MARYSOL のキューバ映画修行

【キューバ映画】というジグソーパズルを完成させるための1ピースになれれば…そんな思いで綴ります。
★「アキラの恋人」上映希望の方、メッセージください。


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まもなく7月26日、キューバ革命記念日=モンカダ兵営襲撃の日がやってきます。

 

          「7月26日運動」

 

それを口実に、今日は黒木和雄監督の『キューバの恋人』に挿入されている《関係シーン》について解説させていただきます。

 

該当シーンは開始後1時間1837秒後。DVDチャプター9

《チェ・ゲバラの日記》シーンを経て、《雨に打たれて寒そうな主人公アキラ》のシーン後。

《革命記念日に参加しにサンタクララへ向かう》シーン前。

 

モンカダ兵営襲撃直後の惨状を映したシーンと共に、犠牲者の一人、レナト・ギタルトの父が息子のこと、前夜の様子を語る。

25日の夜7時、息子は『カーニバルだから今夜は帰らない』と言ったあと、いつになくじっと私を見つめた。彼の死を知ったのは、26日の夜8時だった」。

  

 

☆レナト・ギタルトとは誰か?

1930112日、サンティアゴ・デ・クーバに生まれる。

正式な名前はレネ(René)。レナートは愛称。

彼は生れながらに左目下に赤あざがあったため、両親は気にしたが、幸い天性の明るい性格と両親のおかげで社交的な子に育つ。基礎教育終了後、商業を学ぶ。

19523月、バティスタのクーデターに怒りを覚え、FEU(大学生連盟)に活動の場を求め、フィデル・カストロと知り合う。

モンカダ兵営襲撃計画においては、フィデルやアベル・サンタマリアと共に中心的役割を果たした。そして1953726日早朝、前衛隊としてモンカダを襲撃し、銃撃戦の中で死亡した。

 

★ K.S.カロル(著書 p.270 要約)

1968726日の記念日を機に、各所にレナトの肖像が掲げられた。

(かつて教条主義者たちは自国の真の歴史を知らせまいとしていたが)革命運動の非共産主義的部分が果たした役割を正当に評価しようとする運動に加え、 レナト・ギタルトのように、武器を手にして闘い、斃れていった人々の存在を模範として強調していた。

その背景には、新たな対ソ緊張や中南米におけるゲリラの誕生があった。

 

 1968年のキューバの記録映画として再評価されて欲しい。

 

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El odio como factor de lucha, el odio intransigente al enemigo, que impulsa más allá de las limitaciones naturales del ser humano y lo convierte en una eficaz, violenta, selectiva y fría máquina de matar. Nuestros soldados tienen que ser así: un pueblo sin odio no puede triunfar sobre un enemigo brutal.

[Fuente: Mensaje a la Organización de Solidaridad con los Pueblos de Asia, Africa y América latina - Abril de 1967]  Che Guevara  

 

憎しみは戦いの要素。憎しみは敵に妥協しない。人間を駆り立て、その限界を超えさせ、効果的かつ荒々しく、選び抜かれた、冷たい殺人マシンに変える。

我々の兵たちはこのようでなければならない。憎しみのない人民は残酷な敵に勝利できないからだ。(19674月 アジア・アフリカ・ラテンアメリカ人民連帯機構へのメッセージ)

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

"Si los cohetes hubiesen permanecido, los hubiésemos utilizado contra el mismo corazón de los Estados Unidos incluyendo a Nueva York".

 

もし(ソ連の)ミサイルが撤去されていなかったら、ニューヨークを含め米国の心臓部を攻撃していただろう。(196211月、ロンドンのデイリー・ウォーカー紙記者に語った言葉)

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昨日12日、ICAIC(キューバ映画芸術産業庁)が所有する約3000点の映画ポスターコレクションが、ユネスコが主催する「世界の記憶」に登録された。

評価のポイントは、国家的遺産価値の高さやキューバ映画の発展に付随した、多様なグラフィック表現。


60年代キューバで一大ブームを起こした同国の映画ポスターは、ビジュアル・アートに革命をもたらし、形式のみならず、コンセプトにおいても実験的試みを率先して行った。

と同時に、ポップアート、オプ・アート、キネティックアートなど当時の世界的潮流を積極的に取り入れた。

 

 

