きょうで、東北・関東大震災発生が発生してから6年を迎えました | 続きは、CMのあとすぐ!

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さて、

 

2012年3月11日

きょうで、東北・関東大震災が発生してから1年を迎えました

 

2013年3月11日

きょうで、東北・関東大震災が発生してから2年を迎えました

 

2014年3月11日

きょうで、東北・関東大震災が発生してから3年を迎えました

 

2015年3月11日

きょうで、東北・関東大震災が発生してから4年を迎えました

 

2015年3月11日

きょうで、東北・関東大震災が発生してから5年を迎えました

 

と、毎年記事を書いてきていますように、本日2017年3月11日で、東北・関東大震災(日本政府、マスコミの表記では東日本大震災)が発生してから6年目を迎えました。

 

大震災発生から6年を迎えるにあたり、テレビでは、NHKを中心に、在京キー局はテレビのニュース番組内での特集で。

 

東北・関東大震災から5年を迎えることについて特集した番組が数日前から流れ、この記事を更新した3月11日には、一部大震災の特集番組が放送されていました。


それに合わせて、私も、ほかの記事の下書きと並行して大震災の記事も書いていました。


そこでこの記事では、2016年3月11日更新の記事で、「もし来年も私のブログが続いていたら、今度は東北・関東大震災が発生してから6年目を迎えた記事を書かせていただきますね。」とお約束していた通り、2017年3月11日を迎えたことで、私なりに東北・関東大震災が発生してから6年を迎えたというテーマで書かせていただくことにします。

 

◆6年目を迎えた東北・関東大震災の死者・行方不明者の数は?


まず、2017年3月10日付で警視庁がまとめたところによりますと、東北・関東大震災の死亡が確認された人は15893人。


行方不明者は2553人でしたから、死者・行方不明者を合わせると22045人ということになります。


このうち、2016年の行方不明者が2561人だったのに対し、今年は2553人と、昨年から今年にかけて8人が見つかったことになります。

 

ただ、行方不明者が見つかったといっても、必ずしもそれが生存した状態で見つかったとは限りませんが……。

 

ほかにも、復興庁によると、避難生活中に体調の悪化や自ら命を絶つといった震災関連死も、2016年9月末現在で3523人に上っていたことが明らかとなったのでした。

 

あらためて、大震災さえなければ、震災関連死もなく、もっと生き長らえていた人々が多かったかもしれないのにと思わずにはいられません……。

 

◆大震災発生から6年 復興が進む中で難航しているのがメルトダウンした福島第一原発の廃炉作業

 

次に、これが終息しなければ本当の意味での福島県の復興はあり得ないと思われる、東京電力福島第一原子力発電所(以下、福島第一原発)についてです。

 

被災地での復興が進む中、難航しているのがメルトダウンを起こした福島第一原発の廃炉作業と言われています。

 

では、この6年の間に、福島第一原発の廃炉に向けての作業はどこまで進んだのでしょうか?

 

これについて取材を行なった記者のレポートを参考にしながら書いてみたいと思います。  

 

6年前の3月14日に発生した大震災と大津波による福島第一原発の事故以降、これまでの6年間はタンクの建設や汚染水対策など、廃炉作業とはいっても「対症療法」的な対応に追われたのが実態だったそうです。

 

しかしここに来て、ようやく原子炉建屋そのものに対する作業が活発になってきているのだそうです。  

 

具体的には、福島第一原発2号機では、今年の1月からロボットによる内部調査が行なわれることに。

 

今後、1号機や3号機についても内部調査が予定されているそうです。  

 

また、福島第一原発の近くには、原子炉から取り出した物質が燃料デブリかどうかなど、その成分を調べる施設の建設準備が進んでいるとのこと。  

 

国と東電は今年、燃料デブリ取り出しに向けた方針を決め、来年2018年には具体的なその工法を決めるとしているそうです。

 

しかし、それが予定通りにいくかどうかは、活発になってきた原子炉の調査によって内部の情報がもっと得られるかどうかにかかっているということです。

 

なにしろ、日本でメルトダウンの原発事故が発生し、現在でも高濃度の放射線や汚染水が漏れていること自体が前代未聞のこと。

 

