TOTOギャラリー間で「スタジオ・ムンバイ展」を観た! | とんとん・にっき

TOTOギャラリー間で「スタジオ・ムンバイ展」を観た!



2012年8月、東京国立近代美術館(本館)の前庭にスタジオ・ムンバイ(インド)がデザインする「夏の家」(仮)がオープンします。


という情報をキャッチしたのはいつだったか? TOTOギャラリー間で「スタジオ・ムンバイ展」を観てきました。インドの建築家というと、僕はほとんど何も知りません。近代建築の巨匠ル・コルビュジエが、インド北西部パンジャブ州の州都チャンディガールの都市計画を行ったことはよく知られています。


コルビュジエの唯一実現した都市計画で、壮大な計画です。高等裁判所、合同庁舎、議事堂、美術館などの建築が完成しています。知事公邸はコンクリートを打った段階で、なぜか工事がストップしています。40年ほど前に、南回りでヨーロッパの建築を観に行った友人が、飛行機のトラブルでインドに強制着陸し、1泊してチャンディガールを観に行った、という話を聞いて、羨ましく思ったことを思い出しました。その頃はチャンディガールへ行ったという人はほとんどいなかった時代でした。


二川幸夫の写真による現代建築家シリーズ「ル・コルビュジエ」(美術出版社:1967年11月20日初版)によると、コルビュジエのアメダバッドの作品として、「サラバイ邸」「ショーダン邸」「繊維協会会館」「美術館」が載っています。チャンディガールの建設と並行して、すべて50年代中期に設計されたものです。磯崎新の「アメダバッドの作品」という論文が載っています。インド中西部の気候は、もの凄い夏の暑さ、そして雨期があり、その湿度は想像を絶する。このような風土に対応した建築とは、直射日光を防ぎ、半戸外の生活に重要性を見出すこと。コルビュジエは荒々しい肌の打ち放しコンクリートに、インドの風土に対応する深い庇をもったブリーズ・ソレイユをもって、インドの風土に馴染ませたと、磯崎新は述べています。


チャンディガールのスタジオ・ムンバイの代表ビジョイ・ジェインは、子どもの頃、親に連れられてチャンディガールに行ってそれが記憶に残っていて、建築家の道に進んだのだという。たしかそんなことが「Pen」の「アート」の項に書いてあったのを思い出しました。なにしろギャラリー間の「スタジオ・ムンバイ展」は、小綺麗な展示というよりは、工事の現場事務所といった感があります。建築部材の見本がゴロゴロ転がっていたり、工具類も引き出しに並べられていたりもします。大きなベニヤ板に原寸図面が貼ってあったりもします。


最も特徴的なのは、「敷地の造成から設計、施工といった一連の工程すべてを、建築家と熟練工からなる人的ネットワークにより、手作業で行なうことにあります。スタジオ・ムンバイのワークショップでは、インド各地出身の有能な職人たち(大工、石工、鉄工、金工、井戸掘り工など)約120名が住み込みで働き、ジェイン氏の指導の下、地勢や気候を読み、井戸を掘って水源を確保し、地元由来の素材とそれに適した工法を用いて建築をつくっています」と、いうことです。かといって、できあがった建築は、決して泥臭い、野暮ったいというわけではなく、正統な近代建築の流れを受け継いでいます。それはビジョイ・ジェインの経歴に寄るところが大きいように思います。


スタジオ・ムンバイ
1995 年、ビジョイ・ジェインがムンバイに設立した、大工職人と設計者による、設計から施工まで一括して手掛ける建築事務所。当初15 名程度だったスタッフは、現在120 名を超える。土地の材料や伝統的な技術を重んじ、手作業による施工をベースにしたオーガニックな建築作品を数多くつくる。職人や芸術家とともに独自の建材をつくり、スケッチや大きなモックアップでの検討を何度も繰り返すプロセスそのものがデザインになることが特徴。建築作品の殆どはインドに建設されているが、ヴェネチア・ビエンナーレ建築展(2010 年)への出品をはじめ、建築雑誌『El Croquis』で特集されるなど、世界で注目を集める。


