MARYSOL のキューバ映画修行

【キューバ映画】というジグソーパズルを完成させるための1ピースになれれば…そんな思いで綴ります。
★「アキラの恋人」上映希望の方、メッセージください。


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Newsweek オバマ大統領の広島訪問の記事通して、佐々木雅弘氏と、クリフトン・トルーマン・ダニエル氏のお名前を初めて目にした方も多いのではないでしょうか?
私も、大統領の広島訪問の1日前に、夫が置いていった「Newsweek 5月31日号」 を読んで初めて知りました。


同誌には、このお二人が出会ったきっかけから今に至るまでの交流(ダニエル氏のご長男が学校からサダコの本を持って帰ってきたこと。それがきっかけで、著者でサダコさんの兄の雅弘さんとN.Y.で会ったこと。その結果、2年後に息子さん二人を連れて広島と長崎の平和式典に出席したことですべてが始まったこと。続きはぜひ誌面で!)が、「謝罪」というテーマを中心に書かれています。
ちなみにダニエル氏は、原爆を投下する決断をしたトルーマン大統領のお孫さんです。

サダコの本とはこれ のことですね、きっと。


禎子の千羽鶴



折り鶴 今回オバマ大統領はご自分で折った(手伝ってもらったけれど)鶴を持参したということですが、おそらく同誌の記事に書かれている実話も大いに関係しているのではないでしょうか?
一冊の本がこうした形で実を結ぶことに希望を感じます。


尚、同誌のもうひとつの記事『「謝罪」の喧騒に警笛を鳴らす』の被爆者の方の葛藤の道のりもぜひ読んでいただきたいと思います。

どの事件にせよ、一国の首脳が謝罪をするというのは、立場がある故に複雑な問題ですよね。


ただ、謝罪を求められるのは、大統領や首相だけでなく、私たちだってあり得ることです。
現に私は今から10年以上前、韓国に行ったとき、当時ボランティアで日本語を教えていた生徒さん(既婚男性)のお宅に招かれ、そこでその方のお母さんから「日本(確か沖縄)に住んでいたときとても苦労したから謝って欲しい」と言われました。


あまりにも唐突で面喰ったうえ、お母さんの通訳をする生徒さんがあまり日本語が上手くなかったので、詳しい話も聞けなかったのですが、個人的なケースとは別に、関東大震災時の朝鮮人虐殺事件や差別の問題など多少は認識していたので、「私の国が貴方に辛い思いをさせたなら謝ります」と言いました。


今でもたまに〈あんなに熱心に韓国に遊びに来てと誘ったのは、謝罪を求めるためだったのかしら?〉と勘繰ってみることがあります。が、幸いにもあのとき私の言葉を聞いたお母さんはすぐ笑顔になって、息子さんである生徒さんに「許してあげる」と言ってくれました。その(拍子抜けするほどあっけない)顛末を思い返すと、疑念もすぐ晴れるし、謝れて良かったと思っています。

ちなみに韓国旅行は、当時大学生の娘とフィリピン人の生徒さんと3人で行きました。私以外は初対面だったのに、女子会みたいに楽しい旅で、ハプニングも含めて良い思い出です。


さて、このように私はアウェイで日本人として謝罪を求められましたが、日本語教室では色々なケースがありました。(誰も謝罪を求めなかったし、しなかったけど)
例えば、自己紹介のときだったと思います。チュニジア人の男性は、前の二人がフランス人だと知ると、「貴方の国のせいで私の国はメチャクチャになった」と嫌味たっぷりに言いました。二人の女性は、返す言葉もなく黙っていました。
また、授業中の雑談で、日本人を非難し始めた韓国人女性に、フィリピン人女性が「私の国では韓国人が残酷なことをしたとオジイチャンから聞いた」と言ったり。
かと思えば、スペイン人が「まったくスペインは新大陸でヒドイことをしたもんだよ」なんて、他人ごとのように言うのを聞くと「申し訳ないとは思わないのかしら?」という疑問が胸を過りました。


