『戦争と平和』教育勅語・最終回

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今、マスコミで、軍国主義の根源のように

 

言われる教育勅語が、実は海外で賞賛を浴びていた。

 

 

時は日露戦争下。

 

政府は海外の対日世論を有利にするために、

 

アメリカに金子堅太郎、

 

ヨーロッパに末松謙澄を派遣して

 

広報活動を展開させていた。

 

ここで、彼らは教育勅語を引用して、

 

ロシアに負けない日本人の精神

 

について各地で講演し、大いに共感を呼んだという。

 

 

日露戦争に勝利した後、

 

その日本の道徳教育に感銘したイギリスから、

 

「教育勅語を基にした道徳教育」について話をしてぜひ欲しいと

 

講演者派遣の要請があった。

 

実際に派遣されたのは菊地大麓という人物で、彼は、

 

「この教育勅語の源にあるのは、『忠孝』であり、

 

 これこそが道徳の源である」

 

つまり、

 

「日本国民は、天皇や国家だけでなく、両親・祖先を敬うことで、

 

 国家発展を求めると共に、人格を育成していくのである」

 

と説き、これが各地で絶賛されたという。

 

 

この、日本国民の天皇に対する思いが

 

明確に表わされたのが、東北大震災の時の一場面である。

 

 

当時の総理大臣・菅直人が、被災地を訪れた時には、

 

避難所内で彼に対し罵声が飛びかったというが、

 

天皇陛下ご夫妻が訪問された時には、そのお姿に

 

皆、感動して涙を流し、ありがたがったという。

 

 

しかし、このように世界各国から賞賛された

 

教育勅語であったが、大東亜戦争後は、

 

一転して否定されることになった。

 

 

GHQが、日本復活を恐れ、

 

この教育勅語を「好ましくない」と表明したため、

 

これに従わないと、公職追放の憂き目にあうと

 

感じた議員たちが、こぞって教育勅語廃止に走り、

 

ついに1948年6月、国会決議によって廃止されてしまった。

 

まさにGHQの言いなりになっただけの話である。

 

 

ここで、改めて、

 

前回紹介した、教育勅語現代口語訳を読んでみたい。

 

今の日本人に必要なものがここにある。

 

ここには、井上毅が教育勅語起草に当たって、

 

古事記まで遡って追求した日本人精神のあり方がある。

 

今や失われつつある日本人の素晴らしさがある。

 

 

最近、ネットの普及もあってそこから感じるのは、

 

この頃の日本ちょっとおかしくない?

 

戦後アメリカから押し付けられた教育って、

 

何かちょっとおかしくない?

 

という風潮である。

 

 

至る所で、大和魂が、

 

少しずつ芽生えてきてるように思えてならない。

 

 

何の因縁か、森友学園という問題で、

 

脚光を浴びた教育勅語。

 

今一度、その精神に立ち返って、

 

今後の自分の人生も見つめてみたいと思う。

 

 

 

 

 

 

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『戦争と平和』教育勅語7

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そもそも教育勅語が話題となったのは、

 

今はすっかり影をひそめてしまった、

森友学園問題が発端。

 

国からの払い下げの金額が、

余りに安すぎるということで問題になると共に、

 

教育勅語が、教育に使われている。

戦前の軍国主義教育をするとは

何ちゅう学校だ!

との批判も浴びて大いに話題になった。

 

そこで、小生は、

教育勅語=軍国主義教育?

 

うんにゃ!

それは断じて違いますバイ、

と声を挙げ、

何故、うんにゃ!

