東京藝術大学大学美術館「夏目漱石の美術世界展」内覧会へ行った! | とんとん・にっき

東京藝術大学大学美術館「夏目漱石の美術世界展」内覧会へ行った!



東京藝術大学大学美術館「夏目漱石の美術世界展」ブロガー向け特別内覧会に応募したところ、運良く招待を得ることができました。2013年5月31日、夜、特別内覧会に行ってきました。この展覧会の企画者の一人でもある東京藝術大学大学美術館准教授の古田亮さんの「見どころと主な出展作品解説」がありました。古田亮さんの本は、「俵屋宗達 琳派の祖の真実」(平凡社新書:2010年4月15日初版)や、「高橋由一――日本画の父」(中公新書:2012年4月25日発行)を読んだことがあります。その後、特別内覧会という進行でした。あまりにも幅が広く、数多くの作品が展示してある今回の「夏目漱石の美術展」、夏目漱石は奥が深い、思っていた以上に圧倒されました。考えてみればこのような展覧会ができるのは、我が国では東京藝術大学をおいて他にはありません。幕末から明治にかけての、多くの美術関連の資料が残されていますから、当然のことかも知れません。


夏目漱石、けっこう読んでいるつもりですが、ふと考えてみると、手元に単行本が一冊もありません。漱石の作品を読んだのは、ほとんど20代のことで、「現代日本文学館」全43巻のうち、「夏目漱石④、⑤、⑥」(昭和41年)の三冊か、他には、全集本に入っていても、ついつい読みやすいので文庫本ばかり必要に応じて買い足して読みました。数えてはいませんが、それらの文庫本はたぶん数十冊はあるでしょう。漱石の本で最近読んだ本は、もう7~8年前になりますが、なんかの調べもので「三四郎」を読み直したこと、そして、水森見苗の「続明暗」を読んだ関係で新潮文庫「明暗(上・下)」を読み直したことがありましたが、それ以降、まったく読んでいません。

水村美苗の「続明暗」を読んだ!
夏目漱石の「明暗」を再読した!


それはいいとして、実は、時間ができたらゆっくりと“晴耕雨読”でと思って、岩波書店版の「漱石文学作品集(全16巻)」(1990年)を購入してあるのですが、箱入りで届いたときに一度だけしか開けたことがなく、押し入れの奥深くに入ったままです。いま、その付録としての大野淳一編集の「漱石文学地図」(A0版:1990年11月19日第1刷発行)を広げて見ているところです。これがなかなかの優れもの、漱石ファン必携です。明治44年5月「実用東京全図」の上に漱石関連の場所をプロットしてあり、周りには本になった漱石の著作が囲んでいます。そうそう、岩波書店の旧社屋正面入口の社名は夏目漱石の筆によるもので、岩波のロゴとして今でも使われているので、目にした方も多いでしょう。


以前から建築関連分野で言われていたことですが、夏目漱石は「建築家を志していた」ということ。実はこの辺りについて、今回の展覧会ではまったく触れられていないのが、僕としては大いに不満なところです。「処女作追懐談 」に、以下のようにあります。漱石15、6歳の頃のこと、「何か好い仕事がありそうなものと考えて日を送って居るうちに、ふと建築のことに思い当った。建築ならば衣食住の一つで世の中になくて叶わぬのみか、同時に立派な美術である。趣味があると共に必要なものである。で、私はいよいよそれにしようと決めた」。しかし、漱石は自説を撤回して、実際には文学者になったわけですが・・・。


一方、よく引用される漱石の講演、明治44年8月に和歌山で行った「現代日本の開化 」では、次のように結んでいます。「日本の将来というものについてどうしても悲観したくなるのであります。」として、「ではどうしてこの急場を切り抜けるかと質問されても、前申した通り私には名案も何もない。ただできるだけ神経衰弱に罹らない程度において、内発的に変化して行くが好かろうというような体裁の好いことを言うよりほかに仕方がない。」と。あまりにも「ペシミスティック」です。


