ノムラ證券残酷物語 -6ページ目

Vol.32 「油のN島(1)」

新人で最初に配属された当時の支店長はOという支店長で、確か1年位で取締役になり大栄転で近畿本部長として転勤していったのでほとんど口を聞いた記憶も無い。まあ新人時代、当時虎の穴という全国1位を争う大店の支店長(組長)に、末端の構成員が口を聞けるはずもなくという感じだった。このOはあまり悪い評判は聞かなかった。まあ最後は常務まで行ったし、そんなに変な人間では無かったのかも知れない。


私は新人で入社した直後から異常な忙しさで学生時代から付き合っていた彼女と疎遠になって別れた直後、つい身近の支店の先輩女子社員と付き合うことになって支店の他の先輩の裏事情や下半身ネタもずいぶん彼女から聞くことが出来たが、彼女からこのO前支店長の悪い噂はあまり聞いた記憶がないから、多分まあ普通のおっさんだったんだろう。


前にも書いたがノムラには半径50M以内の女に手を出したら「現引き」(結婚せよという意味)という不文律、掟があることを入社早々インストラクターのH田主任から聞いていたが、結局彼女が仕事に疲れて(その原因は、支店長の秘書役みたいなポジションをしていた彼女にとって、恐らく新しいN島支店長の爬虫類性か何か殺気を感じて辞めたのだと今でも私は思っている)先に退職したので、危うく現引き寸前まで行ったが免れることが出来た。


その後立川支店という中堅の支店の支店長だったN島という新しい支店長が転勤してくることになった。


この男が全くもって最低の男だった。これは誇張でもなんでもなく体に油の血でも流れているのか、別な噂では蛇の血が流れているらしいと方々の支店でも噂になっていた、とんでもなく気色の悪い野郎だった。新しい支店長が転勤してくる直前、早耳のT岡主任が、仲の良い同期がたまたま立川支店にいたらしく、内線で電話して(当時ノムラでは全国の支店は内線電話で掛けられた)詳細な情報を入手していたものを我々若手にも披露してくれた。(続く)


Vol.31 「月替り商い(3)」

「おいおい誰が買ったんだ」「すげぇ~商いだ!」「Y田課長の玉かな?」とか、若手はその日の過酷なノルマの終焉に向けて気を抜きはじめていた頃だ。その月、最後の5分前まで銀座に勝っていた虎ノ門は、首都圏本部のスパイから(実際は単なる煽り役だが…)、「次長、実は、銀座は大引けでアマノを50万株クロス商いを出しているので、まだ本社の端末の数字には反映していませんが、このままでは虎ノ門は今月も数百万円差で負けまっせぇ~」という密告に怒りを爆発させ、誰も買う人間なんか決まっていないのに、明日上がる保証もその根拠も絶対に無いのに、勝手に100万株買ってしまったのだ。


「おい!君!伝票100枚打っといてくれ!」って、営業補助の妙に色っぽいT瀬女史に向かって叫んだ。バ、バ、バ、バ…とタイムレコーダに打刻される音を聞いて、我々は引け後に一人5万株単位の仕切り玉のノルマが押しつけられようとしていることに気が付いた。


時間は端末入力が可能な4時までの1時間一本勝負である。ダマ転だろうが、何だろうが、絶対に空(カラ)は許されない。支店には本社の自己売買部門のように自己売買用の資金枠などありはしない。顧客の金で買うしか無いのである。「客に金が無いなら、信用取引の枠の空いている客はいないか!」「誰か売れる銘柄を持っている客はいないか?」と、末端の我々構成員達は全員、血眼で自分の顧客の資産リストを探している「ふり」をしているが…今日一日、動かせそうな客の全てを使い果たしているんだ!もうスッカラカン!だよぉ~!って、心の中で叫びながら地獄の一時間が始まった…


スッカラカンで、誰も1000株も買う客なんかいない!って思って始まった1時間も不思議と100万株のペロが4時前には揃っていた。次長の直ぐ後ろにあるホワイトボードには、四角や三角で囲まれた数字と、旗のマーク(ノルマを達成した個々人と各課の横に)が立っていた。


何故だろう?あの凄さは。

絶対に出来ないことなど無い。執念なんだろうか?


