【転記】+社会問題への論理の立て方・アプローチの手順+ | 矯正知力〇.六

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メモ的ブログ

以下、mixiの猫王さんの日記より転記。

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『社会問題へのアプローチの仕方』

一、差別編

■差別へのアプローチの仕方

◆まず、この差別のセンテンスで試みること

よく私が、差別は啓発活動だけではなくせない
社会に働く原理が、時代によって差別を必要とするから
それが生まれる
だから、社会の原理、構造を知り
それを変えていかない限り、差別はなくならないと書いてるよね
それをもうちょっと、分かりやすい言い方にしてみようということデスノート


◆差別は最初からあるわけではない

当たり前のことだけど、例えば身分差別は
最初からあるわけじゃない

人が生き、社会を後世に引継ぐ
人類が継続するためには
人は集団を作るよね

人類が、ウッキーだったり、原初的な血族集落を作っている間は
みんなで協力しあって生活をしないといけない
そうじゃないと、社会が維持できないから
この段階では、今日的な意味での「身分」なんてものは存在しない


◆社会が発展してくると、「身分」が発明される

まだ人がウッキーだったころから集団を作るけど
ウッキーから人へと進化し
またその集団が発展する過程で、より複雑な社会が作られていく

そのある段階に達したときに
その社会を維持し、継続するために
「身分」というものが、発明されるんだよね

もしろん、発明されるといっても
既にそれらしきモノが生まれている
それを、制度として固定するんだよね

固定するための方法として、法律が使われる
(法律の本質とは、こういうとことにあるんだよね。
今の大学の法哲学では、習わないことの方が多いじゃない?)

「身分」は、その社会を維持するために必要な制度で
このときに、「身分差別」が生まれる

全ての差別は、だいたい同じような感じで
社会が維持、継続されていくために
そこに働く原理が、求めて生まれるだよね

同様のものでは、「人権」なんかもそう
これも、人類社会が発展してきて
ある段階に達したときに
その時代の社会を維持、継続していくために必要となって生まれたんだよね


◆差別の理解、謎の解明のための、学術的アプローチの仕方

社会が、ある発展段階に達したときに
維持、継続していくために
差別(あるいは人権)が必要とするというけれど
それはなぜ?

そういう疑問が当然生まれるでしょ?

そこで、社会の原理、構造について学ぶの!

そこは今は本題でないし
簡単にブログなんかでは解説できないので
今日のところは書かないけど
学んでみたいと思っている方は、声を掛けていただければ
水先案内いたします

そうやって、社会の原理をしって
基本的に、差別がなぜ必要とされるのか
それを理解したら
次は、それぞれの歴史時代の特殊性を掴んで
具体的に、その時代に、どのようにして、どの差別が
生まれ、社会に利用されていくかを知るの

そして学んだ社会の原理から
いま私たちが暮らす社会がどのような社会であるかを知り
そこにどういう差別があるのかを知り
(これまでのように、単純に事実を知るのではなくて、理論的に差別を捉えるということ)
社会がこの先、どういうふうに発展するのかを知る

その過程で、差別のなくし方も分かるんだよね


二、税金問題編

■次に、税制度、税金政策についてのアプローチの仕方

これは、某所でちょっと関連するコメントをしたので
そのついでなんで、それを引用もしながら
簡単にいきます

私が、消費税のトリックを暴く日記を書いているよね
そこで、消費税の不公平さ
ってか、富の社会全体への分配の仕方について
不公平さを指摘するよね

そういうときの、論理立ての仕方を解説しようと試みるYO!


◆不公平だからダメなんじゃないYO!

それだったら、道徳と一緒だよね
道徳が社会のルール(法律とか)にはなれないことは
死刑問題の解説のときにしているので
それも参照して頂きたいのだけど

簡単にいうと
道徳って、心の問題だから
道徳観、何を良しとし、悪しとするかは
人それぞれだよね
だから客観的な基準でなきゃいけない社会のルールにはなれない
この説明で分かるよね?


