《旅立ち》 人生最大の夢、目標、使命を実現するために…。 | 元U-20ホンジュラス代表GKコーチ・山野陽嗣の「世界一危険な国での挑戦」

《旅立ち》 人生最大の夢、目標、使命を実現するために…。


 僕には現在、大きな夢』が、「2つ」あります。



 1つは

 「ホンジュラス代表GKコーチになってW杯に出場し、日本倒してベスト16以上に進出してお世話になったホンジュラスに恩返しをする」



 もう1つは、

 「ホンジュラス1部リーグ(J1に相当)のチームでGKコーチを務め、お世話になったホンジュラスに恩返しをする事。




 前述の夢と、後述の夢は、繋がっています。

 僕にとってより大きな人生最大の夢」は、前述の「ホンジュラス代表GKコーチになって…」の方です。

 しかし、この「人生最大の夢」を叶えるには、後述の夢「ホンジュラス1部リーグのチームでGKコーチを務め…」を実現する事が必要不可欠です。なぜなら、いくら地球の裏側・日本やその他のアジアの国々で実績を積んでも、遠いホンジュラスには届かないからです。

 僕が「ホンジュラス代表GKコーチになって…」という「人生最大の夢」を実現するためには、ホンジュラスで、ホンジュラス最高峰リーグで、GKコーチを務め、自身の実力をホンジュラスサッカー協会、その他、ホンジュラスの有力サッカー関係者に認めさせる以外に、道はありません。






 2ヶ月前…(昨年12月)。

 広島に居た僕に、1人の男から「オファー」が届きました。

 その人物とは…。

 2005年…。僕が初めてホンジュラスに上陸し、初めて練習参加し、練習生として2ヶ月間プレーしたホンジュラス最強チームの1つ「マラトン」(Marathon)の当時の監督ハイロ・リオス(コロンビア人)でした。

 2ヶ月前、ホンジュラス1部リーグ(最高峰リーグ)のレアル・ソシエダというチームの新監督に就任したハイロ・リオスは、「Yojiが必要だ」と、数度に渡ってオファーをくれました。



※2005年。マラトン時代の写真。向かって左の帽子をかぶってる人物が、ハイロ・リオス。右はアシスタントコーチのオラシオ・ロンドーニョ(こちらもコロンビア人)。現在2人は共にレアル・ソシエダで働いています。
 
「日本→中国→アメリカ→イングランド→ホンジュラス→ジャマイカ→パナマ→オーストリア→南アフリカ→日本→シンガポール→日本…」 -foto con Jairo Rios y Horacio Rondoño.2005 en Ma



 8年前…。当時、マラトンに練習参加した僕のプレーを、ハイロ・リオス監督は高く評価してくれました。しかしチームはすでにリーグ開幕直前で、外国人枠も一杯。今季中のプレーがどうやっても不可能となった僕に、ハイロ・リオスは「来季ならYojiはプレーできる。それまでの半年間、マラトンで練習すれば良い」と言ってくれ、僕の練習参加継続を許可…。こうして僕はハイロ・リオス監督の、外国人枠が空く来季まで「練習生」としてマラトンでプレーする事となりました。

 しかし、それから2ヶ月後…。マラトンで非常に充実した幸せな日々を過ごしていましたが、「練習生」では給料が出ずに生活が苦しい中、2部リーグのチームから誘いを受け僕は、苦渋の決断でマラトンを離れました。するとその直後…奇しくもハイロ・リオス監督もマラトンを解雇となり、これ以降、僕たちは度と同じチームで一緒になる事はありませんでした。






 あれから、「8年後」…。

 今回、こうしてハイロ・リオスは、「GKコーチ」として僕にオファーをくれました。

 マラトン時代には、練習試合で、マラトンに所属する正式なGKを差し置いて、練習生である僕をスタメン起用してくれる事もあった、ハイロ・リオス。僕も「コーチ」という立場になったので分かりますが、今、思えば、これはかなり、ありえない事でした。他にも、泥棒にズボン盗まれてショックを受けていた僕に、翌日、ハイロ・リオスは新品のズボンを買ってプレゼントしてくれました。たかが練習生だった僕に、まるで「家族」のように良くしてくれました。

