Talking with Angels 天使像と石棺仏と古典文献: 写真家、作家 岩谷薫
 神話学者のジョーゼフ・キャンベルさんは『最善のものは思考を超えているので語ることは出来ません。次善のものは誤解される』と述べましたが、写真やArtは神的なものへ近づく最善のものです。誤解されるかどうかは知りませんがロゴスにより、次善 活動で古典文献により精神世界を解明しています。
 似たことは、空海も述べています。『密蔵は深玄にして筆に載せ難し 更に図像を仮りて悟らざるに開示す』写真はこちらからも https://www.facebook.com/profile.php?id=100069249587274&sk=photos_albums


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他人を思いやる力……喪失を埋める力は、やはり人…

 なんだか書いてしまう、NHKFMの『朗読の世界』『異人たちとの夏』
 本日午後9時15分は、この小説の山場である、「すき焼き」のシーンだと思う…
 本日、聞くのはムリな御仁も、聞き逃し配信があるので…
 (この小説の山場は、寄席で、亡き父との再会シーンもそうだと、思うけど…)

 前回にも書きましたが、私がこの毎日のたった15分にワクワクしているのは、自分の亡き父のハートに毎回、会える幻想がして、ワクワクしている事に気がついた……

 世の中、親子愛ですら、崩壊しているパターンが多い中、この小説には健全な、親子愛が存在するので、私は、安心し、ワクワクするのです… (フロイト心理学なんてクソクラエなのです…) そこには、天国的な平和があり、 互いに、相手を思いやるハートがございます……

 物語上、私自身は恋人のケイの存在、特にその後の展開が「トテモ余計だな…」とは思いますが…
 小説上は、このケイの登場も、必要なんだろうな……とも、思いますがぁ…
 (この親子の「すき焼きのシーン以降」のこの小説の展開は、私は、好きではありません…)

⚫️ 私が好きな、専門としている中国古典怪談の観点では、そもそもこの亡き親達との現世での再会だけで、充分ハッピーエンドになるべきです…

 興味深い事に、幽霊と関わると、健康を害するという中国古典怪談は、実は確かに、いろいろあり…
 最悪な場合は、幽霊に好かれてしまい…あるいは、想念の代わりとして、生きている人間が「自殺したがる」展開です…………(これは、ひょっとすると現代でも、そうだと思われます…)所謂、「霊に、取り憑かれた」状態。
 こうした図式で典型的なのが、日本の落語や歌舞伎にもある『牡丹灯籠』でしょう…
 ツイ 『牡丹灯籠』は、日本の落語の怪談だと思われがちですが、そもそもの原典は、中国怪談、明の時代『剪灯新話』ですからね… 自著『新釈 中国古典怪談』でも解説した通り…
 作者の山田太一さんが、寄席で父との再会を設定したように、『牡丹灯籠』を知らないハズは絶対になく、『異人たちとの夏』の健康を害する発想の原典は この、明の時代の『牡丹灯籠』でしょう…
 (まぁ、そもそも明時代の作者 瞿佑 を評価すべきでしょう…)  

 でもね……幽霊と関わっても健康を害さない場合も、中国古典怪談には多く…自著『新釈 中国古典怪談』のP48でも、幽霊と現世の人間の協力関係を紹介しています。

 幽霊など、基本、どってことないのです…
 我々、親子は、四六時中、幽霊と関わっているのです…笑!

 そんな中で、ふと思うのは、生きている人や、死んでいる人達の想いです!

