一時期止めていたスカイステージに再登録した。

現役さんのことは、ずいぶんとわからなくなっていたので

毎日キラキラな生徒さんたちを見られて眼福である。

 

この間見た「アラビアンナイト」(大地真央さんがでてたやつ)は

なんていうのかな、もういろんな意味でびっくりしましたが。

久しぶりに「やられたぁー」って思いましたよ。

「虹のナターシャ」も色々すごかったけど、改めて見たら

すごく、味のある、愛おしい作品でした。

轟悠さんのタケシが大好き。あれ、「ナタ公」って言ってたのかな?「ナタ子ぉー」って言ってたのかな。

高嶺ふぶきは、男役フェロモンダダ漏れでたまらんかったですよ。

 

「はいからさんが通る」は柚香光さんの当たり役だなぁ、と。

本当にハーフに見えるし。

軍服似合うし、「元禄バロックロック」のポスター見ると

「美しい・・・」としか言葉出ませんもの。

自分が見たのは、千秋楽の公演のときのもので

最後に柚香 光さんが、客席にむかってウインクするのですが、

隣で見ていたうちの奥さんが、やられてました。

そりゃそうでしょう。

 

「虹のナターシャ」にしても「はいからさんが通る」にしても

昔のお父さんは、外国に行くと浮気しちゃうのね。

 

ところで、今度の月組は「今夜、ロマンス劇場で」ですか!

映画はみたけど、どうアレンジするのかな。

儚いラブストーリーは確かに宝塚向きかも。

 

宝塚、生で見てぇなぁ

突然ですが

諸事情により

来年の1月いっぱいでtakarazuka-og.comを閉鎖しようと考えています。

その後、FACEBOOK、ツイッターも閉鎖を考えています。

 

今までありがとうございました。

 

 

グリコ森永事件をモチーフにした作品で、未解決事件を紐解く新聞記者と、期せずして自分が当事者だと知ってしまった
テイラーの店主が交差することで、バラバラに散っていた点が35年という時を経て線となり、流れとなることで

真実が姿を現す。

と、ざっくりとそんなストーリーです。


ストーリーも素晴らしいし、役者一人ひとりが素晴らしい。
この「罪の声」の世界を出演者全員が

日常を慎ましく、この犯罪が残した傷を抱えて生きている。

特に年齢が上の役者さん達の醸し出す

深みと胸の奥に何かつかえた言葉を抱えて生きてきた演技は素晴らしく

それだけでも泣けてきてしまう。

 

この映画は、

事件が解決しても、真の犯人がわかっても

その動機を聞かされても

主人公たちはその痛みを抱えながら、その罪を背負いながら

また、日常に戻り粛々と生きていく。

僕たちにはその姿に寄り添うことしかできない。

この作品は

事件によって壊された明日へとつながる、ただの日常さえ

抱えた苦しみの辛さで平穏な朝を迎える事ができなかった人たちが

背負った宿命や悲しみや苦しみを降ろし

日常を再生していく話だと思う。

 

映画館を出たあと、自分の抱える闇の深さを考える。

背負う不幸について考える。

そして、

目の前に広がる日常の暖かさを愛おしむ。

 

最後にどうでもいいことなのですが

換気の関係もあり、映画館が寒くてしょうがなかったです

ブランケット必須ですなー

日曜の9時台のTBSのドラマ。

 

半沢直樹、テセウスの翼、ノーサイド・ゲームとか、

まぁ、この時間帯のドラマであれば、間違いなし。

グランメゾン東京もあったよね。

 

ただ、今回のはキツい。

原作を読んだ方たちの感想を聞くと、まぁ、もう少し待て、これから面白くなるからって

ことらしいが・・・

 

まぁ、それもわかるんですよ。

 

第三話までですが、緊張感のない演出や、ミスリードさせようとする脚本や、脳天気な主人公たちの探偵ごっこに

いつまで付き合わなければならないのだろう、という苛立ちばかりが先に立ち、

もういいかな、という気分になってきている。

 

来週は、安蘭けい様が失踪するのだそうだが、正直、安蘭けい様を見たいがためにこのドラマを

先に書いたようなことを我慢して見ている私ですが、それすらどうでも良くなってきた。

 

