血統転換の奥義(9) | ちゃぬの裏韓国日記

ちゃぬの裏韓国日記

カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

文亨進世界会長が先日認めた(詳しくは「血統転換の奥義」(1)と(4)を参照)「血分け」が統一教会内で隠蔽、秘儀化されていった経緯(第1弾)を考察したいと思います。

◆「六マリア」と「血分け」の過去記事を見たい方はクリック↓
(1)文亨進世界会長が「六マリア」を認める
(2)実態的血統転換と三日行事の視点から見た血分けの考察
(3)三日行事と聖酒の視点から見た血分けの考察
(4)文亨進世界会長が「六マリア」を認める(発言詳細)
(5)原罪の清算の視点から見た血分けの考察
(6)統一教会以外の視点から見た血分けの考察
(7)主の路程の視点から見た血分けの考察
(8)堕落論の視点から見た血分けの考察



《久保木会長は血分けを受け入れなかった》
日本の初代教会長だった久保木修己氏がなくなりました。
教会の信者の皆さん、公式発表とは別にぜひ、下の文章を読んでいただきたいと思います。
久保木修己氏が本当にいいたかったこと、彼の悔しい気持ちをぜひ知っていただきたいと思います
彼は統一教会には珍しく、宗教臭くなく、非常におおらかな人で、視野も広い人物でした。イーストガーデンに文鮮明教祖に会いに来る時も、他の日本のおべっかいつかいの統一教会幹部と違い一本筋がっていました。ハドソン川に、ミミズを捕まえては、それを餌に鰻を釣りによく行ったものでした。あそこでは、直径10インチぐらいの鰻が釣れるので、キッチン担当のオンニに、日本から持ってきた虎屋の羊羹を賄賂に鰻のかば焼きを作ってもらったことがとてもとても懐かしいです。しかもそれが、韓国風で美味くなかった覚えがあります。無邪気な子供のようなとても憎むことができない人でしたよ。
何かひとごととは思えず悲しい気持ちになります。ご冥福をお祈ります。でもそういった人柄とか内容は、もちろん統一教会で培ったものではなくて、立正校生会の庭野日敬会長の秘書をやっていた時に培われたものです。彼は次の立正校生会の会長候補といわれていたくらいですので、彼が統一教会
に来た時は大騒ぎで、モーゼの立場とよく言われました。そして政治路線のみにまい進した時は、坂本竜馬の再来ともいわれたものです。
ですから彼が統一教会の奥義、つまり血分けに気がついて、教会と一定の距離を置くまでは統一教会の未来にも希望があったものですよ。そういった意味では、彼も被害者の一人なのです。本当に晩年は悔しかったと思いますよ。
日本に最初に伝道した西川さんの色を、受け継いでいたのが久保木さんです。曲がりなりにも統一教会の中に、まじめさ、勤勉さ、兄弟姉妹の深い所での結びつき、ひたむきさ、そういったものの伝統は西川、久保木ラインなのです。たぶんこういった路線は統一教会にいたものしかわからない独特の深い結びつきだと思います。またこういった結びつきがあるがゆえに縛られて教会を去れないという人が多いです。年配の人などが統一教会の人に感動して統一教会になるのはこういった路線だからであって決して教義そのものではないからです。
しかしそれがだんだんと、変質されさせられていくのはこの教団がカルトたる所以なのです。そういった伝統ができあがってしまうことを文鮮明教祖はもちろんおそれました。それで韓国の幹部たちを急きょ日本に送り込んで統一教会の伝統をただそうとしたのです。今でも日本統一教会の指導を韓国の幹部がしているのは、こういった西川、久保木ラインの路線に行かないように監視する意味があります。文鮮明教祖も日本がこういった方向に傾きやすいということをよく知っているのでしょうね。特に日本が、統一教会にとっての人材・金の草刈り場なので、本人が入国できないこともあって非常に心配してハラハラしていると思いますよ。それに対して胡散臭い金もうけ、カルト的なものは、文鮮明教祖直接に日本に入り、茶坊主幹部たちを通し今はトカゲのしっぽ切りにあっているF氏で完成したものです。だから何度も幹部たちを韓国に呼びつけたり、最近は末端の信者も韓国に呼び、もちろんそれが金もうけのためもありますが、教育しなければいけないのです。
