悔いなし。さらば、ホンジュラス…。 Adios Honduras...
「人生最大の悲しみ、衝撃、絶望」を僕に与えた、突然のU-20ホンジュラス代表GKコーチ【解雇】から、2週間が経過しました。
おととい。ホンジュラスリーグのチームから「GKコーチ」として新たなオファーが届きました(以前オファーしてきたチームとは別のチーム)。
解雇になってから僅か2週間で、ホンジュラスリーグのチームから2つ目のオファー。「自分の力を認め、必要としてくれる人がいるんだ…」 凄く嬉しかったです。
しかし…。
僕はこのオファーも、前回のオファー同様、断りました。
僕の「心」は、もう、決まっていました。
「ホンジュラスを去る」
僕とホンジュラスとの間には、切っても切れない「縁」がある。だから来年以降も、またホンジュラスに戻ってきて働く可能性は充分にある…。
ただ…「今」じゃない。自分の中に「今、ホンジュラスで働きたい」という気持ちは、ない。今、僕が「やりたい」事は…「日本帰国」。それしかありません。
これまでの人生も、「自分の感情」「直感」に素直に生きてきました。そうやって道を切り拓いてきました。
「一旦、ホンジュラスを離れる時がきた」 …そう感じています。
ここに、1年8ヶ月前に日本を飛び立ち、ホンジュラスに到着する直前に経由先のアメリカで書いたブログがあります。→【《旅立ち》人生最大の夢、目標、使命を実現するために…】
実に「7年ぶり」となる「ホンジュラス挑戦」に対する想い、決意、覚悟…。僕は、こう書きました。
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2013年2月12日(火)
「治安」の問題…。正直、ホンジュラスに行く時は、いつも「怖い」です。今回も内心、メチャクチャ「怖い」です。
そして「金銭面」の問題…。正直、条件は厳しいです。内心、「一体、今後どうなるんだろう…」と、メチャクチャ「怖い」です。
それでも…。
「ホンジュラス1部リーグ(最高峰リーグ)でGKコーチをする」事は、僕にとっては、J1のトップチームはもちろん、バルセロナやレアル・マドリード、バイエルン・ミュンヘンでGKコーチをする事よりも遥かに大きな「夢」なのです。
「ホンジュラス1部リーグでGKコーチをする」事、そしてその先にある「ホンジュラス代表GKコーチとしてW杯に出場し、日本を倒してベスト16以上に進出する」事…これは「夢」であると同時に、僕の中では人生で絶対にやり遂げなければならない具体的な「目標」であり、神様から僕に与えられた「使命」だとさえ感じています。そのためなら…大きなリスクをしょっても、僕は前に進むしかありません。
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僕にとって「ホンジュラス1部リーグ(最高峰リーグ)でGKコーチをする」事は、バルセロナやレアル・マドリード、バイエルン・ミュンヘンでGKコーチをする事よりも遥かに大きな「夢」だったんです。その「夢」が今回、叶った。数え切れないほどの修羅場と理不尽な問題の連続で確かに尋常じゃなく苦しい日々ではありましたが、僕は紛れもなく「幸せ」でした。
しかも、ただ「ホンジュラス1部リーグ(最高峰リーグ)でGKコーチをする」という夢が叶っただけじゃない…。「GKコーチ」としては初参戦のホンジュラスリーグにて、レアル・ソシエダではいきなり【リーグ最小失点】と1部昇格1年目(2季目)のチームとしては【50年間のホンジュラスリーグの歴史上2チーム目】となる【準優勝】の快挙達成。さらには、その後に移籍したパリーヤス・オネでも、1部昇格1年目(1季目)のチームとしては【50年間のホンジュラスリーグの歴史上『初』となる】快挙達成(それが何かは、またいずれブログに書ければ…)。大半のホンジュラス人が一生かかっても実現不可能な歴史的快挙を、僅か「1年」の間に2つも成し遂げ、貴重な「歴史の当事者」となりました。
…こんなに「幸せ」な人生が、あるでしょうか?
