【2日目その5・広島】れっつ★百万一心★安芸旅行!
皆様こんにちばん和!
ご存知、戦国大好き仁王です(^0^)人(^ー^)
想いを馳せながらの史跡巡りが大好きです!
どうも仁王です(^0^)人(^ー^)
戦国の知将・毛利元就公ゆかりの地巡り、
その旅日記を「れっつ★百万一心★安芸旅行!」と題しまして、
回を追って、くどくど、長々とご紹介しております☆
※バックナンバーはこちら☆
・【ぷろろーぐ】れっつ★百万一心★安芸旅行!
・【1日目・広島】れっつ★百万一心★安芸旅行!
・【2日目・広島】れっつ★百万一心★安芸旅行!
・【2日目その1・広島】れっつ★百万一心★安芸旅行!
・【2日目その2・広島】れっつ★百万一心★安芸旅行!
・【2日目その3・広島】れっつ★百万一心★安芸旅行!
・【2日目その4・広島】れっつ★百万一心★安芸旅行!
前回は「安芸高田市吉田町」にて、
毛利氏居城として知られている
吉田郡山城お城歩きについて書かせていただきました☆
今回は「れっつ★百万一心★安芸旅行!」二日目のその5!
という事で、引き続きお楽しみください!(´▽`)
興味がある人は勿論!!
そうじゃない人も是非☆楽しんでいただけたらと思います♪
それでは一緒に参りましょう!!「れっつ★百万一心!」
※百万一心(ひゃくまんいっしん)とは…
毛利元就が築城の際、本来の慣しでは人柱を埋めるところ、
無駄な犠牲を払う事を避け、かわりに埋めた石に彫られた言葉として伝わっています。
それは「一日一力一心」とも読め、みんなが心を一つにする事の大切さを意味しています。
はい、ちゅーワケで。 (・ω・)/
吉田郡山城のふもとにあります、
『清神社(すがじんじゃ)』にやって参りました☆
スサノオノミコトをはじめ、
その妻クシナダヒメなど五男三女神が祀られているそうです。
ここ吉田の地は『日本書紀』にある
「安芸国可愛之川上(えのかわかみ)」の地に当たるそうで、
スサノオノミコトがヤマタノオロチを
退治した伝説の地だという説があるそうです。
この「すがじんじゃ」の名前の由来は、
ヤマタノオロチを退治したスサノオノミコトが
「吾が心、清清(すがすが)し」と言った事にちなんでいるそうです。
毛利氏の郡山城築城以前から健在していたここ「清神社」は、
郡山の鎮守杜としても、毛利氏からの崇敬が篤く、
元就さんも合戦前には、必ず戦勝祈願に訪れたそうです。
どんな戦でも勝ち続ける元就さんの「勝ち運」にあやかって、
今ではパワースポットとして、多くの人達が必勝祈願に訪れるそうです。
元就さんの「三本の矢」にちなんで名付けられたサッカーチーム
「サンフレッチェ広島」の選手の方々も必勝祈願として、
毎年参拝しているんだそうです。(サン=三、フレッチェ=イタリア語で矢)
また、境内には樹齢約1,000年にもなるという大きな杉の木が立っています。
当然、元就さんの事も知っている杉の木さんなんですね☆
実はこのご神木、元々6本あったそうなのですが、
うち1本が1999年の台風18号によって、境内に倒れてしまったそうです。
相当大きな木であった事から、被害も大きなものかと思われたものの、
不思議な事に本殿を正面に、ただ静かに横たわっていたそうです。
その不思議な現象から、「身代わり杉」と呼ばれ尊敬を厚くしたとのことです。
本殿向かって右側には、
元就さんが、育ての母である「杉大方」を祀った
「椙若社(すぎわかしゃ)」があります。
杉大方(すぎのおおかた)…
5歳で母を、10歳で父を亡くした元就さんは、
亡き父の側室であった女性、杉大方に育てられました。
まだ若い女性にもかかわらず、他へ嫁ぐ事も無く、
一生涯元就さんを支え続けたこの女性を、元就さんは心より慕っていたそうです。
また、元就さんが太陽を信仰するようになったのも、
杉大方による影響だと言われています。
彼女に導かれ、旅の僧の話を聞いて以来、
元就さんは毎朝太陽に向かって十回念仏を唱えるようになったそうです。
この『椙若社』ですが、
残念ながら1950年の台風により、
元就さんが建立した社は倒壊してしまい、
今あるこの社は1998年に再建されたものだそうです。
それにしても、元就さんの建立から1950年までとは、
ずいぶんと長い間、保たれていたんですね!
