ヴァージニア日記 ~初体験オジサンの日常~
ヴァージニア日記にようこそ!

私、Andyは2006年9月から在外研究のため、アメリカ・ヴァージニア大学
にフェローおよび客員研究員として滞在し、つい最近帰国しました。
Amebaでブログを始めよう!
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新ブログ、ついにスタートしました!

みなさん、お待たせいたしました。


結局8月は更新ゼロ・・・・


9月にスタートする、と宣言していた新ブログの影も形もなし・・・・


ということで、ご心配いただいたりもしていたのですが、


まあ、忙しいということもあったのですが、基本は、

新しいブログをスタートする踏ん切りがなかなかつかなかった、というわけです。


しかし、


ふとこの「ヴァージニア日記」のアクセス数を見たりすると、2ヶ月以上も全く何も

更新していないにもかかわらず、


毎日、50人ほどの方々が、覗きに来てくださっている。


ということを知り、早くスタートせねば、、、という気になりました。


お尻を押してくださったのは、当ブログの読者で、6月のシャーロッツビルでの

ブロガーオフ会 、にもおいでいただたぜのぱすさん


なんと、まだ一つも記事がない新ブログ、「空庵つれづれ」の読者第1号に

なってくださったのです!


は~い。


そうです!!


ついに、新ブログ、空庵(からあん)つれづれ がスタートしました。


空庵(からあん)という語の由来などは、さっそく新ブログ の方に書きました

ので、そちらでご覧ください。


「ヴァージニア日記」に書き残したいろいろなこと(「ヘンテコ音楽人生」の続編、

アメリカ生活についての帰国後の印象など)は、また新ブログの方に追々書いて

行こうと思います。



ほぼ1年の間、「ヴァージニア日記」をご愛読いただき、どうもありがとうございました。


ぜひまた新ブログ「空庵つれづれ」の方でよろしくお願いいたします。

シャーロッツビルあちこち

今日は、シャーロッツビルで私(たち)がよく利用した店、施設について書いておく。


10ヶ月ちょっとの間、シャーロッツビルでの生活の中でもっともよく足を踏み入れた場所、

といえば、(研究所以外では)おそらくダントツにここだろう。


Harris Teeter

メインのスーパーマーケットとして週に2、3回は行ったHarris Teeterである。

ここでは、UVA(ヴァージニア大学)のIDを持っていれば、5%割引してもらえる。
1回の割引料など知れたものだが、塵も積もれば・・・・で、1年近く生活していると、

バカにならない額である。

さすが、「UVAでもっている街」だけのことはある。

こんな小さな街でも、大学を中心にしているということでいろんな利点がある。

街の規模のわりには本屋、古本屋が充実している、というのは
私にはとても有難かった。


上のHarris Teeterと同じショッピングモールの中にあるBurns & Noble。

品揃えも、同じ規模の日本の本屋に比べればずいぶんインテリ志向が強いように

思われる(やはり大学関係者が多いからだろう)。

面白かったのは、やはり南部ということがあるのか、下の写真のように

南北戦争関係の本だけで棚が二つ分もあったこと。


Burns & Noble

図書館はもちろん大学の図書館をよく利用したが、

下のシャーロッツビル市立図書館もわが家からダウンタウンに歩いていく途中

にあり、便利なのでよく利用した。

もっとも、ここで借りたのは、本ではなくほとんどCD(寄贈が多いのか、クラシック

が結構充実していた)だったが。


City Library


スーパーで売っているものより質の高い食材を買い物に行った店もいろいろあるが、

一番お世話になったのは、下のワインショップ。


Wine Shop

この店も、タイ料理屋のLime Leafや日中折衷料理屋のKyotoといったお気に入り

レストランと同じRio Hill Centerにあるので、よくそれらのレストランで昼ご飯を

食べるついでに(逆に、この店でワインを買うついでに昼を食べたのかも?)よく

利用した。

この店は、10ドルちょっとぐらいの値段帯のワインがたいへん充実していて、

ほとんどハズレがなかった。



シャーロッツビルは、ほんとうに暮らしやすい街だと思う。


さすがに大都市のように、探せば何でもそろう、というわけには行かないが、

少なくとも私たちは、生活していてそんなに不自由を感じたことはなかった。

もちろん毎日の生活の中で最先端の流行に触れたり、肩肘張ってしのぎを

削っている人たちから強い刺激を受けることを求める人には退屈だろうが、

ただでさえ異文化の中でテンションは高くなっているのだから、そういう所に

暮らしていたらもっともっと疲れたであろう。

40代半ばにして初めて海外で生活するには、うってつけの街だったのかも

しれない。


ブログの今後について

読者のみなさん、お久しぶりです。


ちょうど2週間前、無事に帰国しました。


まずブログで報告を、と思っていたのですが、インターネットは大学からしかできないし、

女房の検査(その後、入院)やら、帰国後の山のような手続き、契約やらで毎日精一杯

で、とてもブログを書く余裕がありませんでした。


ようやく何とか帰国後の日常生活が立ち上がり、仕事も再開できる見通しがついた

ので、とりあえずご報告させていただきます。

(ずーっと更新していない間も、毎日60人~70人もの方がこのブログを覗いてくださって

おり、申し訳ないと同時に有難く思っています)


