血統転換の奥義(5) | ちゃぬの裏韓国日記

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カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

文亨進世界会長が先日認めた(詳しくは「血統転換の奥義(1)と(4)を参照)
「血分け」を原罪の清算の観点から考察した内容がありましたのでUPします。

★「血統転換」とは人類始祖の堕落により、サタンの血統を受け継いだ人類が神の血統に接ぎ木されることを言う。


(以下引用)
■原罪の清算について

> また、私たちの原罪を清算する祝福は、イエス様が『「おまえの罪は赦された」と言う事と「起き上がれ」と言う事とどちらが簡単か』と民に問われ、「起き上がれ」という言って奇蹟を起こされる点で、イエス様ご自身にも「罪を赦す」力がおありだった。再臨主である文先生にも、「罪を赦す」力がある。考えられると思います。このため、血分けなどの実体的な性交を必要とせず象徴的に罪が赦される点と考えます。

ここでの『赦し』は自犯罪に対する『赦し』であって、原罪に対するものではないと思います。
再臨主たる文先生の最大の使命は
『霊肉共の救いの完成』であることはいうまでもありません。
原理によれば、霊的救いとは
『霊的にサタン不可侵圏にある状態(救い)』であり、これはイエスさまの時代に成されたとしています。ぶっちゃけたハナシ、肉体はサタンに奪われて(死んで)も魂はサタンに奪われないよってこと。
肉的救いとは、『肉的サタン不可侵にある状態(救い)』であり、霊肉共の救いとはつまり、心に魔の入る余地もなければ肉体に指一本も触れることのできない無原罪の創造本然の神の子状態であるわけです。
ところで、『原罪』とは人類始祖の堕落つまり淫行によって、子々孫々に受け継がれてきたものです。しかもその媒体となるのは性交です。
堕落の血統はノーマルでだろうがアブノーマルな性交であろうがそれによって綿々と受け継がれてきたものです。
したがって、再臨主たる文氏がいくら「赦す」といったところで原罪は清算されるものではないと考えます。
教会内でよくいわれる「恩赦」とは、自犯罪(教会の戒律違反)に対する赦しであって、原罪の赦しではありません。

> このため、血分けなどの実体的な性交を必要とせず
> 象徴的に罪が赦される点と考えます。

イエスさまあるいは文氏のお赦しの言葉によって霊的には救われたにせよ、肉的救いはお赦しの言葉では無理です。
血統を残すには性交することが不可欠なのです。

イエス様も結婚=肉的救いを成せずに亡くなりました。
イエスさま直系の血統はのこらなかったのです。

そこで再臨主たる文氏はイエスさまが為し得なかったことを成さなければならない、つまり結婚して子孫を残さなければならなかったのは当然のことであります。

ですから、原罪清算は
> 実体的な性交を必要とせず
という考えには決して至らないのであります。

統一教会の三日儀式が紛れもなく性の儀式であることがそれを証明しています。
(引用おわり)
★おやぢの独白より
http://www35.tok2.com/home/nrc/oyadi-34.html


やはり原罪清算も具体的に性交を伴わなければ清算されないようですね。
今は祝福も具体的に文先生と性関係を持つのではなく象徴的に「精液」入り(今は入っているかはわかりません)の聖酒によってその代替とするという方法をとっているようですが、「真の血統転換」が「血分け」に起因することを祝福家庭としていつも肝に銘じておかなければいけません。
祝福二世とは実態の性交であれ象徴であれ文先生の血筋を受け継いだ子供でなければ統一教会でいう「無原罪の子」とはならないでしょう。


以下は教会草創期の「血分け」の内容です。

 《崔先吉夫人(文先生と一番目に結婚した方)の大暴れ》
そんなある日、三千浦へ李鳳雲長老が突然訪ねてきた。李長老は、
「水晶洞の教会がたいへんなことになっています。崔先吉さんが、文鮮明先生が婦人の食口たちと復帰の儀式(セックス)をやっているのを見て暴れ出し、食口たちを全部、追い出してしまいました。そして、水晶洞の教会を崔さんが家財道具ごと売り払って、教会がなくなってしまい、集会もできない状態になっているのです。できるだけ早く戻ってきて下さい」と私に言った。(中略)
 あとでわかったことだが、文鮮明の復帰の儀式に名をかりた目に余る乱脈なセックスに腹をたてた崔先吉夫人は、水晶洞教会で大暴れして、女の食口たちを叩き出した。恐れをなした文鮮明は、女たちを連れてソウルヘ逃げ、清進洞に隠れ家を借りて女たちと住んだ。
 しかし、そこもわずか一週間で崔夫人に突きとめられてしまった。私が釜山の専売庁支店から帰る直前、文鮮明はあわてふためいて女たちを四散させ、命より大切なはずの原理原本の草稿もそのままに、崔夫人から逃げ出したのである。
 女の食口たちに囲まれて暮らすことは、つまり乱れた「女護が島」を意味する。なぜなら文鮮明を取り巻く女食口たちは、復帰原理に沿って身体を開き、再臨メシアを自称する文鮮明とセックスを最低三回はしなけれぱ、女として復帰の資格が与えられないからだ。
 当時、文鮮明を先生と仰ぎ、その原理を盲信していた私は、しばしば復帰の実践現場であるセックスを目撃したり、宗教儀式にそぐわない女食口たちの、狂態や矯声を見聞したこともある。だが、あくまでもそれは、再臨主としての務めだと解釈していた。
 一方で、どうしてもわからなかったことは、なぜ再三にわたって尻に帆をかけたように崔夫人から逃げ出すのか?だった。メシアなら妻の前でも堂々とやれぱよいのに、妻一人伝道できなくて、どうしてこの世が救えるのか?と疑問が湧いてきたのも事実だった。
 それともう一つ。あれだけ大切な、伝道には欠かせない原理原本を放り投げて逃げ出した文鮮明に、言行不一致の疑いを持ったのも事実である。
 清進洞から逃げた文鮮明は、また別の場所で女と一緒だったが、それがまたとんでもない事件に発展していくことになった。(「六マリアの悲劇 真のサタンは文鮮明だ!! 統一教会創始者 朴 正華 恒友出版」 P.81 より)



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