◆面倒だから、某所で書いたコメントを、まるっと転載

均衡だとか不当だとか公平だとか
税制論議で語る場合は
そもそも、なんで税金を徴収する必要があるのか
そこから論理立てしないと
正しい理論から外れた推論になってしまいます

社会を継続していくことが、社会の第一目的で(社会の再生産)
それが先にまずあって
公平とか均衡とか不当だとかは
その社会の第一目的を考える中で
税金が必要だね
じゃ~どうやって取るかね?
っていう様に、論理立てをしていきます

社会がどういう構造をしていて
そこにどういう原理が働いているか
それを理解していないと
第一の目的である、社会の再生産について
理解することが出来ません

そこを理解せずに
公平だとか均衡だとか不当だとか
そういう事を論じると
社会の構造や原理からかけ離れた
ただの推論に陥ってしまいます
(猫は魚類だ的な、推論としては正しいけど現実としては正しくない)

世の多くの経済学者やアナリストたちが
一見、私と同じようなことを語っているようでも
根本的には違う場合が多いのは、そこの差ですね


凄くすっ飛びますけど
そうやって間違った理論立てで
おかしなことを言ってるなと強く感じるのが
アファーマティブアクションです
差別問題、全般において同じ間違った論法が少なくないですけどね

真面目にそれを唱える学者や法曹などは
一体なにを勉強してきたのかと、憤りすら感じます
その気持ちや方向、目的は、私と同じようなものだろうし
真面目だろうし大いに好感がもてますけどね


社会科学は科学からの乖離がひどくて
問題へのアプローチの仕方すら
理解していない学者も少なくありません


◆税金問題の、論理の立て方、アプローチの手順

まるっと転載だと、あまりにも酷いので少しだけ説明

①社会を継続していくことが、社会の第一目的で(社会の再生産)
これをまず知り、最初にこれも持ってくる
※そのためには、前提として
社会に働く原理、社会がどういう構造をしているかを知らないといけない

②社会を維持、継続していくためには、当然だけど税金が必要
※なぜ税金が必要であるかも、原理を学ぶときに知るべし

③社会の目的(維持、継続、再生産)から鑑みて
その目的を果たすためには
どのような税金の取り方をすればいいかを考える

④こうやって理論を用いて、税制度を論理立てていくと
公平な分配(実質的平等。形式的じゃないYO!)という結論が導かれる


⑤「公平にすべし」というのを最初に持ってくると
ただの道徳になっちゃうし、理論的な根拠を欠くYO!


■最後に

社会問題への学術的、科学的
言葉はどっちでもいいけど
正しいアプローチの仕方は

①まず社会とは何ぞやということを知ること

②社会は、絶対に継続しなければ
「社会」たりえないことを知ること

③具体的な問題、謎は
常に、「社会が継続できるか」という観点から考察すること



◆おまけ

なんで社会は継続しなきゃいけないの?
「継続」が社会の大前提となるの?

これはね
社会科学の基礎理論を学ばないと
明確には分からないんだよね

ここではそれは本題でないし
簡単には説明できない
これはどうしても、がんばって自力で学んでもらわないといけない範疇

数学だってそうでしょ
四則計算を身につけないと、先に進めないでしょ

もちろん、それを学びたい方には
水先案内いたしますし
出来る範囲で援助もしますYO!


◆理解のヒント

自分で勉強しろってっだけじゃ~
これまた不親切

自然科学の、「生命」の定義があるよね
まだ科学者の間で、統一した定義があるのかないのか
ってな微妙なものではあるけど

様々な定義のなかで、どうしても外せないものがあるから
それが、社会が継続しないとけないことを
考える上で、ヒントになるYO!

ここでいう、生命の定義とは

自律的に自己を維持し(生きる、生きてる)
自己を更新する(次の世代を作り、種を存続させる)

簡単にいうと、こんなところかな


実はこれはね
生命に限らず
非生命などのあらゆる「概念」の定義も、関わってくることなんだよね

社会(国家)もそう
人間もそう
(これは、自然的存在としての人間ではなく、人間が「人間」を定義しているでしょ。そういう社会的な存在としての「人間」のこと
(なぜ人間を他の動物と区別して定義できるか)
まあ、これは難しいよねw


実は哲学とは、万物にどういう原理、法則性が働いているかを
どうすれば知ることが出来るか
そして、万物の概念を、どうすれば定義することが出来るのか
そのための方法を知ること
なんだよね

決して、サンデルさんのように
知識のないものにでも、好きなように意見を言わせて
なんか分かったような気になるものが、哲学の本道ではありませんYO!


経済学&法原理入門書紹介
【転記】+社会とは何か~社会科学の学び方・入門書紹介+

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参照
【転記】+法原理の解説 社会のすべては経済関係が土台+
【転記】差別をなくすには

【転記】人権と経済学~人権は数量化できない

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>なんで社会は継続しなきゃいけないの?
>「継続」が社会の大前提となるの?