いや、違った。そんな無理強いした客は直ぐに全員死んでいった(損をしてノムラから逃げていくことを意味する)。そんなことははなから分かっていた。「そうさ、また新しい客を見つけてくれば良いんだ」って、皆、心に言い聞かせるしかなかった。(まだまだ続く)

Vol.30 「月替り商い(2)」

それにしてもだ、月替り初日に月間予算を全て達成し、ある月は月間予算の200%(その月の予算の2倍と言う事!)を一日で達成して、その日なんかは、支店長が3時過ぎに首都圏本部に電話して「銀座(支店)はどうだったですか?ビル(新宿野村ビル支店を指す)は?」なんて、他のライバルの組(支店)の一日の予算達成度合いを気にして、うちの「組」が勝った日なんかそりゃ~嬉しそうにしていたが、我々構成員は疲れ果てて、ある者は3時過ぎても仕切り玉のノルマが達成出来ずに必死に下を向いて、T岡店内主任と同じように机の下にもぐって、顧客に電話していた者も多数いた。


虎ノ門と銀座では当然支店の規模や歴史による顧客資産により予算は異なるので、その達成度(何%なのか)が公平な比較のような気がするが、実際は絶対手数料の大きさで競っていた。虎ノ門が2億で銀座が2.5億であっても、虎ノ門が最終8億円で、銀座が7.5億円であれば良い。絶対的な手数料の大きさなのだ。


そんな過酷極まる「月替り商い初日」の熾烈なノルマにも係わらず、ある月内最終日にその事件は起った。月替りが一番キツイのにも係わらず、その月内最終日は、どんな月替り初日よりもきつかった。虎ノ門は当時、いつも銀座支店と首都圏1位(つまりは全国1位)のデッドヒートを演じていたが、新興勢力の台頭の筆頭である虎ノ門も、なかなか銀座してんには勝てなかったのだ。銀座には、朝起きて自宅で趣味の日本刀を抜き、精神統一して会社に出かけてくるという超大物Y原支店長が率いており、このキチガイ支店長とその軍団の銀座支店には何故かギリギリでいつも勝てなかった。


当時からノムラでは、多額のコンピューター投資を行っており、他のどの大手証券よりも進んだシステムがあった。あの当時からリアルタイムで支店の手数料収入は首都圏本部で管理していたので、次長は本社と電話をつなぎっ放しにして、銀座の手数料と比較していた。そう、あの日の悲劇は私は一生忘れられない。引け5分前、数百万差で銀座に勝っていたはずであるのに、S田次長は、何やら本部との電話を切って、場電を取上げおもむろに叫んだ。「日石大引け100万買う!」と叫んだ!

Vol.29 「月替り商い(1)」

ノムラには、月に一度必ず「過酷な一日」が待っていた。まあ、普段から毎日が、普通の呑気なサラリーマンに比べたら地獄のような過酷な日々であることは事実なのだが、この特別な日だけは尋常では無い過酷さがある。手数料のノルマに追われる犯罪株屋の構成員にとって、この日はまさに「シノギの取立て日」と言っても過言ではない。


83年当時、手数料収入は毎月ゼロからスタートして月間1000万円を稼げるようになるとようやく一人前となり、月間3000万円を超えて来ると出来る営業マンとして認識されていた。筆者は、バブル期には既に証券界を去っていたが、ノムラの横浜西口支店の課長が月間10億円の手数料を上げたとか、本店営業部の課長代理が月間8億円だったとか、立派な中堅上場企業の経常利益に匹敵するような手数料収入を一人で、それも一月で稼いでしまうこともあった位だから、当時でも、年間5000億円の経常利益を稼ぎ出すこの会社の体質は、想像を絶する強烈なものがあった。


