「決断」 | 元U-20ホンジュラス代表GKコーチ・山野陽嗣の「世界一危険な国での挑戦」

「決断」



 大変、遅れてしまいまして、誠に申し訳ございませんが…

 <「ターニングポイント」 >の続きです!!


 約3ヶ月前…。2009年4月。

 僕は人生における「ターニングポイント」に立たされていました。

 これまで約7年間、実に8ヶ国以上を渡り歩いて続けてきた「サッカー」…。


 「8ヶ国以上を渡り歩いて」と言っても、「海外」が好きだから日本を離れた訳じゃない。好きなのは文句なしに、母国である「日本」。しかし、大学卒業当時の自分に、日本でプロになるチャンスは無かったので、


 「海外で活躍して名を上げて、ゆくゆくは日本代表になり、故郷で待つ家族や友人に自分の晴れ姿を見せてやりたい…喜ばせてあげたい…夢や希望を与えてあげたい…」


 …という一心で海を渡り、気が付けばそれが唯一無二の絶対的なモチベーションとなって、死をも恐れぬ覚悟で危険な活動を、約7年間にも渡って続けてきたのです。


 ところが様々な事情があり、今の僕は再び海外挑戦する事が不可能な状況に陥りました。活動を続けるなら、母国である日本でやるしかない…。


 僕にとってはある意味、海外で活動する事よりも日本でやる方が大きな挑戦です。しかも、「サッカー人生」が終焉するかもしれない、瀬戸際に追い込まれた状況…。

 正に、人生における「ターニングポイント」に立たされました。

 そして、この「ターニングポイント」で僕の目の前に現れたのは、全くタイプの異なる「3種類のチャンス」…。


1:知人が監督を務める、将来、Jリーグ入りを目指した社会人リーグの強豪チームからの、「選手」としてのチャンス。

2:サッカーとは全く無関係、全く異なる分野からの非常に魅力的なチャンス。(ここでは詳細は控えさせていただきます)

3:母校である立正大学体育会サッカー部からの、「GKコーチ」としてのチャンス。




 これまで同様、
「サッカー選手」を継続していく事を選択するのか…?

 それとも、これまでとは全く異なる、「サッカー以外の人生」を選択するのか…?

 あるいは、「立正大学体育会サッカー部GKコーチ」を選択するのか…?

 
 
 
 「ターニングポイント」で僕が下した「決断」は…。


































 





 




 

 
「日本→中国→アメリカ→イングランド→ホンジュラス→ジャマイカ→パナマ→オーストリア→南アフリカ→?」 -立正大学サッカー部「GKコーチ」就任 1




「日本→中国→アメリカ→イングランド→ホンジュラス→ジャマイカ→パナマ→オーストリア→南アフリカ→?」 -立正大学サッカー部「GKコーチ」就任 2



 「立正大学体育会サッカー部GKコーチ」!!!!!


 2009年4月。

 僕は母校である立正大学体育会サッカー部のGKコーチとして、正式に契約締結を果たしました!!正直に言うと、世界各国で「契約」を巡ってその前後で様々なトラブルを経験しているので、最後の最後…契約書にサインするまで…いや、ちゃんと給料を手にするまでは、本当の意味で心が落ち着く事はありませんでした。ちょっとトラウマになっているのかな!?

 この「選択」に至った理由はいろいろとありますが、僕が一番、大事にしたのは、心の奥底から湧き上がる、嘘偽りの無い、自分の素直な感情…。

 これまでも何度と無くこのブログ上で書いてきましたが、昨年、南アフリカの地で、死ぬ思いでどうにか辿り着いたプロサッカーチームとの契約が、信じられない形で破棄される事件が起きて以降、自分の中で「サッカー選手」としての「情熱」や「モチベーション」が湧いてこなくなりました。それは、生まれて初めて味わう、不思議な感覚でした。

※詳しくは→<「1年8ヶ月」の沈黙を破り…。ついに「この瞬間」がやってきた…
       <「17年間」の「サッカー人生」で「初」の心境


 その心境に至ったのは、何も南アフリカでの事件「だけ」が原因なのではありません。それまでも世界各国で、数えきれないほどの不可解かつ屈辱的な経験をしてきましたが、その度にそれら全てを「笑顔」で乗り越え、本当に「死ぬ一歩手前」という危険な状況をどうにか魂で掻い潜り、ようやく辿り着いた先が、昨年の「南アフリカでの事件 」だった瞬間…自分の中で何かが終わったと言うか…「試合終了」の笛が聞こえたような気がしました。そして、もはや「サッカー選手」としての「情熱」や「モチベーション」も、以前ほど湧かなくなってしまっている自分がいました。

 だから、社会人リーグの強豪チームから練習参加の誘いがあった時も、「やりたい!」とは正直、思えなかった…。

 それに、以前から一貫して自分の中に、

 「どんな国でも、プロリーグ(2部以上)でないとサッカー選手としての活動は続けない」

 …という強い信念があったので、大学時代に「縁」があって知り合った人物からのせっかくのお誘いでしたが、自分の気持ちに嘘はつけず、誠に申し訳ないけどお断りさせていただきました。


 では、残る選択肢は「2つ」…。

 「サッカー以外の人生」を選択するのか…?

 「立正大学体育会サッカー部GKコーチ」を選択するのか…?