代表的なポスター作家として、エドゥアルト・ムニョス・バッチ、アントニオ・フェルナンデス・レボイロ、アルフレド・ロストガルド、ラファエル・モランテ、フリオ・エロイ・メサ、アントニオ・ペレス(ニコ)らがいる。

 

参照記事(スペイン語):https://www.cubanet.org/cultura/coleccion-de-carteles-de-cine-cubano-queda-inscrita-en-el-registro-de-la-unesco/

 

拙ブログ関連記事:https://ameblo.jp/rincon-del-cine-cubano/entry-12130195924.html

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先日予告した通り、サンドラ・ラモスさんの個展に行ってきました。

サンドラさん(以後S)は、ご主人とお嬢さんと一緒に来場!

 

頃合いを見計らって、声をかけてみました。

「作品に和紙が使われていますが、何か理由があるんですか?」

 

S:「和紙は素材としてとても素敵だし、自然を大事にしたいから」

 

なるほど。作品に魚の骨とか貝が使われているのもそういうことなんですね。

 

さらに「日本との繋がりも関係しています」と補足されたので、

「やっぱり!」と思いました。

 

というのも、サンドラは1997年末に初来日し、札幌で制作および個展を開催(長期滞在)。

2003年にも府中市(東京)美術館で公開制作やレクチャーをしており

(私もそのとき彼女の作品を見て、話を聴きました。筋道だった話しぶりと博学さに感心!)、 日本とは浅からぬ縁を結んでいるから。

 

「マイアミに移られてどのくらい経つのですか?」

S:「4年よ。娘の教育を考えて移ったの」

 

「キューバの変化をどう思いますか?」

S:「人々にとってチャンスが増えて良かったと思うわ。まだまだ足りないけど」

 

「キューバを離れることで、創作のインスピレーションが湧かなくなる心配はありませんか?」

S:「それは大丈夫」  (ハバナへは行ったり来たりできるから?)

 

そのときご主人が「写真を撮ろうか?」と言ってくれたので、互いにスマホで撮影―。

           

で、ようやく「実は私、キューバ映画についてブログを書いてます。『低開発の記憶』がきっかけで」と自己紹介すると

 

S:「あれはスゴイ映画だわ。今も若い人たちに刺激を与え続けているのよ。続編もできたわよね?」

「そう。監督のミゲル・コユーラとは友達なんです。札幌で上映しました

S:「あら、私も彼のこと知ってるわよ」

 

う~ん、やっぱり世界は狭い!でも嬉しい!!

(翌日フェイスブックに写真をアップすると、メキシコ在住のキューバ人の友達から「サンドラとは知り合いだよ。でも、もう20年以上会っていないなぁ」とコメントが) 

 

写真撮影ごっこのあとは、ご主人としばしキューバ映画についておしゃべりしました。

今度は私が質問される番…

 

それにしても不思議です。

1本の映画がきっかけで、これまで多くのキューバの“有名人”と知り合い(マリオ先生とデスノエスのおかげ)、彼らの多くが知り合った前後にキューバを去っている、という事実。(戻った人もいますが)

 

12年前にブログを始めたときは、〈残った人=例えばアレア〉の理由のなかに、〈私が知り得ぬキューバの魅力を見つけられるのではないか?〉と期待したのですが―。

 

「エリック・グラス(キューバ映画の著名な芸術監督)もマイアミに来たよ」

 

サンドラのご主人からそう聞いて、驚くと同時に「キューバ映画大丈夫かなぁ…」と心配になりました。

 

会場に展示されていたサンドラの作品 「飛ぶ島(Isla Voladora)」 1997年

海と空

海にはサメ。キューバ島が筏に姿を変えて漂流している…

空には、サンドラが漕ぐ飛行機?

