石の心臓

こどもの頃、そんなお芝居を家族で見に行った事がある。



「石の心臓を持つものは、感情の支配を受けず
 冷淡に事を起こすため、事業の失敗をしない」

そんな噂が街に広まった。

石の心臓を持つものは、金運を手にし大金持ちとなった。

ある処にそんな石の心臓に憧れた貧しい青年がいた。
彼は恋人の制止も聞かぬまま金持ちの助言を受け
ついに石の心臓を手に入れる。

しかし石の心臓を持つものは冷静な判断力を失い
やがて事業に失敗し、大破産をする。

大天使ミカエルは、死者を裁く時
天秤を使ってその死者の心臓の重さを量るという。
秤にかけた心臓が重すぎれば地獄に行くという。

地獄で未来永劫、前世に重ねた罪を償い続ける。
そう言われている。

石の心臓を持つものは、
その重さゆえに地獄行きを余儀なくされる。

若者は幸運にも、元の温かい心臓を取り戻した。

そして安直な物事に頼らず地道な努力と
信用の積み重ねが大事だと悟った。

死者の心臓を天秤で量る大天使ミカエル




こんな内容だったと思う。

僕は神の存在だか天国とか地獄が死後の世界にあるとは思っていない。

しかしこの世にはまだまだ知りえない未知のものがある事は分かっている。

「一を知り十を知る」という言葉がある。
「一を聞いて、十を知る」の諺に近い。
ひとつは、呑みこみの早い理解力を意味するが、
僕はこの言葉はそれだけではないと考える。

奥の意味としてこれは
「一つの知識に対して他に十以上の未知がある」
という事だと理解している。

「一を知り全てを知ったと思わず、
未知の事が他にも無限にあるのだ」
だから油断なく鍛練せよという教訓として
受け止めている。

生きている事は稀である。

死後の世界があるのであれば、
それは死後、その死者がどのように語られるか
だと思う。

心清らかに志高きものは、己の魂を磨く。

心汚く志低きものは、己の魂を汚す。

魂の純度はすなわちその者の生き様だと思っている。

死後、悪しく語られるのであれば
それは「地獄」であろう。

死後、良きに語られるのであれば
それは「天国」なのだろう。

志高く、そして生まれた意を理解し
己の生きる証を正しく打ち立てた者は
きっと「天国」にいるのだと思う。

天国と地獄


己の人生、どう裁くかも己次第