アムステルダム・3(蘭[オランダ]) | 神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

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古来、日本では、「愛」と云う字を使わないで、「産巣日(むすび)」と言いました。「むすび」と云う言葉は、「愛」と云う言葉よりも非常に深遠な意味を含んでいるのです。ときに、神産巣日神は「造化の三神」の内の一柱の神であり、獨神(ひとりがみ)で御座います。唯々感謝。

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 さて、一昨日、すなわち、去る5月1日(金)の「アムステルダム・2(蘭[オランダ])」のブログ の最後で、

「(前略)機会がありまして、宜敷(よろし)ければ、続きを記させて頂きます。(後略)」とぉ伝え申し上げまして、誠に有り難いことに、「いいね」を頂きましたので、今回、その続きを記させて頂きます。


 昭和61年(1986年)(菜食を始める前のことです)8月24日【日】午後、アンネ・フランクの家(蘭[オランダ]語: Anne Frank Huis)を後にしました。アンネ・フランクの家の近くに、アンネ・フランクの像がありました。ここで撮影(と)った写真を、下に掲載致します。



アムステルダム
アンネ・フランクの像




 それから、ルン通り(蘭[オランダ]語:Runstraat)を歩き、なかなか素敵な街並みでしたので、写真を撮影(と)りました。この写真を、下に添付致します。因(ちな)みに、写真で見ますと、何の変哲もない通りですが、初めての一人での海外旅行なので、見るものが全て素敵に見えているのです。投影(英語:projection)(心理学用語)(本来のこの語の用法に反して、いい意味の投影として、この語を用いています。良い投影も存在します。)しているのですね。



アムステルダム
街並み



 「北のヴェネツィア(イタリア語: Venezia)」と呼ばれる都市のひとつであるアムステルダムには、運河が多いです。運河を撮影った写真を、下に掲載致します。ちなみに、去る1月16日(金)の「一枚の絵画(ブルージュ[ベルギー])」のブログ に記させて頂きましたブルージュ(英語:Bruges)(ブルッヘ、ブリュッヘ、ブルグ、または、ブラヘなど[フラマン語【オランダ語】:Brugge]、そして、ブリュージュ[フランス語:Bruges]とも発音されます。)も「北のヴェネツィア」と呼ばれます。


アムステルダム
運河


アムステルダム
運河


アムステルダム
運河



 上の3枚目の写真の右下に、蘭(オランダ)語で、Museumbrug(英語:museum bridge)(博物館橋)と記されています。ブリッジ(英語:bridge)(橋)番号は82です。アムステルダム国立美術館(蘭[オランダ]語:Rijksmuseum Amsterdam)に因(ちな)んで、命名されています。
 そして、そのアムステルダム国立美術館の行きました。ここには、17世紀を代表する、蘭(オランダ)の画家であるレンブラント(蘭[オランダ]語:Rembrandt Harmensz. van Rijn)の作品「夜警」が収蔵されています。因(ちな)みに、御承知のように、「夜警」という画題は制作当時に命名された訳では無く、後世になって名付けられました。そのため、作品が描かれてから長い年月が経ち、表面のニスが変色し黒ずんだため、夜の風景を描いた絵であるという誤った印象を与えるようになりました。20世紀に入り、二度の洗浄作業でニスが取り除かれた際、絵は明るみを取り戻し、昼を描いた絵であることが明らかになりました。
 後(のち)ほど、アムステルダムにあるレンブラントの家(蘭[オランダ]語:Museum Het Rembrandthuis)に行きますので、その紹介のときに、更に、レンブラントのことにつきまして述べさせて頂きます。なお、去る10月15日(水) の「りんごの効用 」のブログ の最後に、
「(前略)筆者は、28年前、学部生のときに、エコノミー(economy)に、オランダのアムステルダムに行き、宗教画も描いたレンブラント・ハルメンス・ファン・レイン(単にレンブラントと呼ばれることも多いとのこと)の家に行きました。唯々感謝。」と記させて頂きました。

 アムステルダム国立美術館では、絵葉書を買いました。学部生のとき、同期生によりますと、購入した絵葉書を投函するために使用してしまうと、後(あと)で喪失感を抱くとの旨のことを話していました。気持ちはわからないでもないですが、本来、絵葉書は投函するために用いる製品で御座いますよね。よって、ここに掲載すべき「夜警」の絵画の写真は御座いませんが、このブログを御覧になられた方々(かたがた)は、「夜警」の絵画を御覧になられたことがぉありになられるか、もしくは、検索することが お出来になられる方々(かたがた)であらせられると存じ上げます。よって、誠に申し分け御座いませんが、著作権のこともあり、「夜警」の絵画の写真を添付致しますことを割愛させて頂きます。