同乗するエル・ボボ、リボリオと一緒に微笑んでいる和装の女性。

彼女のイノセントな雰囲気に親しみとギャップを感じました。

スーツケースの中に、ユーモアとペーソスが同居する作品

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先日「国際文化会議」についての投稿をした後、複雑な気分になりました。
というのも、以下の2つの点(フィデルによる総括)に改めてショックを覚えたからです。


① 「ミサイル危機」のもと核戦争が回避されたことに安堵するどころか、「平和擁護」をスローガンに掲げたヨーロッパの共産主義者を非難したこと。
② ゲバラ主義=革命的暴力の行使を肯定したこと。


  ※フィデルは、チェの死に最も深い衝撃を受けたのは知的労働者だったと認め、彼らに革命家としての資格を認める一方、チェの行動を疑問視する声に対しては「彼らには、決して理解できないだろう。なぜなら、彼らはチェのように死ぬことが絶対にできないだろうし、彼のように真の革命家になることも決してできないに違いないからである!」と発言。


ただ、この2点によって、映画『低開発の記憶(いやしがたい記憶)』が封切られた時点(1968年8月。チェコ侵攻事件の直前!)の《時代の意識》が掴めました。


 ※当時のセルヒオ 注: 『いやしがたい記憶』=『低開発の記憶』
  http://ameblo.jp/rincon-del-cine-cubano/entry-10005608619.html

 

そして〈チェのように死ねない“セルヒオ”〉は理解されないどころか、非難された(だろう)ことも納得できました。
セルヒオに共感する私としては、“真の革命家”との断絶に改めて直面し、「もはや言葉を超えている」(原作より引用)としか言いようがありません。


 ※私のセルヒオ観:http://ameblo.jp/rincon-del-cine-cubano/entry-11910290546.html
 ※最初の衝撃(2003年の体験): http://ameblo.jp/rincon-del-cine-cubano/entry-10003925526.html


10年以上 考えてきたけれど、結局のところ、私はこの歌を口ずさんでいた思春期の頃と変わらない…

 

 

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恒例の「とことんキューバ音楽」 vol.10 のお知らせ音譜

 今回のテーマは《ダンソーン~チャ チャ チャ》

 15日開催です!

 

 

「ダンソンからチャ チャ チャ」なんてスゴク心惹かれる!

なのに、今回に限って行かれない 😢

アンコールお願いします。

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『サンドラ・ラモス個展 - 海と涙 』★作家来日★
期間:2017年7月6日(木)〜7月11日(火)2F 
時間:11:00〜19:00 (最終日のみ17時終了)/月曜休廊

オープニングパーティー:7月9日(日)16時〜19時 

主催・企画:プロモ・アルテギャラリー
プロモ・アルテへのアクセスはこちら:http://www.promo-arte.com/galeria2/map_images/galeria_ArtsMap.htm

 

 

きょうから青山にある「プロモ・アルテギャラリー」でキューバの女性アーティスト、サンドラ・ラモスの個展が始まりました。
嬉しいことに、9日にはラモス本人を囲んでオープニングパーティーがあります。
どなたでも参加できるそうなので、ご興味のある方はお出かけになってみてはいかがでしょう?

 

プロモ・アルテは日本ではなかなか知ることのできないラテンアメリカの現代美術に触れられる貴重な展示場でしたが、残念ながら8月いっぱいで展示活動は終了するとのこと。
http://www.promo-arte.com/jpn/about/aboutus.html

 

作家のサポート活動は継続されるとのことですが、あのラテンやカリブの新風が吹く、お洒落なギャラリーが閉じてしまうとは、なんとも淋しい気持ちです。
感謝の気持ちを胸に、9日はぜひお邪魔したいと思います。

 

作家紹介:サンドラ・ラモス
http://www.promo-arte.com/jpn/artists/09sandra_ramos.html


ギャラリーの案内メールより
2002年に当ギャラリーにて、キューバ革命後第2世代を代表する作家サンドラ・ラモスの個展「“Espejimos” 蜃気楼」を開催してもう15年が経過しました。
その間、毎年当ギャラリーにてサンドラの個展を開催する一方、2003年には府中市美術館にて「難破船 Naufragios -サンドラ・ラモスの絵画とトランク-」を開催、また当ギャラリーと在日キューバ共和国大使館が企画したグループ展「キューバ現代美術日本巡回展」を開催。
そして、作家は海外にて、ベネチアやハバナビエンナーレ、ロサンゼルス現代美術館(MOCA)、現代美術国際アートフェアー(ARCO)等、数多くのグループ展に出展し、作家活動を精力的に行っています。
作家のサポートは今後も行っていく所存ではございますが、この度、8月いっぱいでこの展示場を閉鎖することとあいなりました。

