恐山を降りて、時間があったら尻屋崎に行って、寒立馬を見に行こうかとも考えたけれど、諦めた。
またの機会にしようと思う。



今晩泊まるのは、下北半島の最北端に近い下風呂温泉郷という小さな温泉街。
恐山から1時間ぐらい走ったと思う。


ここは風間浦村という本州最北端の村だ。
風間浦村のWebサイトにそう書いてある。
大間のほうが北じゃないかと思うけれど、大間は「町」である。
村に限定すると最北端ということになるらしい。
下風呂村、易国間村、蛇浦村の3つが合併して、それぞれの文字をとってこの名前がついている。


ここが今日泊まる、さつき荘という温泉宿だ。
この温泉街は温泉もさることながら、漁村にあるだけあって海の幸をたらふく食べられるということも楽しみにしてきた。

まずは風呂に入る。
ここのお湯は、日によって色が変わるそうで、今日は灰色をしていた。
黒い色の日もあるそうだ。



この下風呂温泉には3つの源泉があり、大湯、新湯、浜湯というのがあるそうで、浜湯を使っているのは、このさつき荘だけだそうだ。正確に言うと、他にもこの源泉を使った旅館があったのだけれど廃業してしまい、今はさつき荘だけになったそうだ。
大湯と新湯は無色透明で、この浜湯だけが濁ったお湯なのだそうだ。

ここの温泉はみな温度が高く、熱い。その中で、さつき荘は「ぬるめ」なのだと女将さんは言っていたが、43度ぐらいの暖まりやすくて入りやすいちょうど良い温度だった。
蛇口にホースがついていたけれど、おそらく熱くなりすぎたときはあのホースでうめるのだと思う。今日はうめる必要はなかった。

口に含むと、だしの味がした。
このお湯、本当にいいお湯だった。
とろみがあって、柔らかくて今回入った中で一番好きなお湯だった。



風呂の後は食事。
噂に聞いていた通り、海の幸がてんこ盛り。
ウミタナゴの南蛮漬け、マスのばっけ味噌(ふきのとうのみそ)、ほやの酢のもの、たことわかめのしゃぶしゃぶ、やりいかの煮つけ、サメの和え物など。
これに寿司が六貫ついた。イカの寿司のおいしかったこと。

これを下北半島の地酒、関の井でいただいた。この関の井、端麗辛口で美味しい酒だったが、流通量が少なく、ほとんどが下北半島で消費されてしまうらしい。

端のほうに少し、ニシンの切り込みがついていた。
女将さんにこれを何と呼んでいるか聞くと、やはりこのあたりでも切り込みと呼んでいるらしい。僕が育ったあたりでも切り込みと呼んでいる。

どちらから伝わったものなのかはわからないけれど、北海道にはニシンを追いかけてヤン衆がたくさん渡ってきたから、青森から伝わったのかも知れないし、北海道からヤン衆たちが持ち帰ったのかも知れない。

女将さんの話を聞くと、このあたりは北海道のテレビが写るそうだ。
だから文化は津軽とは違い、南部の文化+北海道の文化という風土だそうだ。

<DATA>
pH 5.859
成分総計 4.605g/kg
含硫黄-ナトリウム・カルシウム-塩化物泉(低張性弱酸性高温泉)

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ほろ酔いで浴衣に旅館の下駄をはき、タオルを持って出かける。
この下風呂温泉には共同浴場があるのだ。

この下風呂温泉で一番古い大湯はこの日は定休日だったため、もう一つの新湯へ行く。
新湯も大湯も坂の上にある。これは大湯の前から坂を見たところ。


大湯の前を通り過ぎ、山をひとつ乗り越えたところに新湯があった。


店の外の自動販売機で入浴券を買い、番台で渡すシステム。


新湯の浴槽がこれ。洗い場が贅沢にもヒバだ。
新湯も大湯も熱いと、どこのブログを見ても書いてある。

僕は熱い風呂が好きなので、どれほど熱いのか躊躇なく入ってみた。
おお、熱い、熱い。熱くて足はビリビリするけれど飛び上がるほどではない。
漁師が入る温泉はこのぐらいだろうと思う。
うちの田舎の港町に近い風呂も、このぐらいは熱かった。

地元の方が二人入浴していて、知り合いらしく話をしていた。

「今日も朝からパツンコ屋さ行ってら」
「いっつもどごさ行ってら?」
「ィースさ行ってら。マルハンだら年に一回が二回しか行がねんだ。いっつもィースさ。」

ィースは、エースというパチンコ屋のことだろうと思う。

「おおはだもさぐら、さいだってね」(大畑も桜が咲いたってね)
「んだんだ、今日さいだぃんた」
「ひろさぎに娘、嫁さいってらから、毎年ひろさぎささぐら見に行ってらんだけども、こどしは、むすめこっちさ帰って来たから、見らいねがったじゃ」

さつき荘のおかみさんが言っていた通り、このあたりの言葉は津軽の言葉とは違う。
僕にも聞き取ることができた。

さつき荘とはタイプが違うけれども、これもまたいいお湯だった。
下風呂温泉、また来たいとしみじみ思った。
ここは本当にいいところだ。

上がってから飲んだコーヒー牛乳がまた美味しかった。

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今日は4回風呂に入った。
6時前に起きて、朝風呂に滝見の湯に入る。
昨日来てから、5回目の風呂。
4つ風呂があるから、一つずつ入るとそんなことになってしまう。


朝食を済ませ、青荷温泉を出て、黒石のこみせ通りでお土産を買う。



津軽といえば、これだ。もう懐かしくてこれは真っ先に買った。なぜ懐かしかったのだろう。
青森はうちのあたりの中学生の修学旅行の地。僕も青森に行った。
親戚の誰かが買ってきてくれたからなのかも知れない。とにかく青森土産といえば津軽飴が思い浮かぶ。