それにしても今回の「夏目漱石の美術世界」展、漱石と美術の全貌がよく分かるように、その構成がよく考えられています。夏目金之助が「英語・英文学研究」のために英国に向けて出発したのは明治33年(1900)のことです。漱石は英文学研究と英国美術研究が不可分のものと考えて、精力的に美術館を訪れていたようです。当時隆盛していた「ラファエル前派」や「世紀末芸術」への理解、ターナーやコンスタブル、ブラングィンといった新しい時代を切り開いていった画家たちを注視します。漱石のロンドン時代については、多くの人たちが書いていますが、建築関連では東秀紀の書いた「漱石の倫敦、ハワードのロンドン」(中公新書:1991年9月25日発行)がベストセラーになったりもしました。


「子供の頃、うちに五、六十幅の絵がありそれを眺めるのが好きだった」と、回想している通り、漱石は生活の中で書画に親しみながら育ったという。漱石は、仏教美術や王朝絵巻などにはまったく関心を示していません。漱石が関心を示したのは、雪舟以降の水墨画や、狩野派や円山派など江戸絵画の全般にわたってでした。「虞美人草」の最後の場面に登場する酒井抱一の描いた屏風は、記述が詳細であるにもかかわらず、実作品が見当たらない。そこで今回の展覧会では、漱石の記述を頼りに、荒井経による「虞美人草図屏風」の再現制作を試みています。「逆に立てたのは二枚折の銀屏である」。おそらく架空の存在である抱一画の屏風、推定試作では下半分に雛罌粟が描かれています。これが今回の“目玉”と言ってよいでしょう。


「文学作品と美術」では、「草枕」「三四郎」「それから」「門」の4作品を取り上げた、その中に展開している美術世界を具体的な作品によって追体験していく、という試みです。「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。」の冒頭が有名な「草枕」、主人公の画工が温泉を訪ねる旅中に体験する出来事を通じて、理想とする芸術のあり方について自問自答します。ヒロインの志保田のお那美さんが馬に乗って嫁入りする情景が峠の茶屋の婆さんによって語られるが、そのイメージを彷彿とさせるのが平福百穂の「田舎嫁入」です。その峠の婆さんを見て、画工は「高砂の媼と、蘆雪の山姥」とを想起します。


「三四郎」のなかで、「一寸御覧なさい」と美禰子が三四郎に見せたのが人魚、マーメイドの図です。また、美禰子をモデルにして「森の女」を描く原口という画家が出てきますが、今回、原口画伯作「森の女」を、佐藤央育が推定試作として描いています。これも目玉の一つです。先日京都で、樂美術館へ行く途中見つけた建物の名は「西陣電話局」、設計者は逓信省の技師・岩元禄(1893-1922)です。禄の兄、一高のドイツ語教師である岩元禎は、夏目漱石の小説「三四郎」に登場する「偉大なる暗闇」こと広田先生のモデルだと言われています。


「それから」には、高等遊民という生き方を選んだ長井代助が、友人平岡に愛する三千代を譲りますが、それから3年、代助は三千代との愛を貫こうと決意します。その中で、代助は本棚から画帖を出して、「ブランギン」の港を背景に裸の労働者が4、5人いる図を見ています。それは「近代の貿易」という作品ですが、今回出ているのは「蹄鉄工」です。また青木という人が海の底に立っている背の高い女を描いた作品、言うまでもなく青木繁の「わだつみのいろこの宮」も出てきます。


「門」では、横町の奥の崖下の暗い家で世間に背を向けてひっそりと生きる宗助と御米。宗助の家では、かつて抱一の屏風を、毎年の正月には玄関に飾っていたという。父の死後、叔父の家に残されていた唯一の書画が、二枚折りの屏風、酒井抱一の「月に秋草図屏風」です。「下に萩、桔梗、芒、葛、女郎花を隙間なく描いた上に、真丸な月を銀で出して、其横の空いた所へ、野路や空月の中なる女郎花、(抱一の弟子の)其一と題してある」。また床の間に飾られていた岸駒の「虎図」や、後に宗助は崖の上に住む金持ちの坂井の屋敷に屏風を見に行くことになりますが、ここでは渡辺崋山の「驟雨図扇面」が出ています。


「芸術は自己の表現に始まって、自己の表現に終わるものである」という、漱石の名言です。同時代の美術としては、岸田劉生、萬鉄五郎、高村光太郎、青木繁、等々。また今回の一番大きな作品、平田松堂の「木々の秋」、漱石は「大きな松に蔦が絡んで、熊笹の沢山茂った、美しい感じのする所が平田松堂君の地面であった」と評したという。他に、松岡映丘、今村紫紅、寺崎広業、横山大観、安田靫彦、和田英作、坂本繁二郎、小杉未醒、等々の画家が取り上げられています。明治、大正期の、そうそうたる画家たちです。


