10年代 美術展ベスト10 -現代美術編- | れぽれろのブログ

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2010年代の思い出を整理して遊んでみようシリーズ。
前回はこの10年間に訪れた美術展の中から、古典美術を展示する企画のマイベスト10を発表しました。
今回は20世紀中期以降の美術、いわゆる現代美術編。2010年1月から2019年9月までの間に、自分は66の戦後の現代美術に関する展示を鑑賞しています。この中からとくに面白かったもの、思い出深いものを10展選んでみようと思います。

前回も書きましたが、自分は大阪府在住であり、主に近畿圏で開催される展示を鑑賞しているので、マイベストと言っても地域性には偏りがあります。
さらに近畿圏の場合、戦後現代美術の企画展示といえばなんといっても大阪市は中之島の国立国際美術館の存在が大きいので、鑑賞がどうしても国立国際美術館に偏ってしまうということも起こります。実際にこの10年に自分が鑑賞した66の展示のうち、37の展示が国立国際美術館の企画展です。実に50%以上です。
国立国際美術館は非常に面白い企画展示が多いので、結局ベスト10のうち7つの展示が国立国際美術館の企画展示という結果になりました。ほとんど、国立国際美術館のベスト展示をチョイスする、という感じになってしまいました 笑。地域性はおろか、美術館にも大きく偏りがあるという結果です。


以下、選んだ10の展示のタイトル、展示会場、自分の鑑賞日、コメントなどです。
2012年以降は各展示の記事のリンクも張っておきます。



・絵画の庭-ゼロ年代日本の地平から


会場:国立国際美術館
鑑賞日:2010年1月23日

2010年代の始まりの年、2000年代(ゼロ年代)の日本の絵画作品を振り返るという企画、美術館の2フロアをすべて使った大掛かりな展示で、非常に面白い内容でした。
登場する作家は、草間彌生などの大御所や、奈良美智や会田誠などのある程度名の通った作家もいれば、少なくとも自分にとってはぜんぜん知らなかった作家もたくさん。総じて抽象画は少なくほとんど具象画で、このあたりは30~40年前の現代美術展とはかなり趣が異なるのではないかと思います。
当時の自分のメモによると、とくに気に入った作家が花澤武夫、町田久美、青木陵子となっています。
花澤武夫は洋画と日本画を折衷したような不思議な画面が魅力。町田久美は独特の密度の濃い線で描かれたシンプルな絵画で、全体の不思議な可愛らしさと細部の濃密な線のバランスが楽しい。青木陵子は線が自由に遊びまわって自動生成されていくような小ぶりで楽しいドローイング作品(言うなればハイレベルの落書き)が面白かったです。



・オン・ザ・ロード 森山大道写真展

会場:国立国際美術館
鑑賞日:2011年8月6日

自分は写真作品を鑑賞するのが好きで、この10年にも色々な作家の展示を鑑賞してきました。今回のベスト10の中で選んだ写真の企画は3つ、この森山大道展はその中の1つです。
森山大道は大阪出身の存命の作家で、60年代から作品を制作し続けており、その作品は「オン・ザ・ロード」のタイトルの通り、都市の路上で撮影したものが多くを占めます。

この企画では60年代からゼロ年代までの作品が幅広く展示されていました。
自分はどちらかといえば自然風景よりも都市風景の写真を面白がる傾向にあるので、森山作品は全年代を通して非常に面白く、大量の都市風景写真に囲まれる体験は非常に印象的。
森山作品を見ていると、この50年間で日本の都市風景はあまり変化していないのでは、などと感じてしまいますが、これは思索的というよりは感覚的な作家の個性によるマジックなのかもしれません。



・鬼海弘雄写真展 PERSONA


会場:伊丹市立美術館
鑑賞日:2012年12月23日
記事リンク
https://ameblo.jp/0-leporello/entry-11433479820.html

続いても写真展、本展は自分の中ではこの10年の写真展ベスト1です。
鬼海弘雄は山形県出身の写真家で現在も活躍中の作家。本展は「東京ポートレイト」「インディア」「アナトリア」の3部構成でしたが、なんといっても「東京ポートレイト」が面白い。
「東京ポートレイト」は東京は浅草の路上を通行する人のポートレートを30年以上に渡って撮影し続けた作品で、ごくごく普通の人から、かなり個性的な(エキセントリックな?)人まで、様々な人々のポートレートが延々と展示されており、特徴的な作品タイトルの付け方も含め、その情報量は眩暈がするぐらい楽しい。
この展示があまりに気に入ったので、自分はこの翌年にわざわざ東京の浅草まで出かけ、撮影スポットと思われる場所を特定しに行ったりしました 笑。