⚫️この、日置俊次教授のお言葉を御覧ください……

 こうした他者への想いは『異人たちとの夏』との親子関係と同じなのです…涙……
 「他人を思いやる力なのです…」涙………

 今、私は、『亡くなる心得』を増刷しようか…トテモ、悩み停滞、渋滞しているところですが…こうした理解者の言動が、どれだけ励みになることかぁ………

 これは霊界でのシャクティ-、なのだと思います………
 母や、日置俊次教授が居なければ、私は、もうとっくに、「そのウンザリ感で、大事な仕事を放棄している」事が解ります………… 『異人たちとの夏』もそうなのですが他人を思いやるハートがどれだけ大切か…と思う、日置俊次教授の御投稿でございました……

岩谷薫(Kaoru Iwatani)『Talking with Angels』ー天使と仏の写真家ー | Facebookページも宣伝

 

フロイト心理学の間違い… 母や父の関係について…

 今、NHKの『100分で名著』で、フロイトの『夢判断』をやっているケド…私は昔から、何でも性欲に繋げたがるフロイトがけっこう嫌いです。それはむしろフロイト自身が性欲偏執狂の精神異常者ではないか…と思うほど…

 (ちなみに、伊集院光さんも、撮影した事はあるのよ。 もっと2人で深い話をしたかったのですが、とある御仁との対談撮影だったので、話す機会がほぼゼロだったのが今もちょっと残念でした…次回放送はトーマス・マンの『魔の山』かぁぁ……高校の頃、読んだけど、良い印象です… 息子のクラウス・マンの話は実は力作。 さらに、ちなみに伊集院光さん発明の「中二病」という「言語」は、私は「トテモ偉大である!」とすら思っており、巷の近代文学のクダラン業の悩みなど、概ね、この「中二病」という言葉で、ホボ、一切解決できる事にも私は気付いています。 そもそもが、おのずのカルマにも一斎気付かぬ、聞くに耐えない重度の自意識過剰病なのです…
 あぁ、そうそう!『魔の山』のペーペルコルンという人の自殺は、三島由紀夫さんと似ていると指摘した通り… 勿論、大塩平八郎とも…

 フロイトで有名なエディプスコンプレックスも、男の子供は、そもそもそんな目で母を見ていのるかぁぁ??って話なのです…?  たまたまエディプス王の神話をフロイトが見つけ「そら見たことか!」と、そこでフロイトが思考停止してしまっているようにしか「私には」見えてなりません……

 どうして、こんな事を言い出すのかというと…今、このブログでも何度か語っていますが、NHKFMの夜9時15分放送の『朗読の世界』の『異人たちとの夏』が私は、素直に好きだからです。(聞き逃し配信もあるようなので、興味ある御仁はぜひ)

 何だか、毎日この15分程度の時間を、私なりに「とても心待ち」にしている自分に気付き、「この期待感は  いったい何でだろう???」と ハテナマーク3つくらいで、 自問する訳なのです……ストーリーも全部知っているし…… ラストは、「私の中では」イマイチだな…と言う展開も私は知っているにも関わらずです……??
 そもそも、主人公の運勢が底の時点で、都合よく恋人など、現れるハズなんて、普通、ほぼありませんから!
(ちなみに、近々、この話、山場の、幽霊の父母、の別れのシーンがございます! 「もう言うなオマエはよく頑張ったよ…の銘シーン。涙…

 普通はね、そんな時は、救いの恋人も出現せず、ただただ一人悩み、時間だけが過ぎていくものです…半世紀以上生きてしまったので、このパターン判ります。
 これは有名なドストエフスキーの『罪と罰』でも感じた、重度な、小説の違和感でした……
 『罪と罰』も、大学生の頃読んだもので、(もう大半は忘れていますが)前半はとてもヘビーメタルで突っ走ってくれ!!って感じなのに、後半は、なんだか、恋人の出現で、随分、竜頭蛇尾になってしまった印象だけがあります… どうせなら、もっと全巻ヘビーメタルの「全速力で!」ツッ走って欲しかったのにぃぃ…!!! 現実では、こんな投獄という最悪な時に、都合よく恋人など出現しませんから! 
 
