シュールレアリスム Surrealism
超現実主義とも。現実には起こりえない幻想的な出来事を表現する技法。夢の世界や薬での幻覚に近いものがあり、人間の無意識の世界が重要となる。小説よりも、詩や絵画で多く用いられた手法。
マジックリアリズム Magic Realism
魔術的リアリズムとも。シュールレアリスムと同じく、幻想的な出来事を表現する技法であるが、夢や幻覚ではなく、現実に起こった神話的な出来事を表す時に使われる。ラテンアメリカ文学で多く使われる手法。
不条理
いわゆるカフカエスク(Kafkaesque)についてこの項では扱う。フランツ・カフカの描く不条理の世界は、幻想的なものが表れるのではなく、ある不条理な状況に巻き込まれてしまうことによって表される。
自分の倫理観とは違うなにか、巨大なシステムとも言うべきなにかが目の前にあるにもかかわらず、その実態は不可視であって、ただただむこうのルールに従わなければならないという状況に主人公は陥る。
ちょっと詳しい解説
まずは〈シュールレアリスム〉から。幻想文学など、文学作品にもある種のシュールさが組み込まれることがあります。
あっ、ちなみに幻想文学でぼくが好きな作家は、マルセル・エイメです。『壁抜け男』がおすすめです。
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壁をぐにゃぐにゃ通り抜けちゃうんですよ。面白くないですか? そんな面白い発想の短編がたくさん入っています。
日本の作家では、安部公房がおすすめです。特にシュールさを求めるなら、『壁』がいいと思います。
壁 (新潮文庫)/安部 公房
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いきなり話がちょっとずれましたが、シュールさというのは小説では結構扱いが難しいものなんです。うまくバランスがとられてというか、理解できるように書かれていることが多いんですが、〈シュールレアリスム〉を真剣にやると、多分、理解できたらダメなんですね。
たとえばぼくらが夢を見て、それを文章にするとします。意味不明のものが出来上がりますよね。それが一番〈シュールレアリスム〉に近いです。
あとは自動筆記と言って、もう考えないようにして書きます。そうすることによって無意識が表れると。
〈シュールレアリスム〉というのはそんな感じなので、理解できるシュールさとは少し違います。もちろん今ではもう少し広い感じの意味で使われているとは思います。シュールさをいいバランスで物語内に組み込むということですね。
〈シュールレアリスム〉は、小説ではなく、詩や絵画でよく使われていたように思います。特にダリのあの溶ける時計は象徴的です。
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溶けている時計は時計ではないという意味で現実を超えていて、かといって時計ではないかと言えば、それもまた違いますよね。
時計だけれど、時計ではないなにか。これぞシュール。
キリコやマグリットもすごく面白いです。興味があったらぜひ画集を見てみてください。絵の美しさがどうこうではなく、発想の素晴らしさに打たれます。
映画では、ルイス・ブニュエル監督に『アンダルシアの犬』という作品があります。たしかダリもなんらかの形で絡んでいたはずです。
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『アンダルシアの犬』は短い作品なので、ダリの展覧会などでかかってたりしますけども、悪夢的な内容でちょっと気持ち悪かったりもします。
これらの作品で、〈シュールレアリスム〉というのがいかに夢と密接に関わるか、また夢というのがいかに人間の無意識と結びついているのかが分かってもらえるかと思いますので、機会があれば画集なり映像なりを見てみてください。
つづいては〈マジックリアリズム〉について。ガルシア=マルケスの『百年の孤独』が代表的な作品になります。そちらの記事も参照にしてみてください。
〈マジックリアリズム〉も〈シュールレアリスム〉も幻想的な出来事の描写という点では同じです。ただ、ざっくり言うと、〈シュールレアリスム〉の幻想性は人間の内部から生まれ、〈マジックリアリズム〉の幻想性は人間の外部にある感じがします。
もっと言うと、〈シュールレアリスム〉の場合は、その出来事が現実に起こっているかどうかは問題ではないんです。幻想や幻覚かもしれない。
一方、〈マジックリアリズム〉の場合は誰かの幻想や幻覚ではなく、実際に起こった出来事です。ただ、その不思議な出来事を現実に起こっていると読者に思わせるための、力技とも言える文体が必要になります。
ガルシア=マルケスの場合は、徹底的にルポルタージュ的な簡素な文体で描き出すことによって、誰の視点にも重ならない独特の文体を作り出しています。
起こる幻想的な出来事に感情的なものが重ならないんです。それだけに出来事としてぶれないですし、客観性が生まれてきます。
ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』でも不思議なことが起こりますよね。こちらは〈シュールレアリスム〉の作品と言われる小説です。まるで夢の世界のような出来事。
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〈シュールレアリスム〉は人間の無意識が重要な要素になります。つまり、どこか悪夢的だったり、あるいは薬物による幻覚などに近い感じです。人間の意識に内包された不思議なことが描かれるのが〈シュールレアリスム〉です。
一方、〈マジックリアリズム〉ですが、起こる不思議な出来事は幻想ではなく、誰かの意識に内包されるわけでもなく、実際に起こったことなんです。
ファンタジックに描くとファンタジーになってしまうところを、ガルシア=マルケスの簡素かつ濃厚な文体で淡々と描かれることによって、『百年の孤独』は、ファンタジーでもリアリズムでもない独特の雰囲気を作り出すことに成功しています。