さて、このブログの今後ですが、


もう帰国したので「ヴァージニア日記」は変なのですが、8月いっぱいまでは

このまま続けたいと思います。

途中まで書いて尻切れトンボになっている連載(ヘンテコ音楽人生)もありますし、

シャーロッツビルの写真もまだまだいろんなものがありますし、紹介しておきたい

お店や、帰りの飛行機のことなど、いくつか書きたいことがあります。


なので、あと1ヶ月少々、暇をみつけてそれらを書いていくことにします。


9月になったら、新しいブログをスタートします。

(もちろんこのブログ上で連絡させていただきます)


新ブログの方でも、ぜひまたよろしくお願いします。

みんなみんな、ありがとーっ!!

今、出国直前のワシントンDCダレス国際空港です。


昨年8月末にアメリカに到着して以来、実にいろんな方々とめぐり合い、

さまざまなな形で助けていただき、元気をいただいたおかげで、

何もかもが初めての(しかも、もう若くもない)中年夫婦も、こうして

すばらしい数々の思い出とともに帰国の途につけるかと思うと感無量です。

アメリカでの最後のブログということで、これまでに出会い、大変お世話になった

方々について、簡単なメッセージとともに書いておきます。

(大体、こちらに来てから出会った順に。amebaのブロガーを除いては、これまでは

イニシャル等で表記していた方も、実名にしています)



私たちに家を貸してくださった、大石繁宏さんジェイさんのご夫婦。

あなたたちは、私たちにとって「最高の大家さん」でした!