 ですから今でもその二つの路線が微妙に統一教会の中で絡まっています。日本統一教会独特のまぁ言わいる人格・心情・人間交流中心的な派、こちらはどちらかというと良識派といえるでしょう。
上級幹部のうちでは、キリスト教会出身のO氏、S氏などがその例ですね。初期統一教会の伝統はこういった人たちによって培われていったものです。しかしそれでは、本来の天の伝統が立たないということで、文鮮明教祖直接の指導のもと大きな方向転換がなされました。
しかし彼は、文鮮明教祖による直接の血分けが自分の家庭に入ることを受け入れられず(具体的なことは皆さんお察し下さい)特に、夫人がそれを拒んだので、文鮮明教祖によると日本がエバ国として立つことができなくなり摂理に失敗したということなのです。私個人から言わせればよく拒んだということが正直な感想です。ですから統一教会員の方よく考えてください、哲子夫人はどういう立場でいましたか。久保木さんの息子さんは統一教会員ですか。しかし彼はもう前の宗教団体に戻ることももちろんできないので、後半の人生は統一教会の宗教活動にはかかわらず、もうひとつの柱である共産主義反対運
動にかかわっていたのです。そういう意味では、清濁合わせ飲んでしまったのでしょうね。
まあ、旧満州出身ですので、大陸的おおらかなのでしょうね。私に言わせれば、かわいそうですが彼は、そういう意味では心は売り渡していなくても、40過ぎてから前の宗教団体にも帰れないし、家庭もあるし、社会にも基盤がないので教会より養われていた、あるいは職業として勝共運動にかかわっていたということなのでしょうね。まあどちらかというと良心的統一教会のプロフェッショナル幹部ということでしょうね。
少しの勇気をもって、統一教会の内訳のことなどをはっきりと言っていただいていたならば、もうちょっと方向性も変わっただろうし、被害者もこんなに出ていなかったと思います、まあそれが、かえすがえす残念ですね。でも皆さん死者に鞭打つ事だけはやめましょうね。しかし悔しかったと本当に
思います。さりとて生活があるのではっきりと去ることはできなかったんでしょうね。
ですから妥協して、共産主義撲滅運動にまい進していったのだと思いますよ。
(個人的にいうと私は本音を絶対言わない、心を割って話せない、党派性でしか物事を考えられない政治家と宗教家だけにはなるなと子供にいっていますが。)
しかし、そういう彼の本当の悔しさとは別に、統一教会はまた彼の死を利用してさまざまなアドバルーンを上げることだと思います。あるいは何らかの金もうけか政治的に利用することは請け合いです。ぜひ、彼の死に対する統一教会の公式見解をお聞きしたいものですね。
本当に彼の悔しさ残念さ無念さを切っているのは一握りの人間だけだと思います。統一教会はもちろん否定するでしょうけどもね。私が何度も言っている、統一教会員こそが被害者だということはこういうことなのですよ。
彼に続く被害者を少しでも少なくしたいと思います。それが真実を知っている者の務めだと思うからです。そういった統一教会の秘儀にを知った時が、何度も言うように二十代三十代前半ならばやり直しが効きますが、彼のように四十、五十になってしまうと現実的に無理だということがはっきりわかりますよ。まして統一教会式に結婚してしまったらね。まあ、死ぬまで覚醒しなければその人の人生は幸せなんでしょうけども、子供を考えてくださいよ。そしてあなた帰りを待っているご家族のことも考えてく
ださいよ。
★「青春を返せ裁判」コメント 98/12/15ペンネーム=wolfger
http://www.asahi-net.or.jp/~am6k-kzhr/form251-.htm