今日フェイスブックで見かけた「オバマ大統領の広島訪問」をめぐる投稿記事(スペイン語)には、「日本人はアジアでもっと多くの人を殺した。謝罪せよ」「残念ながら人類の歴史は蛮行の歴史だ」「スペインは…」などと延々とコメントが続いていました。


謝罪。もし貴方が求められたらどうするか。この機会に考えておくのも良いと思います。

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オバマ大統領の広島訪問、素直に嬉しいです。

キューバ映画とは関係ないようですが、もし私に〈被爆国としての背景や思い〉がなければ、これほど『低開発の記憶』 というキューバ映画にこだわらなかったでしょうから。


核戦争の一歩手前にあった、1962年の「キューバ(ミサイル)危機」。

この映画を通して、米ソ対決という表舞台の裏で、キューバの人々は何を感じ、どう行動したかを知りました。

そして、「全滅も辞さない」という彼らの覚悟に、私は驚き、疑問をもちました。
なぜなら、戦争中の日本人も同じように「一億玉砕」を唱え、国のために死ぬ覚悟でしたが、敗戦を機にそれは「間違いだった」と否定されたからです。

私は、キューバ人を否定するのではなく、むしろ「同じことがあった」からこそ、この映画を通して見直したかったのです。「低開発(後進性)」とは何かと。


映画(ドキュドラマ)のなかで、「祖国か死か」というフィデル・カストロの呼びかけに、国民は祖国防衛に立ち上がります。
それはキューバ人にとって、ようやく手にした“自立を守る国民としての自覚”の証明でした。

一方、主人公セルヒオは、なすすべもなく眠れない夜を過ごしています。

彼には国民としての自覚が欠けているのでしょうか?
自分の国を自分の手で守らないのは、植民地根性なのでしょうか?



世界で唯一の被爆国に生まれた私は、核兵器を前にしたら人間は無力だと知っているので、セルヒオに共感してしまいます。

「原爆を落としてみろ」という覚悟にも、「待って!」と言わずにはいられません。

仮に「死」以外に出口がないなら、家族と離れ離れのまま外で焼け焦げて死ぬより、せめて我が家で家族と抱き合って死にたい…。

幼いときに見た映画『世界大戦争』のラストシーンのように。


戦争になれば、こんな本音は口に出せなくなるけれど、沈黙を強いられても、頭のなかでは考え続けるでしょう。

「より良く生きるとは、より良く死ね、ということなのか?」

(何がより良いことなのか?)
「これは本当に正しい選択なのか?ほかに道はないのか?」と。



映画の中で、セルヒオは独りごちます:「自分の頭で考えず、代わりに誰かに考えてもらう。それが後進性(低開発)のしるしだ」と。

「どうしたら良いか?」誰かが答えをもっていると思ったけれど、ブログを書くうちに、この問いには答えがないことが分かりました。
でも、それでも(だからこそ)問い続けることが大事なことを。

(デスノエスは「決して考えることを止めないように」と励ましてくれました)

また、ひとりで思い悩むのではなく、他者と問いを共有し、意見や思いを伝えあい、可能性(希望)を探り続けることが必要なことを。
アレア監督は、映画を通してそれを意図したのではないか、と。


幸い私は、キューバで問いを共有できる人たちと出会いました。
答えは見つからなくても、一緒に考えてくれる人がいる。疑問を打ち明けられる人がいる。おかげで、ようやく自分(=セルヒオ)を肯定できるようになりました。

映画を通して交わしたコミュニケーション。

それは、私にとって最大の収穫であり、人生の宝です。

ミゲル・コユーラ監督は、私の問いを『セルヒオの手記』 の1シーンに取り入れてくれました。
日本人としてその問いを発することができたこと、自分のなかで『低開発の記憶』と『セルヒオの手記』が繋がったことに満足しています。