※昨年。パリーヤス・オネ時代の写真。ちなみに一番上の写真はホンジュラス上陸当初に撮ったレアル・ソシエダ時代のもの。2つの写真を比べてみて下さい。この写真の僕がいかに痩せているかが分かります。【不衛生度MAX・プライバシー0(ゼロ)・サソリも出る最強最低クラブハウス】での地獄の生活や【家を失う】などの劣悪な環境、不可解な出来事の連続で、僅か半年間で体重が10kg減少…。過酷な状況下で、心身ともにギリギリの状態の中での「快挙達成」でした。
「人生最大の夢」である「ホンジュラス代表GKコーチ」になるためには、「ホンジュラス1部リーグで結果を出して、サッカー協会幹部に自分の実力を認めさせるしかない」と考えていた僕…。
多くの人々の支えと、たくさんの素晴らしいチームメイトに恵まれ、ホンジュラスリーグ50年間の歴史を塗り替えるほどの「結果」を残した後…。
ついに、吉報が届きました。
【U-20ホンジュラス代表GKコーチ】に、正式就任。
GKコーチとしてのトライアウトを受けさせられるなど簡単な道のりではありませんでしたが、全てを魂で乗り越え、世代別代表ながら、僕はとうとう…
「ホンジュラス代表GKコーチになる」という人生最大の夢を実現します。
初めて「ホンジュラス代表」への想いを抱いた2008年の挑戦以来、実に6年…「2190日目」の夢実現。
憧れだったホンジュラス代表エンブレムの入ったユニフォームを身にまとい、愛するホンジュラスという国のために戦う…。
それは紛れもなく僕の34年間の人生の中で「最高に幸せ」な日々でした。
今回の1年8ヶ月間のホンジュラスでの挑戦で叶った「夢」や「目標」は、これだけではありません。
昨年末には、日本人として初めて【ホンジュラスサッカー協会公認GKコーチングライセンス】を取得。
2ヶ月前には、9年前にはどうやっても取得できず、今回ホンジュラスに戻ってきてからも何をどうやっても取得できず、長年に渡って本当に辛く悔しい思いをさせられ続けてきた【ビザ】も、9年越しの願いが叶ってついに取得。
9年前にお世話になった人たちにずっと恩返しができずに、世界のどこに居てももどかしい気持ちを抱えていましたが、今回、9年越しの願いが叶って、やっと彼らへの【恩返し】も果たす事ができました。
これまでホンジュラスでは生活するのに精一杯の給料しかもらえていませんでしたが(しかも遅延や未払いがあった)、U-20ホンジュラス代表GKコーチとして働き始めてから、ようやく念願叶ってある程度の貯金が貯まる給料をもらえるようになり、安定した生活も送れるようになりました。「中南米最貧国」の1つであるホンジュラスでここまで辿り着くのが、どれだけ大変だったか…。
正に、「奇跡」のような展開の連続…。
9年間どうやっても解決できなかった数々の問題、乗り越えられなかった数々の壁、長年、追い求め続けてきた「夢」と「目標」…そのほぼ全てを、今回のホンジュラス挑戦で「実現」させました。
もう、悔いないです。
確かに「人生最高の幸せ」の絶頂に、突然、何の前触れもなくU-20ホンジュラス代表GKコーチを解雇になり、【W杯に出場して日本を倒してベスト16以上に進出する】という夢だけは残念ながら叶いませんでしたが、やれり限りの事は全てやってきた上での解雇だったので全く悔いはないし、「この夢だけは神様からの『まだ実現は早い。後の楽しみにとっておけ』というメッセージなんだろうな」と前向きに解釈しています。
今回、僕を解雇にした者たちにも、「怒り」「失望」はあっても、「憎しみ」「恨み」はありません。何だかんだで彼らのおかげもあって、僕はU-20ホンジュラス代表GKコーチという職に就けて9ヶ月間も働けたのだからその点は感謝しているし、それに「いつも解雇後にステップアップしてきたから、今回の解雇も必然の出来事なのだろう。解雇した者たちへのリベンジも、いつものように必ず今後『サッカーの借りはサッカーで返す』時がくるだろう」と考えています。
やり切った。完全燃焼した。今回のホンジュラス挑戦でやれる事は全てやった。
僕の心は意外なほどに晴れやかで、スッキリしています。
いざ「ホンジュラスを離れる」となると、「これだけ縁があり、僕の夢を叶えてくれたホンジュラス…。このままもっと居れば、さらにたくさんの夢が叶うんじゃないか?実際にオファーも届いてるし…」という迷いの気持ちがあるのも事実です。
けど、それ以上に「今こそ、一旦、ホンジュラスを離れる時だ。一旦、ホンジュラスを離れないと、何も始まらない」…という気持ちが自分の心の中にあります。
家族も毎日ずっと一緒に居ると、嫌になるものです。しかし離れて暮らすと、その「存在の大きさ」「大切さ」「ありがたみ」に気付きます。ホンジュラスも同じで「離れてみなければ分からない、離れてみなければ見えない」モノがあるんです。
一旦、離れて全てをリセットし、そこで「見えた」モノがホンジュラスであれば…そして、その時まだ僕とホンジュラスとの間に「縁」があれば…来年以降、僕は再びホンジュラスに戻る事になるでしょう。
逆にそうでなければ…来年以降、僕は別の道を歩む事になるでしょう。
これまでは金銭面よりも何よりも「ホンジュラス」を最優先して活動してきましたが、今は一旦「ホンジュラス」の枠組みを外し、全ての国の全てのチャンスに対して目を開き、フラットな状態でゼロから今後の進むべき道を決めていきます。
一度「離れる」と再び戻るのが難しい事は、今回、僕がホンジュラスに戻ったのが実に「7年ぶり」だった事実を見ても分かります。だから、「離れる」決断は容易ではありません。
しかし…。僕はこれまでの34年間の人生の中で、自分が下した「決断」に後悔した事は、一度もありません。
5年前の2009年。人生の「ターニングポイント」に立たされていた自分…。あの時「選手を引退」し、「立正大学体育会サッカー部GKコーチになる」事を決断したから、今の自分があるんです。そしてあの時、立正大学体育会サッカー部の杉田監督が僕に「GKコーチとして生きる道」を与えてくれたから、今の自分があるんです。杉田監督には本当に感謝の気持ちで一杯です。※詳しくは→【「決断」】
終わり方はこんな形(解雇)となってしまいましたが、僕はこの1年8ヶ月間のホンジュラスでの挑戦でやってきた事、成し遂げてきた事に「誇り」をもち、堂々と胸を張って日本に帰国します(その前にこれからメキシコに行きます)。
これだけたくさんの「夢」と「目標」を実現させてくれて、本当にありがとう、ホンジュラス…。
さらば、ホンジュラス…。
Muchas gracias Honduras.
Adios Honduras...
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