 正直、僕の中では「サッカー以外の人生」の方に、心は傾きかけていました。

 僕は「選手」として真剣に上を目指してサッカーするのが好きだったのであり、将来もずっとコーチなどでサッカーに関わる仕事をしていきたいとは、全く考えていませんでした。それに、これまでやれる限りの事をやってきたので、サッカーに対する未練はもはや無かった…。

 「サッカー選手としてサッカーしないなら、サッカーとは全く別の分野で生きていきたい」

 僕はこう考えていました。そして、ありがたい事に、目の前にそのチャンスもあった…。



 しかし、日本でのチーム探しをまだ行っていた際、母校の後輩達と共に同じフィールドで汗を流す中で、僕の心境は徐々に変化していきました。

 後輩達に指導をしながら一緒に自分も練習していたのですが、次第に、

 「母校のために、もっともっと力になりたい。恩返しがしたい」

 …という気持ちが強くなっていきました。この時すでに、「サッカー選手」としての自らの将来よりも、「後輩達への指導」「母校への恩返し」に対する想いの方が、自分の中で大きくなっていました。

 「今までの人生の中で、散々、世界各国でありとあらゆる人々にお世話になってきたけど、なかなか恩返しする事ができなかった。とにかく、1日も早く恩返しがしたい」

 僕の「恩返し」に対する欲求は、ピークに達していました。


 僕はホンジュラスでプロになるまで、なかなかプロの「GKコーチ」に指導してもらえる機会を持つ事ができませんでした。それがサッカー人生における大きな痛手となっていたし、実際、大学時代はずっと「プロのGKコーチの指導を受けたい」と思い続けてプレーしていました。母校の後輩GK達には、同じような辛い思いをさせたくない…。

 それに、今年から立正大学体育会サッカー部の監督に就任した人物は、僕が在学中にもコーチを務めていて、4年間、お世話になった恩師でした。この7年間はいろいろわだかまりがあって連絡を取ってなかったけど、<「7年ぶり」に、「原点」に帰る >でも書いたように、何事も無かったかのように温かく迎え入れてくれ、「GKコーチしてみないか?」という誘いの声までかけてくれた…。本当に嬉しかったですね。「この人のために一肌脱ぎたい。男にしてあげたい」と強く思いました。


 そしてもう1つ、「決断」に至った大きな要因は…。母校サッカー部で指導してて、何物にも代えられない「幸せ」「充実感」「喜び」を感じられた事…。もし、仮に他の選択をしたとして、果たしてこれに勝るとも劣らない「幸せ」「充実感」「喜び」を得る事ができるのか?そんな事は誰にも分からない。ならば、「分からない」未来よりも、「今」、僕はここで「幸せ」「充実感」「喜び」を感じられているのだから、「今」の自分の素直な感情を大事にしよう…。

 こうして僕は決断を下し、立正大学体育会サッカー部のGKコーチに就任しました。
 
 この「決断」を下したという事は…もう1つの大きな「決断」を同時に下した事になります。


 それは…


 「引退」。


 僕は今年4月をもって、「サッカー選手」を引退する事を決断しました。

 体はまだまだ動く…と言うか、むしろサッカー人生の中で一番良い状態なのですが、それを生かすプロチームを見つける事ができなかったし、何より自分の中で「サッカーしたい!」という強い気持ちが全く湧いてこないので、もはや「選手」を続ける理由はどこにもありません。

 今の自分は、「選手」としてサッカーする事よりも、「立正大学体育会サッカー部GKコーチ」としての仕事の方に、大きな
「幸せ」「充実感」「喜び」を感じています。指導者としてフィールドに立ってる時、「自分も久々、GK練習したいなあ」とすらほとんど思わないくらいですからね。それくらい、僕は今、「GKコーチ」としての仕事に没頭しています。

 じゃあ、今までのように上昇志向で、「GKコーチとしてもプロを目指すぞ!」という気持ちがあるのかと言えば、そうじゃない。前述したように、僕は別に「サッカー」の世界にこだわって仕事選びをしてる訳ではないし、将来、プロでGKコーチをするためのステップアップとして、立正大学サッカー部でGKコーチをしてる訳でも全くない。

 「母校に恩返しがしたい」気持ちと、そこにかけがえのない
「幸せ」「充実感」「喜び」を見い出せているからこそ、立正大学サッカー部でGKコーチを務めているだけなのです。

 今までの人生は、「自己実現」に全身全霊を注いできました。そして、そうやって自己実現する事で、自然とお世話になった人々への恩返しになると考えていました。

 しかし今は「自己実現」とか本当にどうでも良い…。とにかく「立正大学体育会サッカー部」のために全力を尽くす事だけを考えて、毎日を生きています。他には何もありません。

 立正大学サッカー部との契約期間は1年。大学サッカーとは言え、コーチ業をやって給料をもらい、それで食っていくので、ある意味「プロ」と同じです。常に結果が求められるし、もし結果が出なければ…仕事を続けられない状況も出てきます。

 しかし、そんなの僕は全く気にしていません。だって、今までの人生だって常に明日の保証が無い中でやってきたんですから!!1年後は何をしているか…誰も知る由がありません。だからこそ、人生は楽しいのです!!先の事は重要じゃない!!大切なのは「今」です!!そして、
「幸せ」「充実感」「喜び」を感じられる「今」を積み重ねる事で、自分にとって最良の未来が、自ずと開かれてくるのです!!

 これまで命懸けで続けてきた「サッカー選手」を、僕はついに「引退」しました。本当に長く、険しく、楽しく、ハチャメチャで、破天荒な、ありえない道のりでした。

 今まで長い間、応援、誠にありがとうございました!!!!!

 ひとまず「サッカー選手」としての挑戦は幕を閉じましたが、僕の「ありえない!がある!」人生はまだまだ続きます!!

 今後とも何卒、ヨロシクお願い致します!!!!!

 本当に、ありがとうございました!!!!!


※下は、立正大学サッカー部のホームページ&ブログです!!ブログの方は今年2月から僕が毎回、更新しているので、ぜひご覧になってみて下さい!!かなり魂こもってます!!

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