今日は恐山に行く。

この距離を走るのだけど、結構距離がある。
来る前は結構なめていたのだけれど、走ると結構時間がかかる。
本当はゆっくり浅虫温泉のあたりを通っていきたかったのだけれど、雨も降っていたことで、先を急いだ。

大湊に昼ごろ着き、食事。
突然ワープしたように大湊に着いているけれど、下北半島を北上するときの陸奥湾沿いは本当に何もない。
海と巨大な風車の群れがあるだけで、本当に何もないのだ。

美味小屋蛮という洋食のお店で、カレーやらグラタンやらをめいめい選び食べる。
写真は撮り忘れたので、よそさまのブログにリンクを貼らせていただく。
美味小屋蛮
カレーは美味しかった。

カーナビの地図だと、大湊から恐山はわりに近いのだけれど、目の前にある景色と結びつかない。というのも大湊の町にそびえる大きくて険しい山は、山頂にかなり雪をかぶっていて冬山だった。もしあれが恐山て、あの山頂に何かがあるならとてもあそこまではいけないと思った。



こんな山なのである。後で調べたら釜臥山という山だそうだ。
「まさかてっぺんはないだろう」まぁとにかく行ってみようと、カーナビの指示に従い山を登っていった。
結構な七曲りの道路で、そこを20分ぐらいは登ったろうか。
しばらく登ったところで、ようやく開けた場所が現れた。


着いた。恐山というのは、山の名前ではなく、霊場の名前のようだ。
千葉の新勝寺を成田山と呼ぶのと同じように、恐山には圓通寺という曹洞宗のお寺がある。


恐山のご本尊は地蔵菩薩。門前にも菩薩像があった。
普段僕らは、お地蔵さんと気安く呼んでいるけれど、菩薩様である。
れっきとした偉いお方なのだ。

ちなみに如来様がもう極めちゃった方で、アガってしまった方で5人いる。
釈迦如来、大日如来、阿弥陀如来、薬師如来、毘盧舎那(びるしゃな)如来の5人だ。(何人と数えてよいかどうかわからないが)
釈迦如来、阿弥陀如来は一番有名な如来様だけれど、この如来様というのは我々を救ってくれるありがたい方々なのだ。
毘盧舎那如来はあまり有名ではないけれど、東大寺の大仏様といえばわかるだろうと思う。

菩薩様はまだ極めてないけどめっちゃ偉いお方なのだ。
仏像で真ん中に如来様がいて、脇に二体の仏像(脇侍という)がある場合、二体の仏像は菩薩様だ。
仏様が亡くなった後、弥勒菩薩が来てくれるのは五十六億七千万年後という途方もなく後で、その間お前がシャバを守れと遣わされたのが、地蔵菩薩なのですね。


中に入ると長い参道がある。敷地がものすごく広い。


途中にあった本堂。この彫り物の細工がすごい。


恐山にはこのように溶岩や硫黄が噴出しているところと、湖の白い砂の浜がある。
前者が地獄を表現していて、後者が天国を表現しているのだと何かに書いてあった。

子供の頃、雑誌や何かで怖い場所の特集があると、必ずこの恐山が紹介されていたが、来てみるとすごい場所だなとは思えど、怖いことはない。

必ずイタコのことに触れられているから、恐山には年がら年中イタコがいるのだと僕らは思っていたけれど、そうではなく恐山のお祭りの時にしかいないらしい。
そのイタコも高齢になり、かなり数が減ったと聞いた。

五十肩をわずらい、願いを込めて石を積む女房。

恐山は、高野山、比叡山と並んで「日本三大霊山」と宣伝されているけれど、あくまでも恐山のみが自称しているのだそうだ。今回訪ねてみた印象は、仏教のテーマパークといった感じだった。


境内には4つの温泉が湧いていて、入山料を入ると見学者は誰でも無料で入ることができる。
入るのは自分だけなので、他の湯にも入りたかったが、古滝の湯に入ってみることにした。


中にはこんな浴槽がある。硫黄臭がすごくて、pH1.8の強い酸性のお湯だ。
けれどもお湯は柔らかい。

タオルを忘れたので、上がって何で体を拭こうか考えた末、ハンカチで体をふいた。
ハンカチはすぐに水を吸ってしまい、なんども絞りながら体を拭いた。

奥入瀬渓流を車で軽く流して、十和田湖を一周して、黒石に向かう。


事前に聞いていた通り、八甲田は青森側から登ると斜度はきつくないけれど、十和田側から登ると斜度がきつくて七曲りだ。その代り、急角度なところを七曲りで上っていくので、それほど時間がかからずに頂上まで登り切ることができるような感じがした。


八甲田の峠道を降り切って、黒石温泉郷に入ったぐらいのところにこんな看板があった。
青荷の入口だ(写真を撮っていなかったので、よそさんのサイトにリンクしています)

「ああ、もうすぐだ」と、すっかり着いた気分になって向かったのだけれど、なんとなんと、ここからが長い峠道。退屈させまいと、津軽弁のナビゲーション看板がある。これが面白くて、笑いながら走った。こんな具合です。

僕が育ったあたりの北海道の浜言葉はかなり津軽弁の影響が濃いので、ニュアンスはわかる。
それと昔学生寮に入っていた時に、津軽の人がたくさんいたので、そこでだいぶ津軽弁の薫陶を受けたけれど、やはりネイティブ同士が普段通り話すと聞き取れなかった。

さわやかなバリトンボイスの津軽弁というのは、あまり聞いたことがない。
口を余り開けないで話すせいか、口の中で音がこもった感じがするので、なおのこと聞き取りにくい。