 私が小説に感じる「違和感」とは、そういうことです……なので私は、小説家の評論やエッセイにのみ常日頃、興味があるのです…………

 話は『異人たちとの夏』に戻り…

● 今、気付きましたヨ… 「私は、父の優しさに気付こう、触れよう、と今FMを聞こうとしているんだ…」って事に……

 私の父は高2の時に亡くなりましたが、思春期なんて重度にバカなヤツが多いもので、伊集院さんの言う「中二病」、当時、「蚊が死ぬのも人間が死ぬのも同じ事だ…」と思い、何だか父の死が実感できませんでした。
 ただ、あの頃、父の死を前に泣き崩れている母を見て、「この人は、母ではなく、一人の女性だったんだ…」と母の目を見て、フト気付いた事は、今も良い経験、鮮烈な経験だったと思います……

 当たり前ですが、父も母も自分の子の幸せを望まない者は、絶対に、居ません!
 おかしな、フロイトのいう、エディプスコンプレックスなんっていう敵対関係って、一体、何じゃソレ………??って話なのです…

 何かフロイトの思考が、根本でおかしい直感が、私には するのです……

 少なくとも『異人たちとの夏』には、クダラン、エディプスコンプレックスなどは、微塵も無いのです………

 至極当たり前ですが、子にとり父も母も大事です。
 父も子の幸せを願っています……至極、当たり前の事実なのです……

 以上、ウダウダと書いて、私が思い出すのは、私の作品群を高く評価していただいている 日置俊次教授のYouTube 講義です。

 私は、芥川龍之介評論の段階で、「あらぁ〜 みなさん、母との関係で、コジラセテいる作家が多い」事を日置教授にFBで御指摘すると、なんと次の宮沢賢治までもが、母子関係、コジラセ作家である事が判明!!
 
 ●実のところ、幼少期の親子関係が、その人物の人生に、「モノスゴク影響」している事が、判明します…

 これは自著『亡くなる心得』で言うところのカルマなのです……
 作家という人種は、その業(カルマ)の痕跡が非常に解るので、私はその人の小説よりも、評論やエッセイにいつも興味があるのです…… 
 私は、昔から、情や業よりも、スグニ、本質や答えを求めたがる人種なので仕方がございません…笑
 なので、歌詠の才能は無いのです…………笑
 人生の答えは何だ?? という答えが 自著『亡くなる心得』なのです。

 それはある意味   心理学かもしれません。
 フロイトの心理思考には、彼独特の「必ず歪みが潜んでいます」
 まだ、ユングや、心理学者ではありませんが、シュタイナーの方が、よほど信用がおけるのです。

 その証拠に、先日の『100分で名著』フロイト夢判断では、
 死んだ息子が、喪の灯明が倒れ、棺桶諸共、息子の腕が燃えてしまう、夢を父が見て、(註:これは現実に起こった事) その夢の中で息子が「息子の腕が焼かれているのに、お父さんは寝ているのですか!」と言う問い(父の夢)に対し

 フロイトの夢判断が、「あまりにも」 お粗末なのです………嘆…

 スピリチュアル的に言うと、息子自身が、死んでも尚、父にメッセージを伝えているにも関わらず! フロイトは、ウダウダと、あくまで 生きている父主体で、深層心理がどうたらこうたらと、クダラン愚にもつかない、論点を、語り始める時点で、フロイト心理学の思考的行き詰まり限界が存在します。

 あぁっ あ…… せっかく「息子が」メッセージを送っているのに…主語の全くの、取り違えです。
 実のところ、霊界や夢で「重要なメッセージ」がある事は自著『亡くなる心得』でも沢山紹介しましたし、霊能者の江原啓之さんも、「あなたは、毎日、夢で霊界に繋がっています」との意の発言からも解ります。

 「現世に生きている、父主体の心理だけでは、決して解決はできません。 あくまで、現世、あの世、双方向です! あの世の息子の魂の視点が全くフロイトには欠如しているのが重度の問題です。」

 この視点でも、フロイト心理学が既に「限界」である事にも気付かされます………

 実のところ、夢で霊がメッセージを伝える事は、実に多いのです…
 フロイトの言う、性欲だけでは、絶対に解決し得ませんし………

 (実際、私の父は、この時、夢で私が気恥ずかしくなるほど礼を言っていました。そういうものです。)