果たしてどんな対策や方法がいちばん有効なのかどうかは、少なくても日本の原子力の専門家でもはっきりしたことは言えないでしょう。

 

このたびの福島第一原発の廃炉作業は、ロボットにしても汚染水対策にしても、前代未聞のことをしているわけです。

 

この記事を書いているブロガーの私としては、廃炉まで30~40年かかるところが、廃炉作業を続けていくうえで画期的な方法が見つかることで、もっと廃炉までの期間が短くなることを祈るのみです。

 

日本一のみならず、世界一を誇る日本の技術をもってすれば不可能も可能ではないかと思ってますからね。

 

◆ドキュメント番組 「NNNドキュメント’17」で、「お笑い芸人VS原発事故 マコ&ケンの原発取材2000日」として1時間のスペシャルが放送されました

 

ところで福島第一原発というと、今年の2月6日に日テレのドキュメント番組「NNNドキュメント’17」で、「お笑い芸人VS原発事故 マコ&ケンの原発取材2000日」という特集が1時間にわたって放送されたことがありました。

 

通常ですと「NNNドキュメント」は30分番組ですが、テーマによっては1時間にわたるスペシャルになることもあります。

 

それに私としては、「お笑い芸人VS原発事故」という組み合わせが面白かったことから、気が付いたら1時間全部見たのでした。

 

「マコ&ケンの原発取材2000日」とあったマコ&ケンとは、吉本興業所属のお笑い芸人の「おしどり」のこと。

 

実は、私も一度おしどりのネタをテレビで見たことがありました。

 

ケンさんが針金ハンガーを使っての、それをマコさんがアコーディオンを弾きながら夫婦漫才をするという、いかにも浅草演芸場向きなネタといった印象がありました。

 

実は、おしどりというコンビ名にもあったように、マコ&ケンは実際にも夫婦だったのでした。

 

そもそもおしどり夫妻が原発取材を始めたきっかけは、3月11日の原発事故直後から、政府や東電がくり返した「直ちに影響はありません」という説明に違和感を感じたことだった。

 

当時、2人には原発に関する知識はなかったというが、

 

しかしマコさんは、かつて1995年に発生した阪神・淡路大震災をきっかけに医学の世界を目指し、鳥取大学医学部生だった経歴がありました。


ですから、被曝による健康被害については、関心や知識的なこともあったみたいです。
 

それにマコさんは、原発に関するさまざまな書籍で猛勉強。

 

その量は、原発に関する書籍だけで部屋を埋め尽くすほどでした。

 

夫婦そろって被災地にも頻繁に足を運び、福島県の母親たちや原発作業員たちにも話を聴くなど、現地でも精力的に取材しているそうです。

 

そのマコ&ケンの2人は、大震災後に起こった福島第一原発事故をきっかけに、これまで東京電力が行なってきた記者会見の最多出席者でもあるそうです。

 

なにしろ、東電会見出席は500回以上にものぼるそうですからね。

 

芸人が場違いだ、とのバッシングを猛勉強で乗り切り、鋭くしつこく追及し、世に出てこなかったいくつもの事実を光を当てているマコさん。

 

時には、マコさんによるの鋭い質問に、東電側が何度も沈黙したりタジタジになることも。

 

そのためか、特集で映された東電会見の担当者の机には、「マコちゃんは適当なところでカットしてください」と、付箋に書かれたメモまであったのを見たのでした。

 

つまりは、東電はマコさんのことを「マコちゃん」という名前で呼ばれていたことにもなりますね。

 

こうした活動を行なってきたことにより、マコさんは2016年の「平和・協同ジャーナリスト基金 奨励賞」を、お笑い芸人ではなくジャーナリストとして受賞することに。

 

海外でも、ドイツの「核戦争防止国際医師会議」にマコさんがジャーナリストとして招かれるなど、高い評価を得るようになったのでした。

 

そして、特集の最後には、マコさんが次のようなメッセージを残していて、その内容がとても印象的なものとなっていました。

 

「自分で知って調べて考えること。

 それはいつでもどこでも誰でもできること。

 大切なのは中立ではなく独立すること。

 そういう方が増えてくださったらなと思います」

 

◆「NNNドキュメント」のマコ&ケンの特集で、福島第一原発の排気筒が倒壊の危険性があることを初めて知ることに…!

