フェデリコ・フェリーニ | 0・・映画toほげほげ

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♪ ほげほげたらたらほげたらポン ほげほげたらたらほげたらピー ♪
★映画のほげほげ等、気まぐれ備忘録★

  Federico Fellini


  映像の魔術師


 1920年 1月20日
      イタリア、アドリア海に面した港町リミニに生まれる
 1939年 ローマに出て絵を売って生活
     「マルク・アウレリオ」誌に入社
 1943年 ジュリエッタ・マシーナと出会い結婚
 1945年 「無防備都市」脚本

1950年 「寄席の脚光」共同監督
1652年 「白い酋長」監督デビュー
1953年 「青春群像」
     「結婚相談所」オムニバス
1954年 「道」
1955年 「崖」
1957年 「カピリアの夜」

1959年 「甘い生活」
1962年 「誘惑」オムニバス

1963年 「8 1/2」
1964年 「魂のジュリエッタ」(フェリーニ初のカラー映画)
1968年 「悪魔の首飾り」オムニバス
1969年 「サテリコン
1970年 「道化師」
 1971年 ジュリエッタ・マシーナと離婚
1972年 「ローマ」
1973年 「アマルコルド」
1976年 「カサノバ」
1979年 「オーケストラ・リハーサル」
     ニーノ・ロータ死去

1980年 「女の都」
1983年 「そして船は行く」
1985年 「ジンジャーとフレッド」
     ヴェネチア国際映画祭 金獅子賞・特別功労賞受賞
1987年 「インテルビスタ」
     カンヌ国際映画祭 40周年記念賞受賞
     ヨーロッパ映画賞 生涯功労賞受賞
1990年 「ボイス・オブ・ムーン」
     アカデミー賞 名誉賞受賞

 1993年 10月31日
     死去、享年73才、葬儀は国葬として執り行われる



ネオリアリスモの若き後継者としてスタートしたが
「甘い生活」で変化を見せ、
そのラスト近くのセリフ「バスタ・バスタ・バスタ」のままに
「8 1/2」でその作風を一変させる


よって「甘い生活」が変化期として
それ以前を初期、「8 1/2 」以降を中期とする


この頃フェリーニはユングの著書を読み
その象徴論に共鳴
中期以降の映画手法に自信を持ったと言う

中期では
ストーリー性よりも様々な人物や生活を
コラージュ的に描くようになる

多くは自伝的要素を含むが
その思い出は真実だけでは構成されてはいない
それはデフォルメされ変形され、虚構や妄想が混ざり合う

ロケよりもスタジオでの撮影を好み
彼独自の世界を作り出して行く

もっともフェリーニらしい時期

「8 1/2 」で爆発的エネルギーを見せたフェリーニは
「アマルコルド」でもう一度ピークを迎え
その後活力に衰えをみせる
それを決定着けたのが、ニーノ・ロータの死であった


よってニーノ・ロータの死後の第一作
「女の都」以降の作品を後期とし
フェリーニにとっても総仕上げの感がある
「ジンジャーとフレッド」でやや輝きを取り戻すが
その後静かにフェイドアウトしてゆく


  普通の人々の普通の生活
  そのストーリーはたかが知れている
  私の人生もあなたの人生も
  そのストーリに於いてはどれほどの違いがあるだろうか

  でも、その中には忘れられない何かがあり
  忘れられない出会いがある

  人生とはそのストーリよりも
  その中で起ったエピソードの積み重ねなのだ


フェリーニの映画は難解ではない
フェリーニの映画はその瞬間を楽しむ映画
フェリーニの映画はおもちゃ箱
フェリーニの映画はサーカス
フェリーニの映画はお祭り
フェリーニの映画は人生なのだ


  「人生はお祭りだ、ともに楽しもう」