MARYSOL のキューバ映画修行

【キューバ映画】というジグソーパズルを完成させるための1ピースになれれば…そんな思いで綴ります。
★「アキラの恋人」上映希望の方、メッセージください。


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FB経由で「米メディアはなぜヒトラーを止められなかったか」(ニューズウィーク)を読んで、まさに今この時代への警告と受けとめました。

ムッソリーニやヒトラーの台頭を「悪い冗談」のように傍観し「まさか」と楽観していた米メディアの態度。それは、昨年のイギリスのEU離脱や米国大統領選のトランプ勝利を「予想外」と驚きつつも、高をくくって傍観している自分と同じ!


ではどうすればいい? というと、やはり、ぜひともメディア関係者の、覚悟と使命感をもった報道を切望します。また、もし公の機関ができないなら、個人レベルでも発信すべきだと思います。


ちなみにオバマ大統領は、18日に行われた最後の記者会見で報道機関を前に「強大な権力を持つ者たちに懐疑的な姿勢で厳しい質問をぶつけ、お世辞を言うのではなく、違反的な目を向けるのがあなた方の役目だと言い、《メディア批判を繰り返すトランプ大統領に対し手を緩めないよう報道機関に注文をつけ、権力の監視役としてメディアが担う役割を強調≫したとのこと。 この言葉、メディア関係者だけでなく、誰もが心に留めおくべきですね。


ところで、冒頭の記事をFBでシェアした方のコメントの最後には、次のような言葉が書かれていました。
ヒットラーが何がすごかったかと言えば
ゲッベルスという映画界が抑えている宣伝大臣を味方につけたこと。

実は報道機関よりも
エンターテイメントメディアの方が影響力があることを
証明してしまったのかもしれない。

 

映画界と政権の結託。
この指摘に、思わずキューバ映画(ICAIC)は?と考えました。

が、キューバの場合は《映画が社会や体制を批判的に観る≫ジャーナリズムの役割を果たしてきました。 

その代表例がトマス・グティエレス・アレア監督
 

フィルモグラフィーをたどると、すでに1962年の『12の椅子』から批判精神は発揮され、66年の『ある官僚の死』は官僚批判そのものだし、68年の『低開発の記憶』の主人公セルヒオは、オバマ大統領が提唱する「懐疑的な姿勢」を体現しています。

70年代以降のアレア作品については、今後見ていきますが、遺作『グァンタナメラ』は、フィデル・カストロの怒りを買ったと聞きます。

 

もっとも《批判精神をもった映画作り》は、ICAIC創設メンバーが革命前から共有していた精神。その具体例が、革命前の社会の不平等を写し撮った『エル・メガノ』 (55年)。

より良い社会建設に必要不可欠な要素。それが「批判装置」で、「その役割を国内のメディアが果たさないから映画が担っている」とアレアは言ってました。

 

近年はキューバもネット社会になってきて、批判装置を映画に求めなくてもよくなりましたが、それでも受け継がれています。

その証拠に最近のキューバ映画の特徴として、公の歴史で隠蔽された出来事を掘り起こす傾向が挙げられており、例を挙げると、『セルヒオの手記~ユートピアからの亡命』 (PM事件等の検閲)、『Obra del Siglo(仮:世紀の事業)』 (ソ連崩壊で頓挫した原発建設)、『エル・アコンパニャンテ』 (エイズ感染とアンゴラ戦争の因果関係)、 『サンタとアンドレス』 (同性愛者迫害)など。

 

社会主義国の映画というと「プロパガンダ」をイメージするかもしれませんが、キューバ映画の場合は、批判精神が基本にあることを理解して鑑賞することが大事。

そして映画は何を問題視しているか探るうち、革命が抱えた様々な問題が見えてきます。

 

今アレア作品を見直す意義を感じているのは私だけでしょうか?

              
来月初めハバナのブックフェアでお披露目されるというアレア監督の伝記(第一部)。

ゲットしに行きたい!
 

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 あと1週間で退任というタイミングで、オバマ大統領が〈キューバの不法入国者のみに適用されている優遇措置を廃止する〉と発表しました。 

 件の優遇措置とは、キューバを船で脱出した住民が米国の陸地にたどり着けば入国を認められ、1年後には永住ビザを取得できるというもの。

 (俗にwet foot, dry foot“濡れた足、乾いた足”という)

 

 ちなみにキューバから海を渡ってくる場合だけでなく、メキシコ国境を越えて来た場合や米国領の空港(プエルトリコなど)に到着した場合も“乾いた足”と認定されていたが、ジョージ・ブッシュ大統領時代、キューバ人医療ミッションに対し設けられた優遇措置「キューバ医療専門家臨時入国プログラム」と併せ、廃止されることになった。 

