きょうで、東北・関東大震災が発生してから2年を迎えました | 続きは、CMのあとすぐ!

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この記事は、2012年3月11日に更新の、 きょうで、東北・関東大震災が発生してから1年を迎えました の続きであり、東北・関東大震災が発生してから2年目を迎えた内容となります。


本日2013年3月11日で、東北・関東大震災(日本政府、マスコミの表記では東日本大震災)が発生してから2年目を迎えました。


テレビでは、NHKや在京キー局をはじめ、東北・関東大震災から2年を迎えることについて特集した番組が数日前から流れ、この記事を更新した3月11日には、ほぼまる1日かけて大震災の特集番組が放送されています。


それに合わせて、私も、ほかの記事の下書きと並行して大震災の記事も書いていました。


そこでこの記事では、2012年3月11日更新の記事で、「もし私のブログが来年も続いていたら、今度は東北・関東大震災が発生してから2年を迎えた記事を書かせていただきますね」とお約束していた通り、私なりに東北・関東大震災が発生してから2年目を迎えたというテーマで書かせていただくことにしました。


◆2年目を迎えた東北・関東大震災の死者・行方不明者の数は?


まず、警視庁のまとめによりますと、昨年の2012年で、東北・関東大震災で死亡が確認された人は、15854人。


行方不明者は3155人となっていましたので、死者・行方不明者を合わせると19009人となっていました。


そして、今年2013年3月8日付で警視庁がまとめたところによりますと、2年目を迎えた東北・関東大震災の死亡が確認された人は15879人。


行方不明者は2668人でしたから、死者・行方不明者を合わせると18549人ということになります。


このうち、昨年の行方不明者が3155人だったのに対し、今年は2668人と、昨年から今年にかけて487人が見つかったことに注目しました。


ただ、行方不明者が見つかったといっても、必ずしもそれが生存した状態で見つかったとは限りませんが……。


ほかにも、避難生活中に、体調の悪化や自ら命を絶つといった震災関連死も、2012年9月までに2303人に上ったとのこと……。


大震災さえなければ、震災関連死もなく、もっと生き長らえていた人々が多かったかもしれないのに……。


この震災関連死の数を知って、私は実にやるせない思いがしてしてしまったのでした……。


◆福島第一原発の敷地内にある1000基の汚染水のタンクはほぼ満杯状態! 増設してもあと2年あまりでいっぱいに!


次に、これが終息しないことには、本当の意味での福島県における復興は難しいかもしれない、「東京電力福島第一原子力発電所(以下、福島第一原発)」についてです。


大震災から2年目を迎えた福島第一原発ですが、作業現場ではいまも、増え続ける放射能汚染水に悩まされているそうです。


東京電力によりますと、1~4号機の地下や近くの施設には、溶け落ちた燃料を冷却するために注水している、高濃度汚染水という水が10万トン近くあるとのこと。


1~4号機の原子炉建屋とタービン建屋の地下には、1日約400トンの地下水が流入し、入り込んだ水は放射性物質で汚染されることになります。


この汚染水の対策としては、いまのところ地下にたまった汚染水の一部をくみ上げ、吸着装置で放射性セシウムなどの濃度を下げて、汚染水タンクと呼ばれる、円柱形で灰色の大きな貯水タンク(通称「セントン」)に保管。


セントンという通称があるように、1個のタンクで1000トンの汚染水を貯蔵しているそうです。


福島第一原発の敷地内に設置された汚染水タンクの数は、なんと1000基!


今年の2月末で約26万トン余りか貯水されていて、一部は原子炉などの冷却などに使われているそうです。


けれど、1000基もの汚染水タンクがあっても、それらはほぼ満杯状態。


そのうえ、タンクの耐用年数は約5年程度らしいので、いつまでも汚染水を貯蔵していくわけにもいきません。


これについて、東京電力は2015年半ばまでに、70万トンまで貯蔵できるようタンクを増設する方針だそうですが、それでもあと2年あまりでいっぱいになるとされています。


この問題を解決するために、東京電力が計画している打開策は主に2つ。


そのひとつが、建屋に流入する地下水を減らすこと。


そしてもうひとつが、次の項目でご紹介の多核種除去装置「ALPS(アルプス・以下、AJPS)」の稼働です。


◆ようやく今年の4月にALPSの実験が行なわれることに

汚染水に含まれる62種類の放射性物質を大幅に減らすことができるとされているALPSは、本来ですと昨年9月に試運転の予定のはずでした。


もし本格的に稼働した場合、ALPSの処理能力は1日約500トンといわれているそうです。


ところが、除去した放射性物質を保管する容器は、落下すると衝撃で壊れることが判明したことで、延びに延び、ようやく今年の4月に汚染水を使った実験を始める予定となっているということでした。