 同、美術館を出まして、近くにある国立ゴッホ美術館(蘭[オランダ]語:Van Gogh Museum)に向かいました。途中、アムステルダムは首都であるにもかかわらず、下の写真のように、歩道に柵(さく)もなく木が生(は)えていました。御覧のように、歩道は土のままです。


アムステルダム
国立ゴッホ美術館への途中


アムステルダム
歩道は土のまま




 国立ゴッホ美術館周辺のことは、去る4月29日(水)の「アムステルダム・1(蘭[オランダ])」のブログ でも記させて頂きました。愈々(いよいよ)、国立ゴッホ美術館に到着致しましたら、日曜日であるためか、下の写真のように、大勢の人々が入場するために列を作っていましたので、入館することを諦めました。国立ゴッホ美術館の前で撮影(と)った写真を、下に添付致します。


アムステルダム
国立ゴッホ美術館の前



 この周辺に、アムステルダム市立美術館(蘭[オランダ]:Stedelijk Museum Amsterdam)やコンセルトヘボウ(蘭[オランダ]:Concertgebouw)(アムステルダムにあるコンサート・ホールであり、欧州[ヨーロッパ]では、オーストリアの首都・ウィーン[標準ドイツ語: Wien【ヴィーン】、 日本語表記では主に「ウィーン」が用いられますが、標準ドイツ語でのWの発音は 【v】であり、「ヴィーン」の表記が近いです。]の「ウィーン楽友協会」と同様に、戦前からの姿をそのままに伝えている音響の優れたコンサート・ホールとして知られています。)があります。


 アムステルダムには、トラム(英語: tram)(路面電車のこと)が走っています。トラムの写真を、下に掲載致します。



アムステルダム
アムステルダム市内を走るトラム


アムステルダム
トラム


アムステルダム
アムステルダム市内を走るトラム




 ここからトラムに乗り、降車する駅を一駅(ひとえき)間違えましたが、サルファティ公園に行きました。この公園内で撮影(と)った写真を、下に添付致します。因(ちな)みに、英国(イギリス)の首都・ロンドン(英語: London)にはハイド・パーク (英語:Hyde Park)、仏(フランス)の首都・パリ(仏[フランス]語: Paris)にはブローニュの森(仏[フランス]語:Bois de Boulogne)、オーストリアの首都・ウィーンにはウィーンの森(独[ドイツ]語:Wienerwald)、そして、米国のニューヨーク(英語: New York)にはセントラル・パーク(英語:Central Park)がありますが、この公園は小さいです。しかし乍(なが)ら、自然(英語:nature)に触れることはいいですね。山や海のような自然と交流するためには、向こうからやって来てくれるという訳ではありませんから、こちらから行動して、訪れる必要があります。



アムステルダム
サルファティ公園




 このサルファティ公園で、腕時計の電池が切れて、焦(あせ)りました。そのため、また、トラムでダム広場(蘭[オランダ]語:de Dam)に戻り、デパート(英語:department store)に行きますが、2件とも、日曜日ということで定休日とのことでした。平日を定休日とする日本のデパートとは違います。海外では、様々な状況で思うことでありますが、「郷に入っては郷に従え」で御座いますね。

 旅にはいろいろなハプニング(英語:happening)があります。開き直って、ウォータールー広場(蘭[オランダ]語:Waterlooplein)に行きますが、9月迄工事中とのことでした。因(ちな)みに、ウォータールー(Waterloo)と称する地名は世界各地に存在します。ベルギーのワーテルロー(仏[フランス]語:Waterloo)の地名とそこが英国(イギリス)軍の司令部の所在地であった有名な戦いに直接、または、間接的に由来するとのことです。
 ロンドンのテムズ川(英語:the River Thames)に、このウォータールーという名称の橋(英語:Waterloo Bridge)が架かっています。原題がこの"Waterloo Bridge"という映画は、御承知のように、日本では、「哀愁(あいしゅう)」という題名で放映されています。この映画は、主人公(英国[イギリス]軍将校[大尉])がウォータールー橋の上で回想する内容なのです。そのため、映画の最初と最後に、このウォータールー橋が映(うつ)されます。この「哀愁」が日本では終戦直後に公開されてヒット(英語:hit) したため、御承知のように、「漢字二文字の邦題はヒットする」とのことで、この後、漢字二文字の邦題の映画が沢山(たくさん)存在することになります。例えば、「慕情」、「旅情」、「追憶」、そして、「卒業」などの映画です。