私のホスト・プロフェッサーであったジェイムズ・チルドレス先生と奥さんのマーシャさん

先生と身近に接することで得たものは、私の研究にとって、米国滞在中の短期間でできる

作業をはるかに超えた重要なものだったように思います。

来米2日目、車をレッカー移動され途方に暮れていた時に助けていただいた寿司職人の

田内祥博さんとお仲間の皆さん。
Tenでおいしいお寿司を握り続けてくださいね。

みな親切でフレンドリーだったわが家の隣人たち。

毎日ストレスフルな新生活に疲れていたころにギアハートのチョコレートを持って訪ねて

きてくれた右隣のコートニー・サージェントさん。英語のほとんど話せない女房とパソコン

画面の翻訳ソフトで会話してくれた左隣のリンダ・ゴールドスタインさん、私が玄関のドア

を力任せに引っぱって壊してしまった時に素早く修理してくれたお向かいのウェイバリーさん

コートニーさん、日本地図、いいの見つけて送りますね。

引っ越しの時バタバタして、リンダさんとウェイバリーさんにはご挨拶する時間がありません

でした。ゴメンナサイ。


夫婦共々いっぱいお世話になりましたが、音楽仲間との出会い、ピアノの調律、UVAの音楽

関係の施設へのアクセスなど、とりわけ私の音楽生活の充実にとっては決定的だった

川崎雅司さん康子さんご夫妻。

近々山陰旅行にいらっしゃるのを楽しみにしています。

まったく右も左もわからない私たち夫婦に、いろんなスーパーの場所からガソリンの入れ方

から、日常生活の手ほどきをしてくださったオクスン・マッキニーさん

ご主人のマッドさんに誘っていただき、生まれて初めて観戦したフットボールも楽しかったよ。

豪邸でのパーティーをきっかけに、地下の大画面テレビで朝ドラをまとめて観させていただき、

お鍋までごちそうになったジョンストン恭子さんとご主人のクリスさん

恭子さんの実家K市と私たちの住むY市は近いから、また会えそうですね。

3回のコンサートで、一緒にモーツァルトとベートーヴェンの五重奏曲を共演した音楽仲間、

カレン・ピアースさんジェレミー・マーティンさんクララ・ミンサーさん

あなたたちとの出会いはほんとうに奇跡的でした。

週2回、私たち夫婦それぞれ別々に45分ずつ英会話のレッスンを受けた

アレックス・レフ君。アメリカでは講義はしなかったけど、興味津々で日本の歴史やら

宗教やら生命倫理やらについての私の講義(英語の練習)を引き出してくれた君は

最高の学生でもあったよ。かわいい奥さんのステファニアさんといつまでもお幸せに。

日本語の話せる仏教学者、ポール・グローナー先生と奥さんのシンディさん

体調回復されたら、例年のように日本にいらしてくださいね。先生の大好きな「居酒屋」、

とっておきの店がありますから。

私のリスニング力でも聞き取れる冗談を連発してくださるので大好きだった哲学科の

ジョン・アラス先生。チルドレス先生との漫才にも似たツッコミ合い・ボケ合いは絶妙

でした。もっとお話ししたかったなあ。。。

生命倫理百科事典の翻訳で、誰に聞いても最後までわからなかった人名の読み方を

教えてくださったアブドゥルアジズ・サチェディーナ先生

イスラームと生命倫理についての先生の新著、買いましたよ。日本に帰ったら、じっくり

読ませていただきます。

デンバーでの生命倫理学会でお会いし、「いつでもオフィスに遊びにおいで」と言って

くださったジョージタウン大学ケネディ研究所のリロイ・ウォルターズ先生

後半、とても時間が作れなくてお訪ねできなかったのが残念です。。。


渡米前からいろいろアドバイスくださっていたウィリアム・ラフルーア先生
宗教学会の時に先生に構想を話した論文は、残念ながら途中で挫折しました。

もう少し考え直して再挑戦します。フィラデルフィアに訪ねて行けなかったのも

残念。ぜひ、今度はわが女房と同名(日本人)の奥さんにもお会いしたいです。

私のミシガンへの講演旅行をすべてアレンジしてくださり、2日間にわたってお宅に

泊めていただき、すばらしい思い出をつくってくださったアン・モンゴヴェンさん

あなたに日本で出会わなかったら、そもそもヴァージニア大学に来ることもなかった

でしょう。学会ではこれからも度々お会いするでしょうが、ケルシーの10年後も

見てみたいな。

医学部の図書館で時間限定貸出本を週明けまでこっそり延長してくれた職員の

テンズィンさん。あなたに日本語で話しかけられた時にはびっくりしました。

日本語とチベット語がそんなに似ているなんて、はじめて知りました。

日本に帰ったら、ちょっとチベット語をかじってみようかなあ。


アメリカでお世話になった医師と治療師のみなさん。
私たちのホームドクターだったバイリンガルの医師、浅尾=ラゴスタ清子先生

日本語が通じ、日本女性特有の細かい気遣いをしてくれるあなたがいてくれたのは、

とっても心強かったです。

浅尾先生に紹介されて女房が診察を受け、的確な診断と助言をしてくれた専門医、

キャンパ医師ぶっきらぼうでちょっぴり愛想は悪いけど、あなたが信頼できる

いい医師であることはすぐにわかったよ。

女房が英会話のグループレッスンに行っていたリフレクソロジストのコニー・ステイリー

さん。女房がレッスンを休むと心配して電話をかけてきてくれた、やさしいあなたが

大好きでした。連れていってもらう約束だったヨーガ村に行けなくなったのは、かえす

がえすも残念です。。。

約2ヶ月、女房の症状緩和に全力を尽くしてくれたカイロプラクティック治療師の

アンジェラ・フェレンスさん。最後に教えてくれたサプリメント、けっこう効いてる

ようです。最後はタイヤ交換まで手伝ってもらってすみません。


日本では食べられない独自の創作ロール寿司をいっぱい食べさせてくれた

MIYAKOのご主人、野上優さんと寿司職人の今井学さん

ご主人がいつもちょこっと出してくれる「一品」が嬉しかったです。

引っ越し準備から最後のダレス空港へのドライブまで、何から何まで手伝って

くれたY高専時代の教え子夫婦、河窪宏文君章子さん

君たちがいなかったら、到底今頃空港にはいられなかったでしょう。

君たちとシャーロッツビルで出会ったのも、ホント奇跡としか言いようがありません。

アメリカでの君たちの躍進をずっと応援しています。頑張ってね!


ブログを通して知り合いになり、アメリカでオフ会を開いて実際に出会った

amebaブロガーの人たち。キンツマさんぜのぱすさんrobpapaさん

一足先に日本に帰っちゃいますが、ブログではずっと「同志」ですね。

また日本でもお会いしましょうね。


まだまだ抜けている人、多いだろうなあ。。。

(「自分が抜けてる・・・」なんて怒らないでね。引っ越しのバタバタで頭がうまく

働かない私に免じて許してね・・・)

出会って楽しくお話をし、「この人とはまた会いたいなあ」と思いながらも

再会を果たせなかった人も少なくない。

困っている時に助けてくれた名も知らない親切な人たちも数知れない。


そんなそんな、

多くの人たちに支えられ、助けていただいて楽しく、充実して過ごすことが

できた私たちのアメリカ生活でした。

みなさん、ほんとうに ありがとう!!


