高松次郎 制作の軌跡 | れぽれろのブログ

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4月25日の土曜日、「高松次郎 制作の軌跡」と題された展覧会を鑑賞しに
大阪は中之島の国立国際美術館に行ってきました。

高松次郎は60年代から80年代ごろにかけて活躍された日本の美術家。
いわゆるコンセプチュアルアートと言われるような、前衛的・思想的な作品を
たくさん残された方で、1998年に亡くなられています。
高松さんの作品は国立国際美術館も所蔵しており、自分は常設展などで
部分的に鑑賞したことはありますが、まとまって鑑賞したことはありませんでした。

今回は展示数450点に及ぶ、B2フロアとB3フロア全部を利用した、
非常に大規模な展覧会でした。
作品はほぼ年代順に並べられていまいた。
高松さんは年代ごとに似通ったコンセプトの作品を連続して製作された
方ですので、この年代順の展示が非常に分かりやすく、高松次郎という作家が
どのような仕事をしてきたのかが、
比較的しっくりと理解できる構成に
なっていました。

この展覧会、非常に面白かったです。
ここ数年でもベストに入るくらいの面白さです。
コンセプチュアルな作品がほとんどですので、
そういう作品に興味がある/ないで面白さの度合いは変わってくると思いますが、
少しでもご興味のある方はぜひ実物を鑑賞して頂きたいです。


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まずは展示の覚書です。


・点 (1960~1963)

初期のころは画面の中央に点(円)が描かれた絵画作品が中心です。
円の描き方は絵具のみであったり、紐や針金を利用していたりと様々ですが、
全体的にはミニマルな抽象画といった雰囲気が強いです。


・影 (1964~1966)

人物や物の影のみを描いた作品たちです。
この時期からコンセプチュアルな雰囲気が出てきますが、
影を描くという絵画的な要素が強く、具象的な美術作品としても楽しめ、
比較的鑑賞しやすい年代だと思います。
描かれるのは通常の画布だけではなく、壁や窓や扉を模した素材に影が描かれ、
あたかも部屋の中の影そのものであるかのように見える作品が多く、面白いです。

影が複数に分かれている作品もあります。光源が複数あると仮定した
作品のようで、面白いです。
とくに面白いのが、立体の影を描く作品(Artist No.133など)です。
描かれた影と、立体に会場の照明が当たって本当に作品中に映し出される影が
同時に画面上に現れ、不思議な雰囲気を醸し出します。
かなり巨大な円筒形の素材に等身大以上の影を描きこんだ作品もあります。
ボブカットに少しパーマがかかって毛先が上側にカールした女の子の影が
多いですが、これは高松さんの好みなのでしょうか・・・?


・遠近法 (1967~1968)

続いては遠近法を意図的に混乱させた作品たち。
絵画作品もあれば立体作品もあります。
部分部分は遠近法に忠実に製作されていますが、全体を見ると焦点が
複数あって鑑賞者を混乱させるような作品がたくさんあります。
立体作品はそもそも遠近法など不要なのですが、立体作品にあえて遠近法を
適用させるとどうなるかというような実験作品も面白いです。

後半は波をモティーフにした作品になってきます。
波型に歪んだ絵画や立体作品は、水中にある物体を水上から観察しているような
面白さがあります。
「波の柱」という立体作品、波型の曲線が印象的な抽象彫刻ですが、
ある角度から見た場合のみ、波が消えて直線になります。

あと、「立方体3+3」という作品、これは平面に描かれた立方体の透視図を立体で
製作するとどうなるかという作品ですが、作品が設置されているテーブルが高く、
身長162cmの自分にとっては「正しい視点」での鑑賞が困難でした。
もちろんこの作品は「正しい視点」からのずれが面白いのだと思いますが、
もうちょっと低いテーブルに設置するとか、踏み台を用意するとか、
少し設置の工夫が必要なのかなとも思いました。

全体的にこの時期の作品は比較的とっつきやすく、視点が変わると世界の
見方が変わるという面白さがよく分かる作品たちなのではないかと思います。


・単体 (1969~1971)

この時期になるとさらにコンセプチュアル度(?)が上がってきます。
色・形・文字・写真・素材に少し手を加えて、そのものの印象を変化させると
同時に、元の素材がどうであったかを連想させるような、
そんな作品が多いです。
レンガや大理石の一部を砕く、写真をちぎる、色紙をバラバラにする、
そしてその後、再構成して作品化する。
このことによりかえって物の存在が生々しく立ち現れてくるように感じます。

個人的に好きな「日本語の文字」と「英語の単語」もこの時期の作品です。
それぞれ「この七つの文字」という7文字、「THESE THREE WORDS」という
3単語を書いているだけの作品で、書かれた文字そのものがその文字の意味に
なっているという、
字と意味の関連性が楽しい作品です。


・単体から複合体へ (1972~1973)

色・形・文字・写真・素材が複数とり合わさって増殖していくような、
そんな作品たちです。

「万物の砕き」は、71年までのレンガや大理石などの単体の形状を変更した
作品とは異なり、様々な物質を砕いて箱に収められている作品です。
じっと眺めて元の素材を推定するのが楽しい。
昨年の「ノスタルジー&ファンタジー」の展示の
淀川テクニックのゴミ作品を思い出します。
自分はこのような膨大な情報が集まっているようなものを鑑賞するのが
好きなので、ぼんやりと眺め続けてしまいます。