なのかを今まで書いてみた。

 

 

今回はここで、改めて、

1890年10月、明治天皇の勅語として発布された、

教育勅語の現代口語訳を見てみることにしよう。

 

「私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現 

 をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。

 そして、国民は忠孝両全の道を全うして、全国民が心を合わ  

 せて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげて参り

 ましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねば

 なりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にある

 と信じます。
  国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに

 力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸

 襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人々に

 愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、

 人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法

 律や秩序を守ることは勿論のこと、国家に非常事態発生の場合

 は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりませ

 ん。
  そして、これらのことは、善良な国民としての当然の努めである

 だけでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残され

 た伝統的美風を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。
  このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫

 の守らなければならないところであると共に、この教えは、昔も

 今も変わぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っ

 ても、間違いのない道でありますから、私もまた国民の皆さんと

 共に、祖父の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心

 から念願するものであります。」

 

 

この勅語が、軍国主義だと騒ぐのは、中段の、

 

 …国家に非常事態発生の場合は、真心を捧げて、

  国の平和と安全に奉仕しなければなりません。…

 

の部分なのだろうと、推察されるが、

国の非常事態に、平和と安全のために、

戦うのは当たり前のことじゃないの。

 

それとも何かえ?

もし他国が侵略して来ても、

黙っておとなしくしてろ。

見て見ぬふりをして、

やられっぱなしになれってことなの?

 

そりゃあ、ないでしょ!

 

そんな一部の文章だけ見るのではなく、

もっと全体を見ないといけない。

 

そこには、日本人としてあるべき姿が

見事なまでに述べられている。

 

これぞ、日本人!

日本人ならかくあるべき!

 

そういう素晴らしい文章と思いません?

 

 

ちなみに、この勅語を起草したのは、

井上毅(こわし)という人物。

 

もちろん作成に当たり協力者は居たが、

実は彼がほぼ一人で完成させたようなもの。

 

井上は、人生のすべてをかけて

この作成に取り組んだ。

 

その作成に当たっては、

日本人のルーツである『古事記』にまで遡り、

日本人の精神とは何ぞや、

という観点からも見つめている。

その努力たるや、大変なものであった。

 

これにより、

日本人の精神の骨格が作られたと

言っても過言ではない、と思うのであります。

 

そして、この教育勅語が、思いもよらず、

海外で絶賛されることになる。

 

 

To Be Contineu

 

 

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『戦争と平和』教育勅語6

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閑話休題。

 

最近テレビを観てると、

 

ワイドショーなんかに出てくる、

 

所謂コメンテーターという肩書の人たちは、

 

何かと言うと、

 

教育勅語=軍国主義

修身=軍国主義

 

と結びつけ、

 

日本の軍国主義こそが諸悪の根源であるように

 

のたまわれるが、

 

そもそも何で日本が

 

先の戦争を始めてしまったのかを、

 

説明できる人は一体何人いるのだろうか。

 

 

コメンテーターに限らず、もし子ども達から

 

「何故日本は先の戦争をするようになったの?」

 

と目をウルウルさせて聞かれた時に、

 

果たして今の大人達は、正しい歴史を元に

 

きちんと説明できるのだろうか?

 

 

どうも、

 

戦争を始めてしまったのは、

 

ただただ日本の軍国主義によるものだ!

 

という風潮が蔓延し過ぎているように思えてならない。

 

 

だから、日本特有の教育に関しても

 

何かと言うと、

 

そりゃあ、あーた、軍国主義ですばい、

 

という声が出てくる。

 

そして、軍国主義に繋がるようなものを、

 

断固として否定し、あたかもそれが

 

日本にとって正しいことなのだ、

 

こんなこと言ってるワタクシそのものが

 

正しいのでおじゃるよ、

 

と胸を張って、正義ヅラを見せているように見える。

 

そもそも、あのテレビのワイドショーのコメンテーター

 

って何なのかしら?

 

その道の専門家ならいざ知らず、

 

人を笑わせることが専門の芸人までが出てきて、

 

もっともらしいことを言うのには、

 

どうも違和感を覚えてしまうの。

 

 

日本は何故

 

大東亜戦争を始めてしまったのか?

 

は、近い将来触れることとして、

 

まずは、教育勅語について

 

もう少し詳しく述べていきたい。

 

と言いつつ、今回もまたまた、

 

ちょっと横道に逸れて道草をくってしまったので、

 

次回から改めて。

 

 

To Be Continue

 

 

(道草というと、子供の頃の学校帰りの道草は、

とても楽しかった^^)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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