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2016年12月07日(水)

”【プロローグ】★百万一心★安芸旅行!”

テーマ:◆バックナンバー
皆さま、こんにちッショイ!!
和心を詠って伝える伝道師(アーティスト)です! (^o^)人(^_^)


Twitterの方でもリクエストをいただきとても好評だった歴史系のバックナンバー。
折角なので、コチラのブログでも過去記事を特集したいと思います。

今までに様々な記事を長編で綴ってきましたが、
バックナンバーの読み方が分からないという新規さんも結構いらっしゃるようで…。
なので、此れを機に過去記事も ちょくちょくUPしていこうと思います。


・・・・・と、いうワケで!!

先ずは、毛利元就公&毛利家ゆかりの地を巡った時のブログから特集スタートです!

プロローグから始まり、長編ブログとなっておりやす。

お楽しみ下さい(^o^)人(^_^)

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2016年11月23日(水)

家康公めぐり【浜松城】

テーマ:◆厭離穢土欣求浄土
皆さま、こんにちばん!!
和心を詠って伝える伝道師(アーティスト)です! (^o^)人(^_^)

今ある私達の平穏な暮らしが、過去に散っていった、
数多くの犠牲の上に成り立っているということを常に忘れず、
その時代を全力で生き抜いた方々に、尊敬と感謝をこめて
手を合わせながら、が巡る歴史ゆかりの地。

ただいま、徳川家康公を巡っています!(`・ω・´)

前回は、家康公が元服式を行われた静岡浅間神社でした。
今回は、浜松城(はままつじょう)にやってきました♪

浜松城24


浜松城家康公は、
29才~45才までの約17年間を過ごされました。
家康公の人生の中でも、
とくに大きな戦いがあったのも、ちょうどこの時期です。

浜松城3


家康公29才の元亀元年(1570年)には、姉川の合戦
31才の元亀3年(1572年)には、大敗を強いられた三方原の戦い
43才の天正2年(1584年)には、小牧長久手の戦いなどがありました。

中でも三方原の戦いでの大敗は、
後の家康公に大きな影響を与え、
関ヶ原での大勝利に繋がっています。

家康公
は、この頃から武田信玄を師と仰ぎ、
関ヶ原の合戦では信玄の戦略に習い、みごとに勝利を治めています。

浜松城14


さてさて。

浜松城を築城したのは、家康公です。
武田信玄の侵攻に備え、
遠州一体を見渡せるこの場所に築いたといいます。


浜松城16


しかし、浜松城の天守についての資料は極めて少なく、
天守が築かれたかどうかもわかっていないそうです。

現在ある天守は、
1958年に鉄筋コンクリートで造られたものだそうです。


浜松城17


石垣は当時のものだそうです。

浜松城2


加工されていない石を積んだ『野面積み(のづらづみ)浜松城の石垣の見所なのだとか。


浜松城11


石垣に、たくさんのシダを発見!(`・ω・´)
家康公の前立ては、シダがモチーフになっています♪

浜松城1


浜松城本丸跡の家康公像も、シダを手に持っておられます。


浜松城19

浜松城18


浜松城20


天守門

浜松城15


こちらは、天守台の櫓門。
平成26年に復元されたばかりなのだそうです。


やってきました、天守です。


浜松城7


天守内部は資料館になっていて、お土産も買えちゃいます♪


「開運さま」

浜松城6


浜松市のキャラクター『出世大名家康くん』がお祀りされていました!
か、かわいい…///


天守からは、家康公武田信玄に大敗した三方原が眺望できます。

浜松城4



浜松城5


思っていた以上に、すぐそこ?!という印象です。

武田信玄
に追われた家康公は、命からがら浜松城に逃げ込みました。
家康公は、その時の自分の顔を描かせると、
生涯この絵を自分への戒めのために大切にしたと言います。

それが有名な『しかみ像』です。

さすが浜松城
天守台に『しかみ像』になれちゃうパネルがありました。


浜松城8


なので、記念撮影を!!
家康公役は、仁王パパです(笑)
いいカンジな、しかみ顔ですね。


浜松城13


家康公が、毎日拝んでいたという
富士山がここから見えるという事で、いざ!