「写真の写真」シリーズも面白いです。
写真を撮影した写真作品です。
写された写真の光沢感が、「写真」というものそのものの存在を際立たせます。
これだけでは「単体」的ですが、理論的には、写真を撮影した写真を撮影し、
その写真をまた撮影して・・・といった作品も製作できそうです。
単体から複合体へ。

「THE STORY」はアルファベット26文字の順列組合せを
延々と並べていくだけという作品。
ようこんなことやるわというような(笑)作品です。
夥しい順列組合せが眩暈感を引き起こします。

コピーのシリーズ。
「ゼロックスで100枚コピーされたうちのこの1枚」は、
あと100枚この作品があるということなのか・・・。
コピーの指示が書かれた「この原稿をゼロックスすること」は
これが何段階目のコピーなのか、他のコピーはどこに行ったのか、
作品の背後にある膨大なコピー原稿を想像すると、眩暈がします。


・複合体と平面上の空間 (1974~1976)
・平面上の空間・空間・柱と空間 (1977~1982)

この時期の作品になると、特定の概念のみを作品化したものから、複数の概念を
組み合わせたより自由な作品に変化してきているように見えます。
これまでの作品はどことなく堅苦しさがありましたが、この時期以降はやや
自由感がある感じがし、どことなく鑑賞も気楽になってきます。
そして、計算づくの作品ではなく、ややオートマティスム的なのかなという作品も
見られます。
このあたり、コンセプチュアルアートから新表現主義へという、
時代の流れが反映されているのかもしれません。

絵画作品では、格子状のマス目を利用して直線や半円を描きこみ、
色を組み合わせるという作品が増えてきます。
とくに堅苦しい規則性があるわけではなく、線分や円弧の選定には
自由感がある気がします。
形態は抽象ですが、古事記を題材にしたような意味的な作品も登場します。

立体作品では複数の板や柱を組み合わせたような作品が増えてきます。
見る角度によって作品の印象がずいぶん異なり、面白いです。


・形 (1983~1997)

晩年の作品たちです。
コンセプチュアルアートといった雰囲気はなくなり、抽象表現主義絵画と
言って良いような作品が並びます。
円や直線といった緻密さからも解放され、自由な曲線と色が画面上に
張り巡らされる、パッと見はそんな印象の作品たちですが、作品の下地には
形状に対するある程度の分析と計算はあるのではないかと思います。
色合いはかなりカラフルで心地よいものになってきています。

印象的なのは、なんとなく鳥が羽ばたいているような、
そんなイメージの作品が多いことです。
「羽ばたく永遠」という表題の作品もあり、抽象を通り越して具象に
回帰しているような、そんな印象もあります。
晩年はかなり作風が変化しており、前衛芸術家としてこの時期の仕事が
どのように受け止められていたのか、気になるところです。


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全体を通して感じたこと。

高松次郎の作品から、自分は以下のようなことを感じます。
・我々が生きるこの世界は決して画一的ではない。
・我々が見ているものは現時点での我々の主観であり、
 視点をずらせば見え方はもっと多様である。

高松さんの作品は、まずある枠組みを提示し、その枠組みを少し組み替える
ことにより、世界が違った形として立ち現れてくる、というパターンの作品が
多いように思います。
壁面に描かれた影は現実世界に存在する影を模したものですが、
現実の影とはズレがあり見え方が違います。
遠近法に忠実に描かれた構図は、少し見せ方を変えるだけで
違和のある不思議な形態になります。
曲線を立体化して見方を変えれば直線になり、
平面上の図形を立体化すると平面の印象とは変わってきます。
素材を少し改変するだけで、元々の素材とは印象が変わり、
そしてかえって元の素材の在り様を強く印象付けるようになります。
言語や行為のような意味的なものを、改めて文字として作品化し提示されると、
「意味」と「文字」というものそれぞれが生々しく提示されることになります。
直線や円や立体などのパーツを組み合わせると、全体は元々の各パーツの
印象とは大きく見え方が変わり、それでいて組み合わせられた各パーツを
部分的に再度観察すると、やはり全体を見た場合とは見え方が異なります。

我々はある側面からのみこの世界を捉えがちですが、実は我々がある時点で
捉えることができるのは世界のある一面のみなのだと思います。
視点をずらし、一呼吸して世界を再度眺めてみると、また違った世界が
立ち現れてきます。
認識により世界は変わる。
社会を生きる我々の日常の苦しさ・辛さ・ダルさも、
視点をずらせば豊饒な体験に変わる可能性もある。
見方を変えれば世界は優しく、接し方を変えれば人は優しい。
そんなことを考えながら、高松さんの作品を鑑賞しました。

上記はかなり主観的な感想ですが、
見る人により様々な捉え方ができる作品ばかりですので、
20世紀中盤以降のコンセプチュアルアートにご興味のある方は
ぜひこの機会に鑑賞することをお薦めしたいです。