記事と写真の出典:http://oncubamagazine.com/society/u-s-ends-wet-foot-dry-foot-policy-for-cuban-immigrants/

 

※ キューバ難民に対する「地位調整法」は1966年に制定されたが、「乾いた足政策」、すなわち、陸地に着けば入国が許され、海上で拿捕された場合は強制送還されることになったのは、1995年のクリントン大統領の時から。それ以前は、海上で発見されても(政治亡命として)アメリカへの入国が許されていた。

今回廃止されたのは、クリントン以降の措置。
 

Marysolより

 上の映像は、革命を敵視するマイアミの放送局が編集した「大量出国の歴史」。

アナウンサーの口調や効果音が押し付けがましいものの、紹介される事件(10分弱の映像)は参考になります。

 

 1958年大晦日のバティスタ大統領とその高官の脱出に始まり、60年の「ピーターパン作戦」(1万4千人の子供が出国)、61年のカトリック神父追放(131人)。  

 

 62年10月のミサイル危機後、米国がキューバ人の受け入れを中断。危険を冒して脱出する者が出たため、キューバ政府はマイアミから家族を迎えに来る船の受け入れにマタンサス州のカマリオカ港を提供65年までに30万人が出国し、米国は66年に「調整法」を制定する。

 

 80年、世界に衝撃を与えた事件が起きる。「ペルー大使館占拠事件」が引き金になった「マリエル港大量出国事件」だ。このとき12万5千人が船でマイアミに渡り、フィデル・カストロは「出ていきたい者は出ていけ。我々はお前たちなど愛していないし必要としていない」と言い放ったうえ、出国者に紛れて犯罪者や精神病者をマイアミに送り込んだ。(当事者には出国の意志を確認したのでしょうか?) 

 

次に大量の出国者が出たのは、ソ連崩壊による経済危機が深刻化した90年代前半。貧弱な筏(いかだ)による脱出は多くの海難事故を生み、それはつい最近まで続いていた。

 

今回の決定により、こうした悲劇にようやく終止符が打たれるわけですが、変化を外に求められなくなった国民の要求にキューバ政府はどう応えていくのか、今後の展開が気になります。特に最近は反体制派への圧力が強まっているようなので…。

 

最後に、Youtubeで「キューバ難民」を検索していたら、前に紹介した映画を発見しました。http://ameblo.jp/rincon-del-cine-cubano/entry-10102908142.html

Balseros-Documental sobre el éxodo de cubanos en 1994

『バルセーロス-1994年の大量出国』 

 タイトルの『バルセーロス』とは「筏(いかだ)難民」のこと。

1994年8月、ハバナで前代未聞の暴動“マレコナッソ”が起き、大量のバルセーロスを生みました。 

映画の冒頭、出国にあたり所持品を調べられた女性の「悲しみのほかに何も持っていないわ」という言葉が胸に突き刺さります。

一方、エンディングのルクレシア(キューバ出身)の歌声がパワフルで素晴らしい。

 

 

 

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明けましておめでとうございます。 

引き続きキューバの変化が気になる年ですが、拙ブログは相変わらず過去の文化関係の出来事を掘り起こすことで、革命の変容に目を凝らし、映画の理解に繋げたいと思っています。

未だに60年代前半をウロウロしていて一向に進みませんが、それだけ波乱万丈で複雑な時代だったということ。

希望と不安が入り混じった、映画よりドラマチックな時代でした。

 

前置きはこのくらいにして、今日は1月のイベントをいくつかお知らせするのみで失礼します。明日からしばらく旅行に行くので…。

 

★ アルゼンチン映画講座 @ Café y Libros(カフェ・イ・リブロス)

  日時: 第1回 1月15日(日)15:00~17:00 

      第2回  2月5日(日)15:00~17:00

       第3回  3月5日(日)15:00~17:00

 

講師:アンドレス・ドウアルテ・ロサ 

(2014年カフェイリブロスで文学・音楽・語学クラスなどで人気を集めたアンドレス先生の特別講座です!)

 

経歴:東京芸術大学音楽部芸術修士、ラ・プラタ国立大学作曲学部学士、現アルゼンチン・ラ・プラタ国立大学映画音楽兼オーデイオビジュアル映像教授・研究員

 

各回ともスペイン語-日本語の逐次通訳が付きます。スペイン語がわからない方もご心配なくご参加ください!