あぁー、せっかくALPSがあるにもかかわらず、今年の4月になってもまだ実験段階で、試運転にもいたっていないとは……。


しかも、たとえALPSを本格的に稼働させたとしても、現時点では除去可能な62種の放射性物質が消滅するわけではないそうですからね…。


◆今年の11月からようやく始まる、4号機の使用済み核燃料プールに保管された燃料の取り出しに20年~25年 本当の廃炉までには最長で40年との想定も


一方で、福島第一原発の廃炉について、メルトダウンしたことがわかった1号機~3号機は、原子炉内や格納容器に溶け落ちた1号機から3号機の燃料を、循環させる水で冷却することに。


昨年私のブログでも触れましたが、福島第一原発の廃炉にむけてもっとも大切な作業である、4号機にある使用済み核燃料プールに保管された燃料の取り出しがありました。


4号機は、水素爆発で使用済み燃料プールがある原子炉建屋が大きくこわれているうえ、福島第一原発で最も多い1533体の燃料が保管されています。


東京電力によりますと、今年の11月中旬から4号機にある使用済み核燃料プールに保管された燃料の取り出しを開始し、来年の12月まで取り出しを終えると発表。


実に遅いなと感じるものの、それでも燃料の取り出しは、予定よりも1ヶ月早く、取り出しを終える時期も1年早めて行なわれることになるのだそうです。


また燃料の取り出しに向けて、壊れた原子炉建屋を高さ53メートルのカバーで覆ったうえで、燃料をつり上げるクレーンを設置する予定で、ことし1月からカバーの建設作業が続けられています。


今後、使用済み核燃料や溶け落ちた燃料を取り出すとなると、もっと高い放射線量での作業になるので、遠隔操作の装置やロボットなどを開発することで解決していく必要があるそうです。


う~ん…、それでも1号機~4号機の燃料を外に取りだす作業にかかる想定の年数は、およそ20年~25年。


原子炉建屋を解体する計画は、最長で40年とされていますからね。


福島第一原発の廃炉に向けて、いかに気の遠くなるような年数と厳しい道のりが待っているのかがわかります。


◆文部科学省、復興庁による調査結果でわかった、進みつつある被災地の復旧と、一向に進んでいないと感じる復興


そんな、遅すぎる福島第一原発の廃炉に向けた動きにいらだちながらも、文部科学省と、東北・関東大震災からの復興を目的として、期限を設けて2012年2月10日に設置された復興庁によるある調査結果に、被災地への復旧が進みつつあると感じたことがありました。


文部科学省の調査で、福島第一原発から80キロ圏内の、地上1メートルの放射線量は、去年11月までのおよそ1年間で、平均でおよそ40パーセント減少したと発表。


福島第一原発周辺の警戒区域をのぞく、計画的避難地域への除染も進んでいて、自宅の20メートル内の除染作業は、地域によってはほぼ完了しているそうです。


さらに、復興庁が昨年12月6日に発表された「東日本大震災からの復興状況」によりますと、


・電気、都市ガス、通信、郵便などのライフラインや公共サービス、道路交通網は、家屋等流出地域、原発警戒区域などを除きほぼ復旧


・鉱工業生産指数が、おおむね震災前の水準に回復している


など、これらの報告を見る限り、被災地への復旧が進みつつあるんだなと感じたのでした。


けれども、テレビの各震災特番を見ると、復興については一向に進んでいないことが明らかになったのでした。


たとえば、避難所に比べればはるかにましだと思いながらも、とにかく部屋全体が狭い。


壁が薄いので、隣の電話の声や会話、どんなテレビを見ているかがよく聞えるなど、プライバシーがあるようでない仮設住宅にお住いの住民のことがあります。


現在、仮設住宅に住んでいる被災者のみなさんにとっていちばん望まれていることは、災害公営住宅と呼ばれている復興住宅へ移り住むことでしょう。


しかも、大震災を教訓に、なるべく高台に復興住宅を建てて住むことを望んでいる方が多いのではないかと思います。


けれど、そこには大きな問題点がいくつもあります。


たとえば、高台に復興住宅を建てる際の土地の造成の費用は国が負担してくれますが、そこに住宅を建てる場合の費用は自費で負担しなければならないこと。


中には、災害などで被害を受けた住宅のローンなど、もともとあったローンの支払いにより、再建のための資金調達が困難になったり、あるいは、新たなローンを組むことで二重のローンを負担に苦しめられたりすることを意味する「二重ローン問題」で悩んでいる被災者もおられるそうですからね。


さらに、先ほどの除染についても、自宅の20メートル内はできても、森や林といった山林については、法律により除染をしたくてもできないらしいのです。


当然そこには、国の基準値を超える放射線量が残っていてもおかしくはありません。


それだけでなく、除染で取り除かれた土や草木などの除染ごみは、仮置き場に、大きな袋に入った状態のままとなっていて、今後それをどうするのかについてはまったく決まっていないこともあります。


ほかにもいろいろな問題がありますが、復興住宅や除染の問題にしても、2年がたったいまでも復興が一向に進んでいないことを感じたのでした。


◆震度1以上の余震が1557回 2年間で9572回に! 牡鹿半島が6.2メートル動いたことも判明! 