《カインの末裔氏のコメント(古参教会員)》
でも、統一原理を完全な真理と信じている人にとって、実体的な血統転換の儀式が、あってもそれを文教祖をメシアないとの証拠と考えていないと思います。逆に、そこまで、やるのは本物のメシアだからだと考えている人もいる始末です。実際、私もそう思ってこの問題を処理して献身生活を続けていました。西川先生もそれで、一定期間止めなかったと思います。
 久保木会長からは、直接、文教祖が、夫人以外の女性と儀式をしていたのを夜、ノックをせずに部屋に入って日本の報告をしに行った時に見たと聞いたことが、あります。もう、死人に口なしと現役の人は、否定するかも知れませんが、私、以外にも勝共連合の古参幹部などは、同じ話を一緒に聞いています。久保木会長も文教祖の女性問題を知っていても止めませんでした。
 ただ、晩年は、立場上、表明することは出来なかったですが、日本統一教会、文教祖のやり方は、間違っていると思っていたと思います(これは、何度かこの問題を話した私の主観です)。私は、文教祖が、メシアかどうかというのは、メシアの定義によって、見方が、色々変わって来ると思います。
★メシヤではけっしてない文鮮明より
http://www42.tok2.com/home/seekseek/9.html




《劉孝敏さん(原理講論執筆者、劉孝元さんのいとこ、三十六家庭のメンバー)の証》
文鮮明と統一協会の本質を物語る事件について、私はもう一つ具体的なことを証言しておきたい。それは一九五五年の「七・四事件」、文鮮明と私たち幹部が逮捕された事件のことである。
七月四日の文鮮明に続いて六日、私も逮捕された。逮捕理由は「兵役忌避容疑」。
ところで、この「兵役忌避容疑」は、文鮮明以下の幹部を逮捕し取り調べるための口実で、いわゆる別件逮捕だったことがまもなくわかった。捜査官の質問が日を追って、妙な方向へ移っていった。
「お前たち夫婦の仲はどうなのか?セックスは週に何回するのか?月に何回か?女の信者とは何回したか?…」
私は「それが兵役忌避と何の関係があるのか」と大声でやり返し、捜査官と口論したこともあった。しかし、捜査官の調べは執拗で、机の上には文鮮明と女性食口たちの関係を書いた図を置き、セックス関係の確認を求めてきた。
私は終始一貫、知らぬ存ぜぬで過ごしたが、内心ではその正確さに舌を巻いたものだった。留置場の中にいる私たちは、外の様子がよくわからなかったが、朴正華さんたちの隠蔽工作の結果か、調べを受げた女性たちは、
「私は文鮮明先生と、やっていません」
「私は夢の中で、セックスをしたように思います」
などと、適当に嘘を並べていた。
警察はほぼ的確に、文鮮明を巡る女性たちの相関図をつかんでいたものの、本人の親告や亭主からの告訴を得られなかったため、この件での起訴立件をあきらめた---のが真相だった。
だから「七・四事件」は単なる兵役忌避問題ではなく、統一協会の奥座敷に隠されたセックス問題の捜査が警察の狙いで、統一協会の言う「何もない無実の容疑」ではなく、「危うく事実が天下に公表されるのを、免れた」のである。ちなみにこのとき逮捕された幹部の留置番号は、文鮮明三九〇番、劉孝元三八〇番、劉孝永一七〇九番、私一一七五番だった。金元弼も逮捕され、彼だけが実刑の判決を受けて収監された。
(「六マリアの悲劇 真のサタンは文鮮明だ!! 朴正華 P.263より)
★「青春を返せ裁判」コメント2005年7月22日ペンネーム=360家庭
http://www.asahi-net.or.jp/~am6k-kzhr/form.htm




《6マリアの一人の証言:インタビュー形式》
1954年から数年間6マリアの一人、文鮮明の原理を信じ復帰を受け5,6人の男性と復帰を実践した。今思い出すと"本当に馬鹿だった"と後悔し、"文鮮明は死んでしまわなければならない人間だ"と断言した。

--ユシンヒさんはプサンのヨンドで、夫のシンソンモクさんと5人の子供たちと穏やかに暮らしていた。その時近所へ住んでいた親戚の劉孝元の誘いで、文鮮明の布教集会のために部屋を準備したんですよね?