猫王さんの日記を読んでいてこの疑問が以前からありました。

「継続」という前提は、ケプラーの法則のような自然科学の公理や法則と比べて、弱いというか、自明でない、というか、みんなが受け入れられるものではない気がしていました。

でもよく考えてみたら、自然科学においても、特殊相対性理論の光速度不変の原理なんかは一般的な感覚とは乖離していることに気づきました。


で、ここからが本題なんですが、
自然科学の場合は、こういう(一見一般的な感覚とはかけ離れているように見える)原理や法則・モデルからでも、自然のふるまいが予測され、それが実際の自然の現象によって実証されますよね?

社会科学も、このような自然科学の構造と同じなのですか?
つまり、
社会の現象を観察→法則性の発見→原理・仮説・モデルの構築(ここで社会の「継続」がでてくる?)→実証
という構造になっているのでしょうか?


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>それが実際の自然の現象によって実証されますよね?

ポパーによる科学の定義(反証主義)の間違いが分かりますか?
もちろん、彼の唱える反証可能性が
科学のついての重大な指標となることは、万人が認めるところですし
私も、そう思います
だけど、ポパー反証主義、科学の定義事態は間違っております
部分は正しいけど、全体としては、科学の定義として間違っているということです

そこが分からないと、科学の方法論
もちろん、自然科学にも社会科学にも、共通している方法を説明しても
反証主義だけを科学の方法論だとする呪いが解けなくて
私の対話経験上、理解できないですね

まずは、ポパーの間違いに挑んでみて下さい



あと、社会の再生産(継続)が、なぜ社会問題の基準になるかというのは
大きな意味での、広義の意味での論理学が理解できていると、分かります
概念の定義の仕方といってもいいです

ある概念と別の概念を区別して、異なる概念だと区別する方法はどうするのでしょう?
というような話です

継続が基準になることを理解しやすい例としては
生命の種の話を、私はよくします

突然変異があったとき
それを、新種と認められる場合はどんな場合か?
その新たに生まれた形状が、子々孫々と継続していく場合です
一代、その固体で終われば、「種」じゃないですよね

ホンドタヌキという種は、その種特有の形状や性質をもっていて
それで他の種と区別されますよね
それが子々孫々と継続(種の再生産)がなされるから
ホンドタヌキは、一つの種となるんです

※生物分類学は詳しくないので、ホンドタヌキを一つの種ということが
その学問上、正しいか置いといて
そういう知識的誤謬があったのであれば、ニュアンスで理解して下さい

このように、自律的に再生産(継続)しなければ
その概念は、成立しません


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理論の一部を修正することによって反証からいくらでも逃れようとすることができるので、科学の営みも厳密に、反証可能性を満たすわけではない。
科学の歴史においても、天王星の軌道や、エーテル仮説などの、実例がある。

といった認識なんですが、十分でしょうか?


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自然科学の側がよく、「社会科学なんて科学じゃねえよ!」
なんて言いますけど
その気持ちや言いたいことは、よ~~~く分かるんですけど
社会科学も、やっぱり同じ科学なんですよね
根本的な方法論は、両者に共通しているんです
だからこそ、両方とも科学なのです

で!
先のような質問を質問で返すような、ちょっとマナー違反的なことをしましたが
自然科学が、社会科学を科学じゃないと否定するときに
「反証できない」ということを理由にあげます
それが間違っているんですよね
それが正しければ、進化論は科学じゃなくなります
でも、科学ですよね

実験して確かめるという反証行為は、一体何をやっているのか?
そこを分かるかどうかが、ポイントなんです
それが、全ての科学に共通する方法ですし
社会科学も、同じようにそれを使っております


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ここで正解を教えることは簡単なんですけどね
私はネットで、啓発活動と同時に、教育活動をやっておりますが
ネットの教育活動は、実社会において何の実績にもなりませんし
報酬も得られません

私には目的があるからこそ(自分が幸せに生きたい、その為に社会を良くする)
事実の発信、啓発、教育活動をしているんです

ちょっと嫌な言い方に聴こえるかも知れませんが
そうじゃないので、どうか私の真意をご理解いただきたいのですが
無報酬で質問に答えることなんて、私はしません

実社会に反映されない報酬、ネットで誰かに感謝されるとか、評価されるとか
そういうものに、意味を見出せません
自分の目的を適えるための一環となる
そう思える場合、質問などに応じさせていただきます