つきましては、作家来日を兼ねて、来る7月6日(木)~11日(火)に、ギャラリーに残る作品約30点と作家が持参する写真作品を含めた展覧会を当展示場での最終公開といたします。
プロモ・アルテ展示会場を過去訪れた方や、作家と友情のある方、また作品に興味のある方やキューバに興味のある方々皆様お誘いの合わせの上是非ご来場くださいますようご案内申し上げます。
尚、 7月9日(日)16時より作家を囲んでパーティーを開催いたしますのでこちらも合わせてご来廊ください。

 

★ 四方田犬彦先生のご著書「ニューヨークより不思議」にもラモスの近況(キューバを去り、マイアミ在住)が書かれています。

 

☆ 拙ブログ関連記事:https://ameblo.jp/rincon-del-cine-cubano/entry-12075560841.html

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国際文化会議 Congreso Cultural de La Habana 1968年1月4~12日ハバナにて開催 

 

  

 

世界70か国から500人以上の芸術家、思想家、文学者、評論家らが参加した文化フォーラム 

 議長:ホセ・リャヌサ文部大臣

 ヨーロッパからの参加者
  作家:ミシェル・レイリス、ホルヘ・センプルン、マックス・ポール・フーシェ、アーノルド・ウェスカー他
  科学者:ピエール・レーマン、ジォヴォアンニ・ベルリンゲル、アマティ、ヴィジェ他

  画家:マッタ、ラム、ピニョン他
  社会科学者:ミリバン、ホプスバウム、ゲラン、アクセロス他

 中南米・カリブ諸国からの参加者:エメ・セゼール、コルタサール、ベネデティ、シケイロス他

 日本:羽仁進、山本薩男、松本清張、見砂直照(東京キューバンボーイズ)他

 

             


・テーマ:知識人と第三世界の人民の解放闘争
  主要議題:文化と民族の独立、人間の完全なる形成、
       低開発世界の問題における知識人の責任、
       文化とマス・メディア、芸術創造と科学・技術的仕事の問題

   上記5つの問題を討議するため5つの分科会が設けられる。

 

・キューバ側にとっての中心課題:知識人はいかに革命に奉仕できるか。

 

・会議の趣旨
  知識人に革命の問題を討議するよう呼びかけ、共産党の独壇場に参画するよう促す。
  知識人たちが武装闘争への連帯を表明する場となる。

 

・会議では、広義のマルクス主義および西欧の批評的思想における多様なイデオロギーや知的傾向が表明された。発言の自由は完全に保証されていた。
 前年の「サロン・デ・マヨ」同様、多様性の尊重という点でも、知識人の政治参加という点においても、キューバの知識人と西欧知識人とが主張を共有した。

 

★会議閉幕後にフィデル・カストロが行った総括 (12日)
 ・米帝国主義という普遍的な敵に対し最も戦闘性を見せたのは知的労働者。

  政治団体ではなかった。
 ・カリブ危機の際、共産主義者は正義の闘いを選ぶより、ソ連からの指令に従った。
 ・フィデルは(チェの死を引き合いに出し)知識人に革命家としての資格を認める一方、
  共産主義者に対して、革命家の資格も可能性も否定した。
 ・キリスト教とマルクス主義の調和を唱え、革命的暴力を肯定したカトリック神父を賞賛し、

  教条主義的なマルクス主義を痛烈に皮肉った。

 

 フィデルの主張:ドグマとか化石化した思想ほど反マルクス主義的なものはない!
            あらゆる革命的真理を掌中にしている人間はいない!

 

・新左翼(少数派)が各国で共産党に対抗するよう促し、彼らに援助と保護を約束。
・新しい〈ゲバラ主義〉世代の台頭を期待。〈第三の共産主義〉の到来を告げる。

 

              

                      5つの主要議題をデザイン化した記念切手

 

Marysolより
上記のまとめはK.S.カロル著「カストロの道」を参照しましたが、その中の《キューバ側は、自分たちの革命に関する問題や関心事について、どこにも回答を見出せなかったので、知識人がそれに答えることを期待していると説明した。東欧の代表は発言すべきものを何も持っていなかった》という指摘に、小田実(1968年にキューバに滞在しており、72年に『いやし難い記憶(=低開発の記憶)』を翻訳)の指摘が重なりました。
《主人公はどうにかして革命のなかに生きようとする。それでいて、彼はどう生きればよいのか、彼にも判っていなければ、革命にも判っていない。》

