$映★画太郎の映画の揺りかご


マーク・ウェブ監督、アンドリュー・ガーフィールドエマ・ストーンリス・エヴァンス出演の『アメイジング・スパイダーマン』。

以前のシリーズからスタッフ・キャストを一新して、設定も変更された新シリーズの序章。

「世界最速」ってことで先行上映に行ってきました。IMAX3Dで鑑賞。



ピーター・パーカー(アンドリュー・ガーフィールド)は、幼い頃ベン(マーティン・シーン)とメイ(サリー・フィールド)の伯父夫婦に預けられ、そのまま両親は飛行機事故でこの世を去った。高校生になったピーターは、おなじ学校のグウェン(エマ・ストーン)と心を通わせる。亡き父の元同僚コナーズ博士(リス・エヴァンス)が勤めるオズコープ社に忍び込んだピーターは、そこで飼育されていたクモに咬まれてしまう。


2002~07年に3部作が公開されたサム・ライミ監督版と比較しながら感想を書いていきます。

ライミ版で主人公ピーター・パーカーを演じたのは、トビー・マグワイア

なんというか、この人が演じるピーターはいつも微笑みを絶やさないアホ面…いや愛嬌のある顔が特徴で、1作目では腕から飛び出すスパイダーウェブで部屋中を糸だらけにする栗の花のニオイ香る青年として描かれている( ´艸`)

しかもつねに金欠に悩まされているという、そんな日常描写がコスチュームを着たあとの雄姿とすばらしいギャップを生んでいた。

ティム・バートンの『バットマン』以降、なにかと暗闇のなかで活躍することが多かったスーパーヒーローたちのなかで、青空のもとでビルの谷間を「ホッホーw」と叫びながら飛び回るその姿はとても新鮮でした。

劇場版スパイダーマンには、スーパーマンの明るさとバットマンの等身大ヒーローのリアリティに加えて、すぐ近所に住んでいそうな親しみやすさがあった。

あの映画のあたらしかったところは、ヒーロー物と学園物を融合させたことだったんじゃないかと。

TVドラマなどではこれまでにもそういう作品はあったのかもしれないけれど、劇場大作映画で観ることはなかった。

たしかにこのシリーズには青春物の一面があって、さえない若者がとなりの家の幼なじみの女性にずっとあこがれてて、やがてスーパーヒーローとなった彼とのあいだに三角関係が生じる。さらにそこに親友の誤解と復讐心も交錯して…という昼メロ的な展開になっていく。

正直、僕がほんとに面白いと感じたのは1作目ぐらいで、なぜか妙に評価の高い2作目については「また実験に失敗した科学者が敵かい」(って今回もまたそうだが)と、早くもマンネリ化の予感が。

なので、逆になぜかけっこうケナされてもいる3作目に関しては、2作目とそんなに出来の違いを感じなかったのだった。

原作に思い入れのある人はどうなのかわからないけど、ピーターと親友ハリーの関係も最後にちゃんと決着して、完結篇としてはそれなりにまとまってたんではないかと思うんですが。

で、わずか数年前に終了したシリーズが再映画化される、ということで、いよいよハリウッド映画もネタ切れなのかと懸念していた。

しかも、予告篇を観るとどうも今回のスパイダーマンは妙に暗くてシリアスな雰囲気。

どこかクリストファー・ノーラン版のバットマンを思い起こさせたりして。

いや、別に僕はノーランのバットマンが嫌いなわけじゃないですが。『ダークナイト ライジング』はこの夏一番観たい映画だし。

マーク・ウェブは前作『(500)日のサマー』では恋に浮かれる男女とその関係が崩れてしまったあとを、シーンをランダムに配置するという技巧的な手法で興味深く見せていた。