 他にも橋が題名になっている音楽や映画がありますね。例えば、楽曲では「明日に架ける橋」(原題:英語:Bridge over Troubled Water)、そして、映画では「戦場にかける橋」(英語:The Bridge on The River Kwai)(英国・米国合作映画)があります。ちなみに、映画の題名の「戦場にかける橋」とは、タイ王国のクウェー川に架かるクウェー川鉄橋を指(さ)します。御承知のように、映画が、国策プロパガンダ(英語: propaganda)(特定の思想、世論、意識、そして、行動などへ誘導する意図を持った、宣伝行為のこと。)として利用されることがありますね。

 ときに、この昭和61年(1986年)の年の9月8日、パリ市役所にある郵便局でテロ(英語: terrorism)が発生し、以後連続的に起こります。機会がありまして、宜敷よろしければ、記させて頂きます。すなわち、このアムステルダムののち、9月3日にパリにますが、誠に有り難いことに、テロが発生する直前でした。この年以降、フランスに入国するためには、ビザ(英語:visa)が必要になりました。実際に、この翌年の夏休みにフランスに入国する際には、ビザが必要でしたので、事前に東京・広尾にあるフランス大使館に、ビザを発行してもらうために行きました。フランスの滞在ビザ(英語:visa)の画像を、下に掲載致します。画像の右下に、この翌年の昭和62年(1987年)9月2日とフランスを出国した日付が入っております。画像をクリック(英語:click)(もしくはタップ[英語:tap])して頂きますと、拡大致します。ちなみに、去る4月26日(日)の「モン・サン=ミシェル(フランス)」のブログ の上段にも、フランスの滞在ビザ(英語:visa)の画像を添付させて頂きました。


フランス・ビザ
フランスの滞在ビザ(英語:visa)と出入国印



 このため、テロリスト(フランス語: terroriste)たちはフランスに入国しにくくなり、替わりに、それらの人々がアムステルダムに流れたとのことでした。それゆえ、パリの治安がよくなる替わりに、アムステルダムの治安が落ちたとのことでした。間接的に聞かされたことですが、後年、親戚がアムステルダムに海外旅行した際に、マリファナ (英語:marijuana) (大麻[たいま])を買わされそうになり、追い掛けられたとのむねのことでした。この昭和61年(1986年)のときは、まだ、アムステルダムの治安はそれほどでもなかったです。

 ところで、更に、アムステルダムの街を歩いていますと、バーガーキングがありました。日本に1号店が出店されたのが平成5年(1993年)ですから、日本に上陸する前のときです。このときは日本に無かったので、珍しくて写真を撮影ったのですね。広場の中に、ポツンと存在します。その写真を、下に添付致します。ちなみに、バーガーキングは、一度日本から撤退します。最近のニュースで、同じ業種のマクドナルドが赤字だそうですね。


アムステルダム



 ダム広場は、アムステルダムの「おへそ」などとも呼ばれている所です。アムステルダムの歴史が始まった場所でもあります。前述の、去る4月29日(水)の「アムステルダム・1(蘭[オランダ])」のブログ の中段やや上に記させて頂きましたように、アムステルダムは、アムステル川(蘭[オランダ語]:Amstel)をダムでせき止めることによって発展したので、ダム広場は正(まさ)にアムステルダムの中心地とのことなのです。そのダム広場にある白い塔は、第2次世界大戦で亡くなった人たちの戦没者慰霊塔です。周囲の緩やかな階段状の所に多くの若者が集っています。かつては、昭和35年(1960年)から昭和45年(1970年)代にかけて、世界中のヒッピー(英語: hippie)が集まった場所でもあるとのことであります。この戦没者慰霊塔を撮影(と)った写真を、下に掲載致します。因(ちな)みに、去る1月30日(金)の「永代神楽祭」のブログ の中段に、原爆死没者慰霊碑のことを記させて頂きました。



アムステルダム
戦没者慰霊塔



 上の写真の背景のホテルには、日の丸が掲げられています。画像をクリック(英語:click)(もしくはタップ)して頂きますと、拡大致します。本日は祭日(憲法記念日)でありますので、国旗掲揚(こっきけいよう)を行いました。


 さて、機会がありまして、宜敷よろしければ、この続きを記させて頂きます。


 本日も、最後(まで)ぉ読み頂き、誠にありがとうございました。唯々感謝。(^-^)