 

それにしても、カロルによれば、当時ヨーロッパの知識人はキューバ革命を「理想の祖国」と見なしていました。その印象は、この会議を通じてますます強まったに違いありません。それほど充実した内容だったし、画期的な会議だったようです。

 

ところが、このあとの展開は国を挙げての生産力増強へとシフトし、8月の「チェコ事件」を境に、ソ連との対決姿勢は一変します。
http://ameblo.jp/rincon-del-cine-cubano/entry-12277755200.html
http://ameblo.jp/rincon-del-cine-cubano/entry-12278388000.html

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キューバ革命と文化を考えるときに、〈社会主義リアリズム〉の問題は要です。
先日は1962年にキューバを訪れ、映画人たちと討論の場を持ったこともあるアンジェイ・ワイダ監督の遺作について触れました。

今日は、米帝国主義を象徴した「鷲」の像の代わりに置かれるはずだった「鳩」をデザインしたピカソと社会主義リアリズムについて。

 

1944年にフランスで共産党に入党したピカソ。
彼と社会主義リアリズムとの関係はいかに?

この記事によると、ピカソはフランス共産党に政治利用されることは気にしていなかった。
しかし党の方では、ピカソの作品をエリート気取りだとか知識人ぶっていると断じ、労働者を描くよう勧めた。こうした共産党による社会主義リアリズムの執拗な押し付けにピカソは閉口すると同時に抵抗した。
政治学者でジャーナリストのミゲル・オロスコ氏によれば、ピエール・ルエルディの詩集「死者たちの歌」のためのリトグラフ(1948年)に極めて恣意的に描かれた抽象的なアルファベットは、党に対するピカソの抵抗の証であるという。

 

昨年6月から10月にかけて、マラガにあるピカソの生家、ピカソ財団で開催された"Picasso y el Canto de los Signos(ピカソと記号の歌)"に展示されたリトグラフ。
尚、ルエルディはキュビズムの最初の理論家で、
「死者たちの歌」は、彼とピカソの共作が前提だったとのこと。

 

ピカソにとり最優先されるべきは、政治的教義ではなく、創造の自由であること。
それを作品を通して表明したのだった。

 

☆ ピカソとスターリンの肖像画

1953年にスターリンが亡くなると、ピカソはルイ・アラゴンから依頼され、スターリンの肖像画を描いた。

ところが、その絵がリアリズムに欠けるとしてフランス共産党で問題になる。

この騒動をきっかけに、ピカソは党と距離を置き始める。

 

3年後にハンガリー動乱(1956年)が起きると、ピカソは他の知識人と連名で党の沈黙を批判する書面を送った。最終的に離党はしなかったものの、ピカソと党の関係は冷却化し、世界的な名声を誇る画家は「赤い大金持ち」呼ばわりされ、中傷の対象にさえなっていった。

1962年、ピカソは「レーニン賞」を受賞する。

 

Marysolより

それにしても、ハバナに建立されるはずだった「ピカソの鳩」。
実現しなかった背景には、共産党の反対があったのかもしれませんね。
https://ameblo.jp/rincon-del-cine-cubano/entry-12202615077.html
http://ameblo.jp/rincon-del-cine-cubano/entry-12170104008.html

ピカソに「鳩」のデザインを依頼した「ルネス」は一連のエピソードを知っていたうえでピカソに頼んだのでしょうね。

 

『低開発の記憶』のラスト近く、セルヒオがガラス製の雄鶏を割るシーンがありますが、それが何を意味しているのか気になっています。
「フランス共産党」?
それにしても、フランス共産党って(キューバのPSPと同じく)スターリン主義だったんですね。
だとすれば、60年代のフィデルやチェを異端視していたことも理解できます。

 

お知らせ
先週末、箱根のポーラ美術館で開催中の「ピカソとシャガール、世界初の二人展」に行ってきました。

             


