まだ一日目の宿のことも書いてない時点でくじけそうになってきた(笑)
テーマ別に分けたいので、細切れにして書いているわけだけれども、一つのことについて書くと、一息ついてしまう。
言い訳はいいとして。
ひらこ屋で昼食を食べた後、三内丸山遺跡へ。
この遺跡が見つかってそんなに経たない頃、誰かが「さんだいまるやまいせき」と呼んでいるのを聞いて、僕はずっとさんだいと呼んでいたのだけど、今回現地へ行って「さんない」が正しいのだとわかったが、すっかり「さんだい頭」になってしまっているので、さんだいから抜けられない。
しかし、それは自分だけではないようで、ググるとこんな質問をしている人がいる。
「三内丸山遺跡」の読み間違い
それにしても、青森に着いてからつくづく思うけれど、カーナビというものは本当に便利だ。
今更何をと言われるからも知れないけれど、つい数年前まで、17年落ちの車に乗っていて、カーナビはおろか、エアバッグもABSもキーレスエントリーもない車であちこち出かけていたので、本当に便利さを痛感する。
北海道でどこかに行こうと思っても、もうだいたい地図がなくても行くことができるので、そんなに便利さを痛感することはないけれど、こうやって知らない土地に来ても、住所や電話番号を入力するとその場所までピンポイントで案内してくれる。旅先のミクロなところまで足を踏み入れることができる。
旅に出る時は行く先候補の住所を調べておく。これがカーナビ時代の基本ですね。
閑話休題。
ひらこ屋からおそらく15分か20分ぐらいで着いたと思う。
これが外観。
入場料はなんと無料だ。青森県の良心を感じる。
着くとちょうど、ボランティアガイドさんのツアーが出発するところだったので、同行する。
この遺跡は、今から約5500年前~4000年前の縄文時代の集落跡で、広さが約38haで、東京ドームの8倍だそうだ。1500年も続いた集落がなぜ滅びたのかは、今後の研究を俟たなければならない。
それにしても日本人は、「東京ドームの何倍」という表現が好きだ。ドームができる前は「後楽園球場の何倍」と表現が使われた。ここに集まっている人のどれだけが東京ドームに行ったことがあるのかどうかわからないけれども、少なくともうちの女房は行ったことがない。けれども女房をはじめ、みんなが納得している。そんな日本の共通語が東京ドームだなと思う。
こういう例えを使うのは、巨人の野球の試合がゴールデンタイムに放送されていた頃の名残だと思うけれど、他にも大きな物を表すのに使われた物があった。僕が子供の頃、広さではなく建造物の場合は霞が関ビルがよく登場したものだ。もう20年ぐらい前、霞が関ビルの隣で仕事をした時には「これがあの・・・」とちょっと感動した覚えがある。
野球つながりでもうひとつ。
この遺跡、県営の野球場を作る計画があり、その前に調査をしたら途轍もないものが発見されたということで、未だに野球場は建っていないそうだ。
「青森にプロ野球は行かないけれど、三内丸山がある」というのは、「ものすごく喧嘩が強いけれど、絶対に手を出さずに微笑んでいる人」のようなすごさを感じる。
竪穴式住居の後は見つかったがこの上物までは見つかるわけがないので、これは再現している。
竪穴式住居という名前からは、深い穴を掘ってその中に住んでいるような、アリの巣式の印象を受けるけれど、少し掘り下げてこうやって屋根を作って住んでいたのが真相だ。
この遺跡からは段ボールにして40000箱もの発掘物が発見された。
その中には、ヒスイや黒曜石、琥珀といったこの地方にはない鉱物も入っていて、北海道や北陸地方などのきわめて広い範囲と交易・交流をしていたことがわかったそうだ。
この穴はクリの木で作ったやぐらの跡だそうで、それを再現したのが下の写真だ。
遥か昔は北海道まで見えたんじゃないかと、言う人もあるらしい。ロマンだなと思う。
ちなみにこの建造物は大林組が造ったそうだ。
大林組といえば東京スカイツリーも作っている。
縄文時代から最新鋭のタワーまで、仕事の幅が広いなと思う。
やるな大林組。
最後にこの遺跡の特徴は
広い・・・東京ドームの8倍(笑)
長い・・・1500年間の生活跡
多い・・・段ボール40000箱の発掘物
ということだそうだ。
---
このボランティアガイドのツアーは、40~50分を要したのだけれど、おふくろと義母は疲れて、建物の中で座って待っていた。中には発掘物も展示されている博物館もあるのだけれど、何も見ずに座っていたそうだ。
うちの年よりは、こういうものには全く興味がない・・・。