浜松城12


・・・・ (´・ω・`)
空気が澄んで、よく晴れた日には見られるそうです。

家康公の時代は、大気が汚れている事なんて無かったんだろうな……
高いビルもなかったので、
日本中どこからでも富士山が拝めた、なんて話もありますね。


さて気を取り直して。
こちらは、井戸です。

浜松城9


浜松城には、計10箇所の井戸があったそうです。
このほかにも、天守の地下にもあるそうです。


八幡台

浜松城10


天守台よりも高く、浜松城内で一番高いところだそうです。
ここには、お城を守る神社があったと考えられています。


発掘調査現場が期間限定で一般公開されていました。

浜松城22


時間の関係で入場出来ませんでしたが(´・ω・`)涙
悔しいので外から記念写真!(笑)

浜松城21


浜松城公園にいたリスくん。
タヌキではないようです←

浜松城23


さてさて、今回の家康公めぐりは、ひとまずここまでです。
とにかく最重要ポイントを、ぎゅっと詰めてみました(●´∀`)ノ

まだまだ勉強不足ではありますが、
少しでもお役に立てたらな~と思っております♪(´・ω・`)

家康みやげだよ。









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2016年11月20日(日)

家康公めぐり【浅間神社】

テーマ:◆厭離穢土欣求浄土
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今ある私達の平穏な暮らしが、過去に散っていった、
数多くの犠牲の上に成り立っているということを常に忘れず、
その時代を全力で生き抜いた方々に、尊敬と感謝をこめて
手を合わせながら、が巡る歴史ゆかりの地。

ただいま、徳川家康公を巡っています!(`・ω・´)

前回は駿府城(すんぷじょう)でした。
今回は駿府城の近くにあります、
静岡浅間神社(しずおかせんげんじんじゃ)にやってきました。

浅間神社2


ここ静岡浅間神社は、家康公が元服された由緒ある神社さん。
地元では「おせんげんさん」の名で親しまれています。


浅間神社10


神部神社・浅間神社・大歳御祖神社
の三社を総称して
『静岡浅間神社』とされています。

浅間神社6


弘治元年(1555年)、14才になった竹千代は、
ここ浅間神社で元服され、今川義元「元」の字をもらって、
松平次郎三郎元信(まつだいら じろうさぶろうもとのぶ)と改めます。

その後、天正10年(1582年)、
三河・遠江を制した家康公は、武田氏との戦いの際、
武田氏を無事攻略出来たら立派な社殿を再建するという約束のもと、
社殿を焼き払いました。
戦いが終わると、約束通り立派な社殿を建造されたといいます。

浅間神社4


境内にある『八千戈神社』(やちほこじんじゃ)は、
家康公の念持仏である摩利支天像を安置するために造営されたものだそうです。

浅間神社3


神馬 叶え馬
静岡民謡『ちゃっきり節』に唄われているという神馬

浅間神社8


江戸時代の大火の際、当時2頭いた神馬が逃げ出した後、
1頭だけ戻って来たという伝説があるそうです。帰巣本能??


境内の建物はどれも荘厳で、
日光東照宮にも負けず劣らずです。

浅間神社9


浅間神社7


それもそのはず、
現在の建物は、江戸時代に60年もかけて作られたものなのだそうです!

しかも社殿はすべて漆塗りなのだとか・・・(゚д゚)


浅間神社5


神社仏閣好きな方はもちろんですが、
そうじゃない人でも圧倒されること間違いナシ!(`・ω・´)
パワースポットでもあるそうですよ。

静岡浅間神社、とってもオススメです♪
是非、駿府城とあわせて、巡ってみてくださいね☆

浅間神社1



さて、次回の家康公めぐりは浜松城(はままつじょう)です♪





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2016年11月17日(木)

家康公めぐり【駿府城】

テーマ:◆厭離穢土欣求浄土
皆さま、こんにちばん!!
和心を詠って伝える伝道師(アーティスト)です! (^o^)人(^_^)

今ある私達の平穏な暮らしが、過去に散っていった、
数多くの犠牲の上に成り立っているということを常に忘れず、
その時代を全力で生き抜いた方々に、尊敬と感謝をこめて
手を合わせながら、が巡る歴史ゆかりの地。

ただいま、徳川家康公を巡っています!(`・ω・´)

前回に引き続き、静岡県は駿府に来ています♪
今回は、駿府城(すんぷじょう)にやってきました(●´∀`)ノ

駿府城11


※バックナンバー『藤堂高虎公めぐり』も併せてご覧ください♪
★バックナンバー『○藤堂高虎公を巡る○駿府城○』


駿府城は、もともと今川館があった場所に、
今川氏滅亡以後、天正17年(1589年)頃、
家康公によって築城されました。

天守を含め全てが完成すると、
翌年、秀吉により家康公は関東に移封させられ、
豊臣系の大名・中村一氏(なかむら かずうじ)が入城します。

やがて、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦い
家康公率いる東軍が勝利すると、
慶長12年(1607年)、家康公は再び駿府へ戻り、
天下普請による大改修が行われます。
(この時造られた天守は、城郭史上最大のものだったそうです!)