参加費にはコーヒー・菓子が含まれます。

詳細http://www.cafeylibros.com/cyl-news/ 

お申込みはCafé y Libros http://www.cafeylibros.com/ 

TEL: 03-6228-0234

 

寺尾隆吉×佐々木敦 「キューバナイト!~キューバ文学の魅力を語る熱い夜」

 アレッホ・カルペンティエル『方法異説』、レイナルド・アレナス『襲撃』(水声社)

 刊行記念

  1月26日(木) 20:00~22:00(開場 19:30)下北沢 B & B

 入場料: 1500円 + 1ドリンクorder

  詳細: http://bookandbeer.com/event/20170126_cuba_night/

                                                                                       

 

とことんキューバ音楽 vol.7  

  1月28日(土)17時スタート(予定)下北沢ボデギータ

  テーマは「トローバ」だったはずですが、詳細は後日改めてお知らせします。

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キューバ革命が生んだ文化の特徴は、国内だけでなくラテンアメリカ全体を視野に置いていたこと。映画において1985年~86年は〈新ラテンアメリカ映画〉運動の胎動期でした。

 

85年2月、ガブリエル・ガルシアマルケスコロンビア出身のノーベル賞作家)やフェルナンド・ビッリ(アルゼンチン出身の映画監督)らがハバナで話し合い、ラテンアメリカ映画の統合という夢が実現に向けて急速に進展する。

 

それから10か月後の12月、第7回新ラテンアメリカ映画祭の閉会式で、フィデル・カストロ国家評議会議長自らが映画祭の成功を祝うと共に、こうした文化的解放闘争の意義を強調。運動をさらに発展させるための基金創設や、映画テレビ界の人材養成のための学校設立の計画を発表した。というのも、映画テレビ学校設立の創案者はフィデルだったのだ。

 

フィデルの言葉:

「われわれはこの一年に起こったことによって勇気づけられております。それは、我々が何かやろうと決めても、それを達成することができると信じさせてくれるからであります。ここに集結した人々の知的、人間的価値に注目するとき、不可能なものは何もないことが明白なのであります」。 ※「シネ・フロント」1986年2月号、第7回新ラテンアメリカ映画祭閉会式におけるフィデル・カストロ国家評議会議長の演説より 訳:中嶋実

 

映画テレビ学校設立について発表するフィデル、学校建設の様子~開校式

 

5:10~ チェーザレ・ザバッティーニ(伊)と電話で話すビッリ。

隣の白いシャツの男はフリオ・ガルシア=エスピノサ監督

 

学校は1986年12月15日に開校した。

所在地は、ハバナから30キロほどのサン・アントニオ・デ・ロス・バニョス。

名称:ESCUELA INTERNACIONAL DE CINE Y TELEVISIÓN (略して EICTV)

HP: http://www.eictv.org/

 

履修年数は3年。最初の1年は総合課程、2年目から8つの選択肢(劇映画監督、ドキュメンタリー映画監督、プロデュース、脚本、撮影、録音、編集、テレビ&ニユーメディア)の中から専攻を選び、3年目は卒業制作に充てる。

学生たちは寮生活を送りながら、文字通り映画漬けの毎日を送る。

これまでの卒業生の数は883名(60か国)

 

また、正規のコースのほかに、単発的なワークショップ等も開催しており、トータルで見ると毎年の生徒数は400名に及ぶ。

これまでに、フラシス・フォード・コッポラ、ブライアン・デ・パルマ、ジョージ・ルーカス、コスガ・ガブラス、スパイク・リー、アッバス・キアロスタミなど世界の一流映画人が来校しワークショップ等を行っている。

 

ちなみに、日本からは黒澤明監督が開校を祝い、ガルシア・マルケス宛に直筆メッセージを送った。和紙の巻紙に書かれた祝辞は、新ラテンアメリカ映画財団の本部に飾られている。

http://ameblo.jp/rincon-del-cine-cubano/entry-10007461376.html

さらに「七人の侍」を撮影したカメラも学校に寄贈された。(わが師マリオ先生の目撃証言)

 

日本の映像機器会社がカメラを寄贈したエピソードはこちら。

http://ameblo.jp/rincon-del-cine-cubano/entry-10006359749.html

  

その他の関連記事

http://ameblo.jp/rincon-del-cine-cubano/entry-11094594455.html

http://ameblo.jp/rincon-del-cine-cubano/entry-10030941697.html

  

Marysolより

ガルシア・マルケスはかつて「21世紀はラテンアメリカ映画の時代である」と豪語しましたが、まだその手前にいるにせよ、ラテンアメリカ映画は確実に存在感を増しており、米国に進出し活躍する人材も増えています。

その意味では「統合」を通り越して「拡散」の感さえありますが、いずれにせよ、ここに至る過程、20世紀の半頃から後半にかけて展開した上記のような連帯と運動は、実に稀有で誇るに値する、幸福な出来後だったと思いませんか?