「ワギ見るなって」と書いてあると「わがったじゃ」と返したくなる。
「タマシホロギしたじゃ」とも書いてあったけれど、これは「命拾いした」と解釈した。
「あどワンチカ」って書いてあったけど、うちのばあさんの言葉を一番色濃く受け継ぐ、実家の近所に住んでいる叔母は「ワンツカ」と言っている。
昔、聞いた津軽の友人の津軽弁も「ワンツカ」だった。
ごはんのおかわりをするときに「ワンツカでいいね、ワンツカで。」みたいに使う。



途中、砂利道もありながら、そうこうしているうちに駐車場に到着すると、こんな案内板がある。
「若げひとだぢは、こご」と書いてあるのでここに止めなければならないのだろうけれど、年よりがいるので、ひとまず旅館の前まで車を横付けすることにした。

駐車場から出ると



いきなりこんな坂だった。
僕の車はオートマだけれど、マニュアルならセコで登る坂、そうとうきつい坂だった。
帰るときに車を取りにこの道を歩いて登ってきたけれど、坂を上るんじゃなくて、登山をしている気分だった。



入口はこんな感じです。
ここは青荷温泉といって、このあたりではランプの宿で有名です。
といっても本当に電気が来ていないわけではなく、不便さを演出している宿です。
(これほどの場所なので、昔は本当に電気が来ていなかったと思います)


着いて早々、まずはと湯浴み。青荷温泉には湯船が4つある。
健六温泉、本館内湯、露店風呂、滝見の湯の4つ。

まずはこの温泉で一番大きな健六の湯から入る。(部屋から一番遠いところから入ることにした)

総ヒバ造りで広くてきれいで、あずましい。
窓が大きく明るくて、開放感がある。
しかし、窓の向こう側は本館の入口で、外は普通に人が歩いている。
あられもない格好をしてしまうと、丸見えになる。

あずましいなんて言葉を使いながら思ったけれど、北海道の言葉は本当に津軽弁の影響が大きいと思う。
北海道の人は、自分たちの足元だけ見て「北海道弁だ」と言うけれど、北海道で使っているかなり多くの方言は津軽弁にもある言葉だということを、もっと北海道の人は知らなければいけないと思う。

本館の内湯に入る。
健六の湯は広くて開放感があってよかったけれど、この内湯はこじんまりとしてよかった。
この温泉の湯は、無色透明でにおいもあまりない。お湯はやわらかい優しいお湯だ。
けれども昨日(というか今朝)酸ヶ湯のお湯に入ったばかりなので、温泉としては薄く感じる。



さっきの健六の湯も露天じゃないのに、この風呂を内湯というのは、この風呂以外は離れにあるからそう呼んでいるのだと思う。


他は本館ではない別の建物にあり、健六の湯は風呂専門の建物にあり、滝見の湯は上の吊り橋を渡った離れにある。ちなみに今回は、この橋を渡ったところにある滝見の湯の二階に泊まっている。


夕飯は、食堂でみんな一緒に頂く。18:30だったと思ったけれど、もうランプが点灯している。
端じの方に少し見えるけれど、隣は外国人の家族。
後で後ろを通る時に「Excuse me」と声をかけたら、向い側のお母さんが僕の通り道をふさいでいたお父さんに、何語かわからない言葉で注意を促していた。おそらくヨーロッパのどこかの国の言葉だと思う。

西洋の人を見ると、とりあえずカタコトの英語を使ってしまうけれど、何語かわからない言葉が聞こえると、自分はあまりにも無力だ。



カメラではこんな風に明るく写っているけれど、もう結構暗い。
山間に生まれ育ったうちのおふくろは、子供の頃、ランプで過ごしたと言っていたけれど、もっと明るかったと言っていた。
おふくろによると「明るくすると油を食うからなんだわ」なるほどと思った。

食べているうちに、ほんとに暗くなって食べ物がなんなのかわからなくなるぐらいだった。
手前の魚が岩魚の塩焼き。右の刺身はにじます。コロンとしたものが二つ皿に乗っかっているのは、イガメンチ。イガのメンチですね。
あと汁物は、けの汁がありました。

ここの料理は味付けが濃からず薄からずで、とても美味しかった。



食事を終えた後、露天風呂に入る。
この露天、風呂から上がると、外から見えてしまう。
17:00~18:00までが女性の専用時間だったけれど、その時間に先に入った女房がそんなことを言っていた。
混浴になっているのだけれど、そんな理由で女性はほとんど入っている様子がない。

このお湯、ぬるめのお湯だ。長く入っているにはいいけれど、上がるとすぐに冷めてしまう。
真冬に入るにはキツい風呂だなと思った。

写真なので少し明るめに写っているけれど、ものすごく暗い。真っ暗に近い。



こちらは滝見の湯。本当なら外に滝が見えるのだけれど、この通り。
ガラスに撮影者が写りこんでいる。
ここのお湯はあまり熱すぎず、ぬるくもなくちょうどいい。
お湯がやさしい感じがするので、長湯するにはいいお湯だと思う。

真っ暗な中で入っているような感じで、ちょっと暗すぎる。
女房は夜中に肩が痛くて目が覚めて(五十肩なのです)、体を温めると楽になるので、風呂に入ろうと、二階から降りて風呂に来たけれど、真っ暗なので一人で入るのが怖くてやめて部屋に戻ったと言っていた。
確かに女性一人なら、あまりいい気持ちではないかも知れない。



この滝が見えるのです。



ランプは消さないで寝てくれというので、そのままにして寝た。
僕はお構いなしに眠れたけれど、女房は明るくて眠れなかったと言っていた。
普段真っ暗にして寝ている人にとっては、ちょっとつらいかも。



朝、5時半ごろの滝見の湯。朝風呂にはここの温度はちょうどいい。

朝食をとり、9時頃、青荷温泉を後にする。
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<DATA>
本館内風呂および健六の湯
泉質:中性低張性温泉 成分総計285mg/kg phはわからず。