・現代への扉 実験工房展


会場:富山県立近代美術館
鑑賞日:2013年8月17日
記事リンク

https://ameblo.jp/0-leporello/entry-11600575766.html

2013年の夏に北陸に旅行に行った際に富山県で鑑賞(なので若干旅行の思い出補正が入っています)。
実験工房は1950年代に様々な前衛芸術家たちが集まってできたグループで、絵画、彫刻、写真、映像、音楽、演劇、舞踏など、活動の作品ジャンルは多岐に渡ります。本展は単に作品を並べるだけではなく、雑誌などの媒体を展示して実験工房の活動の軌跡を考察しようとしているという点で、非常に興味深い展覧会でした。
造形作品はシンプルなものが多く、アメリカの抽象表現主義のような壮大さはなく、日本の終戦直後の美術が持つ独特の暗さもなく、静謐な雰囲気のものが多かったように思います。
音楽に関する展示(スコアや演奏会の案内などと合わせて、楽曲をヘッドフォンで聴けるスペースもあり)が多いことと、当時の戦後社会との関連を考えながら実験工房の軌跡をふり返ることができるという点で、本展は印象深いです。



・あなたの肖像-工藤哲巳回顧展


会場:国立国際美術館
鑑賞:2013年11月23日
記事リンク

https://ameblo.jp/0-leporello/entry-11711516704.html

2010年代の国立国際美術館による作家研究のうち、おそらく重要なのが工藤哲巳とTHE PLAYです。本展は長らく国際美術館の会報に連載されていた研究の集大成的な展示で、面白いものでした。
工藤哲巳は50年代から80年代にかけて活躍した前衛作家で、どちらかといえば不気味な造形作品を制作し続け、これらの造形作品とともにパフォーマンスなども行っていた作家。

人間の身体の一部(目・鼻・耳・脳・手・足・皮膚・性器など)をモティーフにした造形作品が多く(とくに男性器に対するこだわりは異常)、その主たるイメージは核戦争後のカタストロフの世界。既に福島原子力発電所事故を経験した現在の視点で見ると、放射性物質による汚染のイメージが現在とはずいぶん違うことも含めて面白いです。
エログロ要素が強く、ある種の反発を呼びそうな作品も多かったにも関わらず、すんなり開催できていたのは地方都市の美術館のメリットなのかもしれません。



・高松次郎 制作の軌跡


会場:国立国際美術館
鑑賞:2015年4月25日
記事リンク

https://ameblo.jp/0-leporello/entry-12020253959.html

高松次郎は60年代から90年代にかけて活躍したコンセプチュアルアートの作家で、前衛的でどちらかといえば難解な作品を制作し続けた作家。
戦後コンセプチュアルアートの作家の中には、ある作品単体で鑑賞した場合にはその意味が分かりにくいが、複数の作品を比較鑑賞した場合に作家の関心の変化がはっきりと見て取れ、作品の意味が理解しやすくなる、というタイプの作家もいることだと思います。高松次郎はまさにそういったタイプの作家で、年代ごとに作品の傾向が異なり、単体で見ると何だかよく分からない場合も多い。
本展は館内の2フロアをすべて使い、年代順に作家の作品をずらりと並べた大規模な回顧展で、作家の関心の変化に注意しつつ作品を分かりやすく並べて展示されており、非常に見やすく興味深い展示になっていました。
全体を通して、造形への関心から出発した作家が、概念的・意味的なものに徐々に遷移していき、やがて後年になるとまた造形への関心へ舞い戻ってくる、という作品の移り変わりが理解できる展示。作品を整理・分類し年代順に見やすく展示しおり、美術館における企画展の1つの理想形ともいえる本展は、この10年の国立国際美術館の個人的ベスト1です。



・他人の時間


会場:国立国際美術館
鑑賞日:2015年8月1日
記事リンク

https://ameblo.jp/0-leporello/entry-12060366463.html

国立国際美術館では、その名の通り、グローバルに活躍する海外の現代美術家の作品も積極的に展示されます。その中でこの10年間で面白かったものの1つが本展で、アジア・オセアニア地域の多数の作家の絵画・彫刻・写真・映像作品がずらりと並ぶ展示になっていました。
本展のテーマは「他人」と「時間」。一般に世界の美術史の主役はやはり西洋にあり、アジアは西洋から見ると他者である。そのアジアにも歴史はあり美術史はある。「他人」としてのアジアと、そのアジアの歴史たる「時間」。
本展を鑑賞するとアジア各国は独自の歴史を持ちつつも、グローバル化の中でアジアが均質化して行っている様子も見て取れ、世界の普遍性とアジアの独自性、グローバル/ローカルを考える興味深い展示になっていました。西洋とアジアでは抒情性や諧謔性に関する考え方ずいぶん違うな、などとと感じたりも。
ヒーメン・チョン(シンガポール)の膨大な量のカレンダーの作品や、プラッチャヤ・ピントーン(タイ)の西洋とアジアの複雑な関係性を扱った作品などが印象的。イム・ミヌク(韓国)の「国際呼び出し周波数」のメロディは耳に残り、今でも記憶しています。