株式取引は原則売買日の4営業日後に受渡しが行われる。土日が無いとして、8月なら28日が月内最終受渡しの売買となり、29日は9月分の商いとして新しい月のシノギのノルマに追われる日がスタートする。


普通の会社なら、月間の予算を仮に達成できなくても、半期で達成するように努力したり、営業部も年間予算の達成を目処に何とか1年間で収支を合わせようと努力する程度で多少ゆとりがあるのだろうが、この詐欺集団の親分衆である支店長たちにとって、過酷な出世競争にも影響するので、予算の未達などという文字は一切辞書には無いのである。


28日の引け後から、翌日の「月替り商い」の過酷なノルマの割り当て、またその具体的な方法論として、どの銘柄を買ってどの銘柄を売るのか、また明日の仕切り玉は何かなど、支店長、次長、課長の、「親分、若頭筆頭、補佐」連中が集まって何やら会議をしていた。我々はその間、手元の野村総研が構築した端末を叩き(本社のホストコンピュータとつながっている顧客の預り資産、信用建て玉の詳細とか、売買注文も原則ここで発注できる端末のこと)、1000株しか預っていない「ゴミ客」だろうが何だろうが、全ての顧客資産の詳細を手元に準備して若頭の指令を待つことになる。


当時、筆者が配属されていた「虎の穴」視点に対して、月間の手数料予算として本社が決めた数字はおよそ2億円程度であったと思うが、私が在籍した当時、毎月、月間予算なんか「月替り商い日初日」のたった1日で達成していた。25人程度の営業マンで一人1日平均1000万円近くを稼いでいたことになるが、実際、あの気色の悪い、性格も最低な、Y田課長は当時月間1億円の手数料を毎月上げていたスーパーセールスマンだったし、あの不思議な変態野郎の同期のT中も、「奇跡の大口客」を取ってきては、それを全てY田課長が電話と訪問でオモチャにして、入社2年目には一度月間1億円を超えていたことも何度かあった。(続く)

Vol.28 「仕切り玉(機関投資家の外しクロス玉編)(2)」

しかしである・・・悲劇は支店の顧客と新人営業マンに降りかかってくる。この後、コメコウ(日本精工)は上がる理由はでっち上げの嘘っぱちだし、当然相場全体に左右されるだけであるから、と言うより、ダマ転やごり押しで無理やり持たされた投資家は、直ぐに営業マンの口八丁に気づき動かない株価に業を煮やしてバラバラと売りに出てくるためほぼ100%の確率でダラダラと下がっていく。


新人が苦労して新規の客にはめようなものならそれこそ悲劇である。1000株でも1万株でも苦労は同じで、そんな間違いなく下がることを知っていれば新規の客になんか売り込んだりは絶対しない。横で、ノルマに追われる諸先輩はそんなことは百も承知しているので、まかせ客(一任取引をほぼ了解している「ど阿呆な呑気な顧客)の枠の範囲で勝手に買った途端、しら~~っと翌日にはあまり損が大きく無い程度のところで他の営業マンには黙って売却している。


新人は初めて買ってもらった客だから、まして直ぐにでも100円も200円も値上がりしそうなことを「真面目に」「信じて」セールストークで薦めて買わせているのだから、とても翌日や1週間程度で、少し下がってきたところで、やっぱり先日のお勧めした株は思惑違いでしたので、売って別な銘柄にしましょうとは絶対に言えない。この厚顔無恥さかげんにどうしてもついていけないと、早々と詐欺集団の使いっ走りのノムラの営業マンとしての資格は無いものとして徐々に脱落していくことになる。


マジで、このような「機関投資家の外しクロス玉」は当時のノムラでは頻繁にあった。東京でほとんどの出来高を占める出来高の大きな銘柄などは、東京市場ではなく出来高のほとんど無い、大阪市場や名古屋市場でクロスを振って買わされることもしばしばであった。「特別な玉があります…!」


そんな玉は「必ず損をする特別な玉」であることに気づいた入社1年目の終りには、毎回ノルマをこなすための最低限の5千株か1万株をあまり痛んでいない顧客か、もう大損していて近々引上げることが明白な客に薦めて(あるいはダマ転でぶち込んで!)、翌日には誰よりも早く損を最小限に抑えて売り逃げていたものだ。 (この章終わり)

