きょうで、東北・関東大震災発生から7年を迎えました | 続きは、CMのあとすぐ!

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さて、

 

2012年3月11日

きょうで、東北・関東大震災が発生してから1年を迎えました

 

2013年3月11日

きょうで、東北・関東大震災が発生してから2年を迎えました

 

2014年3月11日

きょうで、東北・関東大震災が発生してから3年を迎えました

 

2015年3月11日

きょうで、東北・関東大震災が発生してから4年を迎えました

 

2016年3月11日

きょうで、東北・関東大震災が発生してから5年を迎えました

 

2017年3月11日

きょうで、東北・関東大震災が発生してから6年を迎えました

 

と、毎年記事を書いてきていますように、本日2018年3月11日で、東北・関東大震災(日本政府、マスコミの表記では東日本大震災)が発生してから7年目を迎えました。

 

大震災発生から7年を迎えるにあたり、テレビでは先週より、NHKを中心に、在京キー局はテレビのニュース番組内での特集で。

 

東北・関東大震災から7年を迎えることについて特集した番組が数日前から流れ、この記事を更新した3月11日には、一部大震災の特集番組が放送されていました。


それに合わせて、私も、ほかの記事の下書きと並行して、7年目を迎える大震災の記事についてもコツコツと下書きをくり返していました。


そこでこの記事では、2017年3月11日更新の記事で、「もし来年も私のブログが続いていたら、今度は東北・関東大震災が発生してから7年目を迎えた記事を書かせていただきますね。」とお約束していた通り、2017年3月11日を迎えたことで、私なりに東北・関東大震災が発生してから7年を迎えたというテーマで書かせていただくことにします。

 

◆7年目を迎えた東北・関東大震災の死者・行方不明者の数は?


まず、2018年3月9日付で警視庁がまとめたところによりますと、東北・関東大震災の死亡が確認された人は15895人。


行方不明者は2539人でしたから、死者・行方不明者を合わせると18434人ということになります。


このうち、2017年の行方不明者が2553人だったのに対し、今年は2539人と、昨年から今年にかけて14人もの方が見つかったことになります。

 

ただ、行方不明者が見つかったといっても、必ずしもそれが生存した状態で見つかったとは限りませんが……。

 

ほかにも、復興庁によると、避難生活中に体調の悪化や自ら命を絶つといった震災関連死も、2017年9月末現在で3547人に上っていたことが明らかとなったのでした。

 

あらためて、大震災さえなければ、震災関連死もなく、もっと生き長らえていた人々が多かったかもしれないのにと思わずにはいられません……。

 

◆大震災発生から7年 ようやく今年になって福島第一原発3号機に屋根カバーの設置が完了 今秋中には核燃料プールからの燃料の取り出しを目指すことに

 

次に、これが終息しなければ本当の意味での福島県の復興はあり得ないと思われる、東京電力福島第一原子力発電所(以下、福島第一原発)についてです。

 

はじめに、去年から今年にかけて、福島第一原発に関するネットニュースの中で気になるニュースを以下にピックアップしてみることにしてみました。

 

2017年9月9日
東京電力は9月8日、福島第1原発で汚染水タンクの解体作業をしていた下請け企業の作業員が内部被ばくしたと発表した。
被ばく量は最大で0.009ミリシーベルトとみられる。
東電によると、8月8日午前8時20分ごろ、現場から戻った30代の男性作業員の全身を検査したところ、鼻の周辺で汚染が見つかった。
体調不良は訴えていないという。
作業員は直ちに除染措置を受けた。
作業中はマスクを着けており、東電は汚染物質が付着した経緯を調べている。 

 

2017年9月29日
福島第一原発の建屋地下にたまった高濃度の汚染水が、4月中旬ごろから外部に漏れる恐れのある状態だったことがわかった。
福島第一原発では、建屋周辺の井戸の水位を調整して建屋地下の汚染水より約1メートル高く維持し、汚染水が外に漏れ出ることを防いでいる。
しかし、1~4号機の地下水を監視している水位計のうち、4~9月にかけて設置された6つの設定に誤りがあり、実際は30センチしか差がないものもあった。
水位計の誤差を加味すれば、水位が逆転し汚染水が漏れた可能性が否定できないという。
実際に漏れていたかどうか、東京電力で詳しく調べている。