引越準備ほぼ完了

急な引越だったので、荷物を家まで取りにきてくれる引越パックは予約満杯で使えず、

昨日、私の元教え子であるA子さんに(Kさんからお借りした)バンを運転してもらい、

私の車と2台で、段ボール箱をヤマト運輸のワシントンDC支局まで運んできた。


荷造りを終え、荷物を出してしまったので、ホッと一息 というところだ。

荷造りと段ボールの運搬などの引越準備には、今春シャーロッツビルに越してきた

私のY高専時代の教え子、KW君とA子さん夫妻 がいっぱい手伝ってくれた。

彼らがいなかったから、到底この引越は無理だっただろう。

まったくもって有難いかぎりである。


思えば、アメリカ生活をスタートした最初の二日間 は、

・最初の日に家のシャワーが壊れ、夕方から長時間停電

・次の日には、駐車違反で車をレッカー移動される

という 劇的な始まり だったのであるが

いざ帰ろうとする時も、無事ではすまなかった。。。

女房の病気治療のため帰国を早めるというのももちろんハプニングには

違いないが、それを除外しても、


先週の水曜日(前回のブログに書いたアレックス君たちとディナーに行った日)

の出来事も忘れがたい。


この日、女房がここ2ヶ月ずっと通っているカイロプラクティックの治療院(写真下)

を後にし、駐車場に出てみると、

カイロプラクティック治療院

な、なんと、車の前輪(右側)がパンクしているではないか!!


情けない話だが、私は車に関してはまったくと言っていいほどなにも知らない(+できない)

人間で、タイヤ交換すら自分一人ではしたことがない。。。

携帯電話はすでに使えなくなっているので、あわてて治療院に引き返し、

治療師のアンジェラさん(若くてかわいい女性)に、急を訴える。

アンジェラさんが「じゃあ、私がやってあげる」というわけで、

しばらく奮闘してくれたものの、彼女は次の予約のため車で外に出なければならず

そこで時間切れ。。。

同じビルに入っている別の事務所の人たちに応援を頼んでくれ、なんとか無事に

スペアタイヤを装着。

ほんとうに、こういう時はアメリカ人というのはみんな親切に助けてくれるので、

有難い。

帰り道、女房は、
「これで最後の厄落としができたんじゃない?」と。

(←彼女は私に比べると楽天家である)


私は、

「いや、まだもう一回ぐらい、何かありそうな気がする・・・・・」

と言ったのがまずかったのか、、、

やはり、それだけでは済まなかった。

アレックス君たちと食事をして、夜10時ごろに帰宅したところ、

いきなり、エアコンが故障し、止まってしまったのである!!

連日33~34度の猛暑が続く中、クーラーなしではとても荷造り

などできたものではない。。。


翌朝、電話帳でエアコン作業の業者を調べ、

まずはKさんが前に来てもらったことがあるという某社に電話。

「昨夜、エアコンが急にストップしちゃったんですけど・・・

家の外に出て、室外機を見てみたらファンが回ってなくて・・・

すぐに来ていただけませんか?」

「今週の土曜日までは予約でいっぱいです」、というすげない返事。


「こっちは緊急なんです!! なんとか今日来ていただけませんか?」


「ノー」

というわけで、ため息が出るばかり。。。


気を振り絞って、次の業者(大家さんに教えてもらった一番大手のF社)に

電話。

運がよかったのか、やはり大手の会社はスタッフに余裕があるのか、

こちらは一発で、「OK! a few hours laterにお宅に伺います」ということで、

ホッとした。


でも待てよ、、、、
さすがに10ヶ月もアメリカで暮らしていると、こういう言葉は(言語的にでは

なく)文化的に翻訳できるようになる。


a few hours laterを「2、3時間後」などと翻訳しているようではダメなのだ。

(たとえば、a couple of minutesは字義通りには「2分」、慣用句としては

「数分」だが、アメリカ生活の常識では「15分~20分」である。

なので、"a couple of minutes お待ちください"と言われて、20分以上

経たないと、「あの~、まだですか・・・?」と尋ねるには早いのだ!

ちなみに、30分以上待たされることはしょっちゅうある)


そうかあ、まあ、「今日中」に来ればいい、としなければ。。。

(今日の日中は荷造りどころではないなあ・・・と覚悟)

ところが、このF社がすばらしいのか、私たちの日頃の行いがいいからなのか、

なんとこの日は、きっかり3時間後に作業員が来てくれ、エアコンは無事修復

したのでした! (予想が外れてこれほど嬉しい、というのも稀である)


まあ、そういうわけで、

始まりと同様、波瀾万丈の日々を過ごしつつ、毎日のようにいろんな人たちとの

お別れ会が続きます。


今日(7月4日)は、言わずとしれた、アメリカの独立記念日。


荷物を出し終わったので、あとはスーツケースの荷物を詰める以外は、

家の掃除と片付けだけ。

明日、明後日と二日あるので、今日は一日ノンビリしようかと思っています。

夜には、近くの公園で花火が上がります。 

なにか自分たちのために上げてくれるようで(笑)、グッドタイミング!?



急遽帰国決定:一つずつの別れ

ずっと更新をさぼっていてすみません。


実は、急遽、帰国を早めることになり、引越準備やら何やらで大忙しなのです。

理由はここには詳しく書きませんが、女房の病気治療のためです。


アメリカ出国は7月8日(来週の土曜日)、帰国は7月10日になります。



そんなわけで、大急ぎで引越のための手続きや荷造りなどをしつつ

(いろんな人たちが助けてくださるので、ほんとうに助かります)、

今週、来週と

こちらで出会った数々のすばらしい人たちとのお別れ

のひと時が続きます。



おとといの夜は、私たちの英語の先生であるアレックス君(12月22日の記事 参照)

がディナーに誘ってくれました。

彼は、奥さんのステファニアさん(イタリア人)にぞっこん!

