ったけど

そこで気づけなかったのも、歪みの自覚がなかったからだろう

 

 

別記事で書いたように詐欺にも遭った

いわゆる「バイアス」がかかっていたのだろう

 

 

入院前にパートナーと住んでいた時にも

トラブル未遂は何度もあった

 

 

 

 

 

気が短く、正論を振りかざしていた

トラブルにならない方がレアだし

今までよく事件に巻き込まれなかったものだと思う

 

 

例えば車が来ていると思っても横断歩道を渡り

クラクション鳴らされようものなら、中指を立てたりしていた

“横断歩道だぞ!やんのかオイ!!”のように

 

 

今思えば 所詮はただの通りすがり

自分の人生に直接関係がないことは、例えレールから外れていても

放っておけばいいのだ

 

 

 

 

昨年2023年の3月、閉鎖病棟に入院する前の週

朝の通勤時“小学生が両側で待っていても車が止まらない横断歩道”で

僕は車に飛び込もうかと、ギリギリまで考えていた

 

歩行者が待っているのに減速すらしない横断歩道に

一石を投じて死ねば、犬死じゃないから

 

 

結局、実行予定だった朝にやめたけど

それくらい僕は追い詰められていたし、きつかった

体重も高校生の時から今までで、一番軽かった

パートナーとの破綻もあり、思考も停止して

頭の中には「絶望」の2文字しかなかったから

 

 

 

 

状況は一見、何も変わらないし

生きる理由も、生きる意味も見つからないけど

僕は昨年の3月末に入院していなければ

今こうして、ブログで発信出来ていないことは確か

 

このまま穏やかに修正を続けたいものだ

 

 

 

ボクが入院する直前を思い出しても当たっていたことで

ある程度冷静にはなった今、改めて感じていることを書くと

 

 

自分の経験からも感じる、不安を減らす方法は

 

“山に籠りましょう”

 

 

 

飛躍し過ぎました

あながち間違ってはいないのですが、非現実的ですよね

 

 

“間違ってはいない”と書いたのは

実際に不安を減らすためには、とりあえず

 

「過去」でも「未来」でもなく「今」に生きることが

とても重要だからです

 

 

具体的には、自然に触れることや、運動すること

自然に触れると空気の匂いや、鳥のさえずり、今だと梅の花が咲いてたり

五感を通じて感じることが沢山あり

そうしている時には不安は横に押しやられます

 

プラスして、もし軽く走ったりすれば

きつくなったりして、不安よりも今の「キツイ」状態の方が勝つので

ネガを考える余裕?が間違いなく減ります

 

膝やどこか身体を痛めている人

別に無理して山や大きい公園に行かなくても

最寄りの小さな公園で、ベンチに座って

短時間ひなたぼっこするだけでもいいと思います

太陽の光はセロトニンを作ってくれますので

天気がいい日は是非やってみましょう(私もこれから行きます)

 

 

 

ここまでをまとめると、

 

今を生きるために(余計なことを考えないために)

「自然に触れる」

「出来れば身体を動かす」

「太陽の日に当たる」

 

となりますが、加えて大切なことも書きますね

 

 

 

 

 

情報量を絞る

コレ、とても大切です

 

まぁ、今どきテレビを「ながら見」なんて

している人はいないでしょうが

ワイドショー最悪ですし、ニュースもネガティブなことを

ずっと流しているので、それを耳に入れてメンタルに良い訳がありません

 

2024年の今、それよりも問題なのはPCやスマホに依存すること

私も入院直前そうでしたが、ネガティブな情報ばかり集めてしまうんですよね

ChatGPT も情報の精度には疑問があるのは知られていますし

tiktok のように企業が流す情報に疑問があり、且つ情報の抜き取りが懸念される

アメリカなどで使用禁止になっているアプリもあります

 

ネガティブな情報でなくても、情報量が多いと脳は疲弊しますので念のため

 

 

だから

こうしてブログを書いている私も

デジタルは一日2時間までで、近寄らないようにしています

過ぎてしまう日もあるけど笑

 

 

自覚がないスマホ依存の方が多いと思うので、私の“1日2時間”のように

デジタルに制限をつけて距離を取ること

 

コレ、不安を減らす大きな要素です

自分にも言い聞かせながら書いた記事でした

 

 

素敵な週末をお過ごしください

 

ボクの父は

ボクが意思を持ち始めた頃から

気難しくなっていった

 

大人げなく豆を投げつけられ続けた

小学生低学年のある年の節分の夜は

子ども心に憂さ晴らしに使われていると感じた

力任せに投げつけ、歪んだ心で笑っていた

 

 

中卒で、自分で切り拓いてきた彼としては

お前も強くなれ、という気持ちもあっただろう

 

 

しかし

その後何をやっても

「そんなので通用するか!」

が口癖になり、認めて貰えたことはなかった

 

子どもは親から認めて貰うことで、自尊心や自己肯定感などが育つ

人によっては生きる意味を早くも失う

人格形成に影響するのは確かだ

 

 