 

2018年2月21日
東京電力は21日、福島第一原発3号機の使用済み核燃料プールからの燃料取り出しに向け、原子炉建屋上部を覆う屋根カバーの設置を完了した。

今秋の取り出し開始を目指す。
カバーは全長約57メートル、高さ約18メートルで作業時の放射性物質の飛散を防ぐ。内部にはプール内で燃料を輸送容器に移す燃料取扱機や、輸送容器を地上に降ろすクレーンなどがある。
3号機のプールには燃料566体が残されている。東電は取り出しに備え、燃料取扱機に取り付けた専用機器を遠隔操作してプール内にある小さながれきを撤去する。

 

◆今秋の取り出し開始を目指すだけ…国や東電のロードマップでの廃炉は30年~40年…と簡単に書けるほど福島第一原発の廃炉への道はそう簡単なものではない

 

前の項目でピックアップした3つのニュースのうち、注目したいのは2018年2月21日に報じられた、「福島第一原発3号機の使用済み核燃料プールからの燃料取り出しに向け、原子炉建屋上部を覆う屋根カバーの設置を完了した」となるでしょう。

 

これは、去年大震災が発生してから6年目の記事でも書いたように、国と東電は今年、燃料デブリ取り出しに向けた方針を決め、来年2018年には具体的なその工法を決めるとしているそうです、で、原子炉建屋上部を覆うカバーを設置したことが、具体的な工法を示したものであると言えるからです。

 

あとは、今秋の取り出し開始を目指すだけ…などと簡単に書くほど、福島第一原発の廃炉の道はそう簡単なものではないようです。

 

ましてや、東電や国が示している廃炉のロートマップに紹介されていたように、2021年には燃料デブリを取り出し、2041年~2051年廃炉作業を完了させる見込み…などといった計画があるようですが、これも、いまのままだとそううまくいくのかどうかが大いに疑問に感じるのでした。

 

廃炉までのロードマップ、原発事故の対応対策では、まず原子炉を止め、次に冷却し続け、放射線を閉じ込めることが重要となるそうです。

 

実は、今回初めて知ったんですが、福島第一原発は1~6号機まであるとのこと。

 

では、大震災と大津波による事故発生時、1号機~3号機までの大きな影響はマスコミで盛んに報じられていたものの、4~6号機の影響も気になるところ。

 

けれど、4~6号機については検査のために停止中だったことで、少なくとも稼働中の影響は受けていない模様です。

 

問題は、事故当時稼働中だった1号機~3号機でしょう。

 

それは、大地震と大津波により緊急停止したものの、電源喪失のために冷やし続けることができず、燃料棒が溶けて水素爆発が発生。

 

原子炉内から溶け落ちて、下部でデブリと呼ばれるかたまりになっていると考えられているからです。

 

第1号機~3号機まで、3つの原子炉に核燃料が溶け落ちていたことが明らかになった福島第一原発。

 

それが燃料デブリであり、廃炉への最大の難関とされています。

 

◆防護服なしでも作業が行なえるエリアが広がった福島第一原発 しかし一定のエリアから先は防護服に着替えて進まなければならない

 

除染が進み、防護服なしでも作業が行えるエリアは広がったという福島第一原発。

 

しかし、一定のエリアから先は、あの白い防護服に着替えてから進まなければなりません。

 

3号機建屋の最上階には燃料プールがあり、大量の燃料棒が取り残されています。

 

これを取り出すために、今年の2月21日に屋根カバーが設置されたのです。

 

◆燃料プールの温度は約28度 ただし放射線量は一般の人の1年分の被ばく限度に達する線量に相当する約700シーベルト
 

ここで気になるのは、燃料プールの中はどのようになっているかということですね。

 

