自分をさらけ出すところ、さらけださないところ | A Day In The Boy's Life

A Day In The Boy's Life

とあるエンジニアのとある1日のつぶやき。

私の場合、このブログであまり自分の日常というものを書きません。

それは、そうしようと意識的に行っているからですが、何故かといわれるとそれはそういう場所だと決めているから、としか言えなかったりもします。


自分は、このブログを通して技術的な情報や考え方などを、ビジネスというものを中心に考えてみる場所として決めているので、プライベートな日常というものをネタにした記事はあまり書きません。

プライベートがまったくないわけではなく、旅行にも行くし友人と飲みにいったりもしてます。
以前に、旅行の途中でGoogleの灯篭を見つけたよというネタは書きました(※)が、それはGoogleという仕事でよく使うツールだったのでネタとしてありかなと思い書いてみました。


京都で出会ったGoogle


単にブログを立ち上げた当初に決めた、自分の中の取り決めに従っているに過ぎません。

もっといろんな話題を書いたほうが読者も増えるんだろうなと考えていますが、何かその領域を壊すのが嫌で今日まで守り続けています。


一方で、(ほとんど書いてはいないのですが)mixiもやってたりしていて、こちらはプライベートな話題を中心にまさに日記を書いています。

mixiでは、ここで取り上げているような技術的な話題をすることもありませんし、こんな記事を書くこともありません。

また、mixi側からこのブログへリンクすることもしていません。

日記はせいぜい10行から20行ほどですませ、どこに旅行に行ったとか、どこで飲んだとかそんな話題ぐらいです。

こちらも、mixiはそんなところという自分なりの取り決めがあってそうしています。

mixiに登録しているメンバー(マイミク)は、リアルに付き合っている人が多く、またその一部はこのブログのことも知っていたりします。

なので、ここで書いているようなことをリアルで付き合いのある人に読まれることに、あまり抵抗感は持っていません。

ですが、私の中でこのブログとmixiは、別々の領域として利用をしています。


日常を書くということは、その人をさらけ出しているように感じます。

どこに行ったとか、何を食べたとか、その人のプライベートな時間が共有されることで、その人をより知った気分になります。

私の場合、そういうことをこのブログを通して行っていないので、どういう人なんだろうという謎が、読んでもらった人に引っかかるのではないかと思います。


ただ、この考えはある意味、私(itboy)という人間の内心をよりさらけ出しているとも思えるわけです。

日記として書いているブログでは、その日常の中の行動で見たこと聞いたことが中心で、それに対してどのような思いがあったのか、深いところはあまり書かれません。

例えばあるお店で料理を食べてそれをブログに書いてみたとしても、それを書くのはその料理が美味しかったとか、お店の雰囲気がよかったとかの、そういう心情が働いていて、それは「美味しい」とか「きれい」とかの形容詞だけで日記としてはすんでしまうのでしょうけど、その裏にはこの料理のジャンルで言えば、前に行ったことがあるA店を思い出すけど、あそこの料理よりは私好みの味だったとか、このお店すごく雰囲気がいいから彼女と今度一緒にきたいなとかいう思いもあるはずです。(書いたら問題になることもあるでしょうが)


ここでは、仕事で使うというのがひとつのキーになっているので、余分な心情は省いていたりもしますけど、飲みにいって仕事のことで熱く語り合ったりした結果、生まれたエントリもあったりします。

文章の表現能力が高いわけでもなく、言葉をよく知っているわけでもないので読みづらいことも書いていたりもしますが、そのときの自分というものがここに現れているのだとそう感じます。

たまに、このブログを立ち上げた当初のエントリを見てみて、これはひどいなと思うこともあるのですが、それは当時の自分にとっての精一杯のことで、その比較ができていることは少なからず成長できているのかもしれません。


このブログは自分の今まで外に出さなかった部分をさらけ出している場所なんだとそう感じました。