英語のレッスン中も、なにかと言うとすぐ
「My wife........」「Stefania..........」

の話が出てくる。
さすがに(イタリア系)アメリカ人らしく、

「ステファニアはすごくビューティフル」「ボクはとっても彼女を愛している」

と公然と言い放つ。


そのステファニアさんに、はじめて会えました!


ごらんの通り、想像していた通りのチャーミングな女性でした。


Alex & Stefania










おとといのディナーでは、彼らと同じアパートの階下に住む、

ノーマさん(下の写真一番左の女性)とも会うことができた。

ノーマさんはUVAの文化人類学のポスドクで、3年間日本に住んで

中学校(山口県内)で英会話を教えていたということで、なかなかの「日本通」。

Bistroにて



昨夜は、チルドレス先生ご夫妻と最後のディナー。

彼らは今日から10日間、息子さんたちの家族とともにノースカロライナで休暇を

過ごすので、これがお会いできる最後の日。。。


いつもごちそうにばかりなっているので、

「今回だけは私たちにごちそうさせてください」

と、ダウンタウンにある高級日本食レストランTにご招待した。

チルドレス先生夫妻2  two couples


いつ会っても、ほんとうに心から癒され、暖かい気持ちにさせてくれる素敵な夫婦だ。

料理は、(日本人としての私の基準から言っても)すばらしいものだった。

(こちらのグルメ掲示板などで、このレストランはしばしばoverpricedだなどと酷評されている

が、たしかに安くはないものの、アメリカでこのぐらいの質の日本料理を食べるということから

すると妥当な値段だと思うし、酷評しているアメリカ人は、このレストランにふさわしい注文の

仕方や楽しみ方を知らないような気がする)

先生たちもたいへん喜んでくださり、私たちも大満足。

(ちなみにチルドレス先生は前回ここに来たときに枝豆がことのほか気に入り、今回も

「これには手が止まらないよ」と苦笑しながら自分の皿に鞘の山を作っておられた)


「実は9月にニューヨークに住んでいる息子の家族がこっちに遊びに来るんだが、15歳に

なる一番上の男の子(孫)が日本食が大好きでね。ここに連れてきてやろうと思うんだ。

今日ヤスノリが注文してくれたものをそのまま頼めば、バッチリだね!」

とチルドレス先生。

「おいしいものを食べるための一番簡単で良い方法は、おいしいものをよく知ってる人と

友達になることですよ。これはもう、ユニヴァーサルな真理です」と私。

(英作文の課題にするにはいい文章かも!)

Exactly !!!


最後に店を出たところで抱擁をしてお別れ。

日本にいらっしゃるのをお待ちしてますよ~!


外は小雨。 仲良く相合い傘で駐車場に歩いていくチルドレス先生ご夫妻の後ろ姿が

あまりに素敵だったので、ワンショット!


相合い傘のチルドレス夫妻

(ちょっと小さすぎてわからないかな? クリックしてからお二人を探してみてね)

愛にあふれる宗教学者?

ブログ友達のぜのぱすさん が書いておられた脳内メーカーというページに行ってみた。

http://maker.usoko.net/nounai/

名前を入力すると、その人の脳の中味で一目でわかる。


さっそく、自分の名前を入力してみた。


ジャジャーーーン!



氏名(スペースなし)

おーーーーーーーっ、なんという愛にあふれる人間なのだろうか、私は!!!


「嘘」も1個ぐらいなら、ないよりは人間らしいし、「H」でなければ人間ではないし(先日のバトン 参照)、

「食」はもちろん大切だし、「悪」も全然なければ宗教のことなどわからないし、

ということで、大いに当たっているな(!) と自己満足。

(ただし、愛にあふれているのは、宗教「家」なら大いに結構だが、宗教「学者」としてはちょっと知性

に欠ける感もなくはない・・・)



いや、待てよ。。。

今はアメリカにいるから、サインも何もかも英語だ。

ローマ字で英語式に(姓名を逆に)入れてみるとどうなるか?


やってみた。


結果は、


氏名(英語式)

うーん。。。。

きわめて人間的ではあるが、10代後半か20代前半の若者ならともかく、

40代半ばの大人としてはちと恥ずかしい脳の中味 である。。。


エーイッ、今度は(再び漢字で)姓と名の間にスペースを入れてみる。


結果は、


氏名(スペースあり)


さっきとは全然別人になってしまった。

これではまるで 結婚詐欺師 か何かみたいではないか!



もう一丁!

ということで、今度はひらがなで入力してみる。


そうすると、


氏名(ひらがな)


うーん、、、出版社の編集者には絶対見せられん脳内だ。。。

(でも、6月末締切の原稿を抱えながらこうやって遊んでいる私の脳内を巧みに

映し出しているのに感心)


で、どれがほんとうの私なの?