露天風呂
泉質:低張性弱アルカリ性高温泉
溶存物質総計338mg/kg

滝見の湯
泉質:緩和低張性高温泉
成分総計285mg/kg
朝、6時少し前に起床。千人風呂には洗い場がなく、でも最後に今一度入っておきたいと思い、朝風呂はまず千人風呂に先に入り、いったん上がって浴衣を着て玉の湯へ。これがここの温泉のちょっと不便なところだ。

昨日酸ヶ湯に来てから、千人風呂に3回、玉の湯に2回入った。

朝食はバイキングでしたが、よくある朝食バイキングという感じでした。
朝食を済ませ、8時半過ぎに酸ヶ湯をチェックアウトして、弘前城に向かう。

1時間ぐらい走って、弘前城が近くなってきた。

途中、黄金焼という看板が見える。お菓子屋のようなのだけれど、どんなものだろうと思っていたら通り過ぎてしまった。しばらく行くと、また黄金焼の店があった。どうやらこの辺りでは、大判焼き(今川焼)を黄金焼と呼ぶようなのだけれど、ちょっとした違いがあって玉子や牛乳を使用していないそうだ。後で買って食べようと思ったが、買いそびれてしまった。  川越 黄金焼

城のそばに着いたら大渋滞。
昨日、合浦公園に行ったときは意外にすんなり入れたから大丈夫だろうと半分思いながら、ここまで来たら、道路から見る桜は合浦公園の比ではない。

正直言って、なめていた。この桜はただ者じゃない。

ちょっと右に行ったり戻ったりして、駐車場を探したがどこも満車。
グルグルして、最終的に市役所の駐車場に待って入れることができた。安堵。



追手門から入ると、この人手。日本中からこの桜を見に来ているのだろうと思う。
これから石垣の工事に入るため、これから10年は城と桜が見られなくなるので、今年はなおのこと混んでいたのかも知れない。



北海道の桜との違いは、色と花の勢いだと思う。北海道のエゾヤマザクラは葉っぱも一緒に出てきてしまう。この花だけがかたまりになって咲き乱れている様子は、本州に来ないと見られない。



城と桜の一番いいところは争奪戦で倍率が高く、いい写真を撮るのはなかなか難しい。
やっとの思いで撮ったのがこれだけれど、ライティングに使うライトのフードが写りこんでしまっている。侍装束の役者が靴を履いているように見える。



この天守は、本物の天守だけれど、江戸時代に落雷で一度燃えていて、再建している。けれども、津軽藩が実際に使っていた本物の天守だ。
天守の中は資料館になっていて中に入ることができるのだけれど、入場制限をしていて、このように行列していて、40分~1時間という待ち時間を聞いて、あきらめた。



上から見る桜もいいと思うけれど、向こう側に見えている岩木山が大木に邪魔されて見えない。



天守と桜もいいけれど、この城の主役は岩木山だと思う。
為信は、わざわざ茂森にあった丘まで削って、天守からの岩木山の景色を手に入れたかったのだろうと思う。

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この後、全く青森に関係のない丸亀製麺でざるうどんを食べて、十和田湖へ向かったのだけれど、写真は一枚もない。

僕は本当は長勝寺や、寺町で五重塔を訪ねたかったのだけれど、年寄を連れていくと、やはり思い通りにはいかない。城の中の散策で歩き疲れたようだ。

そんなわけで、朝、出たはずの酸ヶ湯温泉の前を通って、七曲りの道を下り、奥入瀬渓流を見ながら十和田湖へ行ったのだけれど、奥入瀬渓流は雪解け水がなくなって、もう少し水量が少なくなった時期のほうが良いのではないかなと思った。

ここも車でブーっと通っただけでは良さがわからない。
しかし、「もう今日は車で通りすぎるだけで見られるところがいい」という希望なので、しょうがない。

でも今日は正直、桜の絢爛さにすっかり打ちのめされてしまい、春先の奥入瀬のねずみ色の景色を見ても、感動がないと言った方が確かだと思う。

十和田湖を一周して、今夜の宿、青荷温泉に向かう。
三内丸山遺跡を後にして、今夜の宿の酸ヶ湯温泉に向かう。
2月の末に予約した時、宿の人に「GWはまだこの辺りは冬ですから、冬タイヤで来てください」と電話で告げられ、素直に冬タイヤでやって来た。



青森の市内から見ることができる八甲田山は確かに真っ白で、ちょっと覚悟をしたけれど、こうやって登ってきてみると、確かに山肌にはまだかなりの雪が積もってこそあれ、道路には雪がない。
好天にも恵まれて、朝夕でも凍結する心配もない。結果論だけれど、夏タイヤでもよかったなと思った。

旅好きで東北好きで独身の同僚が「八甲田でスノボがしたいから、おれも行くんだよ。友達と酸ヶ湯で待ち合わせなんだ」と言っていたが、彼は「もう大丈夫、大丈夫」と、夏タイヤで行くと言っていた。




そうこうしているうちに到着。車を降りるとあたりは硫黄の匂いが立ち込めている。

酸ヶ湯温泉。
初めて訪れて泊まるわけだけれど、ここにはほんの少しの思い入れがある。
子供の頃の話になるけれど、中学校の修学旅行の時、バスで八甲田を通る時に速度を緩めて雪渓を見せてくれたのがこのあたりで、その時、豪壮な建物があるのを見て、あの建物は何だろうと思ったのが最初だった。

後年、あれが温泉宿だということを知り、いつか泊まってみたいと思い続けて、やっと今日来ることができた。




wikipediaの助けも借りながら酸ヶ湯温泉の紹介をすると、三百年も昔から開かれていた山の温泉宿で、「千人風呂」という大きな風呂が有名。総ヒバ造りの体育館のような巨大な建物で混浴の大きな浴槽二つと打たせ湯、男女別の玉の湯という風呂がある。

