目が覚めると6時だった。
二等船室の中はカーテンが閉められているので暗かったが、外に出るともうすっかり陽が昇り明るくなっていた。

7:30近くなり、顔を洗い、用意をしているうちに船内放送がかかった。
車に乗り込めとのことなので、みんなで車に移動する。

移動したはいいのだけれど、なかなか周囲の車が動く気配がない。
どうやらいったんバックをしてから下船をするらしいのだけれど、さっきから数台バックをしていったが、下船している気配がない。

やきもきしているうちに30分も経ったように思う。
何かトラブったのか、ようやく下船が始まったようで、やっと自分の番がきて無事に下船することができた。

朝食を取るために八戸魚菜市場へ。朝市である。
ここは市場で刺身とか焼き魚とかタラコやスジコなどの魚卵とか、そんなものを買って、ごはんと味噌汁を注文し食べるスタイルになっている。

ちょうどこの一番手前の席に、母たちを先に座らせ席を確保し、僕と女房はごはんと味噌汁の注文のため、このすぐそばに並んでいた。
少し経ったところで、鼻にツッペをかった漁師らしきじいさんが来て、確保した椅子に座ってしまった。




義母が「あの、ここ来るんですけど」と声をかけると
じいさんに「なんだこの%&$#&*?&%&$#&*?&%&$#&*?$でねえが!」

と怒鳴りつけられた。

早口でよくわからなかったが、「待っている間、ちょっと座ってるだけじゃないか」と言っているらしい。僕らがごはんと味噌汁を受け取り、席のそばに行くと、さっきの言葉通り、じいさんは∏を立ってくれた。

ごはんを食べていると、お店のおじさんが来て「さっきはすまなかったね」と、汁物をサービスで置いて行った。何かあっさりしたうしお汁に焼いたサバが入っているもので、僕は初めて食べた。

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朝食を済ませた後、青森へ向かう。
八戸からなら十和田方面のほうが近いが、地理的な問題で迷った末、青森に向かうことにした。
カーナビの指示通り走ったけれど、確かこの地図の道のりと変わらなかったと思う。


走りながら八戸(南部)と津軽のことを考えていた。
せっかくなので、八戸の人(南部衆)と、津軽の人(津軽衆)の仲の悪さに触れておきたいと思う。
よく話題にのぼることだけれど、南部衆と津軽衆は、昔から仲が悪い。
この中の悪さをひもとくには、歴史をさかのぼることになる。

もともと八戸は南部(今の岩手県)に属していた。
南部に久慈弥四郎という親分肌の男がいて、この人は戦国の男然とした人物だったのだけれど、南部氏には従順で、「拙者が行って、ちょっと津軽平野をやっつけてきましょう」ということになった。

当時、津軽平野は小さな豪族がばらばらに治めていただけだったので、なんなく津軽を攻略せしめた。久慈弥四郎は岩木山のふもとの大浦に城をかまえ、大浦為信と名乗るようになった。
この男が、今やねぶたの山車のモデルにもなる津軽の英雄、津軽為信となるわけです。

けれどもこの為信が食えない男であると同時に敏い男だったようで、秀吉の時代になると、機を見るに敏と、秀吉に運動して、秀吉の大名になってしまった。

南部の一家来が、勝手に秀吉の家来になり、大名になってしまった。
これは今で言えば、たとえばどこかの一地方が勝手に中国にかけよって「明日から中国になります」とやるようなものだ。

南部は土地がやせていて、決して恵まれた土地ではなかった。
一方津軽平野は肥沃だったので、そのうちに南部は津軽の風下に立つようなことになった。
これが南部の人にとっては屈辱だったんでしょうね。「裏切りやがった」「おのれ、津軽衆めが!」ということになったわけです。

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江戸時代、南部藩に相馬大作という男がいた。
この頃になると、すっかり津軽藩のほうが裕福になっていた。
南部藩の伝統的な精神は、津軽藩に対する憎悪だったわけです。

そこにこの相馬大作という男が爆発し、過激な行動に走る。
津軽候を暗殺するために、武術をおさめ、仲間を募り、津軽候の大名行列を襲撃し、駕籠に向かって銃撃までした。

けれども駕籠は空で、暗殺は失敗に終わる。

この話の特徴は
1)平和な江戸の天下泰平の時代だったこと
2)津軽の独立から、200年も経っていたこと
3)津軽藩の藩主は代々温厚で、聡明だったので、南部をいじめたりしていないこと。
4)相馬大作は、高名な学者の弟子で、決して知性的に劣った人ではなかったこと
だと司馬遼太郎は書いている。

憎悪の苛烈さが、この話からよくわかる。

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幕末、南部藩は佐幕だった。
明治政府誕生の時、県の範囲や県庁所在地を決めるとき、佐幕だった藩は意地の悪い仕打ちをされた。

この時、「おまえら逆らっただろ」ということで、「八戸は青森になれ」ということになり、今に至るわけです。
いわばサッカーで言えば、八戸は一人青森に突出し、オフサイド状態になったと。

津軽と八戸では、対人的な接触感覚も違うのはもちろん、言語も違う、何もかも違う。

そんなことが今に至る、仲の悪さにつながっているということなんですね。

(つづく)