ハイチ代表監督ハイロ・リオスとの「運命」の再会、実現へ…。 | 元U-20ホンジュラス代表GKコーチ・山野陽嗣の「世界一危険な国での挑戦」

ハイチ代表監督ハイロ・リオスとの「運命」の再会、実現へ…。


 明けましておめでとうございます!!今年もヨロシクお願いします!!

 実は今、僕は日本に居ません。では一体、どこの居るのか??

 我が「第2の故郷」…1人のサッカー人としては「第1の故郷」と言っても過言ではない…
 
 そう!!!!!

 愛する、「ホンジュラス」に居ます!!!!!

 ホンジュラスに来たのは、実におよそ「3年ぶり」!!!毎日が「奇跡」と「感動」の連続…。「日本に居た時の自分は一体、何だったのか!?」…と思えるほど、今、ホンジュラスに居る僕は満面の「笑顔」で「イキイキ」しています!!今は時間が無いので、詳しくは帰国してからブログに書いていきますので、お楽しみに!!


 先日、ハイチで大地震が発生しました。死者は10万人にも及ぶという、正に大惨事です。ここホンジュラスでも、連日、新聞やTVで大きく報道されています。

 そのハイチ代表サッカーチームの監督を務めるのが、Jairo Rios(ハイロ・リオス)です。

 ハイロ・リオスは昨年の「ゴールドカップ」でハイチ代表を準々決勝進出に導く など、類稀な手腕をハイチでも遺憾なく発揮しています。

 2005年…。マラトン時代に、僕とハイロ・リオスは知り合いました 。当時、ハイロ・リオスはマラトンの監督を務めており、テストを受けた僕のプレーを評価してくれ、チームへの合流を許可してくれた恩人です。あの時の「恩」は一生、忘れる事ができません。

※当時の写真。向かって左の帽子をかぶってる人物が、現ハイチ代表監督ハイロ・リオス。

「日本→中国→アメリカ→イングランド→ホンジュラス→ジャマイカ→パナマ→オーストリア→南アフリカ→?」 -foto con Jairo Rios y Horacio Rondoño.2005 en Ma


 マラトンで共に時間を過ごす事で「絆」が芽生え、あれから4年経った今でも連絡を取り合う仲です。ここ最近は2日に1回くらいメールでお互いの近況報告をしていました。

 12月。ハイロ・リオスは休暇で実家のあるアメリカのフロリダに帰省していました(ちなみにハイロ・リオスはコロンビア生まれのコロンビア人です)。ハイロ・リオスは、「おそらく1月初旬にはハイチに帰る事になるだろう。今は協会の連絡を待っているところ」と言っていました。

 1月に入りました。ハイロ・リオスの下にはまだハイチサッカー協会から連絡が入りません。本来なら、もうすでにハイチに帰っていてもおかしくない時期…。ハイロ・リオスはアメリカで、協会からの連絡を待っていました…。

 そうしたら、ハイチで大地震が起きたのです。

 もし、予定通り「1月初旬」に協会からハイロ・リオスに連絡が入り、すでにハイチに帰っていたとしたら…。考えたくもないですが、ハイロ・リオスはもう、この世に存在してなかったかもしれません。実は大地震の直前に協会から連絡があったらしく、本来なら昨日ハイチに帰る事になっていたそうです。しかし大地震が起こり、その予定も全てキャンセル…。今後の事も一切、未定となってしまいました…。

 ハイロ・リオスは酷く心を痛めています。ハイチに住んでいた代表選手、コーチ、その他のスタッフ…生きてるのかどうなってるのか、全く分からないそうです。

 実は僕の日本-ホンジュラスの往復便がフロリダのマイアミを経由するので、もし、自分がホンジュラスを旅立つ21日にまだハイロ・リオスがフロリダに居たら、「久々に会おう」という話になっていました。奇しくも大地震が起きた結果、ハイロ・リオスはまだフロリダに居る事になったので、「再会」が実現する事となりました。ハイロ・リオスは僕との再会を「大変、楽しみにしている」と喜んでくれています。

 本来なら、今回の「再会」は実現しないはずだった…。しかし「運命」が僕たちを「再会」へと導いた…。実現すれば、実に「約4年ぶり」の再会となります。

 同じ「フロリダ」と言っても、僕が経由する「マイアミ」とハイロ・リオスが住む「オーランド」は非常に遠く、バスで片道5時間かかります。けど、距離は関係ない…。

 「1月21日(木)」

 僕はハイロ・リオスの下へ向かいます。きちんと「再会」が実現しますように…。