これについて、福島第一原発を特集したサイトによりますと、現在の燃料プールの水温は約28度。

 

わずかに発熱していますが、かなり温度が下がっています。

 

ただし、放射線量については約700マイクロシーベルトだそうです。

 

西日本に住んでいる私ですが、日々の放射線量を気にする必要がない環境にいる中であっても、700マイクロシーベルという放射線量は驚くほど高いというのは理解できます。

 

具体的には、時間にして1時間あまりで、一般の人の1年分の被ばく限度に達する線量にも相当するとのことです。

 

プールの中に取り残された燃料棒は566本。

 

これを早く取り出す必要があるわけです。

 

◆国や東電はどうやって燃料棒を取り出そうとしているのか? 取り出した後に保管する施設は? 溶け落ちた核燃料の処分方法は?

 

では、国や東電はどのように燃料棒を取り出そうとしているのでしょうか?

 

当初核燃料の取り出しは、極めて強い放射線を遮るため原子炉を取り囲む格納容器を水で満たす「冠水工法」と呼ばれる方法で行うとされていました。

 

これに対し、国の技術的な計画「戦略プラン」を策定してきた原子力損害賠償・廃炉等支援機構は、2017年4月9日に、計画の骨子を初めて公表しました。


この中では核燃料の取り出し方について、従来の「冠水工法」に加え、格納容器を水で満たさない「気中工法」と呼ばれる方法を重点的に取り組む方針として初めて明記したうえで、「気中工法」について、原子炉の上から取り出す方法と格納容器の横に穴を開けて取り出す方法の2通りを示しています。

 

「気中工法」での核燃料を取り出す検討を進めているのは、原子炉メーカーの三菱重工業。

 

「気中工法」のうち、格納容器の横に穴を開けて核燃料を取り出す方法の検討を進めているのだそうです。

 

参考リンク

福島第一原発 廃炉計画 「気中工法」を明記 - NHKオンライン


けれど、燃料棒を取り出した後は原発敷地内に保管するとみられますが、その施設はまだ未完成。

 

燃料棒の取り出しが終わっても、下には溶け落ちた核燃料が残っており、その処分方法についてはまだ具体的に決まっていないのでした……。

 

◆溶け落ちた核燃料の取り出しに向けて、何よりも作業員の被ばくのリスクをどう抑えるかが最大の課題


廃炉の最大の課題とされる溶け落ちた核燃料の取り出しに向けて、作業員の被ばくをどう抑えるかが何よりも最大の課題となっています。

 

ここからは、3月9日に放送されたテレビ朝日のニュース番組「報道ステーション」(以下、報ステ)の特集「事故7年…どうなる廃炉 福島第一原発の“いま”」で放送された内容からも抜粋しながら書いてみたいと思います。

 

燃料棒を取り出す機械を設置するのは、人間である作業員が必要です。

 

報ステのメインキャスターであり、テレビ朝日のアナウンサーでもある富川悠太さんが現役作業員を取材したところ、作業員は「カメラを設置するなどは人間の手でやらないといけないので体が心配」と話したとのこと。

 

いまのままだと、あまりにも作業員の被ばくのリスクが大きすぎることから、専門家の中には被ばくリスクを負ってまで急いで取り出す必要はないのではという意見も出ているそうです。

 

かといって、東京電力「廃炉推進カンパニー」増田尚宏最高責任者の話にあった、被ばくリスクを負ってまで急いで取り出す必要はないという意見に、どちらを優先するか判断しなければいけないが、放置して劣化することが危険だと思っているという意見もあり、どちらを優先するかはかなり難しい問題と言えますね。


◆世界でも海に流すのが常識なトリチウム水 いかに地元の漁協が納得し風評被害をなくしてから流すべきか?

