『戦争と平和』ペリリュー島手記・最終章

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やがて戦争が終わり、

 

ペリリュー島に戻った島民たちが目にしたのは

 

数多くの日本兵の亡骸。

 

「アメリカ人は、日本人の遺体には見向きもせず、

 

自国兵の遺体だけを整理した。」

 

と、島民たちは、悲しみに暮れながら、

 

日本軍の遺体を葬り、墓地を作り、

 

自分達の島を守る為に戦い、

 

果てた兵士達を弔った。

 

そして、現在でもこの墓地は綺麗に掃き清められている。

 

 

繰り返し言うが、

 

日本軍が南方の地で、どんな風に戦ったか、

 

当時のものが今でもほぼそのままの形で

 

残されている所は、おそらく、

 

このペリリュー島以外にはないだろう。

 

 

今の日本があるのは、

 

今の我々があるのは、

 

日本ために戦った先人の方々のおかげである。

 

是非一度ペリリュー島を訪れてほしい。

 

そして、敵国米軍ニミッツ提督の言葉を刻んだ

 

この碑を見てほしい。

 

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諸国から訪れる旅人達よ

この島を守るために日本軍人が

いかに勇敢な愛国心をもって戦い

そして玉砕したかを伝えられよ

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そして、後世に是非伝えてほしい。

 

このペリリュー島だけでなく、

 

先人たちが、日本の為に、

 

本当に命がけで戦ったことを。

 

そして、そこには、

 

身を引き裂かれる思いで

 

自分の子供を送り出した、

 

母親が居たことを。

 

 

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『戦争と平和』ペリリュー島手記・その7

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日本は過酷な植民地支配をしたと、

 

中国や韓国は声高に言うが、

 

こんな実話がある。

 

 

日本軍がペリリュー島で基地造りを行っている際、

 

ペリリュー島の住民達は、

 

「私たちは日本の人たちに大変良くしてもらいました。

私たちも手伝います」

 

と協力を申し出、作業は急速に進められていった。

 

苦楽を共にし、日本兵と島民は堅い絆で結ばれていた。

 

 

しかし、戦況は日本に不利となり、

 

いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になった。

 

そこに、島民達が中川隊長のもとを訪れた。

 

自分達も一緒に戦わせて欲しい、と。

 

それを聞くなり隊長は激高し、こう叫んだという。

 

 

「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」

 

「この島から出ていけ!」

 

 

それを聞いて島民たちは落胆した。

 

日本人は仲間だと思っていたのに…、

 

あれは見せかけだったのか。

 

裏切られた想いで、みな悔し涙を流した。

 

 

そして、彼らは日本軍と共に戦うことをあきらめ、

 

島を出ることにした。

 

 

そして、船に乗って島を去る日。

 

日本兵は、やはり誰一人として見送りに来ない。

 

 

しかし船が島を離れた瞬間、

 

日本兵全員が一斉に浜に走り出てきた。

 

そして手を振って彼らを見送った。

 

先頭には笑顔で手を振る中川隊長がいた。

 

 

その瞬間、彼らは悟ったという。

 

そうか、あの言葉は、

 

自分達を救うためのものだったのだと…。

 

 

To Be Continue

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『戦争と平和』ペリリュー島手記・その6

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9月15日のアメリカ軍上陸後、

 

両軍は壮絶な戦いを繰り広げ、

 

ついに日本軍は力尽きた。

 

 

11月24日16時、

 

隊長中川大佐はパラオ本部に軍旗・機密書類を

 

すべて焼き払ったことを伝える

 

「サクラ・サクラ」

 

の電文を送り、自決。

 

27日までにはほぼ全員が戦死したという。

 

 

<中川大佐終焉の地(洞窟)>

 

 

アメリカ軍の兵力は、日本軍守備隊に比べて

 

兵力14倍、

 

航空機200倍以上、

 

戦車100倍、

 

重火砲1000倍。

 

これに対し、日本軍は持久戦に持ち込み、

 

全く補給なしに73日間もこの島を守った。

 

 

 

最初アメリカ軍は、2、3日で陥落すると

 

上陸したが、日本軍の徹底的なゲリラ戦法により、

 

大苦戦を強いられ結局73日もかかったのである。

 

 

<ペリリュー神社に建てられた碑>

諸国から訪れる旅人たちよ

この島を守るために日本軍人が

いかに勇敢な愛国心をもって戦い

そして玉砕したかを伝えられよ

 

米太平洋艦隊司令長官

C.W.ニミッツ

 

 

 

この島を周って、

 

何故、この島にペリリュー神社があるのか、

 

何故、このような碑が立てられたのか、

 

その理由が分かったような気がした。

 

 

 

戦後70年以上が経った今、

 

このペリリュー島のように、

 

戦争当時そのままものを

 

実際に見ることが出来る場所は、

 

他にないのではないか。

 

 

機会があれば、

 

一人でも多くぜひこの島を訪れて欲しい。

 

そして

 

日本に為に戦った人に想いを馳せて欲しい。

 

 

 

 

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