千人風呂は、脱衣所は男女別だけれど中が混浴となっていて、ただしまったくの混浴というわけではなく、大浴槽は中央半分に目印があり、そこで男女が区切られている。
けれども有名になるにつれて、男の入浴客のマナーが取りざたされていて、女性の脱衣所からの通路についたてをしたり、湯浴み着を売ったり、宿の側も苦慮している様子がうかがえる。

なお、風呂は撮影できないので、このあと一切写真を撮っていないのだけれど、建物の中の写真まで撮るのを忘れ、失敗したなと思った。(ので千人風呂と館内の写真は旅行会社のサイトから拝借しました)



着いて早々千人風呂に入り、部屋で青森名産(?)リンゴサイダーを飲みながら、外を眺めていた。
だんだん日が傾いてきて、雪が夕日の色になってきた。旅情に浸る眺め。

駐車場は車がびっしりだったのだけれど、千人風呂も結構な人が入っていた。
女性は湯あみ着を着た女性が一人入浴していた。

お湯はあの酸ヶ湯グリーン。乳白色で緑がかったヒスイの色。写真で見る色と同じ色だった。
まずは熱の湯から。温度がちょうどいい。リラックスできる温度。
お湯は柔らかい。ああ、やっぱりいいなぁ硫黄泉は。
温泉の中でも、好きなんです、硫黄泉。

女性ゾーンに背を向けながら湯船の真ん中のほうに寄っていくと、結構深い。
かけ流されていることもあって、湯量が多いので背の低い人なら腰を浮かさないと溺れてしまう深さ。タオルからお湯が落ちてきて少し目に入ると少しピリピリしみる。

四分六分の湯に移る。
こちらは熱の湯よりも少し温度が高いけれど、熱いというほどまではいかない。
気持ちよく入ることができる。



玉の湯に入った義母たちが、一緒になった女性から聞いた話によると、「目のやり場がなくて入れない」と言っていたそうだ。
確かに混浴だということも忘れ、風呂のへりに座ってご本尊を御開帳している人もいる。

またなぜかみんな風呂のへりに固まっているので、みんな女性の入るゾーンのほうに自然と目が向く格好になってしまっている。
見るつもりがあるのかどうかはわからないけれど、風呂のへりにいる限りはどうしてもそうなる。
それを女性たちが「ガン見している」と言っているのかも知れない。まぁそう見えてもしょうがない。

僕は風呂の真ん中まで行って、風呂のへりのほうを向いて入っていたので、湯気に元気をそがれた同輩のありがたいご本尊を拝んだり、こっちのほうを向いて入っている人と目が合ったり・・・というようなことになっていた。

ちなみに手前が熱の湯、向こう側が四分六分の湯というのだけれど、湯の温度は熱の湯より四分六分の湯のほうが熱い。成分の違いが湯の名前になっているのだろうなと思う。

ちなみに酸ヶ湯温泉は名前の通り酸性で有名だけれど、日本で二番目に酸性ということになっている。pHは1.88-1.94。一番は、秋田県の玉川温泉。よくテレビでござを敷いて毛布をかぶって岩盤浴をしているところが紹介されるあの温泉で、phが1.2。
前出の同僚が行ったことがあるそうで、「薄めてないところばかり入っていたら肌がただれた」と言っていた。




この宿には旅館部と湯治部とがあって、予約したときに湯治部しか空きがなく、僕らは湯治部に泊まった。
最初に双方の違いを尋ねると、湯治部のほうは普通の家のごはんのような感じで、ふとんはセルフサービスとのことだった。
だから僕はきっと、ニラ玉や切り干し大根や焼き魚や、そんな夕飯を想像していたのだけれど、なんとなんと。あのよくある一人鍋もついて結構なボリュームで、立派なものだった。
残念ながら写真はないのだけれど、今度もし泊まることがあったらまた湯治部にしようと思った。(今回、4人一部屋で泊まったので、一人7000円という安さだった)


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食事の後、今度は玉の湯に入ってみた。(旅館のサイトから拝借しました)

酸ヶ湯といえば千人風呂が代名詞だけれど、こっちの風呂は三人風呂といった感じ。
でもこじんまりとしていて、ゆっくりできる。千人風呂に行く人が多いので、こっちは空いていることが多くて、貸しきり状態で入ることができた。



僕は温泉に入って、湯船のへりに腕を乗せてうつぶせで入るのが好きで、あれをやるとその温泉をモノにした気分になる。もちろんそれにはTPOも考えなければいけない。混んでいる時にこれをやると顰蹙をかうことになるけれども、一人の時は大変リラックスできる。
一人湯船にうつぶせになって脱力していると、身も心もご本尊も解き放たれる。

男はいつも重力と闘っている。時には重力から解き放たれることも大切だ。

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昨夜のフェリーの雑魚寝と、夕飯の時のビールが効いたのか、20時過ぎにみんな電気を消して寝てしまった。つきあって僕も寝たけれども、なかなか眠ることができない。
廊下が明るいのと、まだみんな寝る時間じゃないので、バタバタ騒がしい。

それでもウトウトすることができた。暑くて目が覚めたら24時過ぎ。ここでもう一度風呂に入りに行った。千人風呂に入っていたのは男性三人。玉の湯だけでなくこっちも三人風呂だった。