 

今年は、この運動の強力な磁力だったフィデル・カストロや、校長を務めたフリオ・ガルシア=エスピノサが鬼籍に入り、ひとつの時代の終焉を感じさせられます。

けれども彼らが創設した学校がある限り、精神は受け継がれ、さらなる飛躍を遂げてくれることでしょう。

 

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去る25日、キューバ映画の名カメラマン、ラモン・スアレスがパリで亡くなりました。

1930年生まれなので享年86歳。

謹んでご冥福をお祈りいたします。

 

スアレスは革命が勝利したときキューバ国外にいました。
国を出たのは1954年ですが、52年の時点ではハバナのCMQ放送局で働いていたことが分かっており、すでにエドムンド・デスノエス、ヘルマン・プイグ、トマス・グティエレス・アレアらとは友人同士でした。

(シネ・クラブ繋がりでしょう)

 

ですから1959年にICAIC(キューバ映画芸術産業庁)が創設されると、アレア(当時ICAIC幹部)の呼びかけに応え(本格的に映画を撮れるという期待を胸に)帰国し、ICAICで働き始めます。

12の椅子』(1962年)から『クンビーテ』(1964年)、『ある官僚の死』(1966年)、『低開発の記憶』(1968年)までアレア作品の撮影監督を務めました。

 

が、この最高傑作(彼のカメラが大きく貢献している)を最後に(他の多くの映画人同様)1968年にキューバを去ります。 理由は不明ですが、アレアに「君が私を呼び戻したのだから責任をもって私を国外に出せ」と言った、とどこかで読んだ記憶があります。

 

ともかくスペインに脱出。 そこで映画カメラマンとして働き出したものの、彼が撮影監督を務めた映画“El desastre de Annual” (リカルド・フランコ監督/ 1970)がフランコ政権の逆鱗に触れ、追放の憂き目に。それでパリに移ったのでしょうか?
いずれにせよ、フランスを拠点に米国やラテンアメリカで縦横に活躍し続けました。

 

キューバを去った芸術家は未だに本国では報道されないようですが、彼らの業績がきちんと評価され、キューバ文化史に位置づけられる日が一日も早く訪れることを願います。

 

フィルモグラフィー(キューバ時代)
•1960, Congreso de juventudes (Doc.). Dir. Fernando Villaverde.
•1960, Patria o Muerte (Doc.). Dir. Julio García Espinosa.
•1960, El Negro (Camarógrafo).
•1961, Cuba pueblo armado (Doc.). Dir. Joris Ivens.
•1961, El joven rebelde (Ficc.). Dir. Julio García Espinosa.
•1961, Napoleón gratis (Camarógrafo).
•1961, Carnet de viaje (Doc.). Dir. Joris Ivens.
•1962, Las doce sillas (Ficc.). Dir. Tomás Gutiérrez Alea. (12の椅子)
•1962, Hemingway (Doc.). Dir. Fausto Canel.
•1962, Primer carnaval socialista (Doc.). Dir. Alberto Roldán.
•1963, Grabados revolucionarios (Dirección. Doc.).
•1964, Cumbite (Ficc.). Dir. Tomás Gutiérrez Alea. (クンビーテ)
•1964, Tránsito (Ficc.). Dir. Eduardo Manet.
•1964, Romeo y Julieta 64 (Dirección).
•1965, Un día en el solar (Ficc.). Dir. Eduardo Manet.
•1966, La muerte de un burócrata (Ficc.). Dir. Tomás Gutiérrez Alea. (ある官僚の死)
•1968, Memorias del subdesarrollo (Ficc.). Dir. Tomás Gutiérrez Alea. (低開発の記憶)

 

キューバ以降はこちら:http://www.imdb.com/name/nm0005894/?ref_=nv_sr_3

 

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BS日テレ 21:00~22:54
クリスマススペシャル 久保田利伸 キューバ音楽紀行
    
今年3月、アメリカ合衆国大統領・オバマは現職大統領として88年ぶりにキューバを訪問した。
この歴史的契機によって注目されるキューバ共和国。
“カリブ海の真珠”と呼ばれる美しい国を、日本を代表するミュージシャン久保田利伸が初めて訪れた。
一時アメリカに活動拠点を置くなど、国内にとどまらずジャズ、アフリカンミュージック、ラテン音楽を取り入れ常に新しい音楽を目指す彼にとって、“キューバ音楽”は全く未知の世界だった。しかしキューバの首都・ハバナに溢れる音楽は彼を魅了することとなった。
続きはこちら:http://www.bs4.jp/guide/document/kubota_cuba/