 

実は、先ほどの「NNNドキュメント’17」のマコ&ケンの特集を見て、福島第一原発について初めて知ったことがありました。

 

それは、福島第一原発の1号機と2号機の排気筒で亀裂が見つかったのが発表されたことでした。

 

東京新聞では、2016年6月5日の朝刊でこのことを伝えていました。

 

そこで東電は、特に損傷が目立つ1、2号期の間にある一基(高さ約120m)を、3年後を目途に上半分だけを撤去すると発表。

 

その理由を、「地震や津波が再来した時に備え、リスクを減らすため」と話していました。 

 

でも、もし倒壊したときのリスクを調べるなど、排気筒上半分の撤去工事に着手するまてにはいろんなことはあるんだろうけども、3年後に撤去工事って遅すぎやしないでしょうか?

 

 

しかも上にご紹介の東京新聞の画像にもありますように、損傷が目立つ排気筒の目の前にはまさに1号機の建屋があるんですからね。

 

一部が完全に破断されているだけに、今度大きな余震が発生したら、いつ排気筒の上半分が建屋のほうに倒れてしまってもおかしくはない状態と言えそうです(あぁ考えたくない…)。

 

でも東電側も、排気筒の下部は汚染が激しいこと。

 

解体に必要な重機などはまだ開発が終わっておらず、やむを得ず当面は解体しないとしているそうです。

 

うーん、今回排気筒の破断の画像を見ただけに、すぐにでも解体しなければならないのにできないとは、実にもどかしい…!
 

ほかにも、「NNNドキュメント’17」におけるマコ&ケンの特集を見たことにより、次のようなことがわかったのでした。

 

・原発の作業員のことを知りたければ、作業員よりは散髪屋か理髪店の人に聞いたほうがいい。

 

原発作業員の中で、なんと誤って汚染水を頭からかぶってしまった人がいた。

 その作業員はどうしたかというと、お風呂場で泣きながらタワシを使って体をこすり、1時間ほどかけて汚染水を落としたそうだ。

 

◆3月下旬から4月にかけて次々と避難解除されていく福島第一原発20km~30km圏内の町や村 いちばん早く避難が解除された広野町は原発作業員の町でもあった

 

大震災発生から6年を迎えたことで、福島第一原発事故にともなう避難指示解除について、

 

3月31日 浪江町
3月31日 飯館村
4月1日 富岡町(ただし帰還困難区域を除く)

 

の3つの町と村が解除されることがわかりました。

 

いずれも、福島第一原発20km~30km圏内に位置する町と村でもあります。

 

避難解除については、2016年9月5日に、同じく福島第一原発から20km~30km圏内に位置するする楢葉町が、初の全町避難解除区域の町として大きく報道されたことがありました。


しかし、実はそれよりも5年前、楢葉町の南に隣接する広野町が、国ではなく、町の判断によって全町避難指示を出すことに。


帰町宣言をし、町の復興が始まったのは2012年4月からと、福島第一原発から20km~30km圏内に位置する町や村としてはいちばん早く避難が解除されたことになります。

 

広野町は原発作業員の町と形容されるほど、復興関連(除染事業・廃炉事業)に関わる方が暮らす町でもあります。

 

元来町民の方を上回る約3000人におよぶ方が暮らしていたそうです。

 

それは原発事故が起きた2011年にさかのぼれば、いち早く民宿などを経営してくださった方がいたからです。


また、当時は楢葉町と広野町に跨るサッカーナショナルトレーニングセンター「Jヴィレッジ」は、廃炉の最前線の拠点となりました。

 

世界中が見守る事故収束の時代、ここで作業員の方々が防護服に着替え福島第一原発に向かっていたのです。 


原発事故からの復興の最中、いちばん早く避難指示が解除され、廃炉現場を支え続ける町が広野町であったことを忘れてはならないでしょうね。

 

◆一見するとかわいそうにも見える、6年を迎えてもなお仮設住宅の生活を余儀なくされている住民のケース しかし実は…!