Vol.27 「仕切り玉(機関投資家の外しクロス玉編)(1)」

私は仕切り玉の一種だと思っているが、時々支店長宛てに何やら怪しげな電話が本社からかかって来て、だいたい首都圏本部か株式部からの電話だと思うがある朝こんなことがあった。


支店長が支店長室から飛び出してきて、「S田ぁ~!Y田ぁ~!」と次長と課長2名を呼ぶと、中で何やら10分程度話していた2人が出てきて、「おい!全員集合だぁ~」と叫ばれた。どうせろくな事は無いと、みんな思いながら次長席の前に集合した。


「今本社から電話があって日本精工(「コメコウ」と呼ぶ)を特別に100万株虎ノ門支店に朝の寄付きでクロスを振ってもらえることになった。これを今から各課25万株ずつやってくれ!内容については、今からY田から説明させる!」と次長が叫んだ。その後ほとんど取ってつけたようなコメコウの値上がりしそうな好い加減な説明(「セールストーク」と呼ぶ)を立ち話でY田から10分程度聞いた後、「各課に分かれて直ぐに打ち合わせしろ!」と解散の指示がでた。


筆者は営業2課だったので、Y田課長以下、I上代理、H田主任、T岡店内主任と新人の3人で、営業場の直ぐ隣にあるブースに集合させられた。Y田がいつものように「I上、何ぼやる!?」と聞くと、I上代理は「1万!」と応えると「お前は2万やれ!」、「H田ぁ!お前は?」に対してH田主任は「1万」と答え、次々に全員ノルマを与えられる。


ここで、この100万株の玉の出所だが、実際は機関投資家(生損保信託等)の外し玉(機関投資家がある事情でまとめて売却したいという時に大手証券に売却の打診をしてくる)であった。この機関投資家は、いずれにせよ近々上がると思っていれば「絶対に売る訳は無い」ので、何らかの事情は藪の中だがいずれにせよ近々上がる可能性は無いのである。


しかしノムラにとっては100万株の売却手数料が入る訳だし、機関投資家にとっては前日の引け値が例えば650円で、出来高が一日で100万株しかないのに、もし100万株を自分の最良で市場に売りに行ったら、板の薄さに自分で値段を下げてしまうので、野村証券に「買い決め」させた方が手数料に比べればはるかにお得な取引となる。当時は今のネット証券のように手数料の自由化などはるか前のことで、仮に値段を崩さないように5万株程度に分けて売却注文を出せば、それこそ高い料率の手数料を20回分も取られてしまうことを考えれば、大手証券の力に頼るのも無理は無い。


ノムラにしても、売りの手数料収入だけではなく、100万株をある支店に個人や法人のゴミ客も含めて数多くの投資家に持たせれば、細かいでも高い料率の手数料の大きさは無論、この機関投資家に恩を売れることも含めて、その意味はとてつもなく大きい。支店は、朝一番で大商いで手数料がガッポリだし、みんな言うこと無いという仕組みだ。(続く)

Vol.26 「仕切り玉(6)」

で…T岡さんは、同じように机の下にもぐり小さな声で話し始めると、今度は「えっ?声が聞こえない?そうなんです。実は社長にだけお伝えしたかったんで机の下にもぐってお話しているんです。この話まだ他の営業マンは知らないんですぅ~、実はぁ~…」と言ってあること無いこと並べ立て「社長だけに、特別に先に買っておいたんです。来週から(だいたい4~5日先に暴騰が始まると嘘をつくのは、明日からって言ってしまうと、また直ぐにこの客の相手をしないといけないから…)市場で買いまくりますから暴騰間違いなしです!」と…有りもしない嘘を並べ立てると、ダマ転被害者のまだ初期段階では、ほぼこれもいつの間にか正当化されてしまう。