その場合のやり取りは
学生に講義するように、ただ単純に知識を暗記させるような
答案用紙をそれなりに書けるような教え方では、意味がないんですね

本当の理解に至っていただかないと
私のネットでの報酬には繋がらないんです

本当の理解に至る道筋は、人によって異なります
今回は、こういうほうが良いだろうと判断して
このようなお返事をさせて頂きました



>理論の一部を修正することによって反証からいくらでも逃れようとすることができるので、科学の営みも厳密に、反証可能性を満たすわけではない。

これはパポーの科学の定義に対する批判としては、拙いですね
そういう指摘も出来るけど、全く本筋じゃないです


◆ヒントのようなひとり言のようなもの

ニュートンの運動方程式って、近似的にしか成り立たないですよね
誤謬を恐れず大胆なことを言えば
方程式や公理とは言えないですよね

だけど、私たちの日常のスケールでは
全くもって正しいと言っても良い、公理と言っても良いですよね

ニュートンの運動方程式は、科学と呼んでいいでしょう
この「スケール」、観点に着目すると...

う~ん、ヒントになるどころか、余計混乱を招く気がしてきた


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参照
【転記】ポパーの科学定義


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『「運動」という言葉をいい訳に使わないで欲しい』

ちょうど前から書こうと思っていたテーマで
今も私の周辺でどんぴしゃなので、この機に書こうと思う

法学や経済学、社会福祉の専門家と対話しているときに良くいわれるのが
「運動の観点」という言葉だ

私がよくいってるよね
万人が生まれながらに人権を有す
その必然的性、公理だと断言できる理由は?

経済学でも同じく
商売って等価交換なのに、実際はすればするほど儲かるよね
なんで富が増大しているの?

こういう謎が解けない限りは
人権(法学)も経済学も、本当の理解に至れない

こういうときに、学者とか法曹とかが冒頭の言葉をいう
確かにおっしゃる通りですけど
法学の観点では、人権は擬制うんぬん
運動の観点からすれば違うのでしょうけどと

違うっちゅうねん!

社会問題の時につかわれる「運動」の意味は
単に手短に意味を省略しているだけであって

社会問題に関わるよね
法曹であっても学者などが学術的アプローチしようが
労働組合などが直接交渉などしてアプローチしようが
問題に関与する、働きかける
どれも問題解決を目的としている

この「働きかける」行為があるから
様々な関わり方を、「運動」と省略するんだよね


でだ!
法学も経済学も、科学である以上
科学という同じ慣性系には、同じ法則が成り立ち
それと異なる法則は、存在すら出来ない

簡単にいうと、地球上に働く物理学が示す運動法則は
どこでも同じ法則が働くのであって
東京であろうがニューヨークであろうが、同じ、例えば運動方程式が
物体の運動を支配している

東京では運動方程式は成り立つけど
ニューヨークでは別の運動方程式が作用している
んな訳ないわけで!

社会に置ける現象を抽象して分析しようとすると
それぞれの専門分野が出来る
法学や経済学とかね
もっと本質を見極めようと抽象すると
社会科学の基礎原理が見えてくる

見てきた順番が逆になるけど
もとは同じ根っこだ

それは科学
だから、運動の観点と、学術の専門の観点で
結論が異なるのではなくて!

どれもこれも
科学の観点でもって、結論は一緒になるわけだ

だけど専門家は、今の時代は社会科学の基礎原理なんて学ばないし
もともと難しいから理解が足りない
そのいい訳として、「運動の観点」なんて言葉をつかう


あとさ
差別でも原発でもなんでもいいよ
そういうのに対して、自分の結論を持って
いろんな人が、いろんなアプローチをするよね
その時に、「運動」なんて言葉を持ち出して
自分は運動じゃないと、差別化をはかろうとする人がいるけど

問題に働きかけているという点でやってることは同じで
「運動」で括れますから!

自分を他者と差別化することで
自分を正当化する論理は、明確に間違ってる


私は、ただでさえ社会科学や社会変革運動、活動家なんてものに
偏見を持たれている時代だから
逆に、そういう言葉を使うんだよね

マルクスも大いに語るし
自分はネトサヨだ、活動家だというし

なんでもかんでも
自分で確かめようとしない
その能力もないからって
ショートカットして、印象だけで否定的なことをいうのは
やめて欲しいです


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