 「ハイロ・リオスには、いつか必ず恩返しがしたい」…ずっと、そう思い続けてきました。




 今回、届いたのは、その、ハイロ・リオスからの、直々のオファーです。しかも、自身の夢であホンジュラス1部リーグ(最高峰リーグ)のGKコーチ」のオファーです。

 このオファーを受けた時は、感動と興奮で胸が一杯になりました。早速「ホンジュラス行き」に向けて、準備を開始しました。  

 
 
ところが…。


 肝心のチーム幹部との交渉が、なかなか上手く進みません。いくら「監督」であるハイロ・リオスのオファーでも、契約するかどうかを決めるのはお金を払う「チーム」です。チームから必要とされなければ、この話は実現しません。

 ハイロ・リオスから最初のオファーを受けた時は12月の初旬で、まだリーグ戦は開幕しておらず、プレシーズンに入る直前でしたが、チームとの交渉を進めてる内にあれよあれよと時は流れ、プレシーズンも終わってリーグ戦も開幕…。ついにはチームからの連絡も途絶え、「このパターンになったらホンジュラスは難しい。やはり今回は無理だったか…」と諦め、気持ちを切り替えて、ホンジュラスとは全く別のチャンスを模索する事にしました…。

 

※2010年。ハイロ・リオスが住んでいるアメリカはフロリダのオーランドにて、再会した時 の写真です。当時、彼はハイチ代表監督を務めていました。ちなみにこの場所はディズニー・ワールドです。果たして、彼と一緒に働ける日はくるのでしょうか…?

「日本→中国→アメリカ→イングランド→ホンジュラス→ジャマイカ→パナマ→オーストリア→南アフリカ→日本→シンガポール→日本…」 -2010年。ハイロ・リオスと再会!
 

 
 レアル・ソシエダのチーム関係者との連絡が途絶えてから、約1ヶ月経過…。

 「ホンジュラスからのチャンスは、もうい」と思この間、僕は水面下でホンジュラスとは全く別のチャンスに対して動いていたのですが…。

 突然、最近になって、レアル・ソシエダのチーム幹部から連絡がきました。「チームの会長がYojiに強い関心を抱いている」と言われ、早速、その会長とも直接、電話で会談…。前向きな返事をもらい、僕は「ホンジュラス行き」を決断…。


 ハイロ・リオスから最初のオファーを受けてから実に2ヶ月…こうして僕は紆余曲折を経て、再びホンジュラスへと旅立つ事となりました。



※昨日(2月11日)。成田空港にて。着ているのはもちろん「ホンジュラス代表」ユニフォーム(最新版)です!!「ホンジュラス魂」を胸に、ホンジュラスへと旅立ちます!!ちなみに胸の「H」ですが、「Honduras(ホンジュラス)」の「H」なのです!!ひらめき電球別に僕が「H」な訳ではありません!!(笑)

「日本→中国→アメリカ→イングランド→ホンジュラス→ジャマイカ→パナマ→オーストリア→南アフリカ→日本→シンガポール→日本…」 -2013年2月11日。成田空港!①


「日本→中国→アメリカ→イングランド→ホンジュラス→ジャマイカ→パナマ→オーストリア→南アフリカ→日本→シンガポール→日本…」 -2013年2月11日。成田空港!②

 