 

福島第一原発について、別の角度からも書いてみたいと思います。

 

大震災から7年目を迎えようとしている先月の2月に、国連科学委員会をはじめ多くの調査で、原発事故による放射線障害は出ないという結論が出たと発表したことがありました。

 

これで、原発事故の被害について科学的には決着がついたわけですが、いまだに根強く残っているのが「風評被害」です。


その代表が「トリチウム水」でもあるそうです。

 

現在福島第一原発の貯水タンクは830基~1000基といわれ、いまのままだと今後も増え続ける傾向に。

 

貯水量は100万トンに達するものの、海洋放出ができないでいます。

 

そこに残るトリチウム(三重水素・さんじゅうすいそ)の風評被害を、被災地の人々が恐れているから海洋放出ができないでいるのだそうです。

 

トリチウムは、福島第一原発で、作業員が敷地内の水をくみ上げて貯水タンクに入れる作業をしていて、たとえ水の中に微量の放射性物質が含まれていても、大部分は濾過装置で除去が可能に。

 

それでも、トリチウムだけはどうしても残ってしまうのだそうです。

 

ただ、トリチウムは水素の放射性同位体で微量の放射線を出すけれども、すぐ減衰するので人体に影響はないとのこと。

 

世界では海に流すのがふつうで、日本でも他の原発では基準値以下に薄めて流しています。

 

なら、福島第一でもそうすればいいに決まっているはずなのに、海洋流出ができない理由は、地元の漁協が反対しているからです。

 

なぜなら、海洋流出することによって魚が汚染されるからではなく、「福島の魚は汚染されているという風評被害」を心配しているからです。

 

先ほども書いたように、「トリチウムの海洋放出が危険ではない」ということには関係者の合意があるのに、誰もが風評被害という言葉で責任を逃れている現状。

 

それでも、大震災から7年目を迎える2018年において、原子力規制委員会の更田豊志委員長は、1月に地元の市町村長と会談して「意思決定をしなければならない時期に来ている」と述べたが、福島県の内堀雅雄知事が「福島は依然として風評問題に直面している」と反発するなど、海洋流出するかどうかの結論はまだまだ先になりそうです。

 

私としては、いずれ海洋流出しなければならないのであれば、いかに地元の漁協が納得し風評被害をなくしてから流すべきなのかということにもなってくるのではとも感じています。

 

◆福島県の川で放射性物質の「粒」が確認 名前からして厄介そうな「セシウムボール」

 

トリチウム水の問題も気になりますが、この話題も、人体に影響があるとしたらかなり気になります。

 

その話題とは、福島県内の川で目に見える大きさの放射性物質の「粒」が確認されていたことがわかったことです。

 

見つかったのは肉眼でもわずかに見える小さな粒でした。拡大して見てみると、ガラス質の物体の姿が現れました。

 

実はこの物体は、福島第一原発の半径5キロ圏内にある土から見つかった「セシウムボール」と呼ばれるものです。

 

セシウムボールは、溶岩のようなもの、丸いもの、細長いものなど形は様々。

 

下をリンクをクリックするとご覧になれるフリップの画像によると、セシウムボールといってもAタイプとBタイプがあるそうです。

 

クロ現 不溶性放射性粒子


原発事故では大量の放射性セシウムが放出されたことは、みなさんもご存じのことと思います。

 

セシウムについては、水に溶けやすく、環境中で徐々に薄まっていくと考えられていました。

 

ところが2013年に、研究者も想定外だった、水に溶けにくいセシウムが粒子の形で見つかることに。

 

最初に丸い形をしていたことから「セシウムボール」と呼ぶようになったそうです。

 

それだけではなく、事故の対応にあたったある東電社員のセシウムの被ばく線量が、最初の700日までは一定の早さで減るものの、その後、減るスピードが遅くなっているという気になるデータがありました。

 

ほかの複数の社員にも同じ傾向がみられ、セシウムボールによる「内部被ばく」があったのか調べています。

 

過去の原発事故では見つからなかったとされるセシウムボール。

 

形成過程についての分析は始まったばかりであることから、東電も情報を集め、分析を進めているということです。

 

セシウムボールについては、研究者も「長期的な調査が必要だ」と話していました。

 

参考リンク

原発事故から6年 未知の放射性粒子に迫る - NHK クローズアップ現代+

 