 

東日本大震災から間もなく6年を迎える中、東北地方の岩手県、宮城県、福島県の被災3県では福島第一原発事故の自主避難者を含めて3万3748世帯、7万1113人がいまだに仮設住宅での生活を余儀なくされている。

岩手、宮城の両県は住宅再建で仮設からの退去が進んでいるが、福島県は原発事故の影響で先行きを見通せずにいる。

 

このニュース、一見すると、


「大震災から6年を迎えても、いまだに不自由な仮設住宅を余儀なくされている住民がいるなんて…。
 もういい加減、国か東電がなんとかして災害復興住宅に移ってもらうことで、仮設住宅から抜け出せるようにしろよ!
 そうでなければ、被災地が復興している中、被災者自身が復旧のままで、いつまでたっても復興できないし、自立もできないじゃないか!」


このように、大震災から6年を迎えてもなお、いまだに不自由な仮設住宅を余儀なくされていることで、いまだに災害公営住宅にも移ることができなくてかわいそうとも思えた方も多いのではないでしょうか。


かく言う私もそうでした。

 

ところが、このニュースに対するネットのユーザーさんからのコメントを見てみると、必ずしもそうではないみたいなんです。

 

「家賃、水道光熱費タダで使い放題。

 そのうえ、賠償金まで頂けちゃうんじゃあ、そりゃー出で行かないでしょう」

 

「何割かは、出ようと思えば出れる人はいるはず。
 被災者だとぎりぎりまで粘れば甘い汁吸えるからね。

 そもそも原発事故なんかは国の責任が大きいのだから甘い汁吸っちゃダメなのかな?」

 

なので、大震災から6年を迎えようとしている中、隣の住人に気を使いつつ、いまだに仮設住宅での生活を余儀なくされていると聞いて、最初はかわいそうに思えたけれど、よくよく考えると必ずしもそうでなかったりします。

 

それに、大震災と大津波によって家や思い出の数々まで流されてしまっただけでなく、原発事故も発生したとなれば、本来なら仮設住宅の提供や賠償金だけでは済まない話にもなってきます。

 

そんなふうに考えると、原発事故によって、国や東電から与えられている甘い汁があるんなら、被災者もギリギリまで粘って思う存分吸えばいいとも思いましたからね。

 

◆福島県から避難してきた子供や大人も受けていた「原発いじめ」

 

福島県から他の地方に避難した人に対する「原発避難いじめ」 。

 

いわゆる原発いじめというのが昨年より大きな問題となっています。 

 

特に昨年の11月に、「菌」「賠償金あるだろ」ということで、原発避難先でいじめにあっていた小学校5年の男の子の手記から原発いじめが明らかになったことが印象深いものがあります。

 

親の現金を持ち出していたという男の子の総額は、弁護士によると150万円に上るということです。

 

「原発避難いじめ」については、NHKなどが早稲田大学などと協力して、福島県から避難した人たちに行ったアンケート調査を行なったことがありました。

 

回答した741人のうち、「子供がいじめられている」と回答したのは54人。

 

さらに、半数近い334人が、大人も避難先などで嫌がらせや精神的苦痛を感じたことがあるとの回答があったそうです。

 

その内容について複数回答で尋ねたところ、賠償金に関するものがもっとも多く274件。

 

放射能を理由としたものが127件だったことから、福島県から避難した人たちに対する嫌がらせや偏見が、子供だけでなく大人にも広がっている実態が浮かび上がったということです。

 

このため、福島県から地方に避難した方の中には、福島出身であることを隠さなければコミュニケーションがとれないとも言われています。

 

実に悲しいことではありますが、福島の人が子供でも大人でも原発いじめを受けないためには、そうしていくしかないのかもしれませんね。

 

 

ということで、以上、東北・関東大震災発生から6年目を迎えた記事をお送りいたしました。

 

もし来年も私のブログが続いていたら、今度は東北・関東大震災が発生してから7年目を迎えた記事を書かせていただきますね。