また、昨年来日したマルティン・ゲバラ(チェ・ゲバラの甥)が、1回目はひとりで、2回目は家族と広島を訪れたことも本当に嬉しいことでした。
すでに彼は広島で感じたことや広島の意味を公に語ってくれています。
これからも、そしていつかは彼の息子さんが、広島のことを語り継いでくれるでしょう。


私にとって、キューバ映画、そしてキューバの友人たちとの出会いの根底には、原爆があります。
悲劇的な歴史ですが、その(破壊の)意味を私たちは(未来の建設のために)変えることができるはず。
ひとりでも多くの方が、自分なりの広島の意味を見つけてくれますように。

そして世界の平和に活かされますように。














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今から2年前の4月17日にメキシコ・シティで亡くなったコロンビアのノーベル賞作家、ガブリエル・ガルシア=マルケス(享年87歳)。
その遺灰が両親の眠るカルタヘナの地に戻り埋葬されました。


最初の2つの画像は遺灰の到着を待つ「ラ・メルセッ修道院」
最後のが、セレモニーの様子(22日)。


除幕をしたのは二人の息子。左が長男で映画監督のロドリーゴ。
ガボの遺灰はこの鏡像の下に埋められました。

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先日 お知らせした番組「カストロ VS ゲバラ」について、記しておきます。
Fidel y Che

最初にお断りしておきますが、拙ブログは個人的メモを兼ねているので、周知の事実についてはスキップします。また、私の関心は、庶民の立場でキューバを見ること(=映画を通してキューバを見る理由)なので、そもそもフィデルやチェに対する関心や理解力は乏しいです。


ただ、10年間映画を通してキューバ(革命)を見てきて、政治と文化の微妙で複雑な関係が分からないと作品の真意が読み解けないと思い、ブログでも最近「革命と文化」というテーマ を設け、見直しているところです。


さて、キューバといえばもっぱら「対米国」の視点で論じられがちですが、実は今回のドキュメンタリーでも頻繁に示唆されているように、「ソ連との関係(圧力)」が社会や文化にどう影響したかは、極めて重要なポイント。「キューバ革命の本質」に関わるからです。


その意味で本作は、最初から《フィデルがチェを利用し裏切った》という筋書きで展開する点が、作為的で強引な感じがしたものの、個人的には収穫がありました(裏付けが取れました)。
今後は、以下に挙げる点の真偽をめぐり、さらなる検証を期待します。


原題:CASTRO VS GUEVARA :A Friendship Tested by Revolution

    カストロ対ゲバラ: 革命に試された友情
制作:Wild Angle Productions(フランス 2016年)


要旨
革命を通して、フィデルは「権力」を求め、チェは世界革命(未来の変革)を求めた。
だが、ソビエトの影響から逃れられなくなったフィデル(キューバ)に対し、あくまで理想を追求するチェは、米ソ両国を敵に回す。その結果、〈ソ連を批判する厄介な存在と化したチェ〉をフィデルは遠ざけるようになり、アフリカ、そして遂にはボリビアに送り、見捨てた末に殉教者として祭りあげる。


新情報(新主張)
① 革命に勝利し、ハバナに入城したフィデルが演説した際に、まるで“神の祝福”のように鳩がフィデルの肩にとまるが、あれは調教師による演出だった。


② チェはバティスタ政権の犯罪を裁く裁判で「殺し屋」の役を担わされたが、死刑宣告を下していたのはフィデル。


③ ゲバラがマルクス主義者だったのに対し、フィデルは現実主義者。ソ連への接近も現実的選択によるもので、イデオロギーに共鳴したわけではない。キューバは、ソ連と社会主義国から一日100万ドルを受け取る。


④ ピッグス湾侵攻事件(プラヤ・ヒロン侵攻事件)の際、ソ連はキューバに武器や兵士を送り支援した。 
*ギジェルモ・カブレラ=インファンテ(GCI)の妻、ミリアム・ゴメスの証言:〈事件を取材しに行ったGCIは、ソ連の戦車や兵士を目撃し大変なショックを受けた。帰宅すると泣きながら妻にその事実を告げた〉とネットで読んだことがある。真偽のほどが分からず、これまで紹介しなかったが真実味が増した。(Marysol)