PRAXIS
「Praxis(プラクシス)」とは、理論や知識や技能を実演や実行に移すこと、体現すること、あるいは実現することである。場合によっては、考えを実行、応用、行使、実現、あるいは実施する行為を指す」
建築家の仕事には、あらゆるものが含まれる。具体的なものもあれば、漠然としたものも理論的なものもある。つまり、人間の存在に関わることなら基本的に何でも含まれる。「Praxis」というものをこのように存在論的に解釈すると、スタジオ・ムンバイの仕事がなぜ反復作業によって成り立っているか、なぜ案を検討するために大型モックアップやスケッチや図面を作成し、素材のスタディを重ねるのかが見えてくる。それはすなわち独自の思想を練り上げ、自発的に組織を形成していくためなのだ。
プロジェクトに取り組むあいだは、場所を念入りに検討し、そこにある環境や文化、人びとが身も心も捧げてきたことに目を向けるようにしている。なぜならそこには、限られた資源を相手に人間が創意工夫を凝らして編み出した建設技術と素材があるからだ。
ビジョイ・ジェイン


3階展示室

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4階展示室

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模型等

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「スタジオ・ムンバイ展」
インドの大学で一人の教授=師<グル>に教えを受ける伝統的な教育方法で建築を学んだジェイン氏は、アメリカに渡って欧米式の建築理論を学びアメリカとイギリスで実務経験を積んだ後、出身地のムンバイにてスタジオ・ムンバイを設立、建築活動を開始しました。以来、インドに代々伝わる伝統的な技能を用い、文化風土を取り込みながら、豊かな質感と空間性をもった作品をつくり続けています。
スタジオ・ムンバイの活動の特徴は、敷地の造成から設計、施工といった一連の工程すべてを、建築家と熟練工からなる人的ネットワークにより、手作業で行なうことにあります。スタジオ・ムンバイのワークショップでは、インド各地出身の有能な職人たち(大工、石工、鉄工、金工、井戸掘り工など)約120名が住み込みで働き、ジェイン氏の指導の下、地勢や気候を読み、井戸を掘って水源を確保し、地元由来の素材とそれに適した工法を用いて建築をつくっています。
先祖代々口伝によって伝わる伝統技能を受け継いだ職人たちの確かな技術力は、乾期の猛暑と雨期のモンスーンという厳しい気候条件に耐え得る建物には不可欠なものです。 彼らの知恵と技能を充分に活かしつつジェイン氏の深い思索に導かれて生まれた建築は、その地での快適な生活を約束しつつ、風景と調和した豊かな詩情を湛えています。
さらに、ジェイン氏は職人たちにスケッチブックを与え、ドローイングの描き方を教えています。教育を受けられず文字も書けない職工たちが、日々の作業と並行して建築を「設計する」ことを学んでいきます。彼は、スタジオ・ムンバイを率いる建築家であるとともに、異能集団をまとめる指揮者であり、彼らの才能にドライブをかける名監督であり、さらに建築を通した教育者でもあるのです。
ジェイン氏は、世界各地の研究者・建築家たちと交流をしながら最新の知識や思想を吸収し、インド各都市でのリサーチによってインドの現在をとらえ、常に職人やパートナーたちと対話を交わし続けることによって、多種多様な才能や技術を正しい方向に導き、思想の裏づけをもった確かな建築作品へと昇華させています。
本展覧会のタイトルである<Praxis(プラクシス:実践、自然や社会に対する人間の働きかけ。抽象的な「理論」に対応する言葉として用いられる>とは、「Idea(理念)からPractice(実行)にいたるまでのすべての道程」だと、ジェイン氏は語ります。建築をつくりたいという意思をもつすべての人に門戸を開いたオープンなコミュニティの中で、さまざまなアイデアや実践を行きつ戻りつしながら最適なゴールを見出していく、スタジオ・ムンバイの存在と活動そのものをあらわす言葉です。
本展覧会では、スタジオ・ムンバイで建築を検証するために実際に使われている素材、模型、スケッチ、モックアップなどをムンバイから移送し、東京という環境のなかで再構築した「Studio Mumbai in Tokyo」を提示します。スタジオ・ムンバイの空気、光、音を五感から感じ取り、ジェイン氏が実現している世界を体感していただくとともに、Praxisの道程をドキュメントします。


「TOTOギャラリー間」ホームページ


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