大震災後の復興のためには、先ほどの福島第一原発が1日も早く廃炉になることもそうですが、何よりも大きな余震が1日も早く収まることが大切と言えるのではないでしょうか。


その余震ですが、東北・関東大震災後、震度1以上の余震が、今月の3月8日正午までに9572回に上ったと、気象庁が発表しました。

それによりますと、震災後の1年間は7995回で、その後は1577回だったとのこと。

震災前、震度1以上の地震は年平均300回ほどだったことを明らかにしました。


これについて気象庁は、「余震は収まりつつあるが、当分の間、地震活動が活発な状況が続くと考えられる」としています。

また、国土地理院の調査で、震災後の約2年間に牡鹿半島(宮城県石巻市)が東側に約6.2メートル動いたことも判明。


岩手県山田町(約3.6メートル)、福島県相馬市(約3.5メートル)など東日本各地が震源方向の東側に移動したということです。


さらに震災後、地盤沈下した地域の一部では逆に隆起する動きが見られ、震災直後に約1メートル沈下した宮城県の牡鹿半島は、約25センチ隆起したとも発表されたのでした。


なかなか目では確認できないことですが、山田町や相馬市も数メートル移動していたという影響があったとの発表で、いかに大震災と、その後の余震の影響が凄まじかったということでもあるんでしょうね…!


◆すでに風化しつつある? 私を含めた東北・関東大震災への国民の意識


実は、東北・関東大震災が発生したとき、私はこれだけは毎日忘れずにしようと決めていたことがあります。


それは、アメーバのなうとツイッターで、毎月11日を迎えた日には、


「きょうで、東日本大震災(みなさんには、すでにそういう名称で浸透していることから、ここでは東日本大震災と表記)が発生してから○年○ヶ月を迎えました」


というつぶやきを欠かさないで行なうことでした。


けれど、1年目までは毎月必ず続けていたのに、1年をすぎると、月によってはつい忘れてつぶやいていなかったことに気が付いたのでした。


2年を迎えてもまったく変わっていない、見るからに悲惨な、被災地における大震災の爪跡を、事あるごとにテレビで見ていたにもかかわらず……。


それは私だけでなく、被災地をのぞく日本の国民は、東北・関東大震災への意識や記憶が風化しつつあると、最近マスコミでもよく報道されています。


そういえば、1995年に発生した阪神・淡路大震災についても、以前テレビの夜のニュースで、今年の1月17日で、阪神・淡路大震災発生からもう18年たっていたことに気付いたくらいですからね。


大震災の風化というと、東北・関東大震災直後に設置された、政府の「復興構想会議」で、元メンバーの1人であった脚本家の内館牧子さんは、今月の3月5日に東京・本郷の東京大学で開かれた「震災2年を語る会」で、次のようにおっしゃっていました。


「復興が進まない一方で、風化だけは早く進んでいる。

『絆』や『一人ではない』といった、震災当初にはあった言葉も聞かなくなった」


あぁー、内館さんのおっしゃったことは当たっているだけに、耳が痛いお言葉です……。


けれど、そんな風化しつつある東北・関東大震災の記憶や意識も、今月3月11日の数日前から放送されている各テレビ局の震災特番で、また大震災への記憶や意識が新たに蘇りました。


今後も、私を含め、被災地をのぞく国民も、一時的に風化しても、テレビの震災の特番等で大震災への意識や記憶が蘇るといったことをくり返していくことになるでしょうね。


そういった意味でも、新聞・テレビ・雑誌などのマスコミは、風化させないためにも、毎年忘れずに東北・関東大震災について報道し続けてほしいと思います。


もちろん私も、東北・関東大震災を風化させないためにも、今後は毎月11日を迎えたら必ず、「きょうで、東日本大震災が発生してから○年○ヶ月を迎えました」というつぶやきを、なうやツイッターで欠かさずに行なっていこうと、気持ちを新たにしたのでした。



ということで、以上、私なりに東北・関東大震災から2年目を迎えたテーマによる記事をお送りいたしました。


もし来年も私のブログが続いていたら、今度は東北・関東大震災が発生してから3年目を迎えた記事を書かせていただきますね。