カルテは文学的に書いてはならない | kyupinの日記 気が向けば更新

カルテは文学的に書いてはならない

研修医時代に、オーベンから「カルテは文学的に書いてはならない」と教えられた。このブログをずっと読んでいる人はわかると思うが、僕の文才は中学生の作文並なので、彼の助言を喜んだのは言うまでもない。

このブログは自然に書いたままで、別に工夫して書いているわけではないのである。

しかし、実際には文学的どころではない次元を超えたカルテも存在している。全く読めない文字で書いているカルテもあるからである。

ある時、サマリーも読めないシロモノであろうか?と疑問が湧くほどのドクターがいた。彼のサマリーを読んでみたら、まだかろうじて判読できるほどのものであった。あのサマリーが書けるのに、いったいカルテは何なんだ!といったところである。

総合病院で働いていた時、また別の人だが、誰にも読めない文字で書いている精神科医がいた。あのカルテは記録として成立していないので意味がないと思う。だって、10年後に診ることがあった時、誰にも読めないからである。自分だけはわかるなんて(本人もたぶんわからないと思うが)、カルテとは言わない。

その総合病院で、精神科病棟にそのドクターの患者さんを診察に来た外科医がいた。彼はまだ3~4年目の若手だった。

読めないカルテに激怒。
その後も看護師さんたちに怒りを爆発させたらしい。


この後が面白いのだが、看護師さんたちは圧倒的にその外科医がおかしいと結論を下したのである。確かにその外科医は他科でも評判が悪く、読めないカルテに対し怒る時間があるなら、本人を(読めないカルテを書く奴)呼び、直接口頭で聞くべきだったと思う。看護師さんはそういう見解であった。

その外科医は、看護師さんたちから完全に放置されたらしい。本人はブツブツ文句を言いながら診察したらしいが、読めないカルテも罪なものだと思った。

僕はリエゾンで他科のドクターをカルテを見るが、精神科とずいぶん印象が違う。わりあい絵が多いと思う。一方、文章は表面的なものに限られ、薄っぺらに感じる。それが悪いとは言わないが。

やはり、文学的に書く、書かないなどと言われるのは、精神科だけだな・・と思ったのであった。

たまに整形外科などの医師で、超絶、ペン習字の先生のような美しい字を書く人がいる。あれは希少品種といえるが、あの人が手術も上手いかどうかが非常に興味がある。

精神科医は、くだらないことを考えるものだと思った。

参考
精神科医のカルテ