なお、セシウムボールについては、福島第一原発内か、福島県内の川など限られた場所で発見されている粒子なのかもと思っていたら、ネットでは広域に拡散し、なんと6年前の2011年の大震災が発生した年には、関東の東京まで降ったという報告もあったらしいのです!(驚)

 

うーん…、なんだか、“セシウムボール”という名前や人体の影響についても、今後は実に厄介そうな存在となりそうな予感がしてしまいましたね…。

 

◆2017年3月31日と4月4日に帰宅困難区域をのぞき4町村で解除 避難先の住民の気持ちとしては「♪帰りたい 帰れない」?

 

福島第一原発の廃炉の計画が難航している中、2017年3月31日と4月1日に、東日本大震災に伴う原発事故が原因となった福島県内の避難指示が、帰還困難区域を除き4町村で解除されたことがわかりました。

 

解除対象は約3万2000人にもおよび、去年解除された町村のうち、富岡町や浪江町では、福島第一原発から10km圏内に位置するエリアも含まれていたそうです、

 
避難指示解除により、多くの地域が帰還の対象となった福島県内の町村。

 

ところが、帰還の対象者や関係者に話を聞いて見えてきたのは、住人のすべてが必ずしも帰還を検討しているわけではない現実があったのでした。


というのも、住人は、震災から6年を経て、避難先で新たな生活基盤を築いていることがあるからです。

 

つまりは、大震災発生時のころのように、わずかな荷物で避難してきた当時とは状況が変わっているのです。

 

それに、仮に解除された町村に戻ったとしても、

 

・新たな仕事や就学をどうするか?

・原発事故による放射能の不安はまったくないと言えるのか?

・放置された家屋の傷みや帰還先の生活インフラの問題はどうするのか?…etc

 

と、帰還の妨げになる課題は複数あるからです。
 

私はこのことを知って、人気演歌歌手の香西かおりさんの6枚目のシングルとして発売された「無言坂」という曲の歌詞で、ある一部のフレーズが思い浮かんだのでした。

 

その歌詞とは、

 

♪帰りたい 帰れない

 

です。

 

★チョコっと一言!

歌詞の中に「♪帰りたい 帰れない」のフレーズが出てくる曲といえば、歌手の松田聖子さんの7枚目のシングル「風立ちぬ」の1番の歌詞もそうでしたね。

 

解除になったことで、生まれ故郷の町村にすぐにでも戻りたいと思っても、もうすでに避難先が第2の故郷のようになっていて、生活基盤も築いているため、「♪帰りたい 帰れない」のようになっているのであれば、避難先の住人としては複雑な心境でしょうね。

 

◆原発事故収束のための対応拠点であったJヴィレッジが、本来のサッカーのトレーニングセンターとして再開 復旧を受けJヴィレッジ近くに新しく駅を設置する動きも

 

大震災発生から7年を迎え、深刻な問題の記事が続いたことで、ここからの2項目は、震災復興に向けての明るい話題をお送りいたします。

 

これまで、福島県の広野町と楢葉町にまたがるサッカーのナショナルトレーニングセンター“Jヴィレッジ”は、原発事故収束のための対応拠点として使われていました。

 

けれど、事故直後は、Jヴィレッジに事故収束の担当者、廃炉作業員が集まって、全身防護服をつけてバスに乗って福島第一原発に向かったわけですが、いまはその人たちが私服のままで1Fの中まで入っていけるようになりました。
 

これにより、Jヴィレッジが本来のサッカーのナショナルトレーニングセンターとして再開されることに。

 

ほぼ全てのグラウンドで芝の張り替えを終え、新しく建てられる全天候型の練習場の工事もほぼ終了していることや、7月28日に、一部のグラウンドや宿泊棟を再開することを発表したのでした。

 

さらには、原発事故からの復旧を受け、福島県内を走るJR常磐線に、Jヴィレッジ付近に新しく駅を設置する動きが浮上しているということでした。

 

◆2020年東京オリンピック・パラリンピックの聖火リレーを福島県の被災地で実施 組織委員会がスタート地点と全体の日数案を3月まで決める方針

 

