『無境界』・その2 | くらえもんの気ままに独り言

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 今回も、先週に引き続きケン・ウィルバー氏の『無境界』のまとめをやっていきたいと思います。


前回までの話はコチラ↓
『無境界』
その1 http://ameblo.jp/claemonstar/entry-12005128640.html


 前回は境界線の設定が対立を生む原因であること、そもそも二元論などは幻想であることが言われておりました。宇宙全体が自己であるという「統一意識」について、今回はより詳しく説明してありました。


 それでは、さっそくまとめていきたいと思います。


3. 無境界の領域


 人々はなぜ境界線を引きたがるのか。


 まず、第1の境界として、「命名」あるいは「分類」なるものが作られました(byアダム)。確かにリンゴに「リンゴ」という名前が付けられたら「リンゴ」と「非リンゴ」の間に境界線が引かれてしまいますね(^_^;)


 ということは言葉を使用するという時点で、境界を引いてしまっていることになりますね・・・。


 そして、第2の境界として「数」が現れます(byピタゴラス)。これは先ほどの「名前」とはまったく別のタイプの区分になります。「数」の出現はさらに強烈な戦いを生み出したのです。


 ついには、第3の境界として「変数」が現れ(byニュートン)、世界を境界線で埋め尽くしてしまったのです。こうして、人間と自然が分離されるに至ったというわけですね。(ここの詳しい流れを知りたければ本書をお読みください。)


 しかし、一方で湧き起こった「量子革命」は既存の境界線を破壊していたのです。素粒子なるものには具体的な境界がなく測定も不可能だったというわけで、真のリアリティというものは、やはり「無境界」なのでしょう。つまり、「分類」「数」「変数」もすべての境界が幻想に過ぎないのではないかと。


 個々の粒子は他のあらゆるすべての粒子からなっていて、それぞれが独立しているわけではないということですね。


 以前ご紹介しました『アフター・モダニティ』でも、似たようなことが述べられておりましたので、未読の方は是非こちらもご覧下さい。


『アフター・モダニティ』 先崎彰容・浜崎洋介

その3 http://ameblo.jp/claemonstar/entry-11942511113.html

その4 http://ameblo.jp/claemonstar/entry-11943278680.html


 あらゆる物はそれらではない物と関連しており、それぞれが独立したものではないというわけですが、前回の話と関連させると、善と悪はそれぞれが独立して対立しているのではなく、相互に依存関係にあるということですね。


 以前、ユングの話をしたときに書きましたが、ユングは「自分とはここにいるみんなです。」と言ったそうで。つまり、人間も同様に独立した自己というものがあるわけでなく、自己は他のすべてのもので構成されている、つまり自己と非自己の間に境界は存在せず、宇宙全体が自己なのであるということなんでしょうね。


4. 無境界の自覚


 と言いましても、無境界を自覚するのに「言葉」(=境界)を使って説明するというところに矛盾がありますが(^_^;)

 そもそも西部先生なんかは人間は言葉の動物とまで言ったりしてますからね。


 さて、前回から出てきております「統一意識」ですが、これはズバリ「無境界を自覚すること」でございます。


 さらに言えば、自己と非自己の間に境界はないということを自覚することですね。


 実際に自己って知覚することができないんですね。


 雷の音が鳴ってそれを聞いているとき、そこにあるのは「雷の音」であって、「雷の音を聞いている人」ではありません。言い方を変えると、「雷の音」は聞こえますが、「雷の音を聞いている人」は聞こえません。あるのは「雷の音を聞く」という行為そのものです。


 一般的に考えられている意味での「自己」とは見ることも、聴くことも、嗅ぐことも、触れることも、さらには考えることもできないのです。客観的に対象を特定できるものは真の意味で自己ではないということですね。


 雷の音の例で言うと、「雷の音を聞いている人」が「自己」なのではなく、「雷の音」が「自己」(を構成している一要素)なのです。


 分離した自己などなく、自己とは世界全体であると。


 主観と客観の間にも境界はないということ。


 とすると、自己=包括者=神??


(参考)『哲学入門』・その1
http://ameblo.jp/claemonstar/entry-11991963584.html


 ちなみに無境界の自覚とは境界線を破壊して混沌にするという意味ではありません。そもそも破壊すべき境界線などもともと存在しないわけですし、山も谷も花も草も実際には存在するわけですから。ないのはそれらを「分離する境界線」だけです。


 というわけで、前回と今回で「統一意識」に関する理解が深まったでしょうか?

 簡単にまとめますと


・リアリティとは対立の融合で無境界である
・世界は分離独立したものの集合ではなく、すべてが相互に依存し合っている
・無境界の真の世界が統一意識そのもの


 というわけです。


 以上、駆け足でしたが、第2回はここで終了です。


 前回、コメント欄でも少し述べましたが、ニヒリズムや思考停止に陥ったような人って、おそらく自己と非自己の間にガッツリと深い境界線を作っているような人なんでしょうね( ̄▽ ̄)。

 それでは、次回もお楽しみに(^^)/


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