笑って死ねる人生を送りたい
91歳で永眠した祖母何だろう?祖母の顔が浮かんだ。91歳でこの世を去るまで、周囲に迷惑をかけていた祖母だった。母は生前祖母の愚痴を良く聞いていた。何かにつけ悪口をいう祖母。しかし母と父は祖母の裏の顔を僕らには教えなかった。僕らの前ではいつも笑顔の祖母。でもその裏では他人様の陰口を言うのが趣味だったという。人の粗を見つけては、自分の優位を自慢していた祖母。91歳で他界するまで、憎まれ口を叩いていた祖母。僕は祖母が亡くなったのを、何年かのちに父から聞いた。父も葬式には参列しなかったという。憎まれ口は、個人の自己満足かもしれない。しかし、それで傷ついた周囲は、どこまで我慢出来るのだろう?どこまで辛抱できるのだろう?人が人生においてどれだけ世に貢献したかは、葬式の参列状態でわかると言う。息子も参列しなかった祖母の葬儀。例え91年と言う年月であっても、陰口を楽しんでいるひねくれ者に花を手向けるものは少ない。僕は42歳、祖母の半分もまだ生きていない。これから更に10年,20年と年を重ねる。幸いにも模倣とする人生の先輩達がいる。幸いにも慕ってくれる人生の後輩達がいる。笑顔と喜びを友と分かち合い、これから更に40年以上は活きたいものです。それでも誤解の中で相手を傷つける事もある。しかしそれを確認し合い、正すことで労わりが生まれる。相手を思い、いたわる心が一つ傷と共に刻まれれて人は一つまた成長する。人を傷つけて楽しんだ者の末路は祖母を見て知った。人を労わり笑顔と喜びを与えた者の最後は、母が教えてくれた。安心して後を託し、笑って世を去るそんな人生にしたいものです。本日の一句傷ついて 癒す心に 愛がある作:淳風