夜中の空いた千人風呂は、風情があって最高だった。
千人風呂に入る機会があったら、空いた時間に入ることをお勧めします。


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<DATA>
・源泉名:酸ヶ湯温泉  号泉(温泉名 熱の湯)
・湧出地:青森市大字荒川字南荒川山国有林小字酸ヶ湯沢50
・湧出地における調査および試験成績
 調査および試験者:青森県衛生研究所
 調査および試験年月日:昭和61年12月15日
 泉温:52.3℃(気温:_ ℃)
 湧出量:測定不能 (自然湧出)
 知覚的試験:微弱白濁、酸味硫化水素臭
 pH値:1.9
・試料1kg中の成分(主な成分抜粋)
*陽イオン
 水素イオン=12.7mg、ナトリウムイオン=62.7mg、カリウムイオン=12.7mg、
 マグネシウムイオン=69.0mg、カルシウムイオン=185.1mg、アルミニウムイオン=175.0mg、
 マンガンイオン=1.9mg、第一鉄イオン=19.8mg、第二鉄イオン=1.2mg
*陰イオン
 フッ素イオン=5.3mg、塩素イオン=496.0mg、チオ硫酸イオン=9.8mg、
 硫酸イオン=1457.mg、ヒドロ硫酸イオン=617.9mg
*遊離成分
 メタ珪酸=224.4mg、メタ硼酸=68.0mg、リン酸=2.4mg、硫酸=19.7mg
 (溶存物質:3441mg/kg)
遊離二酸化炭素=1650.mg、遊離硫化水素=20.6mg
 成分総計:5112mg/kg
・泉質:酸性・含二酸化炭素・鉄・硫黄-アルミニウム-硫酸・塩化物泉(硫化水素型)(低張性酸性高温泉)

まだ一日目の宿のことも書いてない時点でくじけそうになってきた(笑)
テーマ別に分けたいので、細切れにして書いているわけだけれども、一つのことについて書くと、一息ついてしまう。

言い訳はいいとして。

ひらこ屋で昼食を食べた後、三内丸山遺跡へ。

この遺跡が見つかってそんなに経たない頃、誰かが「さんだいまるやまいせき」と呼んでいるのを聞いて、僕はずっとさんだいと呼んでいたのだけど、今回現地へ行って「さんない」が正しいのだとわかったが、すっかり「さんだい頭」になってしまっているので、さんだいから抜けられない。

しかし、それは自分だけではないようで、ググるとこんな質問をしている人がいる。
「三内丸山遺跡」の読み間違い

それにしても、青森に着いてからつくづく思うけれど、カーナビというものは本当に便利だ。
今更何をと言われるからも知れないけれど、つい数年前まで、17年落ちの車に乗っていて、カーナビはおろか、エアバッグもABSもキーレスエントリーもない車であちこち出かけていたので、本当に便利さを痛感する。

北海道でどこかに行こうと思っても、もうだいたい地図がなくても行くことができるので、そんなに便利さを痛感することはないけれど、こうやって知らない土地に来ても、住所や電話番号を入力するとその場所までピンポイントで案内してくれる。旅先のミクロなところまで足を踏み入れることができる。

旅に出る時は行く先候補の住所を調べておく。これがカーナビ時代の基本ですね。

閑話休題。

ひらこ屋からおそらく15分か20分ぐらいで着いたと思う。

これが外観。
入場料はなんと無料だ。青森県の良心を感じる。



着くとちょうど、ボランティアガイドさんのツアーが出発するところだったので、同行する。


この遺跡は、今から約5500年前~4000年前の縄文時代の集落跡で、広さが約38haで、東京ドームの8倍だそうだ。1500年も続いた集落がなぜ滅びたのかは、今後の研究を俟たなければならない。

それにしても日本人は、「東京ドームの何倍」という表現が好きだ。ドームができる前は「後楽園球場の何倍」と表現が使われた。ここに集まっている人のどれだけが東京ドームに行ったことがあるのかどうかわからないけれども、少なくともうちの女房は行ったことがない。けれども女房をはじめ、みんなが納得している。そんな日本の共通語が東京ドームだなと思う。

こういう例えを使うのは、巨人の野球の試合がゴールデンタイムに放送されていた頃の名残だと思うけれど、他にも大きな物を表すのに使われた物があった。僕が子供の頃、広さではなく建造物の場合は霞が関ビルがよく登場したものだ。もう20年ぐらい前、霞が関ビルの隣で仕事をした時には「これがあの・・・」とちょっと感動した覚えがある。

野球つながりでもうひとつ。
この遺跡、県営の野球場を作る計画があり、その前に調査をしたら途轍もないものが発見されたということで、未だに野球場は建っていないそうだ。

「青森にプロ野球は行かないけれど、三内丸山がある」というのは、「ものすごく喧嘩が強いけれど、絶対に手を出さずに微笑んでいる人」のようなすごさを感じる。



竪穴式住居の後は見つかったがこの上物までは見つかるわけがないので、これは再現している。
竪穴式住居という名前からは、深い穴を掘ってその中に住んでいるような、アリの巣式の印象を受けるけれど、少し掘り下げてこうやって屋根を作って住んでいたのが真相だ。



この遺跡からは段ボールにして40000箱もの発掘物が発見された。
その中には、ヒスイや黒曜石、琥珀といったこの地方にはない鉱物も入っていて、北海道や北陸地方などのきわめて広い範囲と交易・交流をしていたことがわかったそうだ。

この穴はクリの木で作ったやぐらの跡だそうで、それを再現したのが下の写真だ。


遥か昔は北海道まで見えたんじゃないかと、言う人もあるらしい。ロマンだなと思う。

ちなみにこの建造物は大林組が造ったそうだ。
大林組といえば東京スカイツリーも作っている。
縄文時代から最新鋭のタワーまで、仕事の幅が広いなと思う。

やるな大林組。


最後にこの遺跡の特徴は

広い・・・東京ドームの8倍(笑)
長い・・・1500年間の生活跡
多い・・・段ボール40000箱の発掘物

ということだそうだ。
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このボランティアガイドのツアーは、40~50分を要したのだけれど、おふくろと義母は疲れて、建物の中で座って待っていた。中には発掘物も展示されている博物館もあるのだけれど、何も見ずに座っていたそうだ。