いくつか〈マジックリアリズム〉の例を引きましょう。『百年の孤独』にはこんな文章があります。
四年と十一ヶ月と二日、雨は降りつづいた。小雨がぱらつく程度のときもあり、そのつどみんなは着飾って、やみあがりの病人のような顔で晴れ間を祝ったが、しかし間もなく、いったんやんでも、それはあとで雨がいっそう激しく降りだす前触れと思うようになった。(ガルシア=マルケス『百年の孤独』新潮社、362ページ)
そんな長い間、雨が降り続くわけはないですよね。でも実際に降り続いてると書かれているので、降り続いているんだろうと思うしかないわけです。この雨が降り続くことによって色々なことが起こっていくわけですが、どんどん〈マジックリアリズム〉が加速していく感じです。
また別の場面。〈マコンド〉という村に不眠症が流行したときの描写はこんな感じです。
実際に、みんなが不眠症にかかっていた。ウルスラはさまざまな草や木の薬効を母から教えられていたので、鳥兜の飲み物をみんなに与えたが、眠れるどころか、一日じゅう目をさましたまま夢を見つづけた。そのような幻覚にみちた覚醒状態のなかで、みんなは自分自身の夢にあらわれる幻を見ていただけではない。ある者は、他人の夢にあらわれる幻まで見ていた。まるで家のなかが客であふれているような感じだった。(ガルシア=マルケス『百年の孤独』新潮社、61ページ)
もちろんそんな伝染病の不眠症なんてないんです。それをここまで淡々と描かれると、そういうものがあるんだなあと思わされるわけです。こうした技法はやはり〈シュールレアリスム〉とは違うだろうと思います。
また別の場面。この場面もすごく印象的です。
少したって、大工が棺桶を作るためにサイズをはかっていると、小さな黄色い花が雨のように空から降ってくるのが窓ごしに見えた。それは、静かな嵐が襲ったように一晩じゅう町に降りそそいで、家々の屋根をおおい、戸をあかなくし、外で寝ていた家畜を窒息させた。あまりにも多くの花が空から降ったために、朝になってみると、表通りは織り目のつんだベッドカバーを敷きつめたようになっていて、葬式の行列を通すためにシャベルやレーキで掻き捨てなければならなかった。(ガルシア=マルケス『百年の孤独』新潮社、172ページ)
こうした文章は、ガルシア=マルケスの特色であって、もちろん他の作家に影響を与えたりもしているんですが、登場人物との距離の取り方にはガルシア=マルケス独特のものがあると思います。
〈マジックリアリズム〉という言葉は、たとえばミラン・クンデラや日本の作家にも使われたりもするんですが、もう少し狭義に使われるべきなんじゃないかとぼくは思ったりもします。それだけガルシア=マルケスが突出しているということです。
最後に〈不条理〉について。
カフカの小説に『変身』という作品があります。
実はこの『変身』がガルシア=マルケスに大きな影響を与えたんですが、言われてみれば単にシュールということではなく、〈マジックリアリズム〉的なものがあるような気もします。
『変身』はテーマ自体は目新しいものではなく、つまり童話などで人間が姿を変えるというのは昔からあるわけですが、その要素を現代の小説の枠組みに組み込んだところに斬新さがあるわけです。
ある朝起きたら虫になっていたということが、単に変身だけを表すのではなく、主人公を取り巻く状況を寓意的に表していると解釈できることに面白みがあります。
ガルシア=マルケスの〈マジックリアリズム〉も神話的なものと現代の小説の融合のようなものですから、カフカの小説とのある種の類似が感じられたりもします。
そんなカフカの小説の世界はよく〈不条理〉だと言われます。またカフカ的なものを〈カフカエスク〉と言ったりもするようですが、描かれているのは〈状況〉です。周りの世界のルールに自分だけが入り込めない〈状況〉。
〈不条理〉があるわけではなく、主人公にとって〈不条理〉だと感じられる〈状況〉が描かれていること。
おすすめの関連作品
わりとカフカ的な部分を思わせる作家を何人かあげてみます。
まずはポール・オースター。最初の1冊には『偶然の音楽』がいいと思います。
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それからJ・M・クッツエー。『夷狄を待ちながら』は特にカフカ的な〈不条理〉を感じさせます。
夷狄を待ちながら (集英社文庫)/J・M・クッツェー
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日本の作家では、安倍公房。特に『砂の女』が〈不条理〉な状況を描いた傑作です。
砂の女 (新潮文庫)/安部 公房
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あと実は村上春樹がカフカ的な空気を感じさせる作家だと思います。『海辺のカフカ』はかえってカフカらしさを感じさせない作品だとも思いますが、村上春樹の小説の全体的なイメージとして、結論だけ提示されるということがあります。
そうしなければならない、そうあるべきという結果だけが提示され、主人公がどうにもならないところに巻き込まれていく感じです。それは感情の問題ではないんです。
カフカの〈不条理〉の特徴として、先行きの見えなさと解決しなさがあります。問題を解決するためには、なにが問題かが分からなければなりません。
病気になったらどこが悪いか分かれば治療ができます。壊れたものもどこが壊れているか分かれば直せます。ところが、カフカの〈不条理〉では、なにが問題かすら分からないんです。そうするともう直しようもないわけです。
カフカに影響を受けた作家はたくさんいます。カフカは面白いので、未完の作品が多いですが、機会があればぜひ読んでみてください。
参考文献
デイヴィッド・ロッジ(柴田元幸、斎藤兆史訳)『小説の技巧』(白水社)
フランツ・カフカ『変身』『訴訟』『城』『失踪者』他
ガルシア=マルケス『予告された殺人の記録』『百年の孤独』他
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