道化を演じている妻夫木氏が、後半巻き返すのだろうが、もう最終回みればいいや、的な的な的な的な・・・気持ちです。

あ、このドラマで一番驚いたのが

ランチを食べに行くのに、中村アンがいちいち、オシャレな服を着替えるところ。

お財布持ってカーディガン羽織って、コンビニ行くとかじゃないのね。

(中村アン見てるのは好きだけど)

 

 

去年の作品だったのに驚き。

もうちょっと前かと思ってました。

WOWOWさんにはすごく感謝しています。
映画も見れるし、お芝居も見れる。
自分はあまり興味ないけど、スポーツもたくさん見れます。

ネット配信が多くなっている今、ある意味独自の道を行くコンテンツ構成。

自分的には、お金払ってる価値は十分にありです。

 

さて、もう観た人も多いと思うのですが

「屍人荘の殺人」です。


神木隆之介くん、中村倫也さん、浜辺美波さんが出演の映画。
他にも、今をときめく役者さんがたくさん出ているのですよ。
実際に作品を見ると

このポスターから想像するストーリーは、
神木隆之介くんと中村倫也さんがイチャイチャしながら、

ライバル関係となっている浜辺美波さんと

オモシロ的な何だかんだがありつつ、最終的には認め合い

犯人を突き止める、という感じかな?なんて思っていたら

開始15分で裏切られること、間違いなしです。

 

まず言いたい

「なんでこうなった」と。

なんでゾンビ?

そのあたりのストーリーの回収は一切なしなのだが、
役者に勢いがあるので(特に浜辺美波さんの可愛さの破壊力)、ずさんなストーリーも
ラストもアレも許せてしまえるのが、おじさん悲しいっです。

眠気を堪える浜辺美波さんは最高でしたが、感想としては

「は?」とか「え?」とか、「どういうこと?!」という言葉が一番しっくり来る作品です。

 

Netflixオリジナル作品。

 

予備知識無しで鑑賞。

Netflixオリジナル作品って、自分にレコメンドされる作品は

「クライムもの」「アフター疫病の世界的なもの」が多いのだが

Netflixオリジナル作品の「さぁどうだ、オレは面白いんだぞ」という圧みたいなものがあって

なんとなく、クリックしづらい作品が多いんです、個人的に。

わかってはいるんだけど、Netflixオリジナル作品すべてが面白いわけじゃないし。

特にアニメはダメだなぁ・・・「A.I.C.O」だっけ?

あれは頭悪い作品だったよなぁ。

 

あ、脱線してしまった

「ハーフ・オブ・イット: 面白いのはこれから」なのですが

こういうハイスクール作品を観るたびに、オレは高校生の時何をしていたんだだろう、と

いつも後悔してしまうのだ。

恋愛にしても、勉強にしても、人間関係にしても

もっと、ちゃんと経験しておけばよかったなぁって思うのだ。

 

アメリカの田舎の高校生たちのお話で、

冴えないフットボールチームの冴えない男の子が

校内で代筆業を営む中国系の女の子エリーにラブレターの代筆を頼むところから

物語はゆったりと進む。

ラブレターの宛先は校内一の美人、アスター。

実はエリーはアスターに密かに憧れていたのだ。

 

切ない三角関係が丁寧に描かれていて、観ていて心地よい。

どこか悲しくて、苦しくて、優しい時間がこの作品を満たしている。

誰かを好きになることは、自然なことで、間違いや迷いなんてない、

高校生のときにそのことを知って受け入れるのは、難しいと思う。

誰かを傷つけたり、自分が傷ついたりしながら気づいていくことだから。

そんなことを考えさせられる作品。

みんな未来を見つめている。そういうところも好き。

僕は、トイレで鏡越しにアスターがエリーを見ている視線の感じが

とても良かった。

 

 

 

Netflixオリジナル作品なので、Netflixに登録している人はすぐに観れます。

 

自分の無知を晒すようで申し訳ないが

さっぱりわからない作品です。

主人公が誰かさえわからなくなり

ストーリーは

この作品に出てくる、雪の中をただひたすら走る車のように

どこへ行こうとしているのか

なぜ自分の思い通りに、言葉を紡いでくれないのか

時間が進むごとに、隣にいる人と距離が離れ、孤独ばかり募るのか。

その寂しさは、降り積もる雪のように

観ているこちらにも、不安とともにつもり始める。

一人で言葉もなく、私は必要されないものとして

時間をただやり過ごすというのは、こういう思いを募らせるのか。

 

