文学どうでしょう

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予告された殺人の記録 (新潮文庫)/G. ガルシア=マルケス

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G・ガルシア=マルケス(野谷文昭訳)『予告された殺人の記録』(新潮文庫)を読みました。

ガルシア=マルケスという名前は、ほとんどの方がご存知ないだろうと思います。たまに知っている人がいるかと思うと、「ガルシアマルケス? 知ってるよ、ブランドでしょ」と言われます。ブランドもありますけども! 「違うよ。ラテンアメリカのノーベル文学賞受賞作家だよ。『百年の孤独』がさ・・・」と言うと、「え、焼酎の?」と言われます。焼酎にもありますけども!

というわけで、みなさん名前だけでも覚えて帰ってください。ガルシア=マルケスです。なにをおいても『百年の孤独』ですが、一番手に入れやすいのは、この新潮文庫の『予告された殺人の記録』だろうと思います。あるいは短編集ですが、ちくま文庫の『エレンディラ』もすごく面白いのでおすすめです。

エレンディラ (ちくま文庫)/ガブリエル ガルシア・マルケス

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ぼくは一時期、新しいものを新しいものをと、どんどん目新しさを追求して本を読んでいた時期がありまして、普通の文体で普通のことを書いてるんじゃつまらんつまらん! と反抗期の子供のように暴れまわってました。

今ではむしろ児童文学のように、すべて予定調和でストレートな物語、色々なことがあったけれど、結局みんなハッピー! みたいな話の方が好きなんですけど(笑)。あれなんでしょうか、暴走族あがりの不良が結婚して子供が出来て、「おれも丸くなったよ・・・」みたいなあれなんでしょうか。

まあそれはともかく、新しさを求めていく中でたどり着くのがイタロ・カルヴィーノなどイタリアの作家であり、ガルシア=マルケスなどラテンアメリカの作家なんですが、中でも読んでいて度肝を抜かれて、腰を抜かしそうになったのがガルシア=マルケスです。

もっともそれは『百年の孤独』であって、この『予告された殺人の記録』ではないんですけど。『百年の孤独』も今月中に読み直して、紹介しようと思ってはいます。

マジックリアリズム〉あるいは〈魔術的リアリズム〉という言葉をご存知でしょうか。文学技法の言葉です。デイヴィッド・ロッジの『小説の技巧』のところで多少触れてはいます。

簡単に言えば、〈シュールレアリスム〉と近いものがあって、現実では起こらないような幻想的なことが起こるんですが、〈マジックリアリズム〉はもう少し神話的な要素があったりもします。

分かりやすく言えば、人間の内部で生まれる幻想的なことが〈シュールレアリスム〉であり、人間の外部で起こる幻想的なことが〈マジックリアリズム〉と言えるかもしれません。

つまり、〈シュールレアリスム〉はたとえば夢の中の世界や、麻薬で見た風景など、人間の無意識と強く結びついている感じが強い幻想です。一方で、〈マジックリアリズム〉は人間の無意識や考えとは直接結びつかない感じがします。

マジックリアリズム〉に関しては、また『百年の孤独』の時にいくらか触れようと思いますが、『予告された殺人の記録』の中で印象的な文章をいくつか引いておきます。たとえばこんな文章。

ある朝、女中がカバーを外そうとして枕を振ったところ、中にあったピストルが床に落ちて暴発した。飛び出した弾は部屋の洋服箪笥をぶち壊し、居間の壁を突き抜けると、戦争を想わせるような音を立てて隣家の台所を通過してゆき、広場の反対側の端にある教会の、主祭壇に飾られていた等身大の聖人像を、石膏の粉にしてしまった。サンティアゴ・ナサールは、当時まだほんの子供だったが、その災難から学んだ教訓を、それ以来決して忘れなかった。(10ページ)


どうでしょう。読んでみてどんな感じがしますか。ちょっと普通の文章ではないですよね。一言で言えば、「ありえねー!」です。どう考えても、単なるピストルの弾がそんなに飛んでいくわけはない。そんな「ありえねー!」ことを、淡々としたルポルタージュのような文体で書くのが、ガルシア=マルケスの特徴なんです。それからこんな描写もあります。