それでも、さすがに何度も同じ事が通用するわけでもなく、ただ、偶然にダマ転の被害者がその株が本当にラッキーにも翌日から値上がりでもしようものなら、「ほら、言ったでしょう!凄いでしょう?!」ってしたり顔のT岡店内主任に完全に騙されてしまう。その後はこの客は何度も何度も売買を繰り返され手数料をがっぽり吸い上げられて、挙句の果てには資産が半分以下になった程度のところで自分がどの程度負けているかに気が付き、野村とは一生取引しないと捨て台詞を吐いて支店から預かり資産を引上げていく。ただこのダマ転の元凶は、はやり「仕切り玉」にあると私は今でも思う。


昨日最初に仕切り玉について書いたが、仕切り玉は、支店の営業成績のノルマ達成のために次長や課長が、勝手に相場観で買ったものだから、値下がりしている時だけ末端の兵隊達の営業に降りてくる。つまり仕切って直ぐ上がっていれば、それは課長の上客の損失補てんのために使われ、我々末端の構成員には回ってこない。


ではY田課長の上客は絶対に儲かっているんだね?って。ところが事実はそんなことは無かった。このスーパー資産家の客は、課長の「私に任せてください!」の口車に乗って全て(ダマ転での売買)を任せて、信用取引も含めて大損している金額が常軌を逸してしまうところまで行き着き、最終的には目の前の霞ヶ関ビルの証券担保金融会社で、数十億円の信用取引の現引き代金の融資を受けさせられ、某一部上場会社の跡取り息子で、個人筆頭株主であったにも係わらず、後に全ての財産を失うことになった。(まだまだ続く)

Vol.25 「仕切り玉(5)」

だいたい…T岡さんのいつもの手口は…


「えぇ~??そんなぁ~??社長買うって仰ったじゃ無いですかぁ~~?困るなぁ~言ってないって…う~ん。でも言いましたよねぇ~。社長も良さそうだと言ってましたよね…まあそうですね…やっぱり行き違いですかねぇ~行き違いですかねぇ~??でも必ず上がりますよ。間違いないです!」って、断じて取り消しということなど、ノムラ證券には存在しない。絶対に裁判で負けるまで私の知る限り取り消しなどしたことは無い。


しかし事実は決して「行き違い」なわけは無い。ただ、この場合、完全なダマ転よりは一度セールスの電話で買ってくださいと具体的に銘柄を言っている以上、自分の子供と同じ年齢程度の優秀な大学を出た、世間的には一流企業に勤めている社員がそこまで言うのだったら…と、素人の大体の客は一回目のダマ転はほとんど泣き寝入りする。間違っても一発目に、内容証明郵便や、監査部や果ては本社の社長宛に手紙を出してくる顧客など見たことも無い。


こんな程度のことは入社半年もすると誰が教えるとも無く新入社員ですら肌で感じ取っているから、ある顧客に対する最初のダマ転は、どんなボケたノムラマンでも間違いなく成功した。ただこのT岡店内主任は、その後もノルマに追われると同じ客に対してダマ転を繰り返す。当然お客は何度も電話で確認しようとするが同じように最初は電話にすら出ない。何度も何度も電話してくると最後のほうになってようやく電話に出て、また同じことを繰り返す「行き違いですかねぇ~」って…行き違いなもんか!って、傍で見ていると本当にトボケた返答しかしていない。(続く)


Vol.24 「仕切り玉(4)」

「株屋」と呼ぶのが通常あの時代の証券マンへの適切な職業を表す言葉だと思うが、「~屋」と付く職業はそもそも時代の中であまり尊敬されていなかった職業に違いない。「不動産屋」「株屋」「的屋」…だいたいバブル期に他の証券会社とは一線を画していたと(収益力だけは詐欺集団の親分衆の団体にとっては間違いなく群を抜いていた)本人達だけが思い「大手金融機関」と自称していたこと自体そもそも大いなる驕りであり勘違いである。