「ホロコースト」は一回的か?

今日は、昨日の話の続きを。


さて、この「ホロコースト」という語、

もともとはギリシャ語で「丸焼き(holokauston)」という意味の言葉で、

聖書では神に捧げるための焼いた生贄(動物)を指す言葉として

使われている。

(ちなみに、英語のbarbecueという語は、スペイン語のbarbacoa(丸焼き)

から来ているらしいので、もともとは同じ意味ということになる)


その語が、主として大火災によって多くの人命が奪われることを指すようになり、

それが、今日のような、

ナチスドイツによるユダヤ人その他の大量殺戮

を意味する語として転用されていったわけである。

(ユダヤ人たちは、クロード・ランズマン監督の映画の題名で有名になった

「ショアー」というヘブライ語を使うことが多い)

この語が普通名詞というよりは、そうした歴史による特定の事件を意味する語

として用いられるようになるにつれ、逆にこの語を、私たちの想像を絶するような

歴史上起こった他の大量殺戮に対しても同じように用いる(つまり再び「普通名詞

化」する)という用法も出てきた。


たとえば、スターリン時代の大粛清、ポル・ポト一派によるカンボジア人民の大虐殺、

ルワンダ内戦におけるフツ族によるツチ族の大虐殺、など50万人から数百万人の

規模で行われた大量殺戮に、この「ホロコースト」という語が用いられるようになった。

この語はさらに、比喩的な用法としては、

「絶対に許すことのできない生命の抹消や犠牲」あるいはそうしたことがらに対して

「見てみぬふりをすること」を非難するために、頻繁に使用されるようになっていく。


生命倫理の領域ではよくあることだが、必ずしも絶対悪とは見られていない事柄

(それを「仕方がない」と見なす人々も少なくないような事柄)についても、それを

強く非難する場合に、

「それはまるでホロコーストだ」「ホロコーストと同じだ」

というような言い方が用いられるわけだ。

(たとえば、中絶に関して。あるいは、薬価が高すぎるために治療薬を手に

入れられずに見殺しにされているアフリカのエイズ患者について。あるいは、

動物実験への反対運動で、「動物にとって、すべての人間はナチスである」

というスローガンが使われたり・・・)

で、こうした「ホロコースト」という語の拡大使用について、主としてユダヤ人に

よる猛烈な抗議、非難があり、そこではホロコーストの唯一性・一回性

が主張されることになる。

たしかに、悪いことであることはたしかであるにしても、絶対悪であるとは言え

ないような事柄に対してこの語を拡大使用することは、単にそれに強く反対する

人々が、「ホロコースト」という(誰がみても)絶対的に悪であるものを持ち出して

「自分はそれに絶対反対だ」ということを声高に言うという、扇情的な効果以上の

なんら生産的なものをもたらさない(論敵に対して「お前は殺人者と同じ」だと非難

して議論を不可能にするだけ)ので、好ましいことではないように思う。


しかし、ナチスドイツによるそれ以外の歴史的大量殺戮にこの語を用いることも

不適当だと言えるのだろうか?


もちろん、実際にホロコーストを体験したサバイバーたちや、永遠に拭うことの

出来ない民族的記憶としてそれに向き合わざるを得ないユダヤ人たちが、

こうした「ホロコースト」という語の一般化や安売り(?)に抵抗する、という

気持ちはわかる。


しかし、一方で、

もし、ナチスドイツによるユダヤ人その他の大量殺戮という意味での「ホロコースト」

が、単に唯一的、一回的なもの(人間によって行われた、あるいは今後行われる

かもしれない他のおぞましい殺戮とは比較を絶したもの)なのであれば、私たちは

その歴史からなんら教訓を得ることはできない、ということもまた確かなのではない

だろうか。

この問題に対しては、今のところ、私は次のように考えている。

ある出来事を体験した人にとってのその出来事の一回性・唯一性というのは、

何もホロコーストのような事態に限られたわけではない。

たとえば、ある人の「病いの体験」のようなものを考えてみた場合、第三者から

見ればその人の体験は、「ガン患者の体験」という一般的な概念に包摂される

かもしれないが、その人自身にとっては、時としてそういう形で包摂されることを

拒みたくなるような唯一性、一回性をもったものであるに違いないからだ。

しかし、

ホロコーストに関して言えば、それが「概念化・一般化」を拒むように

見えるところは、この種の「それを体験した人にとっての唯一性・一回性」という

だけではない。

つまり、それが私たちにとって「まるで理解しがたい、想像の範囲をはるかに超えて

いる」という性格そのものが、そうした概念化や一般化を拒んでいるように感じられる

のである。


よく私は講義などで話すのだが、

「非人間的」という語がある。これは考えてみれば不思議な言葉だ。。。

人間がすることは、そもそもどんなひどいことであっても「人間的」であるに

違いないからだ(犬が「非イヌ的」に行動することはあるのだろうか?)