⑤ 「ミサイル危機」がフィデルとチェの決裂のきっかけ。(米ソの平和共存策が、チェにしこりを残した。) 
チェは「ニューヨークをこの世から消し去る」と発言し、ソ連から要注意人物と見なされる。
*1959年に広島を訪問したチェが、ソ連による核配備に合意・調印したことが残念でならない。(Marysol)


⑥ 「フィデルは権力のためなら見解を曲げることも厭わない」(アルベルト・ムラー/作家・元ゲリラ兵士)


⑦ (1965年2月に)アルジェでソ連を暗に批判した演説後、帰国したチェの待遇が問題になる。
「ゲバラを国家反逆罪に問うべきだ」と言う共産党員もいた。(フィデルはチェをアフリカに送る)


⑧ チェのアフリカ滞在中、「別れの手紙」が第一回キューバ共産党大会の場でフィデルによって公表される。「チェはラジオを蹴飛ばそうとしたが幸い当たらなかった」(ベニグノ/チェの古参兵) 「アスタ・シエンプレ」という歌が作られ、チェは偶像化される。


⑨ 1967年5月メーデー。フィデル、「ゲリラの時代」を宣言。革命広場にゲバラの肖像が溢れる。
ソ連のコスイギン首相はキューバ訪問前に米国を訪れ、両国はゲバラに不快感を抱く点で一致。ソ連にとって我慢の限界だった。
 「フィデルはゲバラと私たちが消え去ることを望んだ。ゲバラが象徴する政治的メッセージが世界に発信

されるのを容認できなかったのだ」(ベニグノ)


⑩ アフリカのあと、チェはアルゼンチンに戻りたかったが、ソ連の反対もあり、フィデルが許さなかった。ソ連はゲバラのキューバ帰国も望んでいなかった。
一方で、もしゲバラがボリビアで勝利すれば、ソ連の譲歩を引き出せるとフィデルは考えた。
ボリビア共産党がチェの存在をソ連に通告した。


Marysolより
本作がフランス製で、ベニグノ(=べニーニョ)が登場しているのを見て、共通点を感じ、久しぶりに『チェ・ゲバラ 伝説になった英雄』 (1997年)を見直しました。
こちらはゲバラにのみ焦点を当てており、内容的に別物ですが、使われている映像や登場人物には共通点もあります。例えば、ベニグノのほか、ジャネット・アベルというフランス人のキューバ政治専門家。彼女は60年代にハバナで「若い共産主義者リーダー」としてチェと会い、その高潔さに感銘を受けますが、こんな証言をしています。
「チェに否定的な人もいた。特に、外国から来た共産主義者や各種団体のなかには。フランスの共産主義者は、彼を卑劣なブルジョアとか策士と呼んだ」。


キューバ革命が抱えた困難として、米国の妨害のみならず、ソ連派共産主義の圧力も無視できません。
特に文化を論じる際は… というわけで、私も映画を通して、そこを検証してみたいと思っています。


ベニグノ 尚、ベニグノは、今年3月に亡くなりました(享年76歳)。
彼はシエラ・マエストラ時代からチェに従い、アフリカ、ボリビアにも遠征しましたが、1994年にパリに亡命した後は、反フィデルとして発言するようになり、1997年には "Memorias de un soldado cubano(あるキューバ人兵士の手記)" という本も出しています。
が、訃報記事のなかに「彼は酔っ払いで、信ぴょう性に欠ける発言もある」という一文を目にし、気になっています。


最後に、フィデルの苦境についても言及があれば、もっとフェアな印象が残ったのに…とその点が残念でした。
50分では語りつくせなかった部分を補う意味でも、『チェ・ゲバラ 伝説になった英雄』を併せてご覧になることをお勧めします。