そうすると、今回のスパイダーマンは恋愛要素が前のシリーズ以上に見どころになったりするんだろうか。

主人公とヒロインのすれ違いが延々つづいたサム・ライミ版とはまた違った恋愛模様を描いてくれるのなら、それはそれでなかなか面白そうだなとふたたび興味がわいてきた。

さて、そんな今回のヒロイン、グウェン・ステイシーはじつは前シリーズにも登場している。

ただしライミ版のヒロインはキルステン・ダンスト演じるメリー・ジェーン(MJ)なので、グウェンは3作目にオマケみたいに出てただけ。ビルから落ちそうになってスパイディに助けられていた。

演じていたのはブライス・ダラス・ハワードで、今回グウェンを演じたエマ・ストーンとは『ヘルプ ~心がつなぐストーリー~』で共演している。

新旧グウェン女優がそろい踏みしたわけだが、そこでは憎まれ役を演じるブライスをエマがやりこめていた。

そんなわけで、そろそろ本題に。

以下、この映画とサム・ライミ版のストーリーについて【ネタバレ】があるのでご注意を。



いきなりだけど、観終わって浮かんだのは「残念」という一言。

僕はサム・ライミ版に特に強い思い入れがあるわけじゃない(すくなくともティム・バートン版バットマンほどには)けど、それでも今回のマーク・ウェブ版とくらべると、旧シリーズではいかにキャラクターやストーリーが巧みに描かれていたか痛感したのだった。

とにかく今回のスパイダーマンは「ん、んん!?」となる展開が多すぎるのだ。まるでカットされまくりの地上波放映版を観ているようだった。

サム・ライミ版スパイダーマンのテーマ曲 作曲:ダニー・エルフマン
ヒーロー物はテーマ曲も重要だよな。




冒頭からピーターがクモに咬まれるぐらいまではいい。

しかしベン伯父さんが死ぬあたりから違和感が。父親代わりだった伯父が亡くなったばかりなのに、メカ作りに励んだり犯罪者相手に調子に乗ってる主人公。

それが伯父を殺した「手首に星のタトゥーがある犯人」を捜すためだということはわかるのだが、けっきょく犯人は最後まで捕まらない。だから伯父さんの死についてはず~っとモヤモヤが残ったまま映画は終わる。

伯父の言葉がハッキリとピーターのその後の行動の規範となっていたライミ版に対して、本作のピーターの真の目的は、事故死したと思われていた父親の行方、もしくはそのほんとうの死因をつきとめることらしく(ライミ版では両親は登場しない)、スパイダーマンとなるきっかけこそベン伯父さんの死だが、その印象はどこか薄い。

ベン役のマーティン・シーンの枯れた演技は、ライミ版のクリフ・ロバートソンとおなじく息子同然にピーターを育ててきた伯父としての実感がこもっていただけに(ちょっと息子のチャーリー・シーンのかずかずの問題行動のことなんかが思い浮かんだりした)、なにやら駆け足気味に描かれているのが惜しい。

父の行方といい伯父を殺した犯人といい、引っぱったまま解決されない謎が多すぎるのだ。

そしてこの映画では、ライミ版ではおなじみだった「大いなる力には大いなる責任がともなう」というベン伯父さんの言葉や“親愛なる隣人”というキャッチフレーズは出てこない。

スパイダーマンがいつ町の人々に認知されたのかもはっきりしないために、クライマックス直前で建築現場のおじさんたちがこぞってピーターに協力する場面も盛り上がらない(ピーターが車のなかから助けだした少年の父親が建設現場で働いていた、という理由付けはしているが)。

また、ヒロインのグウェンもピーターと出会ったと思ったらすぐイイ雰囲気になって、あっというまにふたりはくっついてる。

恋人がスパイダーマン、という驚愕の事実を知ってもグウェンは一言「困った」というだけ。なんだそれ汗

なにからなにまですべてが性急で、観客であるこちらが登場人物たちに感情移入したり状況を把握する前に話が先にどんどん進んでいってしまう。

ライミ版の1作目では、ピーターがスパイダーマンになるまで、そしてニューヨークで彼の存在が話題になり英雄視される反面、警察や新聞社からは犯罪者とみなされる過程がきちんと描かれていた。