親交のあった画家たちとしては、浅井忠、橋本五葉、中村不折、津田青楓、等々が取り上げられています。特に橋本五葉や中村不折は、漱石の著作の装幀や挿画に数多くかかわっていました。圧巻は津田青楓の「夏目漱石像」や「漱石先生像」など、筆でさらっと描いたものは、味があって面白いと思いました。最後に津田青楓が漱石の娘を描いた「少女(夏目愛子像)」です。愛子は漱石の四女。愛子26歳の肖像画です。なにが面白いって、漱石はこう言ってます。「津田君は色彩の感じの豊富な人です。パレットを見ると其人の画の色が分かるといひますが、津田君は臨機応変に色々な取り合わせをして、それぞれ趣のある色彩を出すようです」と褒める一方で、自分の好かない色を平気でごてごてと使うので、「其所になると私は辟易します」と容赦なく言い放ちます。この作品は漱石の没後の作品ですが、青楓の特徴がよく表れています。


漱石が本格的に水彩画や南画を試み始めるのは、明治44年、フランス帰りの若き津田青楓と付き合うようになってからだという。青楓宛の手紙に、漱石は以下のように書いています。「私は生涯に一枚でいいから人が見てありがたい心持ちのする絵を描いてみたい山水でも動物でも花鳥でもかまわないただ崇高でありがたい気持ちのする奴をかいて死にたいと思ひます文展に出る日本画のやうなものはかけてもかきたくありません・・・」(大正2年12月8日)と。今回、漱石の自筆の作品として、通期で17作品が展示されています。なぜかこれらはすべて「岩波書店所蔵」のものです。


展覧会の構成は、以下の通りです。


序 章 「吾輩」が見た漱石と美術

第1章 漱石文学と西洋美術

第2章 漱石文学と古美術

第3章 文学作品と美術

     「草枕」「三四郎」「それから」「門」

第4章 漱石と同時代美術

第5章 親交の画家たち

第6章 漱石自筆の作品

第7章 装幀と挿画



序 章 「吾輩」が見た漱石と美術




第1章 漱石文学と西洋美術



第2章 漱石文学と古美術




第3章 文学作品と美術

     「草枕」「三四郎」「それから」「門」







第4章 漱石と同時代美術



第5章 親交の画家たち



第6章 漱石自筆の作品



第7章 装幀と挿画



注:会場内の画像は主催者の許可を得て撮影したものです。


「夏目漱石の美術世界」

近代日本を代表する文豪、また国民作家として知られる夏目漱石(1867-1916)。この度の展覧会は、その漱石の美術世界に焦点をあてるものです。漱石が日本美術やイギリス美術に造詣が深く、作品のなかにもしばしば言及されていることは多くの研究者が指摘するところですが、実際に関連する美術作品を展示して漱石がもっていたイメージを視覚的に読み解いていく機会はほとんどありませんでした。この展覧会では、漱石の文学作品や美術批評に登場する画家、作品を可能なかぎり集めてみることを試みます。私たちは、伊藤若冲、渡辺崋山、ターナー、ミレイ、青木繁、黒田清輝、横山大観といった古今東西の画家たちの作品を、漱石の眼を通して見直してみることになるでしょう。また、漱石の美術世界は自身が好んで描いた南画山水にも表れています。漢詩の優れた素養を背景に描かれた文字通りの文人画に、彼の理想の境地を探ります。本展ではさらに、漱石の美術世界をその周辺へと広げ、親交のあった浅井忠、橋口五葉らの作品を紹介するとともに、彼らがかかわった漱石作品の装幀や挿絵なども紹介します。当時流行したアール·ヌーヴォーが取り入れられたブックデザインは、デザイン史のうえでも見過ごせません。漱石ファン待望の夢の展覧会が、今、現実のものとなります。


「東京藝術大学大学美術館」ホームページ


巡回展:静岡県立美術館

2013年7月13日(土)~8月25日(日)

http://www.spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/


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「夏目漱石の美術世界展」

図録

編集:

東京藝術大学大学美術館

東京新聞

発行:

東京新聞

NHKプロモーション





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