 

ボクは小学生の頃、髪の毛や眉毛、まつ毛を抜いてしまったりしていたが

今思えば、ストレスからくる抜毛症だったのだろう

 

心配してくれたのは母親だけ

なのでボクは自分が何故こんなことをしてしまうかも分からないながら

母親に申し訳なく思っていた

 

 

teenager以降は、それはそれで問題があったが

今回は切り離して小学生までで話そう

 

 

ボクが父親に認められるように当時頑張ったことは

“とにかく笑わせる”こと

 

当時から吉本新喜劇が毎週放送されていた関係で

マイエリアでも父親は見ていたが

 

 

ある一定以上の笑いを取ると父の口から出るヒトコト

『お前、吉本や!!(吉本に入れ)』

この言葉がボクにとっての自己肯定ポイントになった

 

 

ブログなどを書いている人、日常的にアウトプットしている人は

わかって貰いやすいと思うが

アウトプット前提で世界と向き合うと

世界は違う顔を見せてくれる

 

持ちネタではないが、テッパン(笑いの)や

会話を捻って笑いに繋げる方法も覚えた

それは反射的なものだから、自分の気持ちを殺していたこともあるが

 

 

虐待されてきた人たちにすれば、ボクのようなケースは甘い

それは自覚している

 

ただ、昭和のボクと同じ世代に於いては

こうやって切り拓いてきた人はそこそこいると思う

 

 

 

 

そして、根拠のないポジティブは実はポジティブではない

なので一生勢いだけで走り抜けることが出来る人はいるだろうけど

ボクのように、何かのきっかけで崩壊して初めて

自分が無理をして生きてきたことに気づく人も多いんじゃないだろうか

 

 

生きてゆく、ということは選択の連続

そこに絶対的な答えはなく、また時空を超えて初めて分かることもある

その瞬間・瞬間にベストと思える選択をしてゆくしかないのだ

 

 

 

生きる意味を見出せず

何のために生きているのか分からない

アディショナルタイムのような今のボクでさえ

毎日選択し、残り時間の質を上げたいという思いはある

 

 

その上で、小さい頃と生き方は変わって当然

ボクは死ぬ前に気づけて、むしろ良かったと思う

小さい頃に得た「生きるための方法」がずっと有効とは限らず

いつの間にかライセンスが切れていた、ということに

 

 

さぁ、Upgradeしよう

 

 



沖縄・那覇の中心部“国際通り”(通称:奇跡の1マイル)には

観光客向けのお土産屋さんが並ぶが、Tシャツ屋も多い

歩いているだけでも目に入ってくるフレーズの一つに昔からの格言

「死ぬこと以外はかすり傷」というものがある



人によっては衝撃だろうし、人によっては鼻で笑うだろう

何故なら、見た目・性格などのスペックから歴史や精神状態まで

人それぞれ違うからだ

それを先月、中条あやみさんという綺麗な女優?が言った記事を読んだ




インタビュー形式で自己啓発的な模範回答例で返している

確かにそれなりに大変だと思うよ






ボクは


「どんなに恵まれて見える人でも、必ず本人にしか分からないものが

なにかしらあって、悩んだり苦しんだりしない人間はいない」



そう考える派で(以前だったらただ嫉妬していただろうけど笑)

素直に受け取って読んだのだが、もちろん人によっては




・こんな恵まれた人に言われても説得力が…

・こんなに綺麗だったら、アドバンテージありますよね


というライトなコメントから


・大病された方、九死に一生を得た方、苦労が絶えない方には響かない

・実際には確かにかすり傷だが、それをどの人がどの経験を持って言うのか

 が最大の腑におちない点と思ってしまう


というものまであった

 




極めつけは、

 

ボクもそうなのだが実際に「死」を意識して毎日生きている人

能登半島地震で被災されて方々、リアルに死と直面している人々には

どうしても納得できない人が一定数居るのも分かる




まだ、明石家さんまさんの「生きてるだけで丸儲け」の方が優しいかな




とにかくどっちが正しいか、なんてない

それぞれが自分の出来ることを、着の身着のままで

毎日淡々とこなしてゆくしかないのだと個人的には思う
 

 

 



初めに書いておくがどっちが幸せ、なんてことはない

ただ、対照的な二人が昭和の怪物番組“8時だよ!全員集合!”に

一時期ヘルプで出ていてそのDVDを見たのがきっかけで

(確か高木ブーさんが病気療養か何かで休まれた時期があった)