ユ:そうです。1953年12月24日のことでした。最初から3日間だけ使わせてほしいと言う約束でしたが、結局25日間も過ぎてしまいました。その時、親戚の劉孝元(三弟子の一人)、ヒョヨン兄弟そして ユヒョミンなど頭のいい人達が信じるようになったので、私たち夫婦もまるっきり信じてしまいました。

ユ:メシアは偉大な人だと考えていたし、詳しいことは理解できなかったけれど、親戚のお兄さん方が全部信じていたので私たち夫婦も疑うことをしないで信じてしまったんです。

--それで、しばらくしてから夫婦がソウルに行かれましたよね?子供さんたちはどうされたんですか?

ユ:夫がまず家を出たために、私が家族会議のようにして子供たちを集めたときに話をしました。
"お父さんもお母さんも再臨主が来られたのでとっても忙しくなったのよ..それで、お前たちの世話をすることができなくなってしまった..." 上の子は中学2年生でした。一番下の末っ子はまだ6歳でしたが、5人の子供たちはみな理解してくれてお互いしっかり手をつないで孤児院に送りました。本当にしてはいけないことをしてしまいました。それから7年の間子供たちは、孤児院で暮らすことになったんです。

--もう40年も過ぎたわけですが今お子さんたちはどうしてますか?

ユ:みな、キリスト教信者としてただ普通におとなしく過ごしています。しかし、末娘とはよくぶつかります。母親のせいで教育もまともに受けれずとても大変だったと、私を責めるのです。

--文鮮明と復帰のセックスをした女性として顔を出してインタビューに答えてくださった人は、ユシンヒさんが初めてだと思いますが、今の心情は?

ユ:今まで沈黙してきたのは子供たちに復帰の事実を知られるのが恥ずかしく,怖かった為です。私はもう年も年ですので我慢できますが、子供たちや孫たちにまで及ぶ影響を考えると本当に恥ずかしい限りですが、自分のようにだまされる人が少しでもいたらだめだと、死ぬよりも難しいこの事実を明らかにしようと決心した次第です。

--文鮮明との復帰について詳しく話してくれますか?

ユ:ある女性信者一人にだまされて、夜遅く真っ暗な文鮮明の部屋に行きました。
そしてそこで復帰を受けたのです。私の場合、ごく短い時間で瞬きするほどの早さで終わりました。
サタンの血をきれいにするためには、まだ後2回復帰を受けなければならなかったわけですが私は1回だけで終わりました。

--それはなぜですか?

ユ:文鮮明は複数の女性との関係が多くて、次はいつ私の番が回ってくるかはわからなかったし、また、よくない話を聞いたためでした。同じく避難民時代に、それはほかでもないボンネッコル(今は聖地として指定され統一教会信者たちが世界各地から崇拝しに来る)当時、ある彼女ははその近くに住んでいたため彼女の父と文鮮明は毎日、一緒に登山したり散歩したりする仲でしたが、ある日彼女も一緒に手をつないで朝、登山していた途中で、文鮮明がまだ世間知らずの彼女を穴倉に引っ張って行き、性暴力をしひどい出血をしたと泣きながら話をするのを聞いたんです。どんなに復帰と言う名分とはいえ、堕落だとか、復帰だとかまだ全然聞いたこともない世間知らずの幼い彼女に、そんなひどいことをするなんてできますか? その話を聞いて私は残り2回の復帰を断念しました。

--文鮮明から復帰を受けた後、ユさんは何人の男性と復帰をしたんでしょうか?