この後、三内丸山を後にして、八甲田山にある今夜の宿へ向かう。
テーマ別に分けたいので、細切れにして書いているわけだけれども、一つのことについて書くと、一息ついてしまう。
言い訳はいいとして。
ひらこ屋で昼食を食べた後、三内丸山遺跡へ。
この遺跡が見つかってそんなに経たない頃、誰かが「さんだいまるやまいせき」と呼んでいるのを聞いて、僕はずっとさんだいと呼んでいたのだけど、今回現地へ行って「さんない」が正しいのだとわかったが、すっかり「さんだい頭」になってしまっているので、さんだいから抜けられない。
しかし、それは自分だけではないようで、ググるとこんな質問をしている人がいる。
「三内丸山遺跡」の読み間違い
それにしても、青森に着いてからつくづく思うけれど、カーナビというものは本当に便利だ。
今更何をと言われるからも知れないけれど、つい数年前まで、17年落ちの車に乗っていて、カーナビはおろか、エアバッグもABSもキーレスエントリーもない車であちこち出かけていたので、本当に便利さを痛感する。
北海道でどこかに行こうと思っても、もうだいたい地図がなくても行くことができるので、そんなに便利さを痛感することはないけれど、こうやって知らない土地に来ても、住所や電話番号を入力するとその場所までピンポイントで案内してくれる。旅先のミクロなところまで足を踏み入れることができる。
旅に出る時は行く先候補の住所を調べておく。これがカーナビ時代の基本ですね。
閑話休題。
ひらこ屋からおそらく15分か20分ぐらいで着いたと思う。
これが外観。
入場料はなんと無料だ。青森県の良心を感じる。
着くとちょうど、ボランティアガイドさんのツアーが出発するところだったので、同行する。
この遺跡は、今から約5500年前~4000年前の縄文時代の集落跡で、広さが約38haで、東京ドームの8倍だそうだ。1500年も続いた集落がなぜ滅びたのかは、今後の研究を俟たなければならない。
それにしても日本人は、「東京ドームの何倍」という表現が好きだ。ドームができる前は「後楽園球場の何倍」と表現が使われた。ここに集まっている人のどれだけが東京ドームに行ったことがあるのかどうかわからないけれども、少なくともうちの女房は行ったことがない。けれども女房をはじめ、みんなが納得している。そんな日本の共通語が東京ドームだなと思う。
こういう例えを使うのは、巨人の野球の試合がゴールデンタイムに放送されていた頃の名残だと思うけれど、他にも大きな物を表すのに使われた物があった。僕が子供の頃、広さではなく建造物の場合は霞が関ビルがよく登場したものだ。もう20年ぐらい前、霞が関ビルの隣で仕事をした時には「これがあの・・・」とちょっと感動した覚えがある。
野球つながりでもうひとつ。
この遺跡、県営の野球場を作る計画があり、その前に調査をしたら途轍もないものが発見されたということで、未だに野球場は建っていないそうだ。
「青森にプロ野球は行かないけれど、三内丸山がある」というのは、「ものすごく喧嘩が強いけれど、絶対に手を出さずに微笑んでいる人」のようなすごさを感じる。
竪穴式住居の後は見つかったがこの上物までは見つかるわけがないので、これは再現している。
竪穴式住居という名前からは、深い穴を掘ってその中に住んでいるような、アリの巣式の印象を受けるけれど、少し掘り下げてこうやって屋根を作って住んでいたのが真相だ。
この遺跡からは段ボールにして40000箱もの発掘物が発見された。
その中には、ヒスイや黒曜石、琥珀といったこの地方にはない鉱物も入っていて、北海道や北陸地方などのきわめて広い範囲と交易・交流をしていたことがわかったそうだ。
この穴はクリの木で作ったやぐらの跡だそうで、それを再現したのが下の写真だ。
遥か昔は北海道まで見えたんじゃないかと、言う人もあるらしい。ロマンだなと思う。
ちなみにこの建造物は大林組が造ったそうだ。
大林組といえば東京スカイツリーも作っている。
縄文時代から最新鋭のタワーまで、仕事の幅が広いなと思う。
やるな大林組。
最後にこの遺跡の特徴は
広い・・・東京ドームの8倍(笑)
長い・・・1500年間の生活跡
多い・・・段ボール40000箱の発掘物
ということだそうだ。
---
このボランティアガイドのツアーは、40~50分を要したのだけれど、おふくろと義母は疲れて、建物の中で座って待っていた。中には発掘物も展示されている博物館もあるのだけれど、何も見ずに座っていたそうだ。
うちの年よりは、こういうものには全く興味がない・・・。
この後、三内丸山を後にして、八甲田山にある今夜の宿へ向かう。