ドリフの4人+ジュリー&ひろみGo、というのが数回あった



郷ひろみも沢田研二も昭和40年代から日本芸能界のトップを

全力で駆け抜けてきた人たちだ

しかし令和の現在に於いて、スタンスは大きく違う






二谷友里恵さんとの結婚・離婚はあり“ダディ”も出版したが

ひろみは公私共に未だスケジュールを埋めて

形成外科のCMなどに出まくっている

そこには奥さんの影や双子の10歳男児の影など微塵にも感じない

本人も1955年の生まれだから、今年の10月には69歳なのだが

来年「古希」にはとても見えない

恐らく彼はこれからも走り続けることで充実感を感じるのだろう

脳内ホルモンで言えば「アドレナリン」的な幸せだ

まぁ単純に3度目の結婚での養育費などがまだかかるかも知れないが

それが出来る人はそれで幸せだと思う



ジュリーはひろみGoより7歳上

1948年生まれなので、今年6月には76歳。来年は「喜寿」を迎える

そりゃあ、自分のペースでゆっくり稼いでいいよね

若い頃はメイクもして(いわゆる日本のビジュアル系のはしり)

とてもカッコよかったが、今は見た目も年相応

でも、ふと疲れた時に家で、隣を見ると田中裕子さんがいる

彼はそれで充分幸せなのだ

脳内ホルモンで言えば「オキシトシン」的な幸せだね




ボクは気力的にもリアルにジュリータイプだな笑

 

 

昨日のゴミの日、服を1着棄てた

 

 

 

昨年2023年に入院する時に着ていた青いパーカー

 

前の家を引き払い、服を含め殆どの物を棄てたが

 

次の冬(この冬)に着ることがあるかも、と

 

棄てないでいた上着だ

 

 

 

断捨離で知られる、やましたひでこさんが言われていたが

 

服ってその時の念や記憶が付く、というのは本当だなと痛感

 

今週まで持ってはいたが、入院までの辛い日々と入院した日のことを思い出し

 

結局着ることは一度もなかった

 

 

 

 

これまで15年位「戸建て」に住んでいたボクにとって

 

集合住宅に住むのは久しぶりで、かなり荷物を棄てたがまだまだ

 

30代、40代は車や家を含めて持ち物が増えるものだと思うが

 

人生折り返し地点を過ぎると大切なことは

 

「どれだけ持ち物を減らしていくか」と行動することが必要だと思う

 

 

 

 

ミニマリスト、と考えが共通する部分もある

 

集合住宅に入って、単純にスペースが減ったのだが

 

これはこれで、終活のサインなのだろうと思う

 

 

 

まだまだ棄てるものは多く、これからも続きそうだ

 

 

介護職に向いている人はどんな人か知ってる?

 

 

相手の気持ちに寄り添わない人

相手がどうなろうが知らない人

同僚(スタッフ)の陰口を言う人

 

 

とりあえず最初に浮かんだ3つを挙げたが、もっとある

 

もちろんテキストや倫理的に誤っているのは間違いない

 

だが、少なくとも長く働ける人は

 

 

 

「自分と相手の間に壁を作っている人」なのだ

 

 

 

本当に優しく、親身になって働ける人は

 

会社や同僚に搾取・利用されるだけされて

 

壊れたりして辞めてゆく

 

 

 

“介護は誰にでも出来る”と勘違いされる「底辺職」だが

 

違う意味で“誰にもできる仕事ではない”のだ

 

相手のことを思いやれる人で、同じ事業所で働き続けている人を

 

ボクは見たことがない

 

 

 

 

一時期、ハローワークで他業種を首になった人に

 

窓口の人が介護職をよく勧めていたが、

 

介護は観察力が他業種より必要なのに他業種が出来ない人が出来る筈がない

 

本来オムツ交換だって、出来ない人は出来ないのだ

 

(感覚的にムリという人は一定数いる)

 

 

 

 

逆に自分を含めて、搾取され続けて崩壊した人々

 

結婚して養わなきゃいけないから、介護は好きだけど辞めます

 

と言う人の背中を沢山見てきた

 

 

 

 

潜在介護福祉士は潜在看護師より多いだろう

 

無理もない

 

待遇的にも恵まれず、結婚も出来ず

 

おかしなスタッフと経営者に囲まれて働かなくてはならないのだ

 

誰が戻りたいと思うもんか

 

経営者は社会福祉法人と家族経営は、間違いなくブラック

 

奴等からするとゴキブリとスタッフの命が同じレベル

 

 

 

 

ちなみにボクのエリアでは介護職員の月給は

 

18万円あればいい方で15万円くらいが多い

 

真面目にやってきたスタッフは報われないし

 

高齢者のことを人間扱いしない、裏の意味で向いているスタッフは

 

“安月給で使いやがって!”と高齢者の虐待に走ったりする

 

忘れた頃にニュースになるよね(8階から落とした、とか)

 

自殺者数と同じで、見つかっていない奴が10倍

 

自覚がない潜在的なスタッフは更に10倍以上いる

 

 

 

 

 

先ほども述べたが、本来看護よりも観察力が必要な仕事であり

 

それは誰にでも備わっている能力ではないのだ

 

顔を見た時の違和感から逆算して理由を見つけ、解決したり

 

徘徊が止まらない認知症の方から、3日以上排せつがないことを見つけたり

 

本来「古畑任三郎」のような、違和感を捉える能力が必要で

 

厚生労働省からもっと、その能力に対する配慮があってしかるべき

 

それがないから、感情を捨てた介護士しか続かないのだ