ユ:その時文鮮明から、復帰を受けた女性はほかの男性を復帰しないといけないと教わって、そのごとく信じていたのでした。それで、5,6人の男性と復帰しました。

--それでユさんは6マリアのひとりだったとパクジョンファさんが書いたんですね。

ユ:6マリアの話は聞いたことはありますが誰がそうなのかは知りませんでした。
それで、私自身、自分がどんな立場にいるのかなんてわかりませんでした。私よりも立派な女性たちがたくさんいたので、文鮮明の周りにはいつも3人くらいがべったりくっついていたし私よりも、立場が上の人達だと考えていたくらいですから。

--その3人とは誰のことですか?

ユ:シンジョンスン、イスンチョル、ヤンユンシンさんたちでした。文鮮明は特別にかわいがっていましたが、後に財産を狙って財閥と結婚させたイムヨンシンが加わったのは、その後のことでした。

--文鮮明はかわるがわるこの3人の女性を身辺につけて、はべらせていたと言うのですが、同じ女性同士文句を言い合うことはなかったですか?

ユ:ありましたよ。女性同士だから当然嫉妬だとか、独占欲だとか。それで女性同士ひどいけんかになったとき文鮮明はそんな女性を殴ったこともありました。

--6マリアはその時そのときで定員が適当に交代され、結局財産や新しい女性が目標だったんですかね。メンバーの新旧交代は文鮮明の独断で行われてましたか?

ユ:私たちは横で行われていることも知りませんでした。それである時などその周囲で追い払われた女性だけでも5人にもなって、お互い話したりする事もありました。その情報交換でわかったことですが
実はたくさんの女性たちが被害を受けたのでした。処女を妊娠させ子供を生ませもし、既婚女性や、また母親とその娘の貞操をしたいままに犯し家族を崩壊させたりもし、裕福だった人も財産を奪われすっからかんにさせたことも。
あまりにも悲惨な話が数え切れないほどに続出しているのを知り、みなが憤慨しました。

ユ:そうだと思います。ある時人が集まって親戚の劉孝元が、汗を流しながら熱心に原理の説明、講義をしているのにもかかわらずその横で、文鮮明は女性たちとヒーヒー騒いでいるのです。
それで、女性信者たちからは、劉孝元のほうが人気があり尊敬を受けていました。
その劉孝元は、手術を受けなかったらもっと長生きしたと思います。
医学部出身でしたから、自分の病気が手術を受けては死ぬ可能性が高いとよくわかっていました。
それで、手術を嫌がっていました。それなのに文鮮明は、病気など本物のメシアがどうして治せないかというようなことを言ったようでした。文鮮明は劉孝元に、無理な手術をさせて結局死なせたのです。これで人気のあった劉孝元に、自分の位置を奪われることもなくなり、文鮮明はひそかに安堵したことでしょう。

--今、自分の過去を振り返ってみてどのように思いますか?

ユ:今思うのは"恨み"(ハン)それだけで、本当に後悔しています。
それでほかの何よりも、子供たちに言う言葉が見つかりません。私も本当に馬鹿でした。もう少し賢明だったら、その時善悪の判断がついたでしょうに、愚かだったために結局こんな風になってしまいました。今の私は、夫とも離婚し子供たちとも離れて一人で静かに暮らしています。
私だけでなく、その当時文鮮明の身辺で奉仕させられた女性たちで、幸せになった人は一人もいません。みんな、文鮮明の詐欺に引っかかって、身も心も、財産も失いぼろぞうきんになって明日の生活さえもままならない、苦労を背負っている人ばかりです。
そんな人達と合って話するとき、私たちの願いはただひとつ、文鮮明は再臨主、メシアではない、
死んで当然の人間、一日も早く死んでほしいということなんです。
★NAMIDAのダイアリーより
http://plaza.rakuten.co.jp/yurinonamida/diary/200712180000/



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