再放送(予定):2016年5月26日(木)午後5時00分~

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カストロ VS ゲバラ (BS世界のドキュメンタリー/BS1)
2016年5月19日(木)午前0時00分~ (18日水曜 24時)

再放送:2016年5月26日(木)午後5時00分~


     Che & Fidel
 

以下、内容はサイト からのコピペです。


根っからの政治家でキューバ革命を成し遂げたフィデル・カストロと、カリスマ性がありラテンアメリカの解放を目指したチェ・ゲバラ。

2人の対照的な生き方をたどる。


アメリカの支配からキューバを解放したいカストロは、亡命先のメキシコでアルゼンチン人のゲバラと出会う。

ゲバラはマルクス主義者でラテンアメリカ全体の共産主義化を目指していた。


キューバ革命を成功させ、天才的な政治センスで冷戦期のアメリカとの対立を切りぬけたカストロに対して、ゲバラは慰留の誘いを断ってキューバを去り、国際的な革命闘争に参加。

共産主義の理想を追い求め、壮絶な死を迎える。


原題:CASTRO VS GUEVARA :A Friendship Tested by Revolution
制作:Wild Angle Productions(フランス 2016年)


※放送日時及び放送内容は変更になる可能性があります。最新の放送予定はNHK番組表よりご確認ください。

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ブログを書き始めて10年以上経ちますが、「映画を勉強したことのない私がキューバ映画について語って良いのだろうか?」というためらいが常にありました。

が、先日の言葉を見つけ、今は亡きフリオ・ガルシア=エスピノサ 氏に優しく肯定してもらった気がしています。


キューバ映画は、キューバ国民とのコミュニケーションが得られた時、
そして世界の他の国々の国民とのコミュニケーションが得られた時、
真に存在する。

     

 1989年に開催された「キューバ映画祭」プログラム 

  左下がエスピノサ氏(当時ICAIC長官・文化副大臣)


そう、キューバ映画の存在意義は、対話を促すこと。物議を醸すこと。
それは、社会に新しい風を巻き起こすことに繋がります。

多くの作品は、国内の問題に特化しているけれど、『低開発の記憶』のように、時代や国を超えて今も対話を迫る作品もあります。


日本でも、もっとキューバ映画を介して意見を交わせないものでしょうか?

キューバ映画を真に存在させるためにも。





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この一週間ブログにYoutube画像が貼れなかったのですが、解決したので遅ればせながら

3日にハバナのプラド通りで行われたシャネルのショーの動画をアップします。

題して、ラテンアメリカ初のシャネル・ファッションショー!

オープニングを飾ったデュオはイベイー

ヨルバ語で「双子」を意味するとおり、二人は双子。

父親は、あのブエナビスタ・ソシアル・クラブでも活躍したパーカショニストのミゲル“アンガ”ディアスですが、姉妹はパリ生まれ(ただし生後2年間のみハバナで暮らした)。

今ネットで調べたら、今年3月に来日していたんですね。

 

それにしても、ランウェイが160メートルもあって、モデルさんたちは大変だったでしょうね。

ゲストとして海外からかけつけたセレブに、女優のティルダ・スウィントン、ジェラルディン・チャップリン、撮影のため滞在中のヴィン・ディーゼル、キューバ出身でハリウッドに進出した女優アナ・デ・アルマス、スーパーモデルのジゼル・ブンチェン、パリ・ヴォーグ元編集長など。

国内からは、オマーラ・ポルトゥオンド、マリエラ・カストロ(ラウルの娘)、フィデルの息子のアントニオ・カストロと孫のトニーが招待されました。

 

…とこのように豪華な顔ぶれのショーでしたが、国内では全く報道がなかったそうです。

一方ネットでは、公道を私企業が借り切ることの是非、「公」を優先し「私」をタブー視してきた革命の(説明無き)変節、多額の収入の使い道などについて、辛口の意見や要望が飛び交っていました。

 