にもかかわらず、私たちはこの「非人間的」という言葉が何を意味するかについて

経験的にわかっている(ように見える)。


とは言え、私たちが思い浮かべることのできるような「非人間的」な事柄のほとんどは、

やはりそれも人間がすることだ、人間性の中には「非人間的な」ことをする能力(?)

も含まれているのだ、と理性的に(?)納得できるような内容のものと言える。


そういう意味では、「ホロコースト」と形容されるような(必ずしもナチスによるそれ

だけには限らない)大量虐殺は、

何か、そういう次元をもっと絶したような、

およそ「人間」がすることとはどうしても想像不可能なような

ものとしか言えない、という点で、その概念化や一般化(人間理性の枠内で「これは

このようなものだ」と特徴づけること)を拒んでしまうところに、まさにその特徴がある

ようななにものか、だと言うことができるのではないか。


たとえば、個人による大量殺人のようなものであれば、いかにそれが「非人間的」な

所業であろうとも、私たちは、殺人者を「異常な人間」だとか「狂った人間」だとかいう

風にカテゴライズして、「少なくとも自分はそういう人間ではない」というように、

対象との距離をとることができる。

(もちろん「常に」「誰でも」そうできるとは限らないが)


ところが、(ナチスその他)「ホロコースト」と呼ばれうるような大量殺戮の場合、

その事実を知れば知るほど、こういうように「自分はこんなおぞましいことをする

殺人者とは違った存在だ」と自分をそこから引き離すことがほとんど不可能である

ということに私たちは気づく。


それは、いかにそれが私たちの思い描く「人間性」からかけ離れているように見えようとも、

けっして異常な一握りの人間がやった犯罪なのではなく、

私たちや私たちの隣人と同じような人間が、

(『人間の価値』というナチスドイツの医師たちの人体実験のありさまを描いた本のなかで

使われていた言葉を借りると)

その不気味な日常性のなかで起こしたことである、ということを認めざるを得ない

からである。


おそらく、普通の意味で「歴史から学ぶ」などということはそこでは不可能なのだろう。


にもかかわらず、そこには私たちが絶対に学ばねばならないものがある。


というか、そこから私たちが何を学ぶべきなのかを常に自らに問いかけ続けることを

強制するものがある。

ということだけはたしかなことだろう。



ホロコースト博物館

先週の土曜日、ワシントンDCにある米ホロコースト記念博物館 に行ってきた。


夏休み中ということもあってか、高校生の集団らしきものが目についた。

「11歳以下は常設展の入場不可」のはずなのだが、どう見ても6~7歳の子どもを

連れている親がいるから不思議・・・


普通の博物館に比べると、やはり活字の資料や説明文が多いのだが、

これだけ観客が多いと、展示資料の文章をじっくり読みながら回るのはむずかしい。

本や映画でホロコーストについての知識がいくらかある人であれば、それぞれの
資料の写真や見だしなどだけで、何に関する展示かがわかるので、展示資料の前
で動きの止まっている人たちの後からさっとのぞき込むだけで、ある程度かけ足

ででも回ることができようが、まったく知識のない人であれば、文章を読まないと

何を展示しているのかがわからないものも多い。

なので、この博物館に行こうという人は最低、ナチスやホロコーストについての

新書本程度の入門書は読んでから出かけられることをオススメしたい。


館内の展示は、エレベーターでまず4階に上がり、そこから順に階を降りていく

順路になっている。時代順に、1933(ナチス政権成立)~1939年まで暴力

(4階)、ユダヤ人問題の「最終解決」とナチスが呼んだ、ホロコーストのありさま

(1940~1944年、3階)、最終章(ナチスドイツの敗戦と連合軍による強制収容所

のサバイバーたちの解放、2階)という順番だ。

内容に関しては、言わずもがな。。。

一番下の階で、サバイバーたちの証言の映像が流されていたが、

もっとも印象に残った二つの話だけを紹介しておく。

(私の記憶だけをもとにしているので、細部は間違っているかも

しれないことをお断りしておく)

ある男性の証言。

同じ収容所に、神への祈りと感謝の言葉を欠かさない男がいた。

私はイライラして、そいつに言った。

「一体全体、こんな状況のなかで、神に何を感謝するっていうんだ?」

その男は答えた。

「少なくとも神は、私を殺人者(殺す側の人間)にはお造りにならなかった」

と。

ある女性の証言。


「よく私たちは、ドイツ人の見張りの目を盗んでは、いろんな作業をサボった。

機械を組み立てるときに、わざと穴を開けてやったりもした。

人間性も尊厳も奪われたあの状況の中で、作業をサボるということは、

私たちに何か自分でできることがある、という気持ちにさせてくれたの」



こういう体験そのものはもちろん体験した人にしか「わからない」のではあるが、

そこで語られている内容には誰にでも「わかる」もの、ある種普遍化できるものが

含まれていることもまたたしかである。


このことについては、いくつか考えていることがあるのだが、長くなりそうなので、

それはまた明日・・・・ということで。




ブロガーたちのオフ会 in Charlottesville

さて、昨日のもう一つのイベントは、当ブログにも時々コメントをくださったりするご縁で

お互いにやりとりするようになったブロガーたちのオフ会!