同年12月の火災により、
天守を含め本丸の全てが焼失するも、即座に再建。
慶長15年(1610年)に、天守を含む全てが完成し、
家康公の隠居の城となります。

家康公亡き後は、
寛永12年(1635年)の火災によって、
またも天守を含む多くが焼失。

その後、天守は再建されず、
続いて宝永の大地震安政の大地震に相次いで見舞われ、
建物・石垣などがほぼ全壊してしまいます。

現在は『駿府城公園』として整備され、
東御門、巽櫓、
坤櫓などが復元されています。


それでは、さっそく!
お城の正面出入り口である大手門から出発♪


駿府城10


しばらく行くと『東海道中膝栗毛』でおなじみの

弥次さん喜多さん発見!


駿府2

駿府3


『東海道中膝栗毛』
の作者・十返舎一九駿府出身なんですって。

弥次さん喜多さんと、巽櫓(たつみやぐら)をバックに記念撮影ができます(`・ω・´)b


駿府1


石垣には、平和の象徴である鳩さんがいました。

駿府4


さすが、世界にも類を見ない平和な時代を築かれた家康公のお城ですね★


橋を渡って、いざ東御門へ。

駿府城12


戦いの城ではないにしろ、やはり主要な出入り口の守りは堅いですね。

見てくださいこの美しい枡形を。←


駿府城13


今の時代だからこそ簡単に素通りできてしまいますが、

当時だったらこうはいきませんよね。(当たり前だけどね!)


さてさて。中はとても広い公園になっています。
駿府城下の町並みを描いた、
大きな石の古地図がありました。

駿府5


思わず見入ってしまいます(*´∇`*)


お城の遺構も残っています。
本丸堀

駿府城15


当時の駿府城は、三重の堀に囲まれていたといいます。
この本丸堀は、一番内側の堀の一部。当時の石垣だそうです!


東御門 巽櫓(たつみやぐら)の内部は、
歴史資料展示場になっています。

駿府8


発掘調査で発見された出土品や、鎧のレプリカ、

臨斎寺の『竹千代手習いの間』の復元などがあります。


駿府6


発掘調査中に出土したというこのしゃちほこ。


駿府7


どうやら現時点では、現存するお城のしゃちほことしては、
日本最古のものなのだとか(゚д゚)!!


坤櫓(ひつじさるやぐら)

駿府13


2014年に完成したばかりの坤櫓

安政元年(1854年)の安政大地震で倒壊して以来、
160年ぶりに復元されたそうです。
内部には、発掘調査で発見された瓦などの展示のほか、
甲冑体験や3D映像を使ったアトラクションなどが用意されています。

こちらは、天守台跡

駿府11


城郭史上最大と言われていた駿府城の大天守。
度重なる天災等により焼失し、
再建される事なく現在に至っています。
天守台も、明治29年(1896年)に解体されているので、
現在は跡形もなく、広場となっていますが、
昭和55年の発掘調査の際に、石垣の一部が発見されているそうです。


駿府城本丸跡

駿府9


ここには大御所時代家康公像がありますヽ(=´▽`=)ノ

駿府城16


すぐ近くにある、家康公お手植えのミカンの木
毎年冬の収穫期になると、市民の方々にくばられるそうです。

駿府城17


そんなの食べたいに決まってるじゃないか!!!←

…その時期をピンポイントでおさえて行きたいところです(`・ω・´)


家康公人生訓の碑
文字は、徳川宗家第18代当主 徳川恒孝さんの書。

駿府10


最後に駿府城にまつわる、怪奇譚をば。


慶長14年(1609年)4月4日の朝の事。
駿府城の中庭で、子供のような体型の者が、空を指差し立っていた。
しかしよく見ると、空を差す手に指はなく、
体もでっぷりとして、
まるで肉のかたまりのような「肉人」であったそう。

一説では、目も鼻もなかったという話も。。。

『こんな堅固な護りの城に、
 簡単に入り込めるのは妖怪の類いだ!!」

しかし、城内の家来たちが肉人を捕獲しようにも、
どうにも素早くて捕まえられない。

この騒ぎを知った家康公は、
肉人を城から追い出すように命じられた。

家来たちはこの命令に従い、なんとか追い出すことに成功。

しかし、後々この肉人が『封ほう』という妖怪で、
その肉が仙薬になるという事を知った家来たちは、
その肉を家康公に献上出来なかった事を、
たいそう悔しがったのだとか。


ちなみに、この事件のちょうど一ヶ月前の3月4日には、
なんとも不思議な四角い月が目撃されていたと言います。

ほかにも、肉人が現れた4月4日の昼頃、奇怪な光を放つ雲が現れ、
やがて東の方から消えていった、なんて話もあるそうです。

また、この事件があったとされる1609年前後の日本は、
全国各地で地震が頻発している年でもあった事から、
異変の前兆として、妖怪が予言を告げに来たのかもしれないとも言われています。

未だこの「肉人」の正体は解明されておらず、
妖怪『ぬっぺっぽう』ではないかという説や、
宇宙人ではないかという説。
はたまた、だったのでは?という説などさまざまです。