もしも、すでにライミ版でしっかりとされたそのあたりの描写をくりかえすのがムダだと判断したのなら、中途半端にスパイダーマン誕生を描きなおしたりせずに、映画がはじまったらすでに主人公はスパイダーマンとして活躍している、というふうにでもすればよかったのに。

そしたらピーターとグウェン、そしてコナーズ博士の描写をじっくりとすることができただろう。

ライミ版では“親愛なる隣人”スパイディがヒーロー活動をはじめるのと並行して、彼の幼なじみであるMJと親友のハリー、そしてハリーの父ノーマン・オズボーンの紹介も手際よくなされる。

童貞臭あふれるマグワイア版ピーターはMJに恋しているが、彼女は体育会系男子のフラッシュと付き合っていて、奥手で優柔不断なピーターは彼女に自分の気持ちを伝えることができない。

それにくらべると、今回アンドリュー・ガーフィールドが演じるピーターはリア充もいいところだ。なにしろ女の子の方から言い寄ってくれるのだから。

つまり、この『アメイジング・スパイダーマン』はイケメンと美人の物語ということ。

下世話な話で恐縮だけど、アンドリュー・ガーフィールドとエマ・ストーンは現在じっさいに付き合ってるんだそうな。

それはけっこうなことで!

そういう世界に同調して酔える人はいいかもしれないが、僕は彼ら美男美女カップルにぜんぜん感情移入できなかったし、あこがれを感じることもなかった。

だって、彼らのあいだになにかドラマティックな展開ってあったか?

それに、この“出会って即惹かれあう”のって『(500)日のサマー』とおなじだよね。

今回のピーターには、ライミ版のハリーのような親友はいない。

グウェンもまた学校での友だち付き合いはいっさい不明。

これ見よがしに出てくるあのカワイイ眼鏡っ娘も、物語にはぜんぜんからんでこない。

ライミ版ではピーターにちょっかい出しててあとで逆襲されていたイジメっ子のフラッシュは今回も同様のキャラとして登場するが、中盤で唐突にピーターへの態度が変わる。

劇場から帰る途中でおなじ回を観ていたカップルの彼氏が、フラッシュのことを「劇場版ジャイアン」と表現していて言い得て妙だと思った。

では、フラッシュは今後ピーターの「心の友」となっていくのか?

だがそれはこの映画では描ききれていない。

なんだかもう、すべてが「次回以降につづく…かも」みたいなTVドラマ的な描かれ方なんである。

学校が出てきても1本の作品のなかで学園物の面白さもないのだ。

ピーターとグウェンの内面や『(500)日のサマー』にはあった若い男女の、ほかの人々が見えなくなるほどの恋愛暴走モードなひとときすらこの映画にはない。

つまりこの映画で描かれてるのって、『(500)日~』の前半でいえばようやく主人公とヒロインが出会ったとこぐらいなんじゃないかと。

なにもはじまってないじゃん!!


そしてこれら恋愛の要素以外で「スパイダーマン」というヒーロー物は、もともとは真面目で実直だった人物が科学実験の失敗で凶暴化し、内にある本性がむき出しになるさまを描いている。

だからライミ版では、次第に悪人に変貌してゆく登場人物を主人公とからめてじっくり描いていた。

主人公は自分のせいで伯父を死なせてしまったことを悔やみ、「大いなる力には大いなる責任がともなう」という伯父の遺した言葉を心にとめて、その特殊能力を世のなかのために使うことを決意するのだ。

しかし、そういった主人公が悪と戦う動機もこのマーク・ウェブ版では圧倒的に弱い。

スパイダーマンがろくに活躍もしてない時点で、気がつくとコナーズ博士は怪人リザードに変身して暴れている。

あそこは自分がじょじょに怪物になっていくことに恐怖する博士のシーンが不可欠だったはずだ。

コナーズ博士の描写が極端にすくないため「弱者のいない社会」を作ろうとする彼の信念がよく伝わらないばかりか、町じゅうの人々を巻き込む後半のテロ行為がまったくもって意味不明になっている。

あとこまかいことだけど(でも気になった)、一度再生した腕がクスリの効果が切れるとまたなくなる、ってのはいくらなんでもおかしくないか?