町山智浩さんの解説で、紐解かれるこの作品の真の姿。

知ったあとで、余計に切なくなった。

 

 

https://www.netflix.com/jp/title/80211559

 

 

今日、録画していた「月曜から夜ふかし」を見ていて

非常にショックで・・・あまりにショックで

なんとか気持ちをすっきりさせようとこれを書いています。

 

時々、渋谷とか池袋とか浅草(もちろん他の場所でも)を歩いていると

「ちょっとヤバい人」を見かける時があるじゃないですか。

「この人、昼間っから飲んで駐車場のあいてる場所で寝てるけど大丈夫かな」とか

「あのおじいちゃん、なんであんなでっかいサングラスして普通に歩いてるんだ?」とか

そんなヤバめの人に話を聞いて、もう笑っちゃおうぜっていう感じのこの番組、

今週の最初のテーマが「若者の◯◯離れ」というテーマだったのだが

何が驚いたって最近の若者にとって「ジーンズ」は古臭いアイテムになっている

(古くてダサい、というイメージにもなっているような?)のだ。

今、口を滑らして「Gパン」と言いそうになったが、もう「Gパン」は死語なので

封印してしまわなければならない。

若者にインタビューしている場面を見ていたら、今はもう「ジーンズ」とも言わないらしい。

「じゃぁ、なんて呼ぶの?」と奥さんに聞いたら

「『デニム』だよ、アクセントは『ム』につけるの」と教えてくれた。

じゃぁ、今は何を履くの?

チノ系のなにか?もう、全然わかんない。

それから

「脱モテ系」というのもあった。

「もう恋愛とかメンドクサイし、だったら、モテなくてもいいわ、オレ」というのだ。

あぁ、思い出した、昔読んだ(もう20年以上前だけど)、村上龍さんの本「すべての男は消耗品である」の中に

オナニーをしなくなったタクシーの運転手さんの話があって、

どうしてしないのか、という問いに

確か「もう、そういうのメンドクサイんですよ、疲れるし」と答えていたはずだった。

村上龍さんは、男という種は、社会によりスポイルされまくってとにかく疲れているから

勃起すらしなくなったのだ、とたしか、そんなニュアンスで解説をしていたが、

もう、そんなムードが男という種にとって当たり前になって来たということなのか?

と、思わず考えてしまった。

男性にとって「脱恋愛」とか「セックスめんどくせー」という気風は今はもうマイノリティな考え方ではなくなっている。それはもう、悪いこととか、それじゃダメだよ、とも、こちらが言う問題でもないし

強制できることでもないのは、わかっている。

同じ年代だった頃、女の子のお尻ばっかり追いかけ回していた自分とは違うのだ。

そんな男子を同世代の女の子たちは、どう考えているんだろう?

やっぱり、似たベクトルのものを感じているんだろうか。

ちょっと話聞いてみたいなぁ

 

 

 



以下、ネタバレあります。
 

 

 

このブログを書く前に「パラサイト」の受賞履歴を見た。

その名だたる履歴から、この作品は単純に映画が好きな人達だけではなく、

知識層や富裕層、ソフィスティケイテッドされた

人たちにも支持されている作品だということがわかるのだが、

それは一体どういうことなのだろうか。

この作品を鑑賞後、劇場を出るときに感じた、気持ちの重さはなんだったんだろうか、

そんなことを書いてみる。

 

この映画はざっくり一言でいうと「現代社会においての貧富の差」を描いている。

「パラサイト」意味は「寄生虫」であるが、まさにその言葉のとおり、

リッチなピーポーに寄生し「ちょっとしたお小遣い稼ぎ」をして

少しでもセレブな気分を味わいたい、そんな家族が主人公だ。

彼らは半地下の住居に住み、他人の家のWi-Fiを盗み、

宅配ピザのケースを折りたたむ内職で暮らしている。

浪人生である息子の友だちから、セレブな家庭の娘の家庭教師のバイトを紹介されてから

彼らに転機が訪れ始める。

 

