Talking with Angels 天使像と石棺仏と古典文献: 写真家、作家 岩谷薫 -382ページ目

パール・バック の『大きな星』

07_7_20_記事「誰かが覚えているかぎり、その人は生きている。」
ノーベル文学賞、『大地』などで有名なパール・バックの小品『大きな星』からの引用。
かわいらしい幽霊話ですが、幽霊を怖いものと捉えていないところなど好きです。端的でいい言葉だと思います。
「Talking with Angels」でも引用しました。
この言葉が真実なら、このページや写真集の天使も生きているということですね。
写真はロンドンの天使。


ダンテの神曲と35才

幻のホームページがあった頃、結構、一生懸命、コラムを書いていたんです。ホームページの頃にもう読んだ方はすみませんが、御紹介します。
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「Talking with Angels-イタリアの天使達-」の冒頭部分に引用し神曲のはじまりである、「私たちの人生行路のなかば頃 正しい道をふみはずした私は 一つの暗闇の森のなかにいた。」という文章には、ちゃんと意味があって、古代から月の満ち欠けを人生に隠喩しているらしく、人生70年とすると満月の時であるその中間点、35才頃が精神的にある局面に達するらしいのです。その証拠にキリストの磔刑が35才、ブッダが悟りを得た歳も35才で、きっちり隠喩で繋がっていると、ものの本には書いてありました。とすると「人生行路のなかば頃」のダンテは35才頃であったと想像がつきます。西洋占星術では「サターン・リターン」という言葉もあり、35才頃に何か人生の局面を迎えるらしい。07.7.18_記事これを自分自身に置き換えると、確か、28才の時ロンドンの天使に出会い、人生がガラッと変わりました。35才の時はその集大成である写真集を出そうと出版社廻りをしていました。20代は若いので「自分の意志でなんでもできる」と思っていましたが、30代になると「世の中、自分の意志だけではない」とか分かってくるんですよね。笑。だからダンテの神曲は、読んでいてとても面白いという印象はありませんが(失礼…笑)人生の隠喩としてとらえると、面白いんです。
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写真はローマ、カンポ・ヴェラーノ墓地

天国への扉


「Talking with Angels-イタリアの天使達-」より、ミラノのモヌメンターレ墓地で撮影。
あいにくの雨でしたが、光っているガラスの向こうが、あちらの世界のような気がして、好きな写真の一つです。