ワシントンDC郊外のロックビルにお住まいのキンツマさん がご家族でシャーロッツビル

観光に来られたのを機に、シャーロッツビル在住のぜのぱすさんrobpapaさん に声を

かけ、集まっていただきました。


メンバーは、

キンツマ家が、キンツマさんと旦那さんのHさん、お子さん二人の計四人。

わが家が、私と女房の二人。

それに、ぜのぱすさんとrobpapaさんとで、計八人。

うちの女房も(amebaではないが)ブログ をやっているので、

大人六人のうち、五人がブロガーという集まり。


場所は、コロニアル時代の居酒屋(タバーン)の様子をそのままに伝える

ミッチータバーン

http://www.michietavern.com/index.cfm/fuseaction/viewpage?CFID=1827421&CFTOKEN=86391489


この店、開業は1784年!

最初は、地元の人たちの寄合所を兼ねた旅籠としてスタートしたとのこと。

料理はこんな感じ。

  ↓
Michie Tavernの料理

最初はビュッフェ形式で、カウンターに並べられた料理を各自自分の皿に取って食べる

のだが、お替わりをしたければ店員に言うと持ってきてくれるというスタイル。

なんと言っても、ここの名物は、フライドチキンである。

これが素朴な味で、実においしい!

(隣接している土産物屋にパウダーが売っているので、家庭でもその味を楽しめる)


言ってみれば、「ケンタッキーフライドチキン」をおいしくしたような感じのもの。

もっとも、ぜのぱすさんの話によると、アメリカのケンタッキーフライドチキンは

日本にあるそれに比べて、すごくマズイ・・・・とのことなので、その差は私たち

が感じる以上に大きいようだ。


さて、肝心のオフ会だが、

私たち夫婦がキンツマさんとお会いするのは、これで三度目。

(一度目は、ワシントンDCのアメリカ・インディアン博物館のカフェ で、

二度目は、ベセスダのタイ料理屋さんで、ランチをご一緒した)

ぜのぱすさんとは、ちょうど一週間前のバーベキュー 以来で、二度目。

robpapaさん、およびキンツマさんの旦那さんとお子さんたちとは今回が

初めての出会いである。


私はこれまでにも、趣味関係のメーリングリストでで知り合った人たちとオフ会をしたり

したこともあり、最近は専門の学術関係でも、実際にお会いする以前にメーリングリスト

で意見を交わし合っている、というようなこともあるが、メーリングリストの場合、ネット上

で抱いていたその人のイメージと、実際にお会いしたときのイメージにかなりギャップが

ある場合も少なくない。。。


そういう点で比べてみると、

ブロガー同士が実際に会う場合には、そういうギャップは比較的少ない

というのが私の印象である。
(実際、ここでお会いした三人のブロガーの方々に関してはブログを通して抱いて

いたそれぞれの方のイメージとほとんど同じだった)


ブログの場合はやはり、

個人の露出度 というのが他の媒体(掲示板やメーリングリスト)に比べると

高い、ということはあるだろう。

本人がブログのなかでプライベートなこと(職業・家族構成・年齢など)については

何も語っていない(隠している)場合でも、基本的にブログというのはその人が

「書きたい」ことを書くわけなので、当人の人となりや好みについては、(本人が

想像する以上に)読者には伝わってしまうものだ。


しかも、メーリングリストなどとは違い、ブログの場合、読者はわざわざその人の

ブログを読みに行くわけで、自分とは最初から気の合わないような人の文章など

をずっと読み続けたりすることはあり得ない、ということもあり、そもそもその人の

ブログをずっと読んでいて「この人と会ってみたいなあ」と感じた相手のイメージ

が、実際に会った場合と大きくズレていることは少ない、ということは予想できる。

そういうわけで、今回のオフ会は私たち夫婦が
予想していた通り、とてもいい雰囲気で

楽しくお話ができたので、「仕掛け人」としては「してやったり!」という気分だった。

昨日は、この後に音楽仲間とのアメリカ生活最後のコンサートがあり、

(バーンスタインによれば)「一日に一度あるだけで」十分な良いことが二度もあるという、

すごい日だったのであるが、後で振り返って気づいたことが一つ。


オフ会の行われたミッキータバーンの開業は1784年。

コンサートで私たちが演奏したベートーヴェン(1770-1827)の「ピアノと管楽のための五重奏曲」

が作曲されたのが1796年、

ということで、(同じ年というわけではないにしても)同じ時代だったんだな、と。


別に「それがどうした・・・・?」と言われるかもしれないが、私は何か不思議な縁のような

ものを感じてしまいました。


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