その中のひとつ、知り合いのキューバ人(メキシコ在住)の声です。

「“輝きを取り戻したハバナ”とか“変わりゆくキューバ”という見出しを目にする度にひどく悲しくなる。一般のキューバ人の生活は少しも変わっていない。政治的エリートがショーを楽しむ一方で、一般人は締め出されている」(フェイスブックの投稿より)。

 

これを読んで思い出したのが、2007年に書いた記事の最後のエピソード。

あれから10年。当時のかすかな希望は今や風前の灯か…

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前回の記事 の続き


Che y Franqui 革命闘争を担った「7月26日運動」の機関紙「レボルシオン」は、闘いに勝利するや、新政権の《声》となった。それから3か月半後の3月28日、同新聞から文化特集のタブロイド紙「ルネス・デ・ラ・レボルシオン(以下ルネス)」第1号が誕生した。

「ルネス」とは「月曜日」、つまり仕事開始の日。


発案者は「レボルシオン」紙の編集長カルロス・フランキ (写真右側)。

彼が意図したのは新しいジャーナリズム。

イメージしたのは、大判の写真に斬新なデザインの紙面。

編集長には、ギジェルモ・.カブレラ=インファンテ が適任と考えた。

二人は40年代からの知り合いで、雑誌「カルテレス」で共に働いた仲だった。

初期のアートディレクターはフランス人のJacques Brouté


以下の写真の多くはJiribilla, No.364 から転載
      Lunes


「ルネス」はその斬新な紙面デザインもさることながら、内容も実に新しく意欲に溢れていた。扱うテーマは文学のほか、音楽、舞踊、映画、建築、美術、写真、歴史、農業、政治と多方面に渡り、地域的にも欧米のみならず、アジアにまでカバーしていた。


文学に関しては、国内のあらゆる世代、ジャンル、傾向の作家を紹介しただけでなく、北米、ヨーロッパ、共産圏、アジア、アフリカ、ラテンアメリカの作品も網羅。パブロ・ネルーダ、ボルヘス、オクタビオ・パス、ピカソなど同じスペイン語圏の知識人の協力を得る一方で、ヨーロッパの著名な作家、サルトル、カミュ、ジョイス、カフカ、プルースト、エリオットなどの作品を翻訳し紹介した。(「ルネス」には革命社会に参加すべく、海外から帰国した人材が集まっていた。デスノエスもその一人)

政治面では、フィデル・カストロ、チェ・ゲバラ、毛沢東、レーニン、トロツキーなどの政治的文書も掲載した。

     
                        サルトル、ボーヴォワール、フランキ、バラガーニョ(詩人)


「ルネス」は、まさにポストモダン的な「ニュージェネレーション」の象徴であり、メンバーは民主的な新しい社会を建設する意欲に満ちていた。


K.S.カロル:
〈ルネス〉の編集人は非常に若かった。編集長のギリェルモ・カブレラ・インファンテはやっと30歳になったばかりだったし、副編集長のパブロ・アルマンド・フェルナンデスはさらに2歳年下だった。エベルト・パディーリャとホセ・アルバレス・バラガニョも、フェルナンデスと同年だった。この3人は詩人で、完全に革命を支持していた。


「ルネス」の基本姿勢はG.C.インファンテの次の言葉に示されている。
「我々は文学的にも芸術的にもグループを形成してはいない。むしろ同年代の友人同士という関係である。特定の政治思想もない。ただし現実へのアプローチ・システムを拒むものではない」「そのシステムとは、唯物史観的弁証法、あるいは精神分析、もしくは実存主義を指す」