コナーズ博士の腕が再生されたままでも、ストーリー上はなんの支障もないはず。

腕が治ったあとも中毒症状でクスリを常用するようになる、ってことでじゅうぶん通じると思うんだが。

それと人物描写でいえば、エマ・ストーンが演じるグウェンも不十分きわまりない。

彼女は優等生でピーターに積極的に好意を示してくれるし、わがままもいわずにつねに彼を気遣う。

男にとっては申し分ないほどできた女性だが、完璧すぎてキャラクター的には面白味がない。

ライミ版のヒロインのMJはけっこうマイペースな人で、シリーズをとおしてピーターを振り回していた。

そういう意味ではいろいろと欠点もある女性なのだが、だからこそそんな“となりの女の子”を好きになったピーターに共感もできたのだ。

グウェンはこれ以上発展しようがないキャラクターである。

もしピーターとグウェンのあいだに今後ショッキングな展開があるとしたら、それは彼女が「悪役」に転じることぐらいだろう。

それはちょっと見てみたい。まぁ個人的に悪女を演じるエマ・ストーンを観たいだけなんですが。

ちなみに、この映画の上映時間は136分。サム・ライミ版の1作目は121分。

2時間で世界観の構築から各キャラの紹介、その後の展開と結末までしっかり描ききったサム・ライミにくらべて、15分も長いのにあきらかにそれができていない、というのはどういう了見だろうか。

期待していた「より深い恋愛模様」など皆無だったし。

唯一、サリー・フィールドが演じるメイおばさんは、ライミ版の善良だが見ててときどきイラッとくる老婦人にくらべて、より身近に感じられるキャラクターだった。

彼女が夫を亡くして憔悴し、傷だらけで帰ってくるピーターを見て驚き心配する姿を見ているといたたまれない気持ちになった。

すっかりおばあちゃんになっちゃったサリー・フィールドにも涙。

そう、このように出演者たちの演技はすばらしいのだ。

おなじみ原作者のスタン・リーおじいちゃんもカメオ出演してるし。

アンドリュー・ガーフィールドは『わたしを離さないで』の繊細でキレやすい若者と同様に孤独な主人公を好演しているし、エマ・ストーンも凛としたヒロイン役にハマっている。

しかし、ずさんなシナリオによって俳優たちの努力は無駄遣いされてしまった。

もしかしたら今後DVDで長尺版が作られたりするのかもしれないけど(いまだってじゅうぶん長いんだが、どう見てもカットされてるとしか思えない場面が多すぎなので)、「完全版が観たかったらDVD買ってね」というのはほんとに勘弁してもらいたい。

しつこくて申し訳ないが、僕はこの映画からサム・ライミ版を超える部分をほとんど発見できなかった。

10年前に公開された作品にかなわない最新作って、いかがなもんだろうか。

ガーフィールドが演じるピーターはいかにも「孤独」という風情で荒れているが、ライミ版でトビー・マグワイアが演じたピーターは笑顔のなかにそういう感情を隠していた。

つらい生い立ちをいかにもつらそうに悲観してみせるのは簡単なんである。

でも世のなかの多くの人たちは、もしそういう生活環境であっても一見なんの苦労もない人間のようにふるまう。

なぜなら他人に同情などされたくないから。それが彼らの強さであり、矜持なのだろう。

ライミ版のヒロインMJは両親の仲が悪く、学校を卒業してからは働きながら女優を目指して日々努力をかさねていた。

暴力野郎のフラッシュと付き合っていたのも、彼を頼りがいのある男性だと思いたかったからだろうと想像できる。

だが今回のヒロイン、グウェンにはそういう傷がない。

最後に警察官だった父親をうしなうことで彼女はピーターと似た境遇になるわけだが、僕はそこに彼女の切実な痛みを感じることができなかった。

というか、ストーリー的にもあそこで彼女の父親が死ぬ必然性があったのだろうか。

伯父さんの死もそうだが、どうもシリアスなわりにキャラクターのあつかいが雑すぎるんじゃないかと思った。

先ほどのカップルも「主要キャラ死にすぎ」と苦笑していた。

コナーズ博士役のリス・エヴァンスだって、ひと癖もふた癖もあるキャラクターを演じられる人なのにまったく活かしきれていない。

スパイダーマンとその恋人、彼らの周囲の人々や悪役など、この作品の登場人物たちは勧善懲悪モノの単なるコマではなく、それぞれにもっとリアルなドラマ性をもたせることができたはずなのだ。