 何年も経って、この記録のための最後の証拠がために再び訪れたときには、ヨランダ・デ・シウスの幸福な屋敷は見る影もなかった。ラサロ・アポンテ大佐が注意を怠らなかったにもかかわらず、家具や調度はひとつまたひとつと消えていき、等身大の六面鏡さえもなくなっていた。それは戸口から入らなかったため、モンパスの腕利きの職人たちが、家の中で組立てなければならなかったものである。(中略)屋敷は崩れ始めた。結婚祝いの車は玄関先で色褪せていき、雨ざらしのため、ついには錆びついたポンコツ車になってしまった。(102ページ)


家から家具が消えていくなんてことは、普通「ありえねー!」ことなわけです。しかもそれが盗まれたわけでもない。戸口から入らなかった大きさのものを盗めるわけはないですよね。こうした「ありえねー!」ことが、さも事実起こったことのように、かたくしっかりした文章で綴られています。

この〈マジックリアリズム〉の根底に流れているのは、ぼくはある種のユーモアだと思うんです。たとえば釣り好きのおじさんが魚を釣りそこねて、「惜しいことをしたなあ。鯨ぐらいの大きさだったのに」とかなんとか法螺をふく感じに似ています。

ルポルタージュのような、かたい文体の奥に、ガルシア=マルケスの笑い声が聞こえる気がします。

作品のあらすじ


書き出しはこんな感じです。

 自分が殺される日、サンティアゴ・ナサールは、司教が船で着くのを待つために、朝、五時半に起きた。彼は、やわらかな雨が降るイゲロンの樹の森を通り抜ける夢を見た。夢の中では束の間幸せを味わったものの、目が覚めたときは、身体中に鳥の糞を浴びた気がした。(7ページ)


『予告された殺人の記録』は、タイトルの通り、サンティアゴ・ナサールが殺される話です。しかもサンティアゴ・ナサールが殺されるかもしれないということは、町のみんなが知っていたんです。これが面白いところです。

町のみんなはサンティアゴ・ナサールが殺されてもいいやと思っていたわけではなくて、みんなが知っていたにもかかわらず、事件が起こるというのが、非常に巧みに設定されていると思います。

物語の語り手として〈わたし〉がいます。〈わたし〉はこの町で育った人物らしいです。記録自体は事件の何十年か後に書かれたもので、当時の事件のことを振り返った人々の言葉などを中心に、淡々としたルポルタージュのような文体で描かれています。

起こってしまった事件。なぜその事件が起こったのか。周りの人はどのように思っていたのか。それが少しずつ分かるような仕組みです。なぜサンティアゴ・ナサールは殺されなければならなかったのか。

サンティアゴ・ナサールが殺される日のことが様々な角度、様々な人々の視点から描かれるので、章の終わりごとにサンティアゴ・ナサールは殺されます。

「もう心配しなくていんだ、ルイサ・サンティアガ」と、その人間はすれ違いざまに大声で言った。「殺されちまったよ」(30ページ)

尼僧の妹が、大急ぎで僧服を着ながら寝室に入ってきて、狂ったように大声で彼を起こした。
「サンティアゴ・ナサールが殺されたのよ!」(85ページ)


まるでぼくら読者はサンティアゴ・ナサールが何度も殺されているかのような不思議な感覚に襲われます。サンティアゴ・ナサールが殺されるとぼくらも分かっています。そして殺されます。最初は伝聞の形でその死が何度も描かれていきます。くり返しくり返し。

そうしたいくつかのイメージが重なり合っていき、最後の直接的な死に結びつくわけです。このイメージの連鎖による大団円はちょっとすごいですね。

そうしたサンティアゴ・ナサールの死とは別に、ある結婚が描かれます。この結婚がサンティアゴ・ナサールが殺されるきっかけになるわけです。町によそものがやってくるんです。バヤルド・サン・ロマンという金も権力もある男。バヤルド・サン・ロマンは、アンヘラ・ビカリオに求婚します。

この2人の関係というのはすごく興味深くて、サンティアゴ・ナサールが殺されるに至る単なるきっかけということを超えて、不思議な読後感を残す奇妙な関係性です。

物語を読み終わった後、もう一度2人の関係性について考えてみると面白いです。単にサンティアゴ・ナサールが殺されるだけの物語ではないということが分かります。

果たしてサンティアゴ・ナサールはなぜ殺されなければならなかったのか。

特徴のある文体で書かれた、140ページほどの短い作品です。ガルシア=マルケスの真骨頂というわけではないですが、興味を持ったらぜひ読んでみてください。ちょっと変わった小説だと思います。

明日は、パール・バックの『大地』を紹介する予定です。
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