 

NHK BS1 22:00~22:50
半世紀以上続いた内戦が終結したコロンビア。

しかし町で生活を始めようとするゲリラ兵に市民が反発している。

真の和平は実現するのか、ゲリラ兵社会復帰の波紋を見つめる。
続きはこちら:http://www4.nhk.or.jp/documentary/

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エル・アコンパニャンテ (付添人)/原題:El acompañante/2015年/ドラマ/104分

監督: パベル・ジロー

脚本: パベル・ジロー、 アレハンドロ・ブルゲス、ピエール・エデルマン

撮影: エルネスト・カルサード

音楽: ウリセス・エルナンデス、セルヒオ・バルデス

出演: ジョトゥエル・ロメロ、アルマンド・ミゲル・ゴメス、カミーラ・アルテチェ、

    ブロセリアンダ・エルナンデス、ジャズ・ビラ  

 

    

      

ストーリー

1987年。ボクシングのチャンピオン、オラシオ・ロメロはドーピング検査で陽性と判定され、罰則としてエイズ患者が収容されている病院で働くことになる。

病院は軍に属していた。患者たちは厳しく管理され、週1回のみ認められる外出には必ず 付添人という名の監視役の同伴が義務付けられていた。

オラシオが担当する患者ダニエルは、国際主義者として軍事的使命を負ってアフリカに派遣され、そこでHIV(エイズウィルス)に感染したのだった。

リングへの復帰を願うオラシオと、残された日々を自由に生きたいと願うダニエル。

対照的な2人はぶつかり合いながらも、次第に友情を育んでいく…

 

テーマは、友情と連帯

 

 

トピックス

  2016 年度アカデミー賞およびスペイン・ゴヤ賞のキューバ代表作に選ばれたほか、欧米や韓国の映画祭で上演され好評を博すマイアミ国際映画祭観客賞、NYハバナ映画祭最優秀脚本賞、マラガ国際映画祭観客賞ほか多数の賞を受賞。

 (監督にとってICAICが本作をキューバ代表に選んだことは意外だったそうだ。)

 

  今年月ハバナで封切られた際、映画館は満席で上映後に拍手が湧いた。

観客の感情に訴える作品は久しぶりだという。

 

  オラシオ役のジョトゥエル・ロメロは、キューバの人気ヒップホップグループ「オリシャス」のボーカルで演技をするのは初めて。

 

本作に関する監督発言(抜粋)

 パベル・ジロー監督(現在はスペイン在住)

 

オスカー候補になったこと、自主製作、表現の自由について


ICAIC(キューバ映画芸術産業庁)から独立した映画がオスカー候補になったことは非常に重要だ。

我々は制作方法および様式的にもICAICの映画を打ち破りたいと思っていたからだ。

キューバ映画は長年たった一つの方法でしか製作されなかった。それはソ連や東欧諸国の映画製作法だった。中心となる一つの機関がプロデューサーを兼ね、製作許可や出資のプロセスを司っていた。

 

だが、製作方法の民主化や映画製作技術の簡易化により、キューバでも自主製作の動きが始まった。注目される作品も出てきており、地味ながらも上映の機会は年を追って増している。我々は表現の自由を模索しつつ製作している。

 

テーマ(エイズ感染)について

 

キューバは、エイズ感染者を強制入院させた唯一の国で、シナリオの初稿を書いていた頃、私はその点について非常に批判的だった。なぜなら、自由という人間にとって最も大切な価値を奪われたからだ。

一方、米国では政府の対応を待ちつつ亡くなったエイズ患者が22000人もいた。


キューバの元入院患者たちに話を聞くと、「居心地は悪かったにせよ、治療を受けられたことを好意的に受けとめ」ており、私の見方は厳しすぎると批判された。 それでシナリオを書き直し、歴史よりも、どん底まで落ちたヒーローの再生を描くことにした。

 

多くの体験者が、「人生最悪のときに最も必要だったのは身近な友人の存在だった」と言った。「友人の存在こそが苦しみを緩和してくれた」と。

彼らに共通していたのは、当時友人を失い孤独だったこと、身近な家族までも失ったことだった。
極限状態にあるとき特効薬になり得るのが友情で、その大切さに焦点を当てること。その思いが、撮影の始めから終わりまで私を導いた。

 

もうひとつの動機:キューバのエイズ感染と戦争の関係

 

この映画を撮ったもうひとつの動機は、〈なぜわが国でエイズ感染が起きたか〉を描いた映画が1本もなかったからだ。それはポスターを見た人の反応に顕著だ。 
2人の男が映っている。2人はバスに隣り合って座っている。
ほとんどの人がHIVという文字を見て、同性愛者の2人が愛し合う話だと想定する。

 

私が思うに、政府がエイズに関する情報を制限してきた理由はここにある。
キューバのような政府、マッチョな社会にとり、エイズの顔が戦争の英雄の顔であること、アフリカに社会主義思想を広めに行き、南アフリカ政府軍と闘いアンゴラやナンビア、エチオピアを解放した男たちであるということに。
他の国々ではエイズの顔は同性愛者だから、この事実は受け入れ難かったのだ。

 

映画人として、こうした物語はどんな力をもつと思うか?