 「『ホンジュラス行き』を決断」…と、上に書きましたが、いくらホンジュラスの事を愛してると言えど、この「決断」は決して、簡単ではありませんでした。

 まずは「治安」の問題…。正直、ホンジュラスに行く時は、いつも「怖い」です。今回も内心、メチャクチャ「怖い」です。

 そしてもう1つ「金銭面」の問題…。正直、条件は厳しいです。内心、「一体、今後どうなるんだろう…」と、メチャクチャ「怖い」です。


 それでも…。


 「ホンジュラス1部リーグ(最高峰リーグ)でGKコーチをする」事は、僕にとっては、J1のトップチームはもちろん、バルセロナやレアル・マドリード、バイエルン・ミュンヘンでGKコーチをする事よりも遥かに大きな「」なのです。

 そもそも僕には、J1のトップチームでGKコーチがしたいとか、バルセロナやレアル・マドリードやバイエルン・ミュンヘンでGKコーチがしたい…という気持ち自体が、あまりありません。そこに特に憧れはない。それよりも何よりも、僕にとっては「ホンジュラス」が重要なのです。

 ホンジュラス1部リーグでGKコーチをする」事、そしてその先にある「ホンジュラス代表GKコーチとしてW杯に出場し、日本を倒してベスト16以上に進出する」事…これは「」であると同時に、僕の中では人生で絶対にやり遂げねばならない具体的な「目標」であり、神様から僕に与えられた「使命」だとさえ、感じています。


 そのためなら…大きなリスクをしょっても、僕は前に進むしかありません。



「日本→中国→アメリカ→イングランド→ホンジュラス→ジャマイカ→パナマ→オーストリア→南アフリカ→日本→シンガポール→日本…」 -2013年。アメリカ上空!①



 レアル・ソシエダは昨年、クラブ史上初めて1部リーグに昇格したチームなのですが、前期が終わった時点で最下位に沈み降格の危機に立たされていました。それが前期が終わった後にハイロ・リオスが新監督に就任すると、後期いきなり開幕2連勝!!4試合負けなしで一躍「首位」に躍り出ました(おとといの試合で初黒星を喫して現在は3位です)。

 実はハイロ・リオス…「弱いチームを強くする」スペシャリスト。2011年にも、開幕から低迷してずっと降格圏から抜け出せず、「降格ほぼ間違いなし」と言われていたチームの監督にシーズン終盤になって就任するやいなや、あれよあれよの快進撃でチームを残留に導きました。それ以前にも、同じように降格圏のチームを何度となく救っています。また代表レベルでは、2009年にハイチ代表監督としてゴールド杯(アジアのアジア杯に相当)に出場を果たすと、ハイチの歴史上初めてアメリカと引き分け、ホンジュラスも居た厳しい予選リーグを見事に突破!!ハイチをゴールド杯「ベスト8」導きました。

 マラトンに居た8年前…。僕は監督であるハイロ・リオスが作り出す「チームは家族」という雰囲気が、凄く好きでした。選手のみならず、ホペイロやマッサージ師の誕生日があっても、チーム全員で練習後にケーキとコーラと歌と笑顔で祝っていました。僕はそんな雰囲気の中で、生まれて初めて「サッカーが楽しい」と感じました。この時に経験した事は、僕の人生観、サッカーに大きな影響を与えました。※詳しくは→【レベルの高い集団とは?



※2009年。ゴールド杯でハイチ代表を指揮するハイロ・リオス監督。

「日本→中国→アメリカ→イングランド→ホンジュラス→ジャマイカ→パナマ→オーストリア→南アフリカ→日本→シンガポール→日本…」 -2009年。ハイチ代表監督ハイロ・リオス。



 実は今回はホンジュラス以外にも、日本のチームからもいくつかオファーを頂きました。

 このブログを長年ずっとご覧になって下さってる方ならご存知かと思いますが、僕は海外に出た事で「日本人」としての誇りに目覚めました 。「日本」の魅力を再確認し、「日本」を改めて好きになり、「必ず母国である日本に恩返しするぞ」という強い意気込みで帰国しました。実際、立正大学サッカー部、アルビS、アルビユース…どのチームでも素晴らしい選手たちに恵まれ、彼らと共にサッカーをしている時は、何ものにも代えられない「最高に幸せな時間」を過ごす事ができました。