彼らが作った週刊誌は折衷的な性格のもので、そこには、前衛芸術や現代左翼の価値観に関する彼らの関心が、必然的に反映されていた。彼らは、その教養の上からも、西欧で支配的な論調や芸術の潮流に影響されていた。彼らの目から見れば、芸術、革命などに関するトロツキーの著作は、キューバ大衆に知らされる価値のあるものだった。彼らはシュールレアリスムにも大きな関心を寄せ、アンドレ・ブルトンに多くのページをさいていた。しかし、その一方では、マルクスとエンゲルスの『共産党宣言』や、ジョン・リード、マヤコフスキーからイサク・バーベリに至る、ボルシェヴィキ時代の作品が、なおざりにされているわけではなかった。1960年1月8日には、アルベール・カミュの死に衝撃を受けた編集者たちは、全紙をカミュの特集で埋めた。その3週間後には、アナスタス・ミコヤンの訪問を機に、ソ連特集号が発行され、ソ連の映画、演劇、文学などが論じられた。それから一ヶ月経つと、今度はサルトルがキューバを訪れたのを機会に、『イデオロギーと革命』と、編集部とサルトルの長い対談が掲載された。


「ルネス」には、表現の場を求めていた作家たちが集まり、ジャンルや思想、地域にこだわらず、多様な文化情報をキューバ国民に提供した。

「ルネス」が目指したことは、キューバ文化の牽引役となることで、その姿勢は開放的だった。


1960年3月23日。発行1周年を記念するアンケートに対し、フィデルは「キューバの文化を人民に届けようとする若者たちの努力、そして本と銃を結びつける努力を賞賛する」「革命、人民および文化という三つの同質のものを表現するためになされている、優れた努力例である」と評価。

チェ・ゲバラは「〈サルトル特集〉のように非常に優れた内容のときもあれば、キューバの現実から遊離したインテリ主義に陥っているときもある。しかしキューバの文化的現実に対する最上の貢献のひとつであることは事実だ」と回答した。
このように指導者たちは、「ルネス」が、知識欲に燃えていて、自ら物事を判断する力を持っている新しい世代の、ある種の要求に応えていることを認めていた。


一方、外国からの旅行者にとっては、「ルネス」の発行部数が大きな驚きの種だった。それは、日刊の「レボルシオン」とまったく同数で25万部に達していた。調査によれば、日刊紙の読者も、その文化特集版である「ルネス」を注意深く読んでいたのである。
その証拠に、1961年にカルロス・フランキの招きでキューバを(2度)訪れたサルトルとシモーヌ・ボーヴォワールは、多くのさして教養のないキューバ人が、「ルネス」のおかげで、ピカソとかヨーロッパの前衛芸術家などについて、多くのフランス人よりもよく知っていることが分かった、と驚嘆の意を表明した。



サルトルと

写真中央がサルトル、右隣はボーヴォワール

右端はネストールとマリア・ロサ の父、エルミニオ・アルメンドロス  (マリア・ロサのアルバムから)


尚、マリア・ロサ は数か月前に(おそらく去年)亡くなったと、先日 ミゲル・コユーラ監督から聞きました。

もう一度お目にかかりたかったです。

謹んでご冥福をお祈りいたします。

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今日3日、まもなくハバナで〈シャネルのファッションショー〉が行われます。

本来ならYoutube画像を貼るのですが、エディタが不調なのでURLを紹介します。

★準備の動画はこちら: https://www.youtube.com/watch?v=8Jw4rX87S2M

 

場所は、旧市街のパセオ通りで、コレクションのテーマは〈クルーズ〉。

ショーに先立ち先月28日から「ファクトリア・ハバナ」で、シャネルの専属デザイナー、カール・ラガーフェルド撮影の写真展も開催中512日まで

 

上のビデオ映像中の発言(要旨)

フランス語は分からないので割愛しますが、その次の発言(男性):国際的な出来事として、我々にとっても、キューバ及びキューバ国民にとっても、政治にとっても、世界の第一線で活躍するデザイナーを知ることは、非常に重要な出来事です」

キューバ人モデル:「シャネルのショーだもの、嬉しいわ。私にとっても皆にとってもデザイナーたちにとっても大きな感動よ。このショーの影響を知る人は皆、見に行きたがっているけれど、果たして見られるかどうか、よく分からないの」

そう、残念ながら警備の都合等により、街路でのショートはいえ、一般のキューバ人が見られるかどうかは微妙。というか、目下の情報では難しそう)

 

ところで驚いたことに、ショーの出演者の中に、フィデル・カストロの孫のトニー君(19歳?)がいるそうです。もしかして、上のビデオの最後に出てくる髭の青年?

