聖書(前半) | kyupinの日記 気が向けば更新

聖書(前半)

僕が28歳頃、幼馴染だった友人が交通事故で亡くなった。僕が最初に彼に会ったのは小学校2年生だった。同じクラスで彼は成績は僕より少し悪いくらいか、あるいはあまり大きな差がなかったかもしれない。

僕は小学校に入学した頃からわりと成績が良かった。しかし、成績が不安定で1学期に3、2学期に4、3学期に5など普通ではありえないような成績のバラツキがあった。2年生になって、悪ゴロの集団に入ったので、いつも廊下に座らされているような子供の1人になった。今からは信じられないだろうが、廊下に座らされたあげく膝の上にレンガも置かれていたのである。どう考えても、現代社会ではPTAが黙っていないと思う。

その2年生の時の担任は今から考えても最低な男で、特に女の子対しえこひいきが激しかった。僕も含め男の子はワリを食っているといつも思っていた。その友人だが父親が開業医だったのでわりと優遇されていると感じた。それでも彼が贔屓されていることに関しては特に恨みはなかった。これはたぶん男同士だったことと、あまりに親しい友人だったからと思う。

保護者会の時、その最低な担任教師が僕の母親に「○○君は全然授業を聞いていないし、悪いことばかりするが、試験ができるので5をつけざるを得ない」などと言ったらしい。この言い方だけで彼がダメな教師なのがわかる。当時の2年生頃の成績がとりわけ良かったわけではなく、理科と算数が5だっただけだ。

なぜ、このようなことを書いているかと言うと、当時小学2年生くらいで成績が良かったような子供は、その後たいした大学に行っていない。わりと早くから出来る子供は息切れする傾向があった。その意味でも僕は異端であった。

3年生くらいから成績が上がった。このあたりから優等生になり、年賀状が同じクラスの女の子からたくさん来るようになった。僕は3年生から6年生まではわりと成績が良かったと思う。暗い影がさしはじめるのは6年生の後半くらいからである。当時、足に広く「とびひ」が出来たのが元凶だったと思っている。

中学校1年の時、1年1組の委員長に任命されたので、中学校の入学試験で1番だったかもしれないという噂もあったが、クラス数が7だったので、少なくともそれ以内であったのは確かだ。その1年生の同じクラスに彼がいたのであった。小学校2年以来、久しぶりに同じクラスになった。彼は成績上位ではあったが、全然勉強をしないので僕よりは成績がやや下だった。

僕は普段はあまり勉強をしなかったが、試験前だけは出来る限り全力で準備をするのでその違いが出るのである。彼の場合、性格的にすぐに眠くなるようなタイプだった上(僕はそんな風に思っていた)、試験前も中途半端な状況で寝てしまうので試験では僕には及ばないのである。これは良くも悪くも彼の育ちが良いからと今では思える。

中学校では参観日があっても来校する父兄は極めて少なかった。彼の母親は今でも親しいが、いつも参観日にお洒落をして来ている1人だった。美人であるし目立つのである。

僕は、中学校1年生の後半くらいから、健康面で深刻な状況になりつつあり、成績が下がってきていたので、3学期には彼に抜かれてしまった。2年生頃については過去のプロフィールのエントリに詳しい。

彼は中学校2年、3年頃は僕に比べはるかに出来ていたような気がする。彼と僕は何が違うかと言うと素質と言うしかなかった。僕もわりあい天才的な感じには思われていたが、教科に彼に比べできる科目に偏りがあるのである。

高校卒業までに、素質的にかなわないと思った人は、東大理1に行った友人と、亡くなった彼しかいない。理1の友人は何でもできる万能型であったが、彼の場合は、理系科目は僕が上回るけど僕が苦手の科目ができるのが違っていた。あと潜在的な能力と言うか、人並みに勉強すると相当なヤツになると思えるところがすごいのである。

高校に入学したばかりのこと、最初の模擬試験の成績上位者の名前が貼り出されていると聞き、みんなで見に行った。25位以内しか名前が載らないので、もし載れば名誉なことと言えた。行ってみると20位くらいに名前があった。成績はボロボロだったのに、名前が載っていたのは非常に不思議な感じであったが、それに載ったことで微かに将来に光が見えたことも確かだった。

当時、ずっと服薬している状況であり、いつも体調も悪いし、どうしても明るい未来が描けないでいたからだ。ところが、彼はろくに勉強していないはずなのに、7番くらいだったのであった。中学校後半の成績からすればまあ当然とは言えた。

当時、高校の教師と進路の話をすると、「君は病気だからいろいろ言ってもしょうがないが」くらいから始まるので、最初からちょっと落胆した。当時の高校教師は受験に対し体育会系の発想が抜け切れておらす、馬力にモノを言わせないと一流大学への合格は無理という固定観念があった。