こちらの写真は、うちの『ぬっぺっぽう』ちゃん達
お気に入りの妖怪ですw

ぬっぺっぽう


徳川幕府公式記録『徳川実紀』には、この事件の事を、
「駿府城内に現れた、手足に指がない乞食を斬らずに追い出した」
とあるそうです。

妖怪ではないにせよ、
護りの堅い城内に侵入出来るなんて、
ただ者ではありませんよね (`・ω・´)


この事件以外にも家康公は、
埼玉の森の奥で『空飛ぶ籠』に乗った人と接触したこともあったそうで…

けっこう、未知との遭遇をされているみたいですね。
さすがは、になられた人!(゚д゚)

もしかしたら、宇宙人に改造手術されていたのかも←

もしかしたら、選ばれたソルジャーだったのかも←


もしかしたら、合体ロボ・タダカツを乗りこなしていたのかもしれない!


BSR家康4


タダカーーーツ!!!

BSR家康1

BSR家康2

BSR家康3


BSR家康6


タダカーーーーーツ!!

BSR家康5


※写真は、戦国BASARAの家康&忠勝だよ。



特撮一本撮れるよ、これ。←



・・・さて、そんなワケで、どんなワケで?
次回の家康公めぐりは、
家康公が不思議な力を授かっ…じゃなくて、
元服された静岡浅間神社です!







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2016年11月13日(日)

家康公めぐり【駿府】

テーマ:◆厭離穢土欣求浄土
皆さま、こんにちばん!!
和心を詠って伝える伝道師(アーティスト)です! (^o^)人(^_^)

今ある私達の平穏な暮らしが、過去に散っていった、
数多くの犠牲の上に成り立っているということを常に忘れず、
その時代を全力で生き抜いた方々に、尊敬と感謝をこめて
手を合わせながら、が巡る歴史ゆかりの地。

ただいま、徳川家康公を巡っています!(`・ω・´)

今回は、家康公が75年の生涯の、
およそ3分の1の年月を過ごされたという、
静岡県の駿府すんぷにやってきました!

駿府9


※バックナンバー『藤堂高虎公めぐり』もご覧ください♪
★バックナンバー『○藤堂高虎公を巡る○駿府城○』


6歳で人質として、今川家にむかう途中、
家臣の裏切りにあい、織田家に売り飛ばされ、
織田家の人質となってしまった竹千代たけちよ(家康公)

8歳の時、実父・松平広忠が家臣に暗殺されてしまいます。
同年、人質交換で今川家の人質となりました。

その人質交換の際、
幼き竹千代が移り住んだのが、ここ駿府でした。

当時の駿府には、現在の駿府城はなく、
今川氏今川館があったそうです。

竹千代は人質とはいえ、
今川家から優遇されていたようで、
臨済寺の通称「竹千代手習いの間」で、
今川義元の名軍師・太原雪斎たいげん せっさいから多くの事を学ばれました。
いわゆる、人質という名の『政務見習』だったのではないかと言われています。

ちなみに現在、駿府城巽櫓内に
『竹千代手習いの間』
が復元されています。
撮影はNGでしたので写真はありませんが、一見の価値がありますよ♪

さて、そんな静岡県駿府ですが、
冒頭でも書かせていただいたように、
家康公が75年の生涯の、
およそ3分の1の年月を過ごされた地としても知られています。

それも、長期間滞在されていたワケではなく、
人質時代の約12年間(8才~19才)
五カ国大名時代の約5年間(45才~49才)
大御所時代の約10年間(66才~75才)
3期に渡って過ごされていました。

中でも、大御所となってから再びこの地に戻られた事から、
家康公にとって駿府は、
特に思い入れの強い地だったという事が伺えます。


家康公が愛したまち、ということで、
そこかしこに、家康公に関連するものが見られます。

駿府4

※静岡駅前の「葵の御紋」は平成27年12月末で終了しています。


駅前の竹千代君像

駿府城3


駿府3


凛としたさわやかな青年ですね!



マンホールも見落としちゃぁいけません(o^∇^o)ノ
駿府城マンホール☆

駿府1

駿府城5


こちらは静岡市の花である「たちあおい」

駿府2


実は「たちあおい」は、

徳川四天王のひとり本多忠勝ほんだ ただかつの家紋でもあるんですよね。
・・・偶然??(´・ω・`)


五カ国大名時代家康公像もございます♪

駿府6

駿府城6


こ、これは、
家康公スペイン国王から贈られた洋時計……??

駿府5


記念撮影用のカメラ置きのようです。面白い!(o^∇^o)ノ


区役所内におられました。
なかなか渋い!

駿府11


イケメンな家康公です。


こちらは『徳川慶喜邸跡』(浮月楼ふげつろう)

駿府8


徳川慶喜公
が大政奉還後に移り住まわれたお屋敷です♪



さて、次回は駿府城です!

駿府10








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