もう1つは、今年の2月19日にネットニュースで報道された以下の話題です。

 

東京オリンピック・パラリンピックの聖火リレーを福島県の被災地で実施

東日本大震災による津波被害を受けた福島県の3市町と、福島第一原発事故で避難区域が設定された12市町村の計15市町村は2月19日、2020年東京オリンピック・パラリンピックの聖火リレーを被災地で実施するよう内堀雅雄知事に協力を求めた。

内堀知事は、大会組織委員会がルート選定の条件を定めた後、夏前に実行委員会を設立し県内の具体的なルートを協議する考えを示した。

要望したのは福島県のいわき、相馬、田村、南相馬、川俣、広野、楢葉、富岡、川内、大熊、双葉、浪江、葛尾、新地、飯舘の15市町村。

立谷秀清相馬市長や佐藤金正川俣町長、篠木弘葛尾村長、加藤憲郎新地町長らが県庁で内堀知事と吉田栄光県議会議長に要望書を手渡した。
立谷市長は復興五輪としての位置付けを強調し、「県民が頑張っている姿を世界中にアピールしたい」と述べた。

篠木村長は「阿武隈山系の山村にも聖火を」と求めた。


これについて、組織委員会は聖火リレーのスタート地点と全体の日数案を3月までに決める方針で、ルートの大枠は2019年夏の発表を目指しているとのこと。


県によると、今年5月か6月には組織委がルート選定の条件を提示する見通しとなっていました。

 

◆大震災から7年目を迎えるにあたり 本木雅弘さんの「全国防災統一模試」のCMがオンエア

 

あと、これは別の記事で書いてみたいと考えていたんですが、震災の話題に共通するCMとしてこの記事で書いてみることにしました。

 

そのCMとは、俳優の本木雅弘さんが出演の「全国防災統一模試」で、タイトルは「Yahoo! JAPANアプリ「全国統一防災模試」CM 宣言」篇となっていました。

 

CMの内容を少しだけ振り返ってみますと、一見すると大学の教室にも見える、ある試験会場にて。

 

受験生はは若い人はもちろん、高齢者も見られるなど、年齢を問わない老若男女が参加していました。

 

模試といわれるだけに、会場ではすでに試験用紙が配られていたように感じたものの、実際に受験生の机の上にはなぜかスマートフォン1台だけ。

 

黒板のある教壇には本木さんが立っていています。

 

そして、次のように受験生に向かって熱弁するのでした。


「災害なんて、起きるな。
 どれだけそう願っても、『いつか』はきっとやってくる。
 いざというとき、ひとりでも多くの人に生きていてほしい。
 自分で自分を守れるか。
 もう一度考えてほしい。
 だからいま、あなたの防災力を試そう」


この本木さんの熱弁に、老若男女のどの受験生も緊張した表情を見せていたのでした。


Na:全国統一防災模試

 

最後は、本木さんの、

 

「はじめっ!」

 

の威厳ある試験開始の声とももに、防災模試を受けにきた受験生が一斉にスマホに向かう姿でENDとなっていました。

 

「全国統一防災模試」は、私もインターネットのプロバイダーでお世話になっているヤフー株式会社が、大震災から7年を迎えるいま、あらためて震災の記憶の風化を防ぎ、災害への備えの重要性を啓発するため、スマートフォン用アプリ「Yahoo! JAPAN」内にて、防災に必要な知識や能力を問う目的で実施するというもの。

 

下の元リンクをクリックするとYahoo!JAPANアプリが配付されていて、ダウンロード(無料)することで無料で受けられますが、3月1日~3月31日までの期間限定の実施となっていました。


いざという時のあなたの力に。全国統一防災模試 - Yahoo! JAPAN
 

 

ということで、以上、東北・関東大震災発生から7年目を迎えた記事をお送りいたしました。

 

もし来年も私のブログが続いていたら、今度は東北・関東大震災が発生してから8年目を迎えた記事を書かせていただきますね。