うちの年よりは、こういうものには全く興味がない・・・。

この後、三内丸山を後にして、八甲田山にある今夜の宿へ向かう。
ねぶたの家を出たら、13時近く。
今日の昼食はラーメンに決めていた。

中でも事前に詳しい人に見せてもらった写真を一目見て、心をわしづかみにされたこの店へ。



青森市内にあるひらこ屋。煮干しラーメンでは有名店の一つだそうだ。
青森には、中華そば田むらという有名な店があるけれど、田むらとひらこ屋の関係は、札幌でいう純連とすみれのような関係だそうだ。



メニューは、大きくわけて4種類。事前のリサーチによると、あっさりは澄んだスープ、こいくちはとんこつベースで煮干しの身まで煮だした濃いめのスープ。背脂はスープのベースはあっさりで脂が多め、バラそばは、ばら肉のチャーシューが表面に敷き詰められたラーメンで、これが僕の心をわしづかみにしたのだ。

正直、この店に向かう途中の信号待ちで、勧める人が多い長尾中華そばの真ん前に止まった時は、空腹だっただけにかなりグラっときた。
しかし、このバラチャーシューに出会うためにここまで来たのだ。
僕の選択肢はバラそばを除いて他にない。

ラーメン通の人は、年配の人を連れて行くなら、あっさり目のメニューがある店のほうがいいと言っていたのだが、母と義母はこいくちを注文、女房はあっさり、僕はバラそばというオーダー。



10分ほど経って眼前に現れたバラそば。
くー、このビジュアル、これだけで座布団一枚あげてもいい。

僕は普段、ラーメンを食べる時にはチャーシューメンというものをほとんど食べない。
おそらくこの20年は食べたことがない。その自分を動かしたこの見た目は強力だと思う。

麺は自家製麺と書いてある。やわらかめのストレート麺。
僕はもう少し固めが好きだなと思った。
玉子が入っていないせいか、北海道の麺のツルシコ感とは少し違う。
僕はこの麺を食べていて、東京の大勝軒の中華そばを思い出した。

スープには酸味がある。青森風の煮干しラーメンは、東京のつしまという店で一度食べたことがあって、あの時も酸味を感じた。醤油の違いなんだろうと思う。
この酸味と、チャーシューの脂身の甘さが相まって何とも言えない美味しさだった。
チャーシューは薄めで食べやすく、あっという間になくなってしまった。

大満足。
でもこいくちにバラチャーシューをトッピングすればよかったと、食べながら思っていた。
そうこうしているうちに、好天の中、青森に着いた。確か11時ごろだったと思う。

ねぶたの家に行こうと思っていたが、先に桜の名所のひとつ、合浦公園に行くことにした。
駐車場には交通整理の警備員が出ていて、結構な車が止まっていた。





名所と聞いていただけあって、結構な人出。
よく北海道人の特徴として「花見でジンギスカンをやる」と言われるけれど、青森の人も桜の下でバーベキューをしていた。
名所ではあるけれど、見物するのにそんなに時間がかかる場所ではなかった。


次の場所に移動しようと思って、駐車場に向かうと、何やら人だかり。



猿回しをやっていた。
これが義母たちには意外に好評で、終わるまで見てカンパをしてきた。

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車で10分ほどのところにある、ねぶたの家ワラッセに移動。
ここは、ねぶたの山車を保存してあって、ねぶたの歴史、ねぶた師など、ねぶた文化を紹介している場所だ。

結構立派な建物で、さすがに青森はねぶたに力を入れている。



山車は5台、展示されていた。一年がかりで作るそうだ。
県に伝わる伝説や、歌舞伎などをモチーフにするとのことだった。


このねぶた祭り、特定の神社やお寺のお祭りではないそうだ。
四国や札幌のよさこいのような感じの祭りといってよいのでしょうね。

しかし、青森や四国のねぶたはこれほど支持されているのに、札幌のよさこいは市内でも毀誉褒貶が激しい。僕もそんなに好きなわけではないけれど、見ていて嫌ではない。
でも、嫌いな人からは、それはけちょんけちょんに言われる。
この違いはなんなのだろう。

目が覚めると6時だった。
二等船室の中はカーテンが閉められているので暗かったが、外に出るともうすっかり陽が昇り明るくなっていた。

7:30近くなり、顔を洗い、用意をしているうちに船内放送がかかった。
車に乗り込めとのことなので、みんなで車に移動する。

移動したはいいのだけれど、なかなか周囲の車が動く気配がない。
どうやらいったんバックをしてから下船をするらしいのだけれど、さっきから数台バックをしていったが、下船している気配がない。

やきもきしているうちに30分も経ったように思う。
何かトラブったのか、ようやく下船が始まったようで、やっと自分の番がきて無事に下船することができた。

朝食を取るために八戸魚菜市場へ。朝市である。
ここは市場で刺身とか焼き魚とかタラコやスジコなどの魚卵とか、そんなものを買って、ごはんと味噌汁を注文し食べるスタイルになっている。

ちょうどこの一番手前の席に、母たちを先に座らせ席を確保し、僕と女房はごはんと味噌汁の注文のため、このすぐそばに並んでいた。
少し経ったところで、鼻にツッペをかった漁師らしきじいさんが来て、確保した椅子に座ってしまった。




義母が「あの、ここ来るんですけど」と声をかけると
じいさんに「なんだこの%&$#&*?&%&$#&*?&%&$#&*?$でねえが!」

と怒鳴りつけられた。

早口でよくわからなかったが、「待っている間、ちょっと座ってるだけじゃないか」と言っているらしい。僕らがごはんと味噌汁を受け取り、席のそばに行くと、さっきの言葉通り、じいさんは∏を立ってくれた。