・杉本博司 ロスト・ヒューマン


会場:東京都写真美術館
鑑賞:2016年9月18日
記事リンク

https://ameblo.jp/0-leporello/entry-12201567780.html

自分は写真作品が好きで、東京都写真美術館には2年に1回くらいのペースで遊びに行っています。その中でこの10年で最も面白かったのが本展。
杉本博司は現在も活躍中で国際的に有名な写真家。非常に綺麗で静謐なプリントを制作される方で、写真のコンセプトも重要ですが何よりプリントを鑑賞するのが心地よい作家です。

本展はそのタイトルの通り人類の終焉がテーマで、杉本博司の意外な側面が強調された3部構成の展示になっていました。
とくに興味深いのが第1部の「今日世界は死んだ もしかすると昨日かもしれない」と題されたインスタレーションで、23パターンに渡る世界の終わりの様子を文章で掲示し、杉本氏が所蔵する様々な文物のコレクションを合わせて展示するというもの。この世界の終わり方の想像力と展示の組み合わせが不気味ながらも面白い。
第3部の「仏の海」は三十三間堂の千手観音像を撮影しためちゃくちゃ美しい写真の数々が展示、これは杉本博司ならではのもの。
概要だけ捉えると「カタストロフのあとの仏による救済」という流れに見えますが、実際の展示では全然そんな風には見えず、単に事象を並置して遊んでいるだけに見える、なかなかの問題作といえる展示であったように思います。



・THE PLAY since 1967 まだ見ぬ流れの彼方へ


会場:国立国際美術館
鑑賞:2016年10月29日
記事リンク

https://ameblo.jp/0-leporello/entry-12216410160.html

2010年代の国立国際美術館による作家研究の中で、工藤哲巳と並んで重要なのがTHE PLAYです。
THE PLAYは1967年から活躍しているパフォーマンスアートの集団で、本展はその活動の記録(パフォーマンスに関連する印刷物、手記、計画書、写真、映像の一部など)を展示し、かつて行われたパフォーマンスの在り様を推測し考えるという興味深い展示でした。
発泡スチロールで作った筏で川を下るだとか、羊の群れを連れて街を移動するだとか、馬鹿馬鹿しいことを真剣にやっている様子が非常に面白い。とくに面白いのが雷のパフォーマンスで、山の上に木組みのピラミッドを立て避雷針を据え付け雷が落ちるのを待つ、これを10年間(!)続けるという壮大さ。
THE PLAYの活動はユーモアがあり笑えるもので、近畿圏という地域性や、60年代までの意味的な時代から70年代以降の虚構的な時代への変化などと合わせて考えてみたりもできる、面白い展示でした


・抽象世界


会場:国立国際美術館
鑑賞:2019年6月15日
記事リンク

https://ameblo.jp/0-leporello/entry-12481111792.html

近年の欧米の現代美術家による抽象絵画・抽象彫刻のまとまった展示。
上に書いた2010年の「絵画の庭」では抽象画は少なく、日本のゼロ年代の作家はほとんど具象画でしたが、本展によると近年の欧米の主流は再び抽象に回帰しているとのこと。

あらためて近年の抽象画を鑑賞すると、感覚的に絵を見ることそれ自体の面白さが際立ち、非常に楽しい体験でした。単純に線や色の重なりを見ているだけで面白いものも多く、上にあげた高松次郎や杉本博司の入り組んだ分かりにくさに比べると、抽象画の方がずっと親しみやすく、楽しいのではないかという気もしてきます。
その上で、20世紀の様々な抽象画の要素を意図的に引用したする、歴史に言及したような意味的な作品が登場するのも、美術史ファンとしては面白いところでもあります。
近年は上の「他人の時間」のような非欧米圏の作品展示の比率が増え、これは非常に良いことだと思いますが、本展のような欧米の絵画作品の動向を確認できる企画は、やはり定期的に開催してほしいように思います。



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以上、この10年間のお気に入り現代美術展(主に国立国際美術館の展示)のマイベスト10でした。

次は音楽、この10年間で聴きに行ったクラシック音楽の演奏会の中から、面白かったものを10件選んでみようと思っています。