メンテナンス、ご苦労様です!
この舞台では、年末の年越し神楽が行われます。
※年末年始の某TV番組で清神社が紹介されたとき、
『元就公』という演目を上演していました!
他にも、元就さんが口を漱いだというご神水や、
わざと上下を逆さにして造られた「逆御扉」なんかもあるそうです。
※完璧は乱れの始まり、という意味があるそうです
そしてここでは元就さんの「三本の矢」にちなんだ、
素敵な破魔矢がゲットできます!
これはなんとしてでもゲットしておきたいですよね!
私達仁王も、もちろんゲット☆
さて、郡山城をぐるっとまわって戻って参りました!
元就さんのお屋敷跡の敷地内にあります『三矢の訓跡碑』です。
毛利元就公といえば『三本の矢』。
「一本では折れてしまう矢も、三本束になれば、折りがたい」
そんなたとえ話をもちい、
元就さんがその三人の息子達に、
兄弟仲良く!と説いた、という話があります。
でもこれは後世に創られた逸話であり、
実際にその記録は残っていないとのこと。
けど、元就さんが「兄弟仲良く!!」と説いていたのは
まぎれもない事実で、その有名な物として、
元就さんの直筆書状『三子教訓状』という物が残っています。
これは、長男・毛利隆元が、
「弟達(次男・吉川元春&三男・小早川隆景)が自分をのけ者にする…」
という愚痴をもらしたことをきっかけに、
元就さんが隆元に宛てて書いた書状で、
とにかくひたすら
「兄弟三人仲良くしなさい!!でないと毛利は滅ぶぞ!」
と、説いたものです。
その長さたるや、なんと縦28.9cm×横285.4cm!
つまり、3mにも渡る、ながーーーーーーーーい、お手紙なんです。
しかもその内容は、とにかく、
「兄弟三人仲良く力を合わせなさい!」
ということを、ひたすらくどくど。
時には、父親であるにもかかわらず、息子に対して、
あえて敬語を使ってへりくだったような書き方をしてみたり(嫌味?笑)
中には、太陽信仰のススメであったり、
厳島神社を信仰しなさいという内容もあったり。
中には、亡き母親を敬いなさいという内容も。
というのも、この三兄弟は
元就さんの最愛の正室・妙玖さんの子供であり、
彼女の存命中、元就さんは側室をおかなかったぐらいですから、
元就さんにとってこの三兄弟は、格別だったのかもしれません。
また、彼女との間には、この三兄弟の他に娘もいて、
宍戸家に嫁いだその愛娘の事も書状の中で、
三兄弟同様仲良くしなさい、とあります。
が、他の兄弟(側室の子達)に関しては、
「虫けらのような子供達」と書かれています!
優れた者がいれば、その才をのばし、
愚かな者がいれば、なんなりと刑に処せ、
というような、恐ろしい内容も、この3mの書状の中に書いてあります。
(元就さんがパパだったら嫌だなぁ。←ファンでしょうが!)
「三本の矢」そして「百万一心」。
「一本では折れてしまう矢も、三本束になれば、折れがたい」
「一日、一心、一力。」
そのどちらも、はっきりとした証拠はないにせよ、
3mにも及ぶ、元就さんの直筆書状「三子教訓状」からもわかるように、
元就さんは『みんなが心を一つにする』
ということを大切にしていた人物なのかもしれませんね。
※「三子教訓状」は山口県毛利博物館に所蔵されているそうです☆
さてさて、吉田郡山城、ぐるっっとめぐって、
出発地点の安芸高田市歴史民俗博物館に戻ってきました☆
次回は、ちょっと離れたところにある
『多治比猿掛城跡(たじひさるかけじょう)』、
そして元就さん誕生伝説地
『鈴尾城跡(すずおじょうあと)』別名『福原城跡』に参ります!
というワケで!
次回も「れっつ★百万一心★安芸旅行!」お楽しみに!
もっと元就!毛利氏関係展示物必見ダヨ!
『安芸高田市歴史民俗博物館』
地図や記念スタンプ、お土産も忘れずに☆
安芸高田市歴史民俗博物館(HP)
(安芸高田市歴史民俗博物館さんのツイッターID:akitakatahaku)
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