ごはんを食べていると、お店のおじさんが来て「さっきはすまなかったね」と、汁物をサービスで置いて行った。何かあっさりしたうしお汁に焼いたサバが入っているもので、僕は初めて食べた。

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朝食を済ませた後、青森へ向かう。
八戸からなら十和田方面のほうが近いが、地理的な問題で迷った末、青森に向かうことにした。
カーナビの指示通り走ったけれど、確かこの地図の道のりと変わらなかったと思う。


走りながら八戸(南部)と津軽のことを考えていた。
せっかくなので、八戸の人(南部衆)と、津軽の人(津軽衆)の仲の悪さに触れておきたいと思う。
よく話題にのぼることだけれど、南部衆と津軽衆は、昔から仲が悪い。
この中の悪さをひもとくには、歴史をさかのぼることになる。

もともと八戸は南部(今の岩手県)に属していた。
南部に久慈弥四郎という親分肌の男がいて、この人は戦国の男然とした人物だったのだけれど、南部氏には従順で、「拙者が行って、ちょっと津軽平野をやっつけてきましょう」ということになった。

当時、津軽平野は小さな豪族がばらばらに治めていただけだったので、なんなく津軽を攻略せしめた。久慈弥四郎は岩木山のふもとの大浦に城をかまえ、大浦為信と名乗るようになった。
この男が、今やねぶたの山車のモデルにもなる津軽の英雄、津軽為信となるわけです。

けれどもこの為信が食えない男であると同時に敏い男だったようで、秀吉の時代になると、機を見るに敏と、秀吉に運動して、秀吉の大名になってしまった。

南部の一家来が、勝手に秀吉の家来になり、大名になってしまった。
これは今で言えば、たとえばどこかの一地方が勝手に中国にかけよって「明日から中国になります」とやるようなものだ。

南部は土地がやせていて、決して恵まれた土地ではなかった。
一方津軽平野は肥沃だったので、そのうちに南部は津軽の風下に立つようなことになった。
これが南部の人にとっては屈辱だったんでしょうね。「裏切りやがった」「おのれ、津軽衆めが!」ということになったわけです。

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江戸時代、南部藩に相馬大作という男がいた。
この頃になると、すっかり津軽藩のほうが裕福になっていた。
南部藩の伝統的な精神は、津軽藩に対する憎悪だったわけです。

そこにこの相馬大作という男が爆発し、過激な行動に走る。
津軽候を暗殺するために、武術をおさめ、仲間を募り、津軽候の大名行列を襲撃し、駕籠に向かって銃撃までした。

けれども駕籠は空で、暗殺は失敗に終わる。

この話の特徴は
1)平和な江戸の天下泰平の時代だったこと
2)津軽の独立から、200年も経っていたこと
3)津軽藩の藩主は代々温厚で、聡明だったので、南部をいじめたりしていないこと。
4)相馬大作は、高名な学者の弟子で、決して知性的に劣った人ではなかったこと
だと司馬遼太郎は書いている。

憎悪の苛烈さが、この話からよくわかる。

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幕末、南部藩は佐幕だった。
明治政府誕生の時、県の範囲や県庁所在地を決めるとき、佐幕だった藩は意地の悪い仕打ちをされた。

この時、「おまえら逆らっただろ」ということで、「八戸は青森になれ」ということになり、今に至るわけです。
いわばサッカーで言えば、八戸は一人青森に突出し、オフサイド状態になったと。

津軽と八戸では、対人的な接触感覚も違うのはもちろん、言語も違う、何もかも違う。

そんなことが今に至る、仲の悪さにつながっているということなんですね。

(つづく)
今日は青森旅行に発つ日。
2月の末頃から予約をしたり、下調べをしたりして準備をしていた。
酸ヶ湯温泉に予約をした時に、「GWはまだこのあたりは冬なので、冬タイヤで来てください」と言われて、いつもならもう取り替えているところが、この旅行のためにまだスタッドレスを履いたままでいる。

仕事を終えて自宅に帰ると、事前の打ち合わせ通り、母と義母が着いていた。
着替えをした後、近くの店で夕飯を済ませ、少し早いと思ったが、苫小牧へと車で向かう。
八戸行きの23:59のフェリーに乗るためだ。
車を乗せるために90分前には来いと書いてあるので、早めに出た。

このフェリーは、夜中に乗って寝ているうちに八戸に着くため、人気があると同僚に聞き、あれこれ考えた末に乗ることに決めたフェリーだ。
函館まで車で走り、そこから青森までのフェリーに乗ると、移動で半日がつぶれてしまう。
札幌から青森に行くなら、高速で1時間で着く苫小牧は魅力的だ。
こういうことが人気の理由なのだろうと思う。

苫小牧のフェリーふ頭に着いたらまだ22時というところだった。
手続きをしに窓口に行ってみると、まだこの船の手続きは行っていない様子。
窓口の女性に聞くと、22:45からだとのこと。まだたっぷり時間があるので、待合室の様子を見たりして、駐車場の車の中で時間をつぶす。

時間になり、手続きをする。
用紙も家でプリントアウトして、あらかじめ書いてきてある。準備は万端、抜かりはない。
ところが、ここで重大インシデント発生!
僕がネットでした予約が今日ではなく、明日だということが判明した。万事休す。

しかし、窓口のお姉さんの粋な計らいで、今日の便に振り替えてもらうことができ、事なきを得る。
窓口のお姉さんがとても美人に見えた瞬間だった。

フェリーに乗りこみ、二等船室でザコ寝。
青函フェリーには無料の毛布があったはずだけれど、このフェリーには何もない。
聞きに行くと1枚300円でレンタルとのことだった。

毛布も借り、いよいよ眠れると思ったが、いつまでも館内放送が入り、なかなか寝かせてくれない。イビキや咳も気になるので、女房が持ってきていた耳栓を借りて眠る。