悪筆の話
僕はいつの頃からか字が汚くなり、近年、更に読み辛くなってきている。子供の頃、習字では入選や特選くらいになっていたので、大変な悪筆化である。当時から、鉛筆などの字はそうきれいでもなかったが、汚いと言うほどでもなかった。
おそらく、今でも美しく書くことに集中すればまあまあなんだと思う。自分の母親は自分より遥かに字が上手く、更に母方の叔父は草書風にしか書かないが、とても美しく書ける(読みよいかと言えばそれは別)。
大学の入学試験では、化学Ⅱは設問に筆記が多く急いで書いていたこともあり、見直した時、あまりの字の汚さに教官がしっかり読んでくれるか心配した。しかし、いったん書いた長文を書き直すほどの余裕などない。
それでも、学生時代はまだマシだったと思う。良く考えると、自分の友人で悪筆でない人はほとんどおらず、唯一、東大理Ⅰに行った友人のみ、女の子がゆっくり美しく書いたような楷書だった。あれは男性が書くような字体ではなかった。
聖書(聖書(前半) )に出てくる友人などは自分より更に酷い。ノートの横線などは無視して、大きな字で3行くらいの縦幅で書く。したがって、1ページでも大した文章は書けない。自分もカルテの横線を無視しているが、そこまで大きくはかかない。幅的には横線の間隔と同じだが、無視して書くのでラインがねじれているだけである。最近、気付いたのだが、カルテの文章に漢字が多いほど、まだ解読しやすい。ひらがな、カタカナだけだと、暗号になってしまう。
電子カルテの環境だと、もちろん字の巧拙は問題がなくなるが、なぜか、小学生並みの味わいのない文章になってしまう。これが難点。みんなどうしているだろうかと思う。無機質の羅列的文章は、内科や外科では問題にならないが、精神科ではちょっとそれらしくないと思う。
林修先生の話(今でしょ!の人)では、東大では最上位の人たちはほぼ悪筆らしい。ところがそれに準じる(成績的に少し下)の人たちは字が綺麗という話である。
精神科医の場合、年数を重ねているうちに悪筆化する傾向が強く、書く量が多い上に、書く内容にも集中するから、汚い字になってしまうような気がする。つまり、美しく書くことに労力と時間が取られ、書かねばならない精神所見を書けないか、書き足りないことの方が重大と言った感じである。もちろん美しくしかも素早く書ける人であれば問題ない。
教授や助教授の回診(違う日にある)時、教授が患者さんに質問し、それに対し患者さんが答えたり、逆に質問したりすることを正確にカルテに記録しなくてはならない。後でオーベンなどにチェックされ、患者さんの返事の語尾の微妙な書き間違いを指摘されたりするが、当時は、「そのことに大きな意味があるのか?」などと思っていた。そのような環境にいると、字を常に速いスピードで書かなければならず、どうしても汚くなる。
小学校時代、一応、きれいに字を書くように指導されるが、そのうちにあまり指導されなくなり、国語の漢字の試験の際に、線の融合や省略、はねの欠落などのため減点になるくらいである。これは字が汚いことによる実害である。
しかし社会人になると、字が汚いことはむしろ個性と見られるようになり、さほど悪筆が恥にならなくなる。これは非常に良い傾向だと思う。著名な作家でも悪筆で有名な人が何人もいる。
だいたい、医療でも多くがデジタル化しているので、そういう問題が出てくる場面も減少している。
コンピュータ化とは、ある種の脱個性なんだと思う。
参考