僕は高校1年の3学期頃から気合を入れて勉強し始め、次第に成績が上がってきた。3学期の終わり頃は彼とあまり成績が変わらないくらいになっていた。結果的にこの無理が裏目に出て、2年の夏は入院生活を長く送るハメになった。僕はなんと6月上旬から休み始め、遂に6月下旬に入院、8月31日まで退院できなかったのである。

彼の頂点を極めた事件が2年の最初に起こった。普通の模擬試験は3教科なのだが、たまに5教科の試験もあった。僕は5教科になると理科と社会ができるので成績がより上がるのである(共通1次の社会は失敗だったけど)。

ところが、彼は社会が15点なのにもかかわらず、7番くらいだったのである。これにはちょっと腹が立った。こういうことをされると、もちろん周りはショックを受ける。社会を普通にしておけば、もちろんトップだったから。僕はその模試では12番くらいで彼に負けていた。ちなみに僕の社会は87点だった。87点も取って負けるなよと言いたい。腹がたったのは僕だけではなく、みんなもそうだったらしく、その貼り出された名簿の彼の社会15点にペンで赤く塗った。文字通り赤点だから。

彼は社会の勉強は模試直前にとりわけすることはないので、こういう結果が多かった。ここまで酷いのも珍しかったが。彼の凡人との最も大きな違いは国語であった。こういうのは素質としか言いようがない。勉強を全然していないわけだし。

後年、医学部に入学して超人的に国語ができる女の子などに遭遇した。彼女は、僕と同い年で、現在は東京都内で開業している。彼女は旺文社模試でいつも90点以上の得点だったらしいのである。彼女に比べれば彼もかわいいものだ。彼女は国語は出来たが、数学、物理が凡人以下(医学部受験生では)だったので僕の同じ年の受験では不合格だった。共通一次で930点も取って不合格だったので、彼女の高校では大番狂わせだったようである。しかし翌年合格し僕の1年後輩になった。なぜここまで知っているかというと彼女の親戚の子の家庭教師をしていたのと、彼女が通りすがりに思わず振り向いてしまうほどのカワイコちゃんだったからだ。

話は戻るが、その友人は英語のセンスが良かった。たいして単語も知らないくせに、英文和訳は正解しているのである。この単語はこういう意味じゃないかと思ったからこんな風に訳したなどと言っているが、1つの長文にそれほど知らない単語があるのに正解するなよと言いたい。出題者も、もうちょっと考えろって。パズルを解くような感じで解かれたらダメだろ。

ちょっと驚いたのは、pneumoniaが主語の英文和訳が出題された時のこと。使役の用法が使われていて、「肺炎のために亡くなった」というのがコアの訳だったのである(長文だったけど)。理系の連中は、このpneumoniaは文頭で大文字で始まっていたため、pneumoniaを人の名前と思って誤訳していた。彼はなぜか肺炎と言うのを理解して訳していたのである。こういうのが本当に謎だった。当時、彼より彼の母親の方が英語ができるらしいので、記憶の遺伝みたいなものがあるのだろうか?と思ったりした。

彼は、一般の受験生の勉強量の4分の1以下だったので、高校3年の中頃からは成績が下降気味になった。僕にも抜かれてしまった。もともと数学、理科は僕の方が良かったこともある。特に物理、化学は差があったような気がする。彼はすぐに眠くなってしまうような、今考えるとナルコレプシーのような性格で、終盤も受験の追い込みが全然かからなかった。

結局、そんな風な感じで、共通一次試験を受けたところ、彼に1000点満点で10数点だけ負けた。マークシート試験は彼には向いている。並はずれた勘を持ち合わせているから。僕は社会の失敗もあるし、総得点ではなかなか健闘したと感じたのでこの結果は仕方がないと思った。当時のマークシート試験は易しすぎて、知能検査みたいな面があった。彼はそういう試験ができるのは当然といえた。僕に限らず、親しい友人は間違いなく彼は2次試験は落ちると思っていた。理由は全くといって良いほど2次試験の科目を勉強していなかったから。

家庭が裕福かどうかは、どう考えてもかなり合否に影響する。彼がそんな風にのんべんだらりとしていてさっぱり勉強をしなかったのは、どうせ不合格でも浪人もできるし、その気があれば、私立の医学部にもいけることが大きい。ずっと後年、彼の母親から聞いたが、彼が不合格の時も考えて数千万準備していたらしい。つまり受験に対する、緊張、プレッシャーが普通の受験生とは大違いなのである。

彼は大方の予想を裏切り、あっさり国立大学医学部に合格した。僕も合格したから文句はないけど、ある友人は京大を受けたこともあり不合格になった。京大に落ちた友人が、「自分が落ちたよりも彼が合格したのがショック」と言っていたほどだ。親しい友人の中では最もよく勉強していた友人のみ不合格だったのである。

人生は、本当に不条理にできてるよ。

(聖書の話がまだ出てきていないが、前半終わり)

参考
聖書(後半)