専門用語のボキャブラリーの多さなら頭の柔らかい学生に覚えさせれば良いのであって、毎日オウム返しのように同じ事を繰り返しているだけだから、その場限りの好い加減な対応で何とか言い逃れをするのが株屋の基本で、株屋の営業マンには、それ以外彼等に本質的な向上心など無いと断言しても良い。相場任せの無責任さの中で、それでも天才的な詐欺師振りを発揮するスーパーセールスマンがあの会社には当時本当に沢山いた。


さて、ましてT岡店内主任はそもそも株の知識などほとんど無かった。客から何度も直通の電話が鳴ると最初は我々が代わりに居留守を使って誤魔化していても、最終的にはお客は怒って電話してきているのだから、いずれ電話に出ざるを得ない状況が来る。客は買った覚えの無い、持っている株を売ったつもりも無いのに「ダマ転」の3日後の昼過ぎには、必ず売買報告書が自宅に届くことになり、当たり前だが、全く身に覚えの無い顧客は、必ず血相を変えて店に電話してくることになる。その時の彼の対応は必ず決まっていた。


まず、彼は何度目かの電話におもむろに電話を握り締めると「あっ!社長ぉ~!!!すみません。席を外してましてぇ~いつもお世話になりますぅぅ~!」と大きな声で第一声でまず客の気勢を制す。その後、椅子をお尻で後ろに押しやる押しやるとと、頭を机の下に潜ってしまう。電話だけは机の上に乗っているが、コードが伸びて彼は頭を完全に机の下に押し込みいつも何やら小さな声で喋っていた。最初は何をしているのだろうと不思議だったが配置換えで彼の隣に席を移された時にその全貌が明らかになった。(続く)

Vol.23 「仕切り玉(3)」

新人の頃は、「K村ぁ~お前は何ぼやる?」と聞かれると「5千」と応える程度で良かったが、実際に課長にやると言った数字のこの5千株は、どんな手を使ってもやらなければならない数字なのである。自分が言った数字が出来ない場合は「しょんべんをこく」つまり…「ノルマが未達」を意味するため、この5万株の各課のノルマから部下に割り振った数字が5万株に到達しなかった場合は、各課の課長が絶対に自分の客で処理をすることになる。課長は部下の数字と課全体の数字の全責任を店に対して追っており、出来る課長は部下の数字が仮にゼロでも必ず数字を出してくる。


ここからが地獄の始まりで、この仕切り玉のノルマは当然この10時少し前から11時前引けまでの間に処理されなければならない。最悪の場合、3時少し過ぎまでに場電分の処理として残されるケースも無いわけではないが、要するに30分程度でこの程度のノルマは片付けなければならない。


毎晩よく我々新人と一緒に飲みに行ったカラオケ好きの女好きのT岡店内主任の必殺技は「ダマ転」という技の持ち主であったが、この技は野村の営業マンであれば、ほとんど誰も教えてもらったことが無いのに、全ての営業マンが最初から完璧にマスターしていた。


つまり、普通この仕切り玉(値下がっている)を買ってくれるお客は一切いないので、仕方なく(ノルマに追われて)お客には「黙って(ダマ)」お客の預かり株券を「転売(別名転がす)」してしまうことを取って、「ダマって転がす」つまり「ダマ転」を頻繁に使用していたが、彼は何故かお客からのクレームはほとんど無い「お客からの問い合わせに天才的な話術」で誤魔化してしまう人であった。


彼は直通の電話が鳴るとほとんど自分では取らなかった。まず近くの我々が彼の直通に出て「はい。ノムラ證券です。(自分の電話は「もしも!」と出るが、人の直通電話であるからそこは一流企業を自負している我々としてはこのように上品さを出しながら電話にでることになる)」、彼のお客が「T岡君いる?」と言うと、まず我々は「どちら様でしょうか?」と相手の名前を尋ねることになっており、「はい。O島様ですね」と大きな声でT岡店内主任に聞こえるように言うと、T岡さんは必ずと言って良いほど、右手を左右に顔の前でウチワを仰ぐようにして、小さな声で「居ないって言ってくれ」と居留守を使っていた。で、この後が大変である…(続く)