同じように貧富の差を描いた作品にジョーダンピール監督の「US」がある。

この作品は完全に「入れ替わり」であり「寄生」ではないのだが、

共通していることは、貧富の差は「生まれ持ったものである」ということだ。

もちろん、相当な努力と苦労をして一代で財を成した人もいるだろう。

だが、「パラサイト」の中では、その差は歴然であり、埋まることは決してない。

寄生する側の息子が、家庭教師の教え子である、リッチな家庭の娘の部屋で彼女とキスのあと、

その弟のの誕生日パーティーをぼんやり見ながら

「彼らは生まれ持ったセンスがあり、洗練されている。僕はあの中にいても似合うだろうか」

(セリフうる覚えですいません)

と、教え子に尋ねるシーンがある。

そこには、ファストファッションではない洋服を身にまとい、優雅にほほえみ合いながら

チェロをバックに披露されるオペラを聞きながら談笑する、本物のリッチなピーポーがいる。

願望の眼差しで彼らを見る息子の隣で、リッチな家庭の娘は

不思議そうな顔をしながら

「似合うんじゃない?」と答える。

当たり前だ。

彼女にとって、そういうリッチなピーポーは日常であり、その一部であるから

不思議そうな顔をするのだ。

 

詳細は避けるが、ある雨の日、寄生する側の父親、息子、娘(だったかな)が、テーブルの下に隠れている時

その横のソファーでリッチな家庭の旦那さんが、奥さんとセックスをしながら

その父親のスメルについて話し始める。(おそらく)密かに奥さんに憧れていた父親にとって、

半地下生活で身に染み込んだ、体の奥底から匂う貧乏スメルは、決して取れないと

嘲笑とともに気付かされるシーンは、格差というものが絶対である、と突きつけてくるのだ。

と、同時にそのシーンあたりから

臭わないはずの彼らの匂いがスクリーンの中から溢れてくる。

自分は違う、ここまではひどい生活をしていない、スクリーンを見ながら何度も思う。

リッチな奥さんが買い物をしながら、値段も見ずに、買い物かごに品物を入れるシーンがある。

ピーポーのセレブな生活とは、そういうものなのか。

羨望と嫉妬の混ざった視線で彼らを見てしまう私達は、その思いが

主人公の視線と同じであることに気づく。

スクリーンから臭っていた、と思っていたその臭いは自分の体臭であると気づくのも

彼らに対するうっすらとした殺意に気づくのも、この頃だ。

 

故にリッチなパパさんが死んでも何も悲しくない。

彼らが住んでいた家が空き家になってもなにも寂しくない。

(空き家になるくらいだし、一家の大黒柱が死んだのだから、きっと家庭崩壊したんだろう。

でも、それも悲しくない)

リッチなパパさんを刺殺し、逃亡した半地下のお父さんの行方も気にならない。

その息子ができるはずのない約束を誓っても鼻で笑うだけだ。

最終的に救いのない映画だったのにも気にならない。

ただただ、自分の貧乏さ加減を目の当たりにし、絶望だけが心に重さを与える。

社会がいけないのか、政治が悪いのか、会社が悪いのか、オレが悪いのか。

テレビをリアルタイムで見ることが減りました。

 

朝は時計代わりに情報番組を見ていますが、

8時以降はテレビを消してしまいます。

休みの日はPCの前にいることが多いので

それでテレビを見ない、というのもありますが。

 

たいてい、ラジオかSPOTIFYで音楽か落語を聞いている時間が多い。

 

唐突ですが

職場の一人暮らしの若い子に話しを聞くと、わりと多くの子が

「テレビは見ないし、だいたい、テレビは持っていない」という。

へぇ、じゃぁ何見てるの?

「YOU TUBEとかですかね」

ドラマとか見ないの?

「あー、あんまり見ないですけど、今ならAmazon PrimeとかNETFLIXとかで何でも見るじゃないですか」

まぁ、確かに。


自分もテレビで見るのは、録画してあったWOWOWの番組とか

NETFLIXが中心だしなぁ。

 

もしかしたら、とは思っていたけど

地上波テレビ離れって思っているより深刻なのかも。