 しかし…。

 唯一、「日本社会」にだけは、馴染めませんでした。僕自身の問題もあり、上手く適応する事ができませんでした。自分なりに馴染もう、上手くやっていこうと精一杯、試みたのですが、なかなか噛み合いませんでした。

 「日本人」である事に人一倍の「誇り」を持ち、「日本」の事が「好き」なのに、「馴染めない」「適応できない」「噛み合わない」…のは、これ以上ないほどの「苦しみ」でした。僕は「元気」と「笑顔」をモットーに生きているので、「苦しみ」とかいう言葉は8年間、続けているブログ上でほとんど使った事はないのですが、この件に関しては使わざるを得ないほど、これは僕の中で紛れもなく大きな大きな「苦しみ」でした。

 だから今、現時点の僕のキャパでは、日本社会の中で生きていく事に前向きな気持ちにはどうしてもなれず、日本のチームからのオファーは全て断り、好きな母国・日本を離れる以外に道はありませんでした。これは非常に悲しい事です。しかし、他にはありませんでした。

 

「日本→中国→アメリカ→イングランド→ホンジュラス→ジャマイカ→パナマ→オーストリア→南アフリカ→日本→シンガポール→日本…」 -2013年。アメリカ上空!②



 僕が苦しい時を過ごしている間、本当にたくさんの人がグロテスクな似顔絵 各種「絵」のダウンロード販売を購入してくれました。そういった温かい心をもった皆様の支えのおかげで、僕は再び「元気」と「笑顔」を取り戻し、金銭的にも今回の「ホンジュラス行き」を何とか実現させる事ができました。本当に、ありがとうございました。感謝の気持ちで一杯です。【グロテスクな似顔絵 】は、ホンジュラスでも描けるかどうかまだ分からないですが、【各種「絵」のダウンロード販売 】は常時ネット上で行っています(安いものは「100円」からあります)。また最近では「創業60年」山野米穀店2代目社長「オーガ」が作った【米の検査台帳】(水うるち・もち玄米)作成管理プログラム というのもあります。今後とも、何卒、よろしくお願い致します。





 …さて、僕は現在、どこでこのブログを更新しているでしょうか?

 実は日本からホンジュラスに直接行ける飛行機はなく、「広島→羽田→成田→シカゴ(アメリカ)→マイアミ(アメリカ)→サン・ペドロ・スーラ(ホンジュラス)」と、たくさん空港を経由せねばなりません。日本時間で「2月11日」の早朝5時半に広島の実家を出て以降、3つの空港を経てやっと日本を飛び立って10時間以上のフライトを経てアメリカに上陸し、そこから日本と15時間くらいの時差があるので度目の「2月11日」を過ごし、さらにシカゴを経てマイアミに着いたのが「2月11日の夜21時半」。この日はもう夜が遅くてホンジュラスに行く飛行機はないため、マイアミ空港付近のホテルに一泊しています。

 …という訳で、僕は現在、マイアミのホテルからブログを更新しています。広島を出てから丸2日も経つのに、まだホンジュラスに辿り着いてない!!おまけに飛行機内では気持ち良く爆睡できたのですが、時差ボケの影響かマイアミのホテルに着いてからは目が冴えて一睡もできず、現在「2月12日」の早朝の7時…。徹夜でブログ更新しています。あと6時間後の飛行機に乗って、それから2、3時間くらいのフライトを経てやっとやっと、やああああっと、ホンジュラスに辿り着きます…って、遠いわ、ホンジュラスううう!!(笑)




 今回は、全てが上手くいきそうな気がします。

 ここまで支えて下さった皆様に恩返しができるよう、ホンジュラスで元気笑顔でやっていきます!!!!!



「日本→中国→アメリカ→イングランド→ホンジュラス→ジャマイカ→パナマ→オーストリア→南アフリカ→日本→シンガポール→日本…」 -2013年。マイアミのホテルにて。




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