 上記の全ての意味で、「私は、親子関係で問題が無かったのはトテモ幸せだったとは思います………」
 今時、親子関係でスラ、崩壊している御家庭が意外と多い中………
 これは自著『亡くなる心得』で紹介したPCのOSの喩え話と同じなのです…
 幼少時のこのOSの形成がいかに、メチャクチャ大事か……と、日置教授の文学分析でも感じるものです…

 この母愛の視点は、私は自著『Talking with Angelsーイタリアの天使達ー』でシャクティーの力として語っているハズなのです……

 今でも、このクレージーな人間界で、私の心理が平静を保てるのは毋のおかげです。

 現91歳の母は、半分ボケていますが、存在していることが、どれだけ私の救いになっていることか… 世に象徴天皇という言葉がありますが、私にとり、母はやはり象徴なのです…
 激戦地の死に際で、兵士の誰もが母の名を叫ぶのは、そういう事です… 残念ながらその死に際で父は出てきません…

 まぁ、みなさんはこの『イタリアの天使達』の重要性にも気づかれないでしょうが………少くとも、ものすごい御学歴の日置俊次教授はお気づきですが… みなさまも、お気づきください…… 少くともフロイト心理学は、根底で、問題がると思います…
 フロイトの時代は、情報量も無かったので、こうなったのも、よく判りますが、歴史的にフロイトは、今後、重要視されない直感が致します… むしろNHKはユングに注目すべきでした… 当たり前ですが、性欲よりも、もっと重大な事実が存在します。

岩谷薫(Kaoru Iwatani)『Talking with Angels』ー天使と仏の写真家ー | Facebookページも宣伝

日置俊次教授の評

 この記事は、青山学院大学、日置俊次教授のFBのコメントに書こうと思ってい他のですが…、心ならずも長文になってしまい、ブログ掲載にします。

 リブログしていただきありがとうございます。
 リブログのリブログでもう、ややこしいので、リンクにいたします。

 (ここまで書いていただける、同社ブログのリンク者を、このバカ会社は、検索上、「岩谷薫」と検索しても一切、検出されないようにしている、社会悪にも気付くべきなのですが………嘆 …モ、そのバカさ加減にも重々 疲れた………)

>岩谷氏も私も、霊的なものが天から降りてくるのを感じ、つまりインスピレーションにうたれて、生きている間に、この崩れかけた世の中を潤すような仕事をしておきたいと思っているのです。

 これは、本当にそうで『Talking with Angelsーコート・ダジュールの天使達ー』が解らないような人間界に(私の全作品もそうですが。笑)はもう充分ウンザリで…「私はもう、オールドルアーの専門家として、楽しく生きるゼ…大乗など知ったことか!この人間界は、言っても解らないじゃないか!!」と、もうこの系の書籍は金輪際書くまい…と思っていたのです…

 でも、私の見えない多くのお友達(天使達や石棺仏、守護霊もか…)が、「もう一冊、大切な書籍を書け!書け!」とシキリに、シキリに、私に言うので(天から降りてくるので)、従い、必死で書くと、「また、この人間界で、同じパターンじゃん!」って話でした!爆 
(いや、結果、超高学歴の日置俊次教授がお気づきになった事実は、重大事でしたが…)
 そして、『亡くなる心得』を書く事により、私自身も、思想の整理が付き、書き記した事は自分をまとめる為にも、良かったとは思いますが…

 (註:『亡くなる心得』は、私の人間界での集大成です。だから私は、人間界で課せられたお役目は、かなり既に終わっている、完了している気はかねがねしていますが…  シランやつは、私だって、知らんがな…!って話です…私に出会うカルマがそもそも無いのです… )