 

これはキューバでは非常に大切なことだ。なぜなら歴史的にキューバの映画はジャーナリズムができない役割を代行してきたからだ。
革命が勝利して以来、キューバのジャーナリズムは常に100%政府にコントロールされていた。政府の利益に応え、決して疑問を呈したり批判したりすることはなかった。その役割はキューバ映画が引き受けてきたし、今もそうだ。

 

ただ、我々は今それを別の方法で行おうとしている。もっと国際的な影響力をもつよう、もっと海外の関心を引くよう、ローカルに留まらない映画話法を使い、普遍的な感情に訴えようとしている。

 

次作の計画は?

 

次作は「マリエリートス」について。1980年にフロリダ半島の南に向かって脱出したキューバ移民のことだ。
いかにしてペルー大使館が1万人のキューバ人によって48時間の内に占拠されたか、キューバ革命にとり最初の大危機をもたらしたか。実話にインスピレーションを得ている。

 

次作も過去を検証し、現在に光を投げかけることを期待しているか?

 

もちろん。これまでほとんど語られなかったことだから。

それに、なぜキューバと米国が極限状態に至ったか説明する手段でもある。非常に危機的な状況だった。カーター政権がキューバにオリーブの枝を差し出し、両国の緊張がやや緩和されるかに見えたとき、とんでもないカオス(大混乱・無秩序)が起きたんだ。


だから、今のキューバと米国の関係のような過度の楽観主義を前にすると、私はいつも「マリエル港からの大量脱出」を例に挙げるんだ。

 

パベル・ジロー監督の長編フィクションデビュー作『La edad de la peseta(目覚めのとき) 』は2007年のラテンビート映画祭で上映されました。

映画紹介記事:http://ameblo.jp/rincon-del-cine-cubano/entry-10048297995.html

 

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去る8日(木)、恒例の新ラテンアメリカ国際映画祭が開幕(18日まで)。今年で38回を数える。

 

 

パベル・ジロー映画祭委員長の言葉:
「我々は今日、キューバ革命の歴史的リーダーで知識人でもあるフィデル・カストロが我々と共にいないという前例のない状況の中で、この映画祭を開催する」

「彼の影響と彼が映画や文化に寄せる関心がなければ、我々の映画史、すなわち新ラテンアメリカ映画は、違うものになっていただろう」

「ラテンアメリカ映画は、その存在の重みゆえに世界の中に位置づけられた。それは古典的な映画ジャンルという境界を切り崩し曖昧にしたうえで再構成する映画である。そして、反復する断絶と新しい表現形態や可能性、コンビネーションを提議する映画である」

 

コンペティション(作品数)
長編フィクション(18):チリ(4)、アルゼンチン、ブラジル、キューバ(各3)、コロンビア 、メキシコ(各2),

                               トニリダード・トバゴ (1)
中・短編フィクション(22)
オペラ・プリマ(18)
ドキュメンタリー(26)
アニメ(27)
未発表脚本(25)
ポスター(24)

 

キューバ映画
長編フィクション:作品名と監督
Últimos días en La Habana(仮:ハバナでの最後の日々) フェルナド・ペレス
Ya no es antes(仮:もう昔とは違う) レスター・ハムレット
Sharning Stella エンリケ・アルバレス

 

オペラ・プリマ(初監督作品)
Esteban(エステバン) ジョナル・コスクジュエラ

El techo(仮:天井)パトリシア・ラモス

 

中・短編フィクション(4)、ドキュメンタリー(6)、アニメ―ション(7)

 

※ 汚点

『サンタとアンドレス』(カルロス・レチューガ監督)がプログラムから排除されたこと。

フェルナンド・ペレス監督を始め、抗議の声が上がっている。
ここでも書いたが、いずれ改めて報告する予定。

 

注目作品(コンペ外)
『ジャッキー』パブロ・ラライン 
『ハンズ・オブ・ストーン』 ジョナサン・ヤクボウィッツ
『ラ・ラ・ランド』 デミアン・チャゼル(トロント映画祭観客賞受賞)
『ビエントス・デ・ハバナ』 フェリックス・ビスカレ(スペイン) 

