日本海軍:400時間の証言①

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9時10分から視聴。

天皇を囲む9人の海軍参謀の写真がまず画面に。

アメリカとの開戦はこの9人の参謀によって決定された。

反省会は戦後昭和33年から原宿の一角で開催されていた。

11回続いた「海軍反省会」の録音テープが始めて公開される。

最年少の参加者も今90歳。記録係担当の方が自宅に保存されていた。

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呉市の戸高館長にテープが送られ、海軍の対米戦争開戦へのステップを明かそうとする。

海軍は天皇の下に「軍令部」があり、ここがコントロールしていた。

軍令部は霞ヶ関にあり、軍令部と海軍省がおかれていた。1・2階が海軍省、最上階が軍令部。軍令部にはエリート中のエリートだけが配属された。海軍兵学校からの選りすぐりの人材が配属された。

特に作戦部には立ち入る人が限られていた。参謀と呼ばれる、9人、佐薙大佐は反省会に出席しているそのうちの一人である。

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佐薙大佐は軍令部作戦課に配属になり、戦後は自衛隊の中枢部にいた。

開戦の4ヶ月前、石油が日に日に減っていくことに焦りを覚えていた。

中国との戦局が長引く中、アメリカは中国からの撤退を促すため、日本に経済制裁を行なった。石油の輸出禁止だ。海軍省の保科は軍令部のずさんな計画に驚き開戦に反対したという。「使うことができない兵器まで帳尻を合わせるため載せていた。」と語り「一緒に資料を持って大臣を説得に行こうとした。」という。しかし軍令部の指示は変わらなかった。

軍令部の永野総長から「開戦やむなし」の方針が出されて、不安を抱えながらも突っ走るほか無かった。

当時陸軍は日中戦争で多くの犠牲を払っており、今戦争をやらなければ内乱が起きるという陸軍のクーデター発生を危惧し、海軍を陸軍から守るために決断。この頃は自存自衛・アジアの解放を語ることはなかった。

このあたりのやり取りがなまなましい。

保科善四郎中将は「内乱が起こっても海軍は止められたのでは。」と語る。

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第46回反省会

野元為輝元少将が軍令部と皇族のことを始めて言及。博恭王が9年間軍令部総長を行なっていた。この王は伏見宮だ。宮が言えば皆ハイと頷いたという。「ブレーキをかけることが無かったのもはなはだ遺憾に思う。」

野元さんは既に亡くなった。その遺族はその日のことを良く覚えていて「宮様のことをおっしゃってはいけないんじゃないの?」と申しましたら「おんな子供は黙っていろ。これは大事なことだ。」と言われたという。

伏見宮の副長官の末国元大佐は、「法令を通したいために宮様を持ってきた。これは謀略ですよ。」と軍令部が宮様を利用したと語る。

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軍令部は政府や海軍省が指導した軍縮計画に反対し、兵力量の拡大は統帥権の中に入れて、軍令部でコントロールしようとした。

末国元大佐が語った「謀略」とは何か?それが防衛省にある資料で判明。伏字になっているが、伏見宮の名をチラつかせて海軍省に改正を迫っていた。しかし天皇は軍令部の権限拡大を懸念してこの案に難色を示した。

しかし軍令部は海軍省の案と大きな相違点は無いと納得させて案を通した。

この結果、軍令部は軍縮を破棄し、軍部拡大を進めていった。

野元少将は、皇族と軍事権力の相乗に大きな反省点があると反省会で語っている。

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昭和15年に設立された「第一委員会」、帝国海軍の執るべき態度という提言で、必要なら東南アジアなどから石油を確保すべきだとしている。このシナリオどおりに後々動いていくことになる。

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第111回反省会。既に「平成」になっていた。

第一委員会に言及しており、富岡大佐、大野大佐など軍令部と、海軍省からの6人で構成されていた。伏見宮副官だった末国さんは、第一委員会が陸軍と通じて次々と決まっていくことを見ていくしかなかった。

永野総長は第一委員会の資料が出てから、強引になったと佐薙氏は語る。

第一委員会の高田利種さんが反省会に招かれて、発言した記録が残されている。「個人としては世界の情勢だった。」と、多くを語らずその後反省会に出席することは無かった。

第一委員会の資料はほとんど残っていない。

しかし反省会メンバーが高田元中将にインタビューしたテープが残っていた。「海軍がいくじがないとか言われたくない。軍事予算を獲得したあとにアメリカと妥結する。」というシナリオだった。という。

「自分の局部局部でやりましても上の人が決めることですからね。」

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海軍が端緒を開いた日米戦争。しかし軍令部では長期の計画性は無かったことが反省会で語られている。三代中将、佐薙氏などがその内実を語る。

ミッドウェー海戦を指揮した山本五十六連合艦隊隊長。軍令部はこの作戦が危険と判断しながらも代替案を示せなかった。

軍令部の人間関係が絡んでいたという。「山本がそういうのならやらしてみよう。」というようなことだったという。

無責任ともいえる決断は準備期間も取らずにいってしまった。

潜水舞台も航空部隊も期間を延ばしてくれといっていた、連合艦隊にダメだと言えなかったのは失敗だったのでは。

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ミッドウェー海戦の敗北は国民に知らされず、誰も責任を取ろうとしなかった。その後も敗戦が続き太平洋の島々では敗北と玉砕が繰り返されていった。

軍令部三代元大佐「我々としてはそこまで総長に話をすることはできなかった。」

そして海軍は若い特攻隊員を作り出して送り出していったのだった。

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