3人目の女性患者 | kyupinの日記 気が向けば更新

3人目の女性患者

これは「プレコックス感はなくなるのか?」の項に出てくる3人目の女性患者の話。「プロピタン」の続きになる。この子は16か17歳くらいから治療をしていた。最初は入院の依頼の紹介と思うが、前医の診断は境界型人格障害だった。

うちの病院に初診した時、すぐにこれは境界例ではないと思った。確かにリストカット、過呼吸発作、抑うつ気分、過食はあるが、「不安定で激しい対人関係の様式」なるものが乏しかった。また、「まきこみ」や周囲への操作などもなく、診察していて、こちらが全然エネルギーを使わない。看護師さんたちの患者さんに対する評価、考え方も一定しているので、こういう人を境界例と診断したくない。彼女は看護者たちに嫌われないのである。

僕は境界型人格障害の範囲がすごく狭いと思う。1980年代後半の頃のコアな境界型人格障害は最近診なくなっており、僕は当時の観点で診ているので時代遅れになりつつある。おそらく、DSM-Ⅳなどで操作的にやっていけば、そうなのかもしれない。では、僕は何と診断をしたかというと「神経症」。抑うつを伴うタイプ。これ以上はあまり深く考えなかった。僕は皆はどう思っているかわからないのだけど、基本的に雑なのである。血液型はO型だし。

最初、計2回、入院治療をしたのだが、主にSSRIや3環系抗うつ剤を処方して軽快退院となっていた。入院期間はいずれも1ヶ月くらいだったと思う。不思議なことに彼女はリストカットをするのに跡を残さなかった。よくみると、刺すようなわずかな傷があるが、これは時間が経つと完治してしまう。この子はやる時はやるなと思った。この所見だけでも、僕には境界例っぽくない感覚がある。たぶん、彼女はパニックや抑うつ気分のため苦しいからリストカットしているのだろう。

その後、外来で治療を続けていたが、ある時、全く予想もしない出来事が起こった。ある日、お店のトイレにうずくまって長い時間、泣いており、救急車で搬送されてきたのである。昨年の冬の終わり頃で早朝だった。外来ではひどい不穏状態で泣きわめいた。この日にすぐ入院させざるを得なかった。ところが、翌日、不穏状態がなくなりはっきりして来ると、幻聴や被害妄想が出現していたのである。幻覚妄想は、一般に誰にでもそれと分かるものほど性質が悪い。この子は「看護師さんのお腹の中に監視カメラが入っており、いろいろ文句を言われる」などと言っていたので、これは相当にまずいと思った。

こういう経過で、果たして統合失調症が発病するものであろうか? 
僕は珍しいがありうると思う。未成年ならなおさら。神経症レベルで発症して後に統合失調症が顕在化する場合はある。最初、定石的にリスパダール液やジプレキサなどで治療を開始したが、いずれもうまくいかなかった。ジプレキサにいたっては病状を悪くする始末。リスパダールもかなりの量でも幻聴はビクともしない。

しばらくしてわかったことは、非定型抗精神病薬ではセロクエルのみ不安感や興奮を抑えるが、セロクエルの最高量でも幻聴を抑えることはできないこと。その後、トロペロンやセレネースなどの静注や筋注を実施してみたが、全く無効だった。ちょっとでも和らぐことはない。完全に無効なのだ。トロペロン3Aを1週間継続して効果がなかった時、これは相当にヤバいのではないかと思い始めた。こういうのは時間がかかり過ぎると、予後が悪くなるのである。

その後、フェノチアジン系や日頃あまり使わない薬も処方してみたが、ぱっとしたものがなかった。うちの病院は、このブログをいつも見ている人はなんとなくわかるであろうが、小さな病院のわりに向精神薬は品揃えが多い。その間、セロクエルは300mgほど併用していたが、これは本人が服用していた方が楽だと言い希望したためだ。

当時、既に幻聴、被害妄想は軽く2ヶ月を超えており、一刻の猶予もできないと思った。しかし、万策尽きかけていて、今後の見通しも立たない状況である。実は当時、発売前にエビリファイも処方している。これはもともと非常に親しい友人の治療のために特別に取り寄せたものだ。あまりにも打つ手がないので、この子にも処方してみたが、吐き気が酷すぎて続かなかった。本人も幻聴で大変だろうが、こちらも大変なのである。だいたい、この子以外にもたくさんの外来や入院患者を治療していかねばならないから。4月末頃は僕も精神的に追い詰められていた。

ある時、ひょっとしたら、プロピタンの最高量かそれ以上を使えば幻覚妄想に効くかもしれないと思い始めた。なぜか、それまではプロピタンは使っていなかった。なぜならプロピタンの薬物プロフィールは、

D2   +
α1  ++
mACh +++
5HT2 ++++
H1 ++


であり、D2遮断作用が強くないので、直感的にはこういう治療に向かないように見える。しかしプロピタンは副作用が少なく忍容性が高いので、この子に最高量が処方可能なら、ひょっとしたら、なんとかなるかもしれないと思ったのである。ここまできたら、先入観にとらわれてはいけない。