                原作:レオナルド・パドゥラ「クァトロ・エスタシオネス(四季)」
『ハバナ・ムーン』 ポール・ダグデイル
 

海外から参加する映画人

米国
 オリバー・ストーン監督(『スノーデン』上映)
 ブライアン・デ・パルマ監督(国際映画テレビ学校でワークショップ開催)
 マギー・ギレンホール

スペイン
 マリサ・パレデス、インマ・クエスタ、ベニート・サンブラーノ監督

その他
 デミアン・ビチル(メキシコ)、トリスタン・バウアー(アルゼンチン)、ソニア・ブラガ(ブラジル)

 

トピックス
修復された古典的キューバ映画作品4本の上映

 トマス・グティエレス・アレア監督没後20周年を記念して
  『低開発の記憶』 トマス・グティエレス・アレア監督(1968年)
  『(仮)キューバ人の悪魔との闘い』 トマス・グティエレス・アレア監督(1971年)
  『天国の晩餐』 トマス・グティエレス・アレア監督(1978年)

 『テレサの肖像』 パストル・ベガ監督(1979年)
 

トリビュート
フリオ・ガルシア=エスピノサ監督(1926~2016)
サン・アントニオ・デ・ロス・バニョス国際映画テレビ学校開校30周年

国際テレビ映画学校開校当時(アレア、ビッリ、マルケス、エスピノサ)

 

?年のハバナ映画祭開会式 ↓

フィデルとマルケスの間にいるのがフリオ・ガルシア=エスピノサ監督

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フィデル・カストロという強力な輝きを放つ人物が遂に世を去り、9日間に渡る服喪期間が明け、今日から恒例のハバナ映画祭が始まります。

 

   

  

 

私事で恐縮ですが、先週後半は初孫誕生の知らせを受け、盛岡を中心に東北を移動していたので新聞テレビはほとんど見ず、もっぱらFacebook の投稿でキューバ国内の追悼の光景を追っていました。                  
するとそれらの投稿に付いた多数のコメントが目に入るわけですが、マイアミなどキューバ国外から寄せられたものゆえ内容は推して知るべし。


彼ら亡命者(移住者)の怨念は理解できるし伝えるべき、とは思うものの、今死者を冒涜するような発言は控えたいし、したくもない…と、図らずもブログを書く意味を問い直していました。

正直、発信してきたことと正反対の報道や意見を目にすると、まるで自分が嘘を書いているような気がしてメゲます。

が、「伝わらない声」だからこそ、ブログで発信する必要があると気を取り直した次第です。
 
先週FBで目にした多数のキューバ人のコメントのなかで、ハッとさせられたり、共感を覚えたものを3つ紹介しておくと―
「もうキューバにかこつけて自分のフラストレーションを発散するのはやめて欲しい。自国の心配をしたらどうだ?」
「フィデルにばかり関心が集中するのは良くない。自分にとっては日常の暮らしが大切」
「国に留まって改革を起こすべきだったのに逃げ出してしまい、申し訳なく感じている」

 

個人的な思いは多々あれど、ひとつに限って言うなら、フィデルの評価が難しい要因のひとつは、政権が半世紀も続いたため、成果もあれば失策もあったこと、前と後とでは矛盾する政策がとられていたりすること、つまり、一般には政権交代によって可能になる政策・方針の転換(失敗の改善)が、同一政権下で起きたという矛盾にあると思います。

 

例えば、キューバ革命は社会主義革命ではないと言明していたが、1961年に社会主義宣言。工業化推進を掲げたが、1963年に砂糖キビ生産特化に方針転換(改革の逆行)。1968年に個人営業を全面的に禁じ(経済を麻痺させ)たが、経済危機の最中の1993年にパラダールや民宿など一部自営業および米ドルを解禁。60年代にビートルズの音楽を放送禁止にしたが、2000年になるとジョン・レノンの銅像を建て除幕式にフィデルが出席。

 

どちらか一方しか見ないことで評価の明暗が分かれ、両方見ると責任の所在が問われる…。

結局、人は自分が見たいものしか見ないし、歴史的評価も永久不変ではない。

とはいうものの、自分が納得できるよう、まだ書きます。伝えたい声もいっぱいあるし。

 

詩人ラファエル・アルシデスの証言:
http://ameblo.jp/rincon-del-cine-cubano/entry-12173083084.html

 

☆社会(または革命)の暗部に焦点を当てるキューバ映画:

http://ameblo.jp/rincon-del-cine-cubano/entry-10434215167.html

 

        

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土曜の昼過ぎ、駅のホームでスマホを見ていたとき、目に飛び込んできたフィデルの訃報。以来、たくさんのコメントや記事(主にウェブ)に目を走らせてきましたが、その中に思わず目を止め、物思いにふけってしまった一文がありました。

キューバの女性作家ウェンディ・ゲーラ(1970年~)の投稿(一部)

 

「私たちはどうなる? たったひとりの男の事業に皆が総出で取り組み、私たちの人生はどうなった? 今日からもう彼はいない。遠くで電話が鳴っている。私たちなのだ。出て話すのは」

 

皆さんはこれを読んで何を思うでしょう?