 

ちなみにトニー君の父は、フィデルの長男アントニオ。昨年ネット上で論議を醸した、この方のイスタンブール豪遊の報には、都知事のケース同様、不愉快な思いが拭えません。

キューバ国民の暮らしからも平等を謳う革命の精神からもかけ離れ過ぎ!

フィデルやラウルは、どう思っているのか訊いてみたいものです。

 

さて、シャネルのコレクションに合わせたかのように、昨日2日、半世紀ぶりに米国(マイアミ)からクルーズ船「アドニア号」がハバナに到着しました。

700名の乗船客の中には、キューバ系アメリカ人もおり、感激の様子。

動画はこちら:http://cartasdesdecuba.com/25150/

 

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El huésped (仮:泊り客)/1967年/ドラマ/35㎜/モノクロ/69分

監督:エドゥアルド・マネ
脚本:フリオ・ガルシア=エスピノサ、エドゥアルド・マネ
撮影:ホルヘ・アイドゥ
編集:ネルソン・ロドリゲス
録音:エウヘニオ・ベサ
出演:ラケル・レブエルタ、エンリケ・アルミランテ、

ルイサ・マリア・グエル


内容 
1963年.一人のパイロットがヒバラ(東部のオルギン県の町)を訪れ、当地の名家に宿泊する。初めのうち待遇は素っ気ないものだったが、男が“米国の航空会社のパイロット”だと分かると、態度が一変。エレナと男の間に恋愛関係が生まれる。

が、男が求めていたのは、彼女ではなくキューバを出るための財産だった…


秘話
ネットで拾い集めた乏しい情報によると、革命初期における地方の特権階級の混乱や不安を描いた本作は、〈革命的メッセージに欠ける〉として検閲の結果、上映されなかった。

2013年、監督のエドゥアルド・マネがインタビューで語った本作についての発言を要約すると:


この映画は、ラケル・レブエルタに捧げるために作った面もある。当時、ラケルはフリオ・ガルシア=エスピノサ と結婚していた。私はラケルの大ファンだった。その美貌はもちろんのこと、ラジオから流れる声も素晴らしく美しかった。

撮影地をヒバラに決めたのは、カメラのホルヘ・アイドゥ だ。ホルヘは、ドイツ表現主義の映画の影響で明暗にこだわった。私は当時それについて何も知らなかった。
相手役は、ラケルのご指名で、エンリケ・アルミランテに決まった。     エンリケ・アルミランテ

共演者を選ぶため、あらゆるタイプの女性をオーディションした。

ルイサ・マリア・グエルは、若者の絶対的ディーバだった。

私が彼女を選んだ理由は、ふるまい方や歌い方が気に入ったからだが、ホルヘの場合、決め手は彼女の肌だった。


ラケル・レブエルタ(左)とルイサ・マリア・グエル

ホルヘは革命前、写真屋として、上流階級の子女(特に15歳の祝いの記念写真=社交界デビュー用)をたくさん撮っていたから。

シナリオは完璧だったし、スター俳優もそろい、ICAICにとりヒットは確実と思われた。
個人的には(自分にとって未知の)田舎の暮らしや、若いカップルと年配のカップルの違いに心理的な関心があった。 素晴らしい撮影体験だった。


Marysolより
お蔵入りとなった本作は、半世紀後の今月初め、マイアミの映画祭で初上映され、同市在住のルイサ・マリア・グエルは、ようやく目にした初出演作に、感激の面持ちで「すばらしい思い出に満ち溢れている」と語った。
尚、キューバでは、2013年に本作がテレビ(映画評論・研究家ルシアノ・カスティーリョの番組“De cierta menra”)で放映された後、今年の「第12回シネ・ポブレ国際映画祭」 で上映された。

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