5月初旬、プロピタンを漸増し300mgまで増やしたところ、突然、幻聴が以前の半分になった。この時、これはいけるかもしれないと思った。プロピタン600mg、つまり12錠とセロクエル200mgで治療を継続したところ、6月の第1週には幻聴、被害妄想はすっかり消失してしまったのである。

しかし、幻聴は消失したものの口をポカンと開けたままになり、これはどうかと思うほどのダメージを受けたような顔つきになった。最初、さすがに僕もこの顔つきにはショックを受けた。この時、エビリファイを追加処方すれば、なんとか顔がしまるのではないかと思った。エビリファイは表情を改善するからだ。エビリファイは以前失敗していたのであるが、あの時は吐き気などの身体的な副作用で失敗しただけで、真の失敗とは違う。僕は、1回失敗しても内容にもよるが、再び処方することがある。

エビリファイは吐き気が出てたいして増量できなかったが、3mg服用させるだけで、表情がかなり改善してきた。僕は口をポカンと開けないように本人に指導した。本人にそう言うと、けなげにそうしようとするのである。7月になると緩んだ表情も見られなくなった。

このブログはちょうど去年の7月に始まっているが、たぶん、この子の症状があのまま改善していなかったら、始める気にならなかったと思う。その後、7月~8月にかけてプロピタンを減量し始めた。なぜなら、良くなったあとの顔を見ると、あまり薬はいらないような感触があったからだ。

経過中、抑うつがひどい時期もあったが無視した。これはそういうことを合わせてしようとすると、局面が複雑化するから。二兎を追うもの一兎も得ずという結果になりかねない。もともと、この治り方の鮮やかさを見ると、抗うつ剤が悪影響を及ぼした可能性もある。結局、8月の終わり頃には、全く症状がなくなっていた。表情も自然になっており、プレコックス感もなかった。

この子は化粧が好きでしかも非常にうまい。化粧も淡い色合いを使い自然なのである。精神科病院に入院しているのに、化粧をする意味がないと思うのだが、本人がそうしたいというので止めなかった。本人に聞くと、「すっぴん」でいるのが嫌らしい。

9月に退院した時、プロピタン100mg、エビリファイ3mg、セロクエル25mgの処方になっていた。3剤併用だがこの量で症状消失なら上出来だと思った。セロクエルはやがて中止した。結局、プロピタンを処方して以降、大逆転勝ちになったのである。入院期間は6ヶ月もかかったが、こういう結果なら良しと思った。

僕は先を楽観視していた。近い将来的に向精神薬もほとんどいらないかもしれないとすら思った。なぜなら、それまでに問題になっていた症状がすべて消失していたから。抑うつ気分、不安発作(パニック障害)、リストカット、過食。過食はこの子の場合、エビリファイも効果的なのではないかと思った。

しかしこういう病気で、いったんあのようなカタストロフィを乗り越えたなら、こういう展開になりやすいのである。人間の体はそういう風になっている。当時、僕は、11月か12月には仕事に行けるかもしれないと思っていた。外来では普通の年頃の女の子と変わりがないし、だいたいプレコックス感が全くないのが良い。あの幻覚妄想の後遺症が全くない。

ところが12月に突如、パニックが再現したのである。パニックが生じると、リストカットも起こった。その後、ほとんど中止していた抗不安薬を再開。幻聴が再発しなかったのは良かった。抗不安薬はセディールを40mg処方しているが、パニックやリストカットはその後消失している。セディールを処方したのは、それまで平凡にベンゾジアゼピンだとなかなか収拾できなかったから。今後、抗うつ剤を避けるなら、セディールの方が良いかもと思ったのがある。セディールは今のところ思わぬほど有効で、この薬は奥が深い。

今の処方は、エビリファイ3mg、プロピタン50mg、セディール40mgと言う感じ。他に何か抗不安薬を頓服で処方しているくらい。SSRIかSNRIは場合によれば処方するが、できれば避けたい。今後パニックがまた出るかもしれないが、神経症レベルの争いになったのが良い。この春、仕事に行けると良いのだけど。

いったい、この子の診断は何だろうか? 
僕は、今は、かつて「分裂感情障害」というカテゴリーに入っていた疾患と思っている。今は、「統合失調感情障害」とでもいうのだろうか? こう考えるとプレコックス感がないことや、今、以前より断然良くなっていることなど、すべて辻褄が合う。分裂感情障害は統合失調症より、感情障害の方にはるかに近い疾患と思う。あと、薬剤性の可能性もなくはない。しかし確率的には5%以内ではないかしら。これは僕の感覚なのだが、幻覚妄想のクオリティがそういう風ではないから。彼女はおそらく予後良好と思っているが、絶対と言うほどの自信はない。

余談だが、この患者さんはかなり治療に苦戦しているのもあり、電撃療法も考慮すべきと思う人がいるかもしれない。しかし全経過を通じてそういう治療を選択肢として考えることはなかったのである。これにはいくつか理由がある。いつか項を改めて書きたい。

参考
電撃療法と統合失調症
メージ症候群(後半)