 

私の脳裏を過ぎった思いは、

たったひとりの男が、ほぼ半世紀に渡って、国民の頭脳となり声であったこと

その陰で、国民が自由に考え、試行錯誤する機会が奪われてきたこと、その影響の深刻さ

 

それは、映画『低開発の記憶』でアレア監督が暗に警告していたこと、でした。

(どんな組織においても)たったひとりの人物がすべてを決定してはならない。

そのメンタリティこそが「低開発(後進性)」であると。

 

『低開発の記憶』のこのシーンに拍手が湧く場面に居合わせました。(シネ・チャプリンで)

 

フィデル・カストロの功績はもちろん評価します。

米国の影響力から自由になる可能性。それがラテンアメリカ諸国に与えた希望。

ラテンアメリカ発のニュース、表現に世界の目を向けさせたこと。

そしてもちろん、医療・教育の普及。

 

ですが、反面、果たされない約束も多く、国民は熱狂から次第に冷めていきました。

反革命と闘うために、そして武力闘争を掲げたために、国は軍国主義化しました。

団結が過度に求められ、個人の自由は著しく制限され、思想まで統制されました。

その結果、知識人や芸術家の亡命が生じました。その状況は今も続いています。

 

私ももしキューバ人だったら、国を出る選択をしたと思います(可能なら)。

自分を欺かないため、自分が自分でいられるため、自分の人生を生きるために。

ブログを書き始めたときは、まだフィデルの側にいるべきだと思っていたけれど、キューバ映画人の発言を通し、また『低開発の記憶』が縁で知り合ったキューバ出身者と意見を交わすうち、当初の予想に反し〈セルヒオ=自分〉を積極的に肯定できるようになりました。

 

もちろん自分が正しいなどとは思っていません。

が、少なくともセルヒオの苦悩は誠実かつ切実なもので、1961年を境に変容していく革命とそれに伴う社会の同調圧力への違和感を表明している、と私は理解しています。

 

果たしてこの革命は自分が期待していた革命だろうか?

「変容そのもの」ではないか?と。(「変容そのもの」はセルヒオのセリフ)

 

セルヒオはフィデルの言うことを鵜呑みにせず、自分の頭で考えるからこそ疑問を抱きます。

そして「自分の頭で考えず、誰かにそれを委ねてしまう。それこそが(意識の)後進性だ」と指摘します。

 

ちなみに、セルヒオの自己崩壊。それは個人が消滅する社会の暗示でもあります。

 

セルヒオの立場で、キューバ映画を通して様々な疑問をぶつけ、対話してきた拙ブログ。

それは、思いがけず、監督の意図の成功例もしくは罠にはまった例となりました。

なぜならアレア監督の意図する「革命的映画」とは《映画を観客として受容・消費するのではなく、自分の問題として受けとめ、行動を起こすきっかけとなる》ことだったからです。

 

私が伝えたい「キューバ革命の精神」。

それは、フィデルやチェの武装闘争(暴力革命)ではなく、キューバ映画やICAICのなかにありました。

 

フィデルはどう思うか知りませんが…。

 

ご冥福をお祈りします。安らかにお眠りください。

 

他者の植民地化:ジョゼ・サラマーゴ

私が学んだのは、誰かを説き伏せようなどとしないこと。

説得は相手に対する敬意の欠如だ。

それは、他者を植民地化しようとすることである。

 

エドムンド・デスノエス(『低開発の記憶』原作者にして脚本もアレアと共同執筆)

「革命の失敗は、若者に未来を提供しておいて、後にそれを否定したことにある。

我々は革命を享受した。しかし現代の若者たちは革命の害を被っている」

これもお薦め:http://ameblo.jp/rincon-del-cine-cubano/entry-10774170810.html

 

参考:『低開発の記憶』について行ったトークのまとめ

http://ameblo.jp/rincon-del-cine-cubano/entry-12200560372.html

http://ameblo.jp/rincon-del-cine-cubano/archive1-201609.html

私のセルヒオ像:http://ameblo.jp/rincon-del-cine-cubano/entry-11910290546.html

 

 

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