それだけの力量をもった俳優たちが集っているのだから。

そのためにマーク・ウェブが抜擢されたんじゃないの?

136分使って、いったいこの監督はなにを描いていたのだろう。

本来ならば見どころであるはずのアクションも、VFXの出来が悪いわけじゃないのに終盤になると飽きてしまった。

IMAX3Dでの効果も感じられず。通常の2Dでじゅうぶんでした。


…たかがアメコミヒーロー物になにムキになってんの?と呆れられるかもしれないが、荒唐無稽なヒーロー物だからこそ、世のなかのさまざまな事象をたとえ話として描けるんじゃないか。

幼児向けの童話がときに世界の真理を突くように。

僕は「スパイダーマン」の原作は知らないし、くりかえすけどサム・ライミ版への愛着が特に深いわけでもないので、キャラクターの設定が変わろうとストーリーがどんな展開を見せようと、主人公がどんなに悩みまくろうと面白ければまったくかまいません。

むしろ、おなじキャラクターを今度はこんなふうに描いたのか、と面白味すら感じる。

なのに、今回の最新作はノれなかった。

ここ数年、ハリウッド製アクション映画では「次回をお楽しみに」みたいにストーリーを続篇に丸投げする傾向が顕著で、おなじマーヴェル・コミック原作の『マイティ・ソー』も『キャプテン・アメリカ』もそうだった。

こんだけ期待を裏切られつづけると、いいかげん腹が立ってくる。

この3本に共通しているのは、1本の作品で物語が完結していないことだ。途中まではそれなりに面白かったのに、後半急激に失速していく。

今回も、エンドクレジットの途中でコナーズ博士の前に謎の人物が意味ありげに登場する。

かつてはライミの『スパイダーマン』もジョン・ファヴロー監督の『アイアンマン』も、かりに続篇が作られなくても第1作目は単体でひとまず完結していた。

それがいまでは週刊連載漫画よろしく、延々と「つづく」。

観客をナメてるとしかいいようがない。

それとオリジナル版にはいっさい入ってない日本のロックバンドの曲をエンドクレジットで流すの、やめてもらっていいですか?

どうせかけるのなら東映版スパイダーマンの主題歌かけてくれ。

東映版「スパイダーマン」(1978) チェンジ、レオパルドン!



ブルース・リーや1980年代のジャッキーの映画じゃあるまいし、なんでいまだに洋画にわけわからん邦楽を流すんだ?観客の誰が喜ぶんだっての。

ま、俺が怒り狂おうがどうしようが、映画の作り手も配給会社も痛くもかゆくもないだろうけどな。

でもいっときたいのは、この『アメイジング・スパイダーマン』がもしヒットしたとしても、それはサム・ライミ版の人気によるものだということ。

クリストファー・ノーランの『ダークナイト』のように、せめてサム・ライミ版とはまた違った魅力を引き出してほしかった。

偉そうにぐだぐだと酷評してしまったけど、僕は映画館で観終わって「あー、面白かった」と満足げに伸びができる、そんな作品を素朴に求めてるだけなんですよ。

どうかこれ以上失望させないでほしいなぁ。

要求が高すぎると思われるだろうか。

なかには「別に普通に面白かった」あるいは「こっちの方がサム・ライミのより好き」という人もいらっしゃるかもしれない。

それはみなさん各自でご判断いただけたら、と思います。



※ラダ博士役のイルファーン・カーンさんのご冥福をお祈りいたします。20.4.29


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