困った時は、端の歩を突け! | kyupinの日記 気が向けば更新

困った時は、端の歩を突け!

治療中に膠着状態になることがある。というより、そういう病状推移になる人の方がアッサリ良くなる人より多いくらいだと思う。そういう時、色々なことを考える。

① そのまま様子をみる。
② 何か良さそうな薬を追加してみる。
③ 薬を減量してみる。(薬の整理)


まあ、こんな風に書いても意味ないし。実際にはその人がどの程度良くなっているかによる。僕は本人に、

今は健康な時期に比べ、どの程度ですか?

と聴いてみることがある。こういう風に聞いて70%くらいと言われると、こちらはまだまだかなと思う。その程度と言われても、表情や日頃の行動面の所見から好評価をすることもある。(患者さんによれば、いつも厳しい評価しかしない人もいる。これらは微小念慮やネガティブな思考から来る)

今は全快です。

などと言う人は良くなったというより、2型躁転?を来たしているのではと、かえって心配になる。これは素直に喜べず、もう少し病状の聴取が必要である。

時々、このような質問に全然答えられない人がいる。精神症状の実感が捉えられないような人である。家族が同伴していないなら、会話の状況や表情の範囲で判断するしかない。精神科では、どうみても家族も一緒に来てほしい状況でさえ、いつも1人という患者さんもいる。本人が家族は来てほしくないと言い、あえて1人で来る人もいる。

また、仕事を続けていて70%くらいという人と、自宅療養していて70%くらいと言う人では意味が違う。仕事をしていてこの程度だと、少し複雑な気分になる。もし会社を休んで治療を進めれば、今よりずっと良くなっている可能性も高いから。

うつ状態は休養が重要である。大昔は治療はそれしかなかった。

しかし、現代社会では休むに休めない人も多い。まさに深刻な状況だと、家族でも呼び入院させないと仕方がない。本人が病識も喪失している状態だとなおさらである。

最も悪いのは、たいして良くなっていないのに膠着状態になること。ホント、泣きたい・・こういう時に、打つ手は概ね打ち尽くしている時はなおさら酷い。

そういう時は、端の歩を突くしかない。

「ネコの手も借りたい」という言葉があるが、まさにそういう感じだ。ただ、ネコにはその気はないだろうし。(参考

$kyupinの日記 気が向けば更新 (精神科医のブログ)

また、端の歩を突いて良くなったためしもないのよね。一手パスと言うか、治療者のモラトリアムみたいなものなのである。実はこの端の歩を突くというのは、本人には意味がないが、

治療者には良いひと呼吸になることがある。

それはある種のひらめきを導くことがあるから。絶望的な状況でも、何かしら有効な方法はある。その閉塞感のため、気付かないことも多いものなのである。

実際、友人を治療する際にひらめいたことが、他の患者さんに相当に役に立っている。

参考
失業中のネコたち
3人目の女性患者
うつ状態と料理
やっぱり母親というのはすごいよ
不思議なブログ(後半)
うつ状態はどうなったら良いのかが明確でない