 さらに、何人かの読者さんからは、極たまに「救われた」との意のメールもいただけるので、「良かったな…」とは思うのです…

 誤解を恐れずに書きますが…
 たまにTVで紹介される、ホスピスの先生の死生観や、安楽死の報道、坊主の死生観など……
 それらを見る度……
 「それ、、絶対に、違うんだけどな……」 と私は度々、TVの前でツッコみまくり、イライラしています………
 残念ながら、まだまだ彼等は人生認識が、浅いのです………
 こうしたTVを見る度、まず、「オレにインタビューしろよ……」とすら思います…
 このイライラ感……  これは「私を見て!」という自己顕示欲ではなく、「生死の本質をここまで私が解明しているのに」 TV上で先生と呼ばれる人々ですら、未だに一切、ほぼ気づいていない現実へのイライラ感です…  ただの資格として、宗教者や医師と呼ばれている人物に、店を開いている、責任感の欠如を指摘しているのです……
 概ね、彼等の言うことで、救いなど、ございません………

 例えば、 日本で安楽死は認められていませんが、スイスでは認められているそうで、
●オレ、安楽死のカウンセラーなら、かなり自信と確信、采配を持って勤められるのになぁぁ……
 とさえ思います………(なんなら死刑のボタン押しも、良心の呵責は一切無しで、重要な職務として、私は出来るのですが… )
 
 3〜4月頃だったか…そんな安楽死のTVのドキュメンタリーもあって、スイスのカウンセラー自身が病んでしまう場合もあるので 「もし、私だったら、一切、病むことも無く、粛々と立派に安楽死カウンセラーの職務を、生死の理解の上、勤められ全うできるのになぁ〜〜」とも思いました。
 良い意味で私は死神です。日本の古典では、小野 篁 なのです。 

 実のところ、生死に関しては
 「いつまで経っても」 誰も気けないのです……そして、タダタダ、肩書きだけの「先生」や「坊主」の言葉を、ありがたや〜 と信じてしまう、この悪循環……(人間界だからやむを得ませんが…)
 残念ながら…「一億総白痴」という言葉は、実は重大です…………
(Windowsではこの「白痴」や「屠殺」という言語すらをも排除しているので、社会的、救いきれない重度のマヌケさを感じます。Macにはナイ。)
 
 自著『亡くなる心得』では、人生において、一体、何が最重要かも示しています!!
 ですので私はここまで自信を持って語っています… 自力出版の大変さも重々知っています…

 現在も『亡くなる心得』の再重版に悩むところなのです……………
 新聞広告を出すと、そこそこ売れる力がある『亡くなる心得』であると、私は知ってはいるのですが、重版料、広告料を加味すると、日置教授が仰られるよう

>金儲けなどにはならず、ただ骨身を削ってのたうちまわる苦行ですが、それに耐えて出版をしています。 

 これに尽きるのです… 儲けなど実は無いのです… むしろ赤字………
 人間界へのボランティアです………特に新聞広告は、私と出会っていない人へのボランティアです…

 ●ただただ…、この『亡くなる心得』は「人類知として 実に、勿体無いな………」
 と思う事が多分にあり…………
 大乗として必要かな………と悩むところなのです……

 どうしようかな………?なんとかしようかな………?と思うのです……
 世には「増刷倒産」という言葉もあり、出版業って意外と儲からないものなのです…。
 儲かるのは、流通業者かも知れませんよ…笑
 半世紀以上生きてきて、やっと気づく事は多々あります……
 まぁ、そういう世にしてしまったのは、このドーシヨウモナイ人間界なのですが………溜息………次の段階、考えましょうよ………って話です……

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 ちなみに、前回の「お菓子クレ!」の幽霊。
 先日、母に「明日から、もう来ないよ…」と母に伝えてきました……
 私の尽力が、亡き魂に伝わった実感がいたしました……
 成仏したのでしょう………
 彼等にとり「お菓子」と気の共有が「とても重要」だったのです… 前回のブログではクドイので、私は記していませんが実は、(優しい私は。爆)2度も彼等に「ブラックサンダー」を購入の上、あげていたのです(お供え)………
 涙ぐましい話に、その「ブラックサンダー」をお兄ちゃんの幽霊は」、弟と分け与えたと、母にメッセージまで伝えました………
 実のところ『Talking with Angels』なのです…

岩谷薫(Kaoru Iwatani)『Talking with Angels』ー天使と仏の写真家ー | Facebookページも宣伝

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