ピカソとシャガールって余りにも対照的で、どこに接点があるのか不思議だったし、そんな二人が仲睦まじそうに映っている写真を見て心が騒ぎ、夫をけしかけて出かけた次第。

展覧会を見て、絵画表現においてピカソが切り開いていった自由のおかげで、シャガールの絵がのびのびと飛翔できたことが納得できました。

だから、シャガールにとってピカソがどれほど尊敬に値する人物だったか、ということも。
また、ピカソとシャガールの対面はただ1度きりだったこと(1951年)。しかも気まずく別れたこと、その原因が「社会主義リアリズム」と関係していたことも(拙ブログにとって)タイムリーな情報でした。

結果的に、ピカソはシャガールをやり込めようとして、墓穴を掘ってしまったようです。

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キューバ革命後の文化(特に60年代)は、旧共産党(PSP)勢力が押し付けようとする社会主義リアリズム(ソ連派)と、新しく独自の文化を創造しようとする表現者たち(反ソ連派)との覇権抗争の歴史だった。

 

きょう紹介するのは、反ソ連派のカルロス・フランキが企画し、1967年7月に開催した大イベント「サロン・デ・マヨ」(開会式は7月30日)。

パリで毎年5月に開催される「サロン・ド・メ(5月展)」をハバナに招待したのだ。

 

フランキの意図。それは(K.S.カロルによれば)、社会主義国が常に反対してきた自由な絵画をカストロ主義者たち(キューバ革命)は支持していること。それを公然と表すこと。

つまり、カストロ主義者たちこそ真に革命的であり、“化石化したマルクス主義”の虜になっていない前衛の名に値する芸術とはこのようなものだ、と高らかに宣言することだった。

 

パリ側でこの企画に協力したのが、キューバ出身でピカソとも親しい画家のウィフレド・ラム。彼は団長として、6月末に他の招待者と共にパリからハバナに到着した。

各国からの招待客(アーティスト、作家、ジャーナリストなど)の数は150人を超えたという。マルグリット・デュラスやミシェル・レリス、ホルヘ・センプルン、ファン・ゴイティソロ、ホルヘ・カマチョ(この滞在中にレイナルド・アレナスと接触)の姿もあった。

 

そして、7月17日の夜、国籍も流派も異なる60人近い画家が、通称「ランパ」通りに面する「パペジョン・デ・クーバ」で、ラムの指揮のもと巨大な壁画「CUBA COLECTIVA(集団的キューバ)」を共同製作するという大パフォーマンスを繰り広げた。

                  壁画のサイズ:10m×5.5m

 

画像: http://www.penultimosdias.com/2008/03/25/historia-de-un-mural/

 

キューバ側の参加アーティストには、アメリア・ペライスやマリアーノ・ロドリゲス、ラウル・マルティネスらがいた。

また、会場前の路上では「トロピカーナ」の美しい踊り子たちがパフォーマンスを繰り広げた。大勢の人が集まり、その様相は、まさにアートのカーニバルだった!

     

 

招待客たちはその後、自由に様々な施設や教育機関を見学し、革命記念式典に出席するためサンティアゴで集合した。

7月26日、フィデルは、「ヨーロッパの知識人とシエラ・マエストラの農民に共通するのは、正義を求める熱意、人類の進歩への熱意、人間の尊厳にかける熱意である」と演説した。

 

それから4日後の30日夜。「サロン・デ・マヨ」は開会式を迎えた。

会場には約200点の作品が展示され、ピカソ、マグリット、マン・レイ、ロベルト・マッタ、アントニオ・サウラ、レネ・ポルトゥオンドらの作品に交じり、日本の画家の作品も出品されていた。(ちなみに1951年に「サロン・ド・メ 日本展」が東京で開催された)

 

          写真はJiribilla

 

この大イベントの参加者のうち75名が《抑圧された人民の武装闘争と翌年1月に開催予定の文化会議を支持する文書》に署名したという。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

時計の針をさらに進めると…

それから2か月後、ボリビアでチェ・ゲバラが処刑された。

翌年8月にはチェコ侵攻事件が起き、フランキはソ連を支持したフィデルと決裂。

 

そして1971年3~4月「パディージャ事件」が起き、「サロン・デ・マヨ」に参加した何人かはフィデル宛の抗議文書に署名することになる。

 

1974年、キューバの作家ホセ・アントニオ・ポルトゥオンド(ソ連派)は、「『サロン・デ・マヨ